羽鳥さんの危機
わたしの尊敬する羽鳥さんが危機的状況だったことを、彼の文芸サイトで知った。
彼は、わたしが東京へ出て最初に入社した会社の社長だった。今では、その頃から言っていたように、リタイヤして第二の人生を楽しんでいて、新城宏というペンネームで文筆活動をしながら、畑を耕し、鶏を飼っている。
こちらが彼の文芸サイト:http://homepage2.nifty.com/hatory/
鶏を飼っているといっても、普通の鶏じゃない。それは、彼の「ある日の日記から」を読んでいただければわかると思う。
彼は、いかにも彼らしく、必ず月のはじめにサイトを更新している。
今月更新されているサイトを見てびっくりした。トップページには、「静岡県立静岡がんセンター」の写真がどんと載っている。ここのところウォーキングで行った自然の美しい写真が毎回掲載されていたが、どうしたことかと驚いた。
そして、例によって更新されている日記を読むと、癌腎臓摘出手術のことが、サラリと書かれているではないか。わたしの父は、骨髄の癌、すなわち急性骨髄性白血病で、彼と同じくらいの年齢で亡くなった。父は半年間入院し、癌と戦って死んだ。
しかし、記事の重要性とはうらはらに、事実のみをサラリと書いた日記を見て、少し安心した。大丈夫だと思った。すでに食事の心配をしているのだから。もっともっと長生きするというサインだから。
「低蛋白高カロリー」の食事をとらなくてはならないそうだ。
わたしは彼が社長をしていた会社に入社して、数年で、社内で身近な人たちの癌による死を見てきた。
わたしを面接し、入社させてくれた上司だった佐藤さんは、わたしが入社して間もなく胃癌で死んだ。胃を全摘したが、転移してしまっていて、癌には勝てなかった。
手術後、見舞いに行ったとき、そのげっそりとやせた姿に驚いた。
そして、退院して、会社へ顔をだしたときも、やはり同じようにがりがりにやせていた。それから、間もなく死んでしまった。
だから、ソフトバンクホークスの王監督が復帰しても、そのやせた姿を見るのがこわい。はやくもっと太ってほしい。
それから、間もなく、総務の若い女性が肺癌で死んだ。
ついこの間、社内結婚して、南のリゾートへ新婚旅行したばかりなのに。
このとき、羽鳥社長は、タバコを吸わない彼女が肺癌になったのは、タバコの副流煙との関係が大いにある、と社内を全面禁煙にした。有無をいわせないトップダウンの決行だった。
今でも彼は、大の嫌煙家で、喫煙反対運動の先頭に立っている。
それから、しばらくすると、ヘッドハンティングで中途採用され、わたしの上司となった人のお父さんが死んだ。
また、しばらくすると、わたしの補助作業や事務作業をしていたパートのおばさんが乳癌で死んだ。あっというまに死んでしまった。組織上わたしの部下だった人の死はつらかった。
この一連の死のほとんどで、わたしは同僚たちといっしょに通夜と告別式の道案内をした。
だから余計に強く思い出に残っている。
わたしは、いつだったか、夢で、会社の地下に得体の知れない怪物が住んでいるのを見た。
実際には、会社のビルには、地下室がなかったのだが、この夢は今でも忘れない。
あれは、わたしがイメージした死神だったのかも知れない。
羽鳥さんは、まだまだ大丈夫に違いない。
なにしろ、湯河原の大自然の気につつまれ、気を吸い込んで生活しているのだから。
サイトに掲載される次の写真が楽しみである。
本日のジュピター君と道路工事
我が家の愛犬ジュピター君は、道路の拡幅工事の間、工事中の昼間だけ、安全な避難所で暮らしている。
新しい犬小屋を設置し、いつもの犬小屋のひとつをここへ昼の間だけ移動してきて置いているが、なかなか入らなかった。
以前ここで暮らしていたのだが、砕石の地面をほっくり返して穴だらけにしてしまったので、現在の場所へ移動してもらったのだが、今度は地面を掘れないようにブロックを敷き詰めた。用意した犬小屋には入らず、ブロックの上で過ごす毎日だったが、慣れたのか、それともここのところの寒さのせいなのか、やっと小屋へ入ってくれた。
ひとまず安心である。
