なぜ我が家の庭に杉がそびえているか
我が家の庭には、庭にふさわしくない木が植わっている。
大きなエゴノキと杉だ。
大木のグレープフルーツとこれまた大木になってしまったシキミもある。
カミさんは、近所の人からなんで山の木があるの、と言われて困ったそうである。
この大きな杉の木は、すでに二階の窓にまで達してしまった。
もともと、榛名の山林にあったものだが、かわいい杉の子をみつけて、そっと持ってきて、植木鉢に移植した。
少し大きくなってしっかりし育ったら、また元の山林へ返すつもりだった。
しかし、返しそこねて、そのまま育ってしまい、気が付いたときはすでに簡単には山林に戻せないくらい大きくなっていた。
すでに根っこは小さな植木鉢をつきぬけて、地面にはっているだろう。だが、砕石の地面なので、それほど居心地がいいはずもない。これからは、それほど大きな成長はしないだろう。
しばらく、このままにしておくか、ということで、ここに杉がある。
カミさんは、長いこと激しい花粉症に悩んでいたが、この杉たちが我が家へやってきてから、けろりと治ってしまった。
かわいい小さな杉の子の影響だろうか。
わたしの山林は、山菜、じょねんじょ、山栗、竹の子、ミョウガなどの宝庫であるが、さすがにそれらは山林から移植しない。宝は山林に置いておこう。
変わってしまった味
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たまごの味がかわったのか、それともわたしの味覚が鈍感になったのか、とにかく卵の味が昔と違う。
昔は、卵は、栄養価が高く、おいしい高級な食べ物だった。
今では、1パックLサイズの卵が20個入って、200円もしない。1個10円以下である。
それでも、卵は人工にはできないので、にわとりたちがあたかも卵製造機のごとく狭いところで、身動きもとれず、せっせせっせと毎日卵を生んでいる。
これは、まるで工場である。
その工場に襲いかかるのが、鳥インフルエンザだ。
最近でも宮崎県で大量のにわとりが死に、鳥インフルエンザかと騒がれている。
鳥インフルエンザの原因と感染経路は、まだはっきりとわかっていないが、まるで、こんな卵製造工場のような養鶏場に天罰が下っているかのようにも見える。
わたしの子供のころのにわとりは、もっと自由に飼われていて、食べ物も菜っ葉など、自然のものだった。そこで生んでくれた卵をいつくしむように集め、感謝しながら食べたものだった。
農家をやっている今はなきおじいさんが卵を届けてくれた。
厚紙の菓子折りの中にもみがらをしきつめ、1個1個大切に卵をそのもみがらに包むようにして、入れてあった。
菓子折りのふたを開け、その大切そうな卵を見るだけで、よだれが出そうなくらいうまそうだった。
卵の味は、今とはちがう。とくに白身の部分になんともいえぬ味があった。
卵が貴重だったものだから、1個のたまごを弟と分け合って、卵かけごはんで朝食に食べた。その当時の卵は、はしでかきまぜてもなかなかまざらないのが通常で、先に半分をごはんにかけると、白身の部分だけがかかってしまった。先にかけるか後にかけるかが重要な問題だった。
わたしは、先にかけるのが多かったようだ。黄身の方が、もちろん、栄養価も高く、味も濃厚なのだが、わたしは、白身も大好きだった。(この白身の味とにおいが嫌いな人が思ったより多いのに、後になって驚かされた)
卵は、冷蔵しなかった。だから、常温の卵をあつあつのごはんにかけていた。
これが、うまかったのかも知れないと思い、最近は冷蔵後の卵をいったん取り出して、常温にしてからごはんにかけるようにいる。
それでもあの昔の味ではない。
スーパーマーケットの安い卵だからだろうか。
それとも、わたしの味覚が鈍感になっているのだろうか。
わからない。
もうひとつ、決定的に違う味がある。
それは、かつお節である。
昔は、カンナをひっくりかえしたような削り器がどこの家庭にもあり、かたまりのかつお節を削って食べたものである。
今は、かつお節削り器なんぞ、どこにも売っていない。ひきかえ、すでに削ってあるかつお節が主流となった。
削りたてのかつお節をあつあつのご飯にかけ、しょうゆを少したらしていただく。
これが、実に深い味でうまかった。
今の削り節で、これをやっても、あの深みのある味わいは生まれない。
これもわたしの味覚が鈍感になっているのかもしれないが。
ニジマスには、申し訳ないが、釣ってすぐに塩焼きしたものと、スーパーでパック売りされているものを塩焼きしたものでは、味がほんとうに違うのと似ている。
それから、昔は田んぼや原っぱを駆けずり回って遊んだものだが、遊びの途中で、友達の家で出されたおむすびの味も忘れられない。塩にぎりのめしを分厚いのりで包んだにぎりめしだ。めしは、めしーという味で、のりはのりーという味。
あののりごごはんの味は、今では味わうことのできないものだ。
さて、わたしの味覚が鈍感になったのだろうか。
テレビのたそがれ?
