Windows Vista 恐竜よどこへゆく
Windows Vistaがいよいよ登場した。
しかし、評判はいまいちのようである。結局、このOSが要求するマシンスペックのハードルが高すぎる。そのマイナス面に比べて、メリットがいまひとつわからない。操作性や視覚的操作に、これといった大きな変革が見えない。それどころか、現在のXPユーザーがVistaにバージョンアップする場合は、さまざまな不具合があるようである。
Vistaの構想が発表された当初「3D」というキーワードが、なにかと、取りざたされた。
Vistaがリリースされる前に、サンマイクロシステムズは、3Dデスクトップを発表してしまった。このサンの3Dデスクトップ構想は、ちょっとユニークで3Dと2Dのいいとこ取りを試みている。しかし、さすがに世のパソコンユーザーは圧倒的にWindowsを使っているため、Unixベースのサンの3Dデスクトップは、それほど広く浸透していないのが現状である。
このサンにとって画期的な構想を企画・開発したのは、日本人のエンジニアである、ということはおもしろい。
サンに先を越されたせいか、それとも3Dデスクトップという構想自体に操作性の疑問をもっているのか、Vistaから3Dという特徴が消えてしまった。
http://ameblo.jp/hiro164/entry-10024591210.html
こちらのブログでは、Vistaがあまりに大きく重いため、嘆いていて、すぐには飛びつくなと警告を発している。
http://furukawablog.spaces.live.com/Blog/cns!156823E649BD3714!7505.entry
こちらのブログは、驚くなかれ、かつて日本にマイクロソフト帝国を築いた立役者、もと日本のマイクロソフト社社長、古川さんのブログである。
余談ではあるが、彼のブログでぜひビル・ゲイツについての記事を読んでみてはいかがだろう。古川さんは、さずが、もとマイクロソフト社の社長だけあって、「ゲイツ君」と呼んでいる。君づけでビル・ゲイツを呼べる人物は、日本では彼ぐらいだろう。
内容といえば、これまたすさまじい「暴露」である。マイクロソフト社を辞めて、なにか一気にこれまでためていたものが噴出したような書きっぷりだ。
ああ、だから古川さんの髪の毛は、若くして真っ白になったんだな、と納得できるような記事である。
(本人が、白髪はビル・ゲイツのせいだ、と書いている)
さて、マイクロソフトであるが、ますます大きくなった恐竜という感がある。
一太郎をはじめあまたのワープロソフトを食いつぶし、ロータス1-2-3をはじめあまたの表計算ソフトも食いつぶし、ネットスケープをけちらし、データベースソフトを食い荒らし、和製OSトロンも蹴っ飛ばし、どこまでも大きくなる恐竜だ。
その恐竜を象徴するのが、Windows Vistaである。
ただ、大きくなりすぎたものは、必ず...という古来からの法則がある。
トロンは、実は水面下では、世界一普及した。
マイクロソフトのOSでWebサーバーを設置する人は、ほとんどいない。
アップルコンピュータは、あいかわらず生き延びている。
そして、ここへ来て、もっともすごいことが始まろうとしている。
それは、Googleの出現である。
ソフトウエアの使用権を売るというビジネスモデルの変革だ。
ソフトウエアを使用するためには、使用許諾契約を結んで、契約料を支払わなければならない、というビジネスモデルをもたらしたのは、ビル・ゲイツであった。このビジネスモデルをベースに、マイクロソフトはパソコン業界を制覇した。
しかし、マイクロソフトには、まるでわからないビジネスモデルが登場した。それが、GoogleとWeb2.0である。
この新しいビジネスモデルには、Windows Vistaは、それほど必要ない。
なぜなら、この新しいビジネスモデルは、さずがのマイクロソフトでも食い荒らすことが不可能であるから。
それは、肉食と草食、雑食との違いなのである。
母の退院
本日、母が退院した。
昨日、下肢静脈瘤の治療のため、悪い部分の静脈を摘出する手術をした翌日の退院である。当初明日の退院を予定していたが、一日早まった。
退院が早まったのは、手術がうまくいったためであろう。心配された後遺症や副作用もなかった。
本日、3時にお見舞いに行くつもりでいたが、2時半ころ母から電話があり、次の入院患者が待っているので、今日退院となり、なるべく早く迎えに来てくれとのことだった。なんだか、追い出されるような退院だなと思った。まあ、手術が大成功で、術後の経過も良好なのだから、喜ぶべきなのだが。
急いで病院に母を迎えに行くと、すでに診療代は清算済みで、荷物もまとまっていて、いつでも外へ出られる用意が万端整っていた。となりのベッドにいた老婦人も本日、せかされるように退院していったそうだ。あまりに病院が退院をせかすものだから、迎えに来た息子さんが怒っていたそうである。