さて、工事は順調に進行し、新しい側溝をどんどん作っている。
我が家の下水用マンホールは、道路拡幅部分にあたるため、手前に移動する必要があった。
上水道の弁?も同様い移動する必要があった。
その工事が、昨日実施された。
そのときに掘られた土を、今朝6時にカミさんにたたき起こされて、ジュピター君が掘った穴に埋めた。
突然の労働でしんどかったが、1輪車に土を乗せ、運び、埋めた。まだ足りない。が、一応完了した。
ジュピター君は、真夏の暑いとき、日よけのベニヤ板の下の地面に大きな穴をあけ、そこで暑さをしのぐ毎日だった。
日陰の地面に掘ったあなの中は、予想以上に涼しいのだろう。
だが、しかし、今年の夏が来て、暑くなる前に、もっとしっかりした日よけと涼しい場所を確保してやらなければならない。
年齢が15才なので、今では、わたしよりずっと年をとっていることになる。
最近のテレビがおかしいぞ
Power of livingというテレビコマーシャルが流れている。
直感的にわたしは、このコマーシャルは、「あやしい」「危険だ」と感じた。
痛烈に批判した有名ブログもある。
http://www.tomabechi.jp/archives/50304736.html
10億円が動こうが、この手のコマーシャルは、テレビで流してはいけない。
正体のわからない「財団?」「宗教集団?」「カルト集団?」のコマーシャルをそのまま、正体のわからない内容で、ただ本を無料であげますというメッセージを流すのは危険である。
有名人が「広告塔」といして出演し、ただただ、申し込んでくれ、これであなたの人生が救われるのだから、というスタイルは、典型的な宗教集団の手法だと思いませんか?
そういえば、「オウム真理教」が事件を起こす前、「霊媒」や「超能力者」や「UFO]が盛んにテレビに登場していた。
オウム事件の後、しばらくは、この手の番組は陰をひそめた。
ところが、また最近そういった部類のテレビ番組が大手を振って登場しだした。
「あるある大辞典」の捏造はまだまだ話題を浴びているが、超有名な占い師が、論理的な根拠も、実績の検証もなく、強力な影響力のあるテレビというメディアのゴールデンタイムに登場し、無責任なことを言っている。単なるショーとして見るほうもそれなりに納得づくで、流すのならば、少しは許されようが、まるで「女王」のごとくテレビに登場するのは、危険なことだ。
それから、海外で有名で実績のある「超能力者」を使って、事件の捜査をしたり、行方不明の人を探したりする番組もちょっと変だ。何かあの番組の作り方では、しっくりこない。
手品も催眠術も、みんなそうだ。
なにかしっくりこない。
だから、本当の意味で、日本には、そういったものに対する真摯な態度が生まれないのかも知れない。
わたしは、決して、わたしの理解を超越した超常現象を否定するものではない。
若かりしころ、弟と「テレパシー」の実験をして成功したことがあり、「弟」に催眠術をかけるこころみも成功した。
わたしの「気」のエネルギーを瀕死の飼い猫に放射して、少し長生きさせたこともある。このときは、獣医さんも驚いていた。
また、水晶は、わたしの「気」のエネルギーを放射するのに役立つことも、自分で、実感している。
わたしには、ほんとうの原理や根拠や科学的裏付けは、わからないが、現象として確かに実在している。
コリン・ウイルソンというイギリスの作家は、こういった方面の著作でセンセーショナルにデビューしたが、こういった真摯でまじめな態度をテレビに求めても仕方ないのだろうか。
仕方ない、仕方ない。
何しろ、テレビという「実存」がいまや危ういのだから。
amazonで検索したら、コリン・ウイルソンの記念碑的名著「オカルト」が出てこなかった。なぜだろう。残念だ。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309461403
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前橋市で牛が逃げた!!