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たしかこの本の著者がゲストとして出演したラジオ番組を、この前聞いた。
わたしはこの本自体は読んでいないので、自身がない。
この間、倉本聡という脚本家がテレビに出ていて、辛らつなテレビ批判をしていた。
いわく、今のテレビは素人が作っている。
プロのテレビ屋は、年をとって油の乗り切ったときに、テレビ局の仕組みで管理職になっちまっている。
これじゃ、サラリーマンではないか。もったいない。テレビというものは、普通の会社のようなサラリーマン制度ではダメになる。
だから、若いものに本物のテレビ屋だましいっていうのか、プロの技が伝わっていかない。
彼は、NHKの大河ドラマ「勝海舟」を書いていて、NHKと喧嘩して、東京がいやになり、北海道へ行き、落ち着き先が決まらないまま、札幌の飲み屋で酒を飲んでいると、隣のおじさんに富良野をすすめられ、翌日行ってみると気に入ったので、富良野に住むことを即決したという。
そして、そこで脚本家を育てる富良野塾を資財を投じて作った。
そのときに、こんな文を作っている。
「あなたは文明に麻痺していませんか。
車と足はどっちが大事ですか。
石油と水はどっちが大事ですか。
知識と知恵はどっちが大事ですか。
理屈と行動はどっちが大事ですか。
批判と創造はどっちが大事ですか。
あなたは感動を忘れていませんか。
あなたは結局何のかのと云いながら、
わが世の春を謳歌していませんか。
(倉本聰・富良野塾開塾起草文) 」
なるほど、倉本聡という人は、変わった人物である。
その彼が、本気になって、今のテレビを嘆いていた。テレビで。
わたしは、「カンペ」という言葉がテレビで使われるのが好きでない。カンニングペーパーのことらしいのだが、平気で、視聴者には、たぶん、多くの視聴者には、わからない業界用語を、平気で使うのは好きでない。この頃から、テレビは「薄く」なったと思った。
最近は、「カム」という言葉まで使っている。言葉につまずくことをカムというらしいが、もってのほかである。
われわれの日常生活では、「カンペ」や「カム」という言葉を使うことは、まずあるまい。
そのことに関係するかどうかわからないが、インターネットのURL、あるいはアドレスを、ダブリュー、ダブリュー、ダブリュー、ドット、なんとかドット、シーオー、ドット、ジェーピーというふうにラジオで伝えることに、喜劇的な違和感をいまだにおぼえている。
最近は、「検索」機能が充実し、あの呪文を聞かなくてはならない場面が減ってきているので、ほっとしている。
わたしはタモリがまだ無名だったころ、テレビに登場しはじめたころを知っている。
どこのおじさんかわからないが、突然4ヶ国語マージャンなるものを夢中ではじめる。
傑作だったのは、レコードをかけて音楽を聴きながら、延々と指揮者のまねをする芸である。
徐々に、彼の芸はテレビで目立つようになり、「今夜は最高」というレギュラー番組が登場する。
この頃のタモリが一番好きだ。
アイデアと芸とサービス精神と、トランペットの演奏、そして、歌。
あぁ、あのときのタモリはどこへ行ったのだろう。
十分に収入があり、財産もあり、ハングリー精神がなくなってしまったのだろうか。
テレビよ、もう一度、テレビになれ。
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ECサイト構築ツール「Zen Cart」