まあ、これから入院する人にとっては、早くベッドに落ち着きたいのだろうけれど、病院側のちょっとした気遣いがあれば、もっと気持ちよく退院できるだろう。病院はホテルじゃないけれど、ただ病気を治せばいいというものでもない。
とにかく、母が早く無事退院できたことに、感謝、感謝である。
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我が家のグレープフルーツ君
我が家には、でっかいグレープフルーツがある。これは、カミさんが自分の食べたグレープフルーツの種を発芽させて、大切に育てたものだ。40年くらいの樹齢だろう。実をつけるようになって久しいが、残念ながらあまりうまくないので、食べられない。わたしのみかんは、野鳥たちが好んで食べる。もちろんわたしが食べてもうまい。現在は、ただ野鳥のためと決めているので、わたしは食べない。
鳥たちは、グレープフルーツが嫌いなのだろうか。一般にグレープフルーツが育つ地域は、ここよりずっと暖かいところなので、鳥たちは、知らないのではないだろうか。それとも、やはり鳥たちにもまずいのだろうか。
わたしたち夫婦は、東京に住んでいたとき、数回引越しをしたが、そのたびにこのグレープフルーツを大切に移動し、育ててきた。現在の伊勢崎市に引っ越してくるときも、どでかい植木鉢を苦労して運んできた。
そのまま現在の場所へ置いておいたのだが、今では、植木鉢を根がつきやぶって、これほど大きく成長した。
わたしが小さいころを思い出すと、生まれた家の庭には、でっかい木があった。居間の正面にあった。傍らには、これまたでっかい芭蕉が植わっていた。木は、針葉樹だったが、なんの木だったかわからない。この木と芭蕉のまわりを駆け回って遊んだものだ。芭蕉の葉っぱはでっかいので、わたしの遊び道具になった。
わたしには、庭にでっかい樹木が育つ因縁のようなものがあるかもしれない。
母の手術
本日、母の手術が実施された。
下肢静脈瘤の治療で、病気の原因となっている静脈を除去する手術である。母の場合は、左足だ。足のつけね、太ももの一番上のあたりから、すねのあたりまで、想像以上に長く静脈を取り去る。
3時過ぎから手術がはじまる予定と聞いていたので、3時ちょっと過ぎに病院へ到着し、母の病室へ向かおうとすると、母の姉二人、弟一人、そして弟の奥さんの計4人がラウンジで待機していた。すでに母の手術は始まっているそうだ。予定より早く2時半ころから開始されたという。
わたしを見て、集まった母の兄弟たちは、わたしが父に似てきたという。
そういえば、彼らと会うのは、久しぶりだ。
小一時間待っていると、やっと母の手術が終了した。
手術後の母を迎えに行くと、担当医から手術の経過説明があった。わざわざ説明すると言われて、なんだか不安になった。しかし、担当医から手術が完璧だったことを告げられ、一安心する。今まで行った同様の手術の中でももっともうまく行ったとまで、説明され、今度は嬉しくなった。
摘出された静脈も見せられ、処分していいですかと質問された。
はい処分してください。と答えたが、持って帰る人がいるのだろうか。
母は予想以上に元気そうに見えた。
それから、病室で、見舞いに来てくれたみんなと歓談がはじまった。
病院の人がわたしのことを母の夫と間違えたそうである。みんな笑った。
さて、わたしがふけて見えたのか、それとも母が若く見られたのか、どちらだろう。
母が若く見られたことにしておこう。
今日は北西の風が強い。
病院の窓からの眺望に、赤城山の姿がよこたわっている。
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TOKIOの宙船という歌が車を運転中にラジオから流れた。
あ、これは、ほとんど中島みゆきじゃないか、と思った。
そのとおり、この歌は、中島みゆき作詞・作曲でした。
TOKIOの長瀬君がうたっているらしいのだが、ほとんど中島みゆきぶしになってる。
あらためて、中島みゆきの力を確認したのでありました。
桜田淳子、研ナオコ、ちあきなおみ、他にもたくさん、の歌手たちが、みんな中島みゆきぶしになってしまう。そして、ヒットする。
TOKIOといえば、ダッシュ村が好きだ。
彼らは、大自然の中の里山で、いちばん贅沢な経験をしている。
さとう大根を種から育て、砂糖をとって、自家製の揚げパンにふりかけて食う。
現代では、なんという贅沢な幸せだろう。
榛名の山林
ちょっと前まで、群馬県群馬郡榛名町という地名だったが、合併で、現在は群馬県高崎市下室田町になっている。
この山林は、わたしの会社が所有するもので、約3,000坪ある。
敷地内には、梅畑もある。春先に梅が開花する時期は、いい香りに満ち、広大な梅林が一望できる。
この山林は、里山の遊園地みたいで、杉林あり、雑木林あり、竹林あり、梅もある。春には、山菜がたくさん採れる。また、よく探すと自然薯も自生する。
冬の間は、草木が茂っていないので、地形がよくわかる。
広い舗装道路のフルーツライン沿いなので、晴れた日、ドライブがてら立ち寄ってみてはいかがでしょう。