なんの気なしにテレビのニュース番組を見ていると、突然群馬県前橋市で黒毛和牛が脱走というニュースが流れた。
牛が逃げた場所は、わたしが1年前まで通勤していた付近だ。近くに動物専門学校がある。
近くに警察学校があり、警察学校の威信にかけて、この捕り物は、実行された。機動隊のバスで牛を専門学校の駐車場で囲い込み、麻酔銃などを使うことなく、無事、無傷で、牛は自ら運搬用トラックに乗り込んで行った.
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index3.html?now=20070201171816
通報者は、
「道路に牛が歩いている」
と警察に110番通報した。
しかし、警察はそれほど驚かなかったに違いない。なぜなら、現場の近くに牛の市場があるからだ。
テレビでニュースを見ていて、わたしの心に浮かんできたのは、なつかしい「ドナドナ」という歌だ。
ジョーン・バエズというアメリカの歌手が歌って、ヒットし、その後、日本でも訳詞で広く知れ渡った。
それで、「ドナドナ」が作られた背景などをちょっと調べてみた。
http://www.worldfolksong.com/closeup/donadona/dona.htm
なるほど、わたしは「ドナドナ」という言葉の意味を深く考えたこともなかった。単なる掛け声のようなものとして捕らえていた。浅はかだった。
この歌には、もっともっと深い意味が込められていたのだ。
単に「子牛」が市場へ売られて行くのを悲しんでいる感傷的な歌ではなかった。
実は、「子牛」というのは、人間だったのだ。この歌の背景から察せられるのは、ユダヤ人である。しかも、ごく親しい自分の妻と子供。そうして、輸送列車で収容所へ連行され、殺された。
この歌のメロディーの深い哀しみは、そういう背景から生まれた。歌詞が英語であろうと、日本語で意訳され一部はカットされていようと、メロディーがわたしたちの胸の内に語りかけるメッセージは変わらない。
深い、深い、どうしようもない、哀しみ。
わたしは、今日の前橋市で牛が逃げたニュースを見て、なぜか悲しくなってしまった。
テレビニュースでちょっとちゃかしたような雰囲気で伝えていたので、怒りすら感じた。
牛は生きていたいのだ。
だから、ダメを覚悟で逃げた。
おいそれと、牛肉を食べたらいけない。
この牛は、それを訴えるため逃げたのかも知れない。
わたしの父は、もう他界して久しいが、若いころはよく「ナマズ」を捕ってきて、わたしたちに食べさせてくれた。
しかし、年をとってからは、「ナマズ」は捕まえたが、決して食べようとはしなかった。
そのまま、川へ逃がしにいった。
鯉もよく捕ってきたが、やはり、食べずに、逃がしに行った。
年をとってから、父は、若い頃の殺生を懺悔していた。
これから、牛肉を食べるときには、あの「ドナドナ」のメロディーがわたしの中に聞こえるだろう。
「ドナ」という言葉は、「アドナ」というドイツ語の短縮形で、「おお主よ」という意味だそうである。
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中島みゆきの「すずめ」
さっき、ラジオの文化放送で、元ピンクレディーの増田けいこの歌「すずめ」という曲が流れていた。
なんの気なしに聴いていると、だんだん増田けいこの声が「中島みゆき」になっていった。
こりゃ、中島みゆきの作詞作曲に違いないと、確信し、インターネットで調べると、やっぱりそうだった。
みんなのテーマで、中島みゆきのことを熱っぽく書いて投稿したばかりだったので、ひとしお感慨深い。
きっと、増田けいこは、中島みゆきが自ら歌ったテープを聴いてから、レコーディングしたに違いない。
研ナオコもそうだけど、中島みゆきの作った歌をうたうときは、中島みゆきになっちゃう。
そういう、「魔力」を中島みゆきはもってるんだ、と感心したひとときでした。
http://www.d-score.com/ar/A06112511.html
道路拡幅工事その後
新しい側溝を作っているところ