ECサイトを構築できるWebサーバーは確保できたが、これからECサイトを構築しなければならない。
いろいろと考えてみても、osCommerceかZen Cartを使うしかないだろう。
osCommerceの日本語サイトhttp://www.os-commerce.jp/
Zen CartのデモECサイトhttp://www.zen-cart.jp/zen-cart-v1.3.0.2-l10n-jp-1/
料金が比較的格安な上、3ヶ月無料で使えるサーバーを使っているのだが、さすがに、上記無料ソフトを使ったECサイトサービスは、オプションで、数万円も初期設定費用がかかる。もともとソフト自体は、無料で使えるのだが、さすがに、こういうところに有料というハードルをもうけて、儲けようという仕組みだ。
それならば、自分でインストールして使おうということになった。
世界的に有名で、一番使われているのは、osCommerceだが、インストールや管理が面倒のようで、もっと簡単なZen Cartを使うことにした。
調べてみると、わたしが借りているサーバーで、インストール条件が満たされている。よかった。
ここで、出会ったのが、MySQLという、これまた無料で使えるデータベース。なつかしい。昔、このデータベースでちょっと遊んだことがある。
ことさように、無料のソフトで優秀なものがそろっているというのは、驚きだし、便利だし、Web 2.0という世界が現実のものだると実感させられる。
ただし、はたして、Zen Cartがすんなりインストールできて、ECサイトが構築できるかは、まだ未知である。
いずれにしても、大昔マイクロソフトという恐竜が地響きをたてて闊歩していたころとは大違いだ。(彼らは何にでもお金を要求する)ECサイトをゼロから自分で作るより10万倍も早くできるだろう。
それでは、わがECサイトが立ち上がるのをお楽しみに...
わたしの頭脳がまださびついていなければいいのだが。
本日のジュピター君と道路拡幅工事
大きな犬小屋の向きを南向きにしたら、なんとかブロックの上で眠るようになった
道路拡幅工事は今日もつづく。本日は古い農業用水のコンクリートをはがしている。
ジュピター君が避難先の場所になかなかいつかず、手前の砕石まじりの土の上で寝ていたので、大きな犬小屋を東向きから南向きにして、スペースを開けた。もともとジュピター君は、この避難場所で、この向きの犬小屋で暮らしていたからだ。犬小屋にはまだ入ってくれないが、犬小屋の前にできたスペースで寝るようになった。このスペースは、北西の冷たい風があたらないので、少しは安心している。
それにしても今年は暖冬で例年よりずっと暖かく、助かっている。15才の老犬なので、風邪でもひかれたら大変だと危ぶんでいた。
伊勢崎市の区画整理事業による道路拡幅工事は本日もつづく。
今日は、道路の西側にある農業用水を覆っているコンクリートを取り去っている。ユンボが思いコンクリートのかたまりをはがし、地面に落とすと、まるで地震のように家が揺れる。
わたしはへいっちゃら、と強がってみても、知らず知らずのうちに精神的ストレスがかかっているようだ。
カミさんは、気が弱いせいか、家がこわれるんじゃないか、ジュピター君が死んじゃうんじゃないかと、やきもきやきもきしている。
ここらあたりは、昔水田だったせいか、思いのほか地面が揺れる。
さて、コンクリートのかたまりの振動は、今日で終わってほしい。
明日からは、もっと地面におだやかな工事になってほしい、と切に願うばかりである。
山の土地はいかがですか?
2007年問題って知ってますか?
なんでも、団塊の世代が大量に退職するのだそうだ。
そこで、山の土地はいかがでしょうか?
わたしの会社は不動産業ではないので、直売というかたちになります。ご希望であれば、しっかりした不動産業者を仲介にたててもかまいません。
3箇所あります。1000坪、2000坪、3000坪ほどの広い山林です。これくらいの広さがないと、山の土地とはいえないでしょう。
欲しい方を紹介していただいてもいいです。
その場合は、実際に売買された価格の10%を手数料としてお支払します。
趣味でコレクションした山林なのですが、会社がこういう状況ですので、お売りしたいと思います。
こちらに、土地を紹介したサイトがあります。
随分前、2000年に最終更新したサイトをそのままアップロードして公開しました。
古いリンクなども、まだ、そのままですし、写真も古くなってしまいましたが、とりあえずご興味のある方は、このサイトでどんな山林なのか確認できるでしょう。
(安中の山林に接する道路は、現在ではきれいに舗装されています。)
また、榛名の山林は、現在建設中の「フルーツライン」という広い舗装道路に面していて、将来性があります。榛名山をめぐる広い道路なのですが、今では随分建設も進みました。
ご興味のある方は、ぜひどうぞ。
納豆の悲哀(2)
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「あるある大辞典」によって引き起こされた納豆騒動ですぐに思い浮かべたのは、「オーソンウエルズ」の有名なラジオ番組事件である。
それは、彼がまだ無名だっところラジオで放送した「火星人来襲」という番組である。
http://www.uniadex.co.jp/nextalk/side/si2004_04.html
彼のラジオ劇の演出があまりにも生々しかったため、本当に火星人が来襲してきたと大勢の人々が信じてしまい、パニックを引き起こした事件である。このときも、多くの苦情が放送局へ殺到した。しかし、彼は悪びれもせず、
「これは、大人のためのハロウィンです。今夜の教訓をお忘れなきよう、みなさんおやすみなさい」
と訂正のメッセージをしめくくったそうだ。
そう、今夜の教訓をお忘れなきよう、だ。
メディアはそういうもので、わたしたちが気をつける必要がある、ということだ。
アメリカでは、こりもせず、湾岸戦争などで、大規模な「捏造」が行われたといううわさがある。
サダム・フセインが発見されたときのいきさつも、処刑のいきさつも、うたがわしいことばかりである、との見解がある。
わが国、日本でもそうだ。第二次世界大戦のときに流されたニュースなど、ほとんど捏造であったという事実がある。
アメリカでは、アポロ11号で人類がはじめて月面に立ったことでさえ、実は、「捏造」なのではないかという疑問を投げかけた映画まである。
「大人のためのハロウィン」を忘れないようにしよう。
それはそれとして、オーソンウエルズは、あの「火星人来襲」のおかげで、有名になり、ラジオ局には有力なスポンサーが付き、オリウッドで映画を製作することになる。
それが、「市民ケーン」であった。
わたしはこの映画を、はずかしながら、まだ観ていないのだが、彼が発明した「パンフォーカス」なるものは、学生のころ片っ端から呼んだ映画の本に必ずといっていいほど紹介されていた。それほど映画の表現に与えた影響が大きい手法である。
「パンフォーカス」という手法は、手前から奥まで、ピントが全部合っている映像の撮りかたである。それまでは、このような深いピントのあわせ方がなく、手前、あるいは奥のどちらかにピントを合わせていた。あるいは、手前と奥は、シーンをカットして、そのカットを編集することで表現していた。
しかし、パンフォーカスの手法は、シーンをカットすることなく、奥行きの深い映像のなかで、表現できる手法である。
それは、それとして、テレビというメディアをそんなにくそまじめに見ないようにしよう。
(だからというのではないかもしれないが、わたしは、Hという女占い師の番組を見る気にもなららい)