農業用水として使われていた古い側溝が取り壊され、新しい側溝の建設が開始される。
取り壊された以前の側溝よりも深いつくりになっている。
わたしは道路工事関係のことはまったくわからない素人だが、以前の古い農業用水としての側溝が供給していた田んぼがここ数年でひとつもなくなったので、今度は本来の側溝が作られるのだろう。
最後まで水田として使われていた田んぼは、ここ数年、ついに休耕田となってしまった。
それで、ここらあたり、季節になると「カエル」の合唱がうるさいほどすごかったが、ここ数年の間にすっかり消えてしまった。
ほとんどすべての田んぼと畑は、駐車場になっている。
真夏は、ますます暑くなるだろうな、と懸念している。
我が家の愛犬、ジュピター君は、すっかり避難場所で昼間の工事期間を過ごすことになれたようだ。はじめのうちは、いごごち悪そうに、すこし緊張ぎみで眠っていたが、最近では、わりとりラックスして、昼寝をしている。そのすがたを写真に収めようと思って試みたが、わたしにすぐ気づいてしまい、「何それ?何?」とわたしの方へ寄って来てしまうので、あきらめた。
それにしても、今年の冬は暖かい。
天気も上々。
だから、道路工事もはかどっている。
ただ、ふと思うのは、寒くない冬の後に春がやって来ても、いつものようにはありがたみがなにのではないだろうか。
こういったわたしたちの心への影響も、多分に温暖化がかかわっているのではなかろうか。
待ちわびた、あったかい「春」という、こころが少なくなっていく。
徐々に平均化されていく季節感の中で、わたしたちは、何か別の刺激やらアクセントを求めるようになるかも知れない。
山林の問合せがきた
安中の山林に問合せがあった。
さっそく、地図と公図などをお送りする。
気に入っていただければいいのだが。
山林は、通常の宅地とちがい、境界線をはっきりと認識するのがたいへんだ。
たしか、ここの山林には境界線確認の杭があったと思うので、草の茂っていない冬なので、比較的楽に確認できるだろう。
この山林は、ちょっと細長い土地なのだが、2千坪以上あるので、そうはいってもボリューム感がある。
使い方次第で、いい山林になるだろう。
杉林あり、雑木あり、竹林あり、で楽しい山林だ。
道づきもよく広い舗装道路に面している。
新幹線の安中榛名駅からも近い。
しかし、なんといっても、空気が澄んでいておいしく、静かなところである。
わたしは、ある夏の日、この山林で草刈を一生懸命やっていた。
そのとき、美しく青く光っている野鳥を間近に見た。あれは、なんていう鳥だったのだろう。オオルリだろうか。
ここ伊勢崎市から安中市まで、ちょっと距離があるので、しょっちゅう現地へ行くのはしんどい。
しかし、現地を案内して欲しいとたのまれれば、よろこんで行く。
さて、この山林を気に入ってくれるといいな。
伊勢崎市の大観覧車建設、凍結?!
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20070126047.html
こんなニュースをたまたまテレビでも見ました。
ニュースの中で、1万人もの反対書名がある事業に総務省として、簡単にお金をだせない、との難色があったため、伊勢崎市はこの建設計画を凍結すると伝えていて、矢内市長も画面に出ていた。
伊勢崎市の市長がメジャーのテレビに出たのを、(わたしは)、初めて見た。
ただ、「凍結」という言葉には気をつけよう。「中止」「白紙撤回」ではないのだから。
(ほとぼりが冷めたら...なんて、考えているやも知れない)
Zen Cartのインストールの成功
Zen CartのECシステムインストールに成功(サンプルが表示されている)
ここんとこ、なにやかやと、経済的な問題もあり、少々落ち込んでいたが、Zen Cartのインストールに成功してちょっぴり気が楽になった。
昔は、Linuxのコマンドをやたら打ち込んだりして、この手のシステムをインストールするには、相当根気と手間がかかったが、今では、こんなにすんなりとインストールできるようになった。
ちょっぴり苦労したのは、無料で世界に名高いデータベースMySQLの扱いだった。
それも、はばひろく使われている無料の管理ツールで、すんなりとクリアできた。
結局、無料のツールを使って、肝心なECツールも無料で、いっぱしのECサイトができてしまう。いや、まだまだだ。これは、無印でからっぽの店舗を確保したに過ぎない。これからが、ほんとうに店づくりの本番だ。
店づくりには、店のデザインやら、商品の品揃えやら、マーケティングやら、いろいろとやらねばならないことがたくさんある。
いずれにしても、これからの店づくりは、「PCパートナー」というわたしのビジネスで使えるノウハウにしたい。
なんでもかんでも、自分のパソコンにツールやシステムを詰め込む時代は去った。
Windows Vistaが登場したからっていって、あんまり感動しない。
それより、外部にあるたくさんの優秀な、しかも、無料(あるいは限りなく無料にちかい)ソフトやサービスを使いこなす時代がきたと思う。
これをWeb2.0と呼ぶのだと思う。インターネットが情報の神経系として、本格的に使われだしたのだ。
パソコンの性能うんぬん、OSの新しさうんぬん、よりも、ビジネスモデルの優劣が問われる時代だ。
今日もグーグルという会社では、35万台以上の普通のパソコンが緊密につながり連係して、世界中の情報をインデックス化している。
伊勢崎市の観覧車建設
自営業者のきままな生活http://gokan.air-nifty.com/diary/2006/12/post_96c5.html というブログから、トラックバックがありました。ありがとうございます。意義のあるトラックバックは久々です。
上のブログの中でも伊勢崎市が可決してしまった新しい観覧車の建設は、まれに見る愚行だと、痛烈に批判されていました。何をやるにも、思い切ったことを断行するときは、それなりの反対者が発生し、それにも増して喜んで拍手し賛成する者も発生します。今回の伊勢崎市の観覧車の場合、市民の中で、喜んで賛成している人がどれほどいるでしょうか。約10億円の建設費のうち、7割を国が負担するといって、国から7億円もぶんどれるんだ、と喜ぶ声しかないじゃありませんか。
それにも増して、いまどき、観覧車とは...
お台場の観覧車は、たしかにあの場所にふさわしいかもしれない。都会的にきらきらした風景の中で、ひときわ目だっていて、成田空港から東京へ向かう外国人や観光客の目を引くだろう。あの未来都市空間とのバランスで、観覧車が価値を持っていて、あそこへ行って、乗ってみたくなる。
ただし、荒涼とした伊勢崎市の風景の中で、でっかい観覧車がどれだけの価値を持ちえるだろう。
微力ではありますが、わたしも、観覧車建設反対HPなどに積極的に参加しようと思っています。
わたしは、約5ヶ月という短い期間ではありましたが、桐生市内で営業をやっていました。一般の家庭を中心に飛び込みの営業です。桐生市内に住んでいる方々の中には、伊勢崎市を羨望のまなざしで見ている方もいました。しかし、伊勢崎市に住むわたしにとっては、逆に桐生がうらやましかった。
桐生市でわたしが感じたものは、街のいきづかいです。
古い路地がちゃんと残っていて、生きています。
街には、小さなお肉屋さんや魚屋さん、豆腐屋さん、八百屋さんなどが数多くあります。魚屋さんの多いのには驚かされました。伊勢崎市を見ると、そうした街のXX屋さんが、ことごとく消滅しています。
典型的なドーナツ型の都市構造になっていて、伊勢崎市の中心街は、もはや街ではなくなっています。
JR伊勢崎駅から、昔の中心街(市役所が現在の西友の南にありました)へ通じる道は、寂しさの連続です。
この寂れてしまった伊勢崎市の中心街に活気を取り戻すには、相当のアイデアと時間が必要でしょう。そもそも取り戻そうとしているのかも疑問です。
街の商店には、後継者問題や、あれやこれやの複雑で多くの問題があるのでしょう。
今では、ネオンぎらぎらの歓楽街としてしか生きられないのが、伊勢崎市中心街の実態となってしまいました。
さて、巨大観覧車建設に戻りますが、わたしも絶対に反対です。
歌をわすれたカナリヤが大きなかんむりをつけようとしているようです。