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チョコレートが売れる仕掛け、あるいはバレンタインデーという喜劇
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今年もバレンタインデーという喜劇の季節がやってきた。
ほとんどの日本人はキリスト教徒ではないのに、かかわりのないバレンタインさんを担ぎ上げ、チョコレートを買いまくる日が近づいてきた。
これは、ぜったいにチョコレート業界の陰謀だ。
そうでもしない限り、チョコレートがこんなに売れるわけがない。
土用の丑の日に「うなぎ」を食べようというキャンペーンは、なんでも、平賀源内さんが考えたそうであるが、チョコレート業界にも平賀源内のような「仕掛け人」がいたのだろう。
わたしの記憶では、わたしが中学生のころ、すでにこの行事があった。
そのころは、たしか、お返しまでは行事に含まれていなかったと思うが、現在では、チョコレートをもらったお返しに、飴などのキャンデーをあげることになっている。実に不思議な風習ではある。
女の子が恋の告白をチョコレートをプレゼントすることで男の子に伝える。
その昔は、そういうチャンスは祭だった。
思うに、そういったチャンスは、祭にも今でもあるにはあるが、昔ほど強烈ではなく、こんな風な祭として、バレンタインデーが位置付けられたのだろう。
なかなかうまい仕掛けを考えたものである。
恋の情熱とチョコレートの購買意欲を結びつけるなんざ、ただものではあるまい。
しかも、このごろは、そこにキャンデー業界も乗り出してきた。もらったのだから、お返ししなくちゃ、というわれわれの心理状態を利用したなかなかの仕掛けである。
日常的には、そんなにある一つのものが、大量にどっと売れるわけがない。だから、わざと非日常を作り出す。
土用のうなぎもバレンタインデーのチョコも同じだ。
前者は健康スタミナ、後者は恋ごころ。
こんなような仕掛けは、他にもたくさんごろごろしている。
はたして、ものを売る側だけの企みなのか。いや、わたしたちもそうした非日常を演出する仕掛けを望んでいるのかもしれない。
人生を楽しむために。
だから、多くの人が結婚式のときだけ、キリスト教徒よろしく、教会で神父さんの前で、厳かな儀式を味わうのである.
ひとつ、なんか、その、みんなの人生を楽しくして、わたしも儲かるような「はれのまつり」を考えてみようじゃないかというこころもちが湧いてきた。
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わたしのこれまでの人生の中で、「恵方巻き」という食べ物は、ほんのつい最近目につくようになった。
節分の行事には、わたしたちの本来の伝統では、大豆を炒って、「福はうち、鬼は外」と大声で、その豆をまいて、イワシの頭を焼いて、鬼門のところに串刺しにして置いたものである。
巻き寿司は、わたしの伝統には、登場しない。
わたしの子供のころは、自宅で豆を炒り、イワシも煙をたてながら焼いて、大声で豆まきをした。大の大人が本気になって行う、まことに厳粛な行事であった。
ところが、最近スーパーマーケットやコンビニなどで、「恵方巻き」という、わたしたちの伝統には存在しなかったものが、声を大にして繰り返し繰り返し宣伝されている。これは、もう陰謀としかいいようのない状況だ。
豆を売ったて、いくらの売上にもならない。だから、単価の高い恵方巻きを、わざと広めているのだ。しかも、1本の長い巻き寿司を切らずに、一人一本恵方を向いて丸かじりするのだという。
なるほど、売上に結びつく魂胆だ。
スーパーマーケットとコンビニのたくらみで、わたしたちの伝統がかき回されているようで、あまり気分が良くない、今日このごろである。
さぁ、節分には、大きな声で豆をまこう!
黙って、恵方の方角を向いて、巻き寿司を丸かじりする光景。わたしには、どうしても、「喜劇」の一場面に思えて仕方ない。