http://sanrincom.web.fc2.com こちらに詳しい案内があります。
もし、ひとつ買ってみよう、なんてひらめいたら、連絡ください。お値段などは、できるだけ相談に乗ります。
好きな人にとっては、里山ワンダーランドとなるでしょう。
母が入院した
本日、母が伊勢崎市民病院に入院した。
下肢静脈瘤の治療のため、手術を受けることになったからだ。下肢静脈瘤とは、こういう病気だ。
http://www.med.teikyo-u.ac.jp/~nozomu/n-gaiyou.html
母は、自営業として鉄工所をやっていた。わたしの高校生時代から、自宅の敷地に工場を作って、そこでずっと働いてきた。そのため、一日中立ちっぱなしで、旋盤に向かっていた。その影響が多分にあるらしく、この病気にかかってしまった。かかったのは左足だ。旋盤でネジ棒を削るとき、左足が軸足となるため、長い間負担がかかってしまった。
わがままなわたしが、ここまで生きてこられたのも、多分にこの母の労働によるところが大きい。感謝、感謝である。
この病気は、硬いソックスで進行を止めることができるそうだが、母の決断で、思い切って手術する運びとなった。
伊勢崎市民病院は、ちょくちょく側を通るので、外見はなじみ深いのだが、訪れるのは40年ぶりくらいである。40年の月日の間に、新しい病棟が建設され、とても大きな病院になっていた。
荷物をもって、母の入院開始に付き添った。病室は、4人部屋で、大きな窓からは、赤城山が一望できる。
担当の医師から、母とふたりでインフォームド・コンセントを受け、明日の手術時間を確認して帰ってきた。
手術は、1時間から1時間半くらいで済みそうで、危険な後遺症や副作用はないとの説明だったので、ひとまず安心だ。ただし、局所麻酔による手術なので、術中の母の痛みが心配である。
わたしは、中学のとき、左ひじを複雑骨折したことがあり、この治療のための手術は大変な痛みだった。手術台のかたわらには、のこぎりやトンカチみたいな道具が置いてあり、局所麻酔による手術だったので、見えないのだが、術中の様子が音でわかり、お医者さんと看護婦(今は看護士というらしい)さんがわたしのひじや腕を力いっぱい引っ張りながら、ひーひー言って手術が進行していった。結局、こわれた部分を針金でつないで、修復してくれた。
リハビリには、予想以上に時間がかかったが、なんとかひじは正常になった。
今は、この外科医(開業医)は、すでになく、そのときのお医者さんも他界した。
そのときは、3週間くらい入院していたが、入院生活は気に入っていた。
絵を描いたり、詩を書いたりして過ごしていた。そのとき、書いた詩をラジオの番組へ投稿したら、ラジオで取り上げてもらって、朗読が流れた。高嶋忠雄の番組だった。
本日、帰りぎわ、母のベッドには、昼食が出されていた。
多くの人は、病院の食事がまずいと嘆いているが、わたしは、どういうわけか、好きである。
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コンパクトにまとまったパズルのようなサスペンス劇で、なかなか楽しかった。
ただし、あのデビュー作「シックスセンス」のようなスケールの大きいどきどきわくわく感がないのが寂しい。
この監督は、ストーリーを緻密に組み立てて、マジックのような大どんでん返しが売りなのだが、今回はこれまでのストーリー展開と違い、映画の冒頭で、ストーリーの背景を説明してしまう。その冒頭の説明が、キーとなり、見ている側も本編に出てくるパズルに参加するような展開になっていく。
その展開の中で、見る側の推理がはぐらかされたり、命中したりするのだが、まるでゲームの中に引きずり込まれた感がある。
ナイト・シャマラン監督の作品は、これまで、大きなスケールの中で、展開されてきたが、今回の作品は、ひとつのアパートと、そこで生活する住人だけの展開となる。外の世界は一切登場しない。だからこそ余計にゲームに集中してしまうのかも知れない。謎解きの材料は、すべてアパートの住人に集中している。
「ヴィレッジ」もそうだったが、彼のストーリー展開は、こうした閉鎖的な空間が必要なのかもしれない。
さて、この作品でもナイト・シャマラン本人が出演している。それも未来の人類を救う使命をもった重要な役どころだ。しかし、未来の人類が救済されるきっかけとなる人物にしては、あまりにも淡々と描かれすぎているように思える。そんな重要な本を書くとは思えないからだ。ここらあたりをもっと劇的に描いてくれれば、もっと面白かった。
といっても、監督本人がその役を演じているのだから、あれが彼の美学なのかもしれない。わざとらしく大げさに描くことはできないのだ。
あるアパートで起きた不思議な出来事。
だけでは、もったいない。
インサイドマン
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- 久しぶりにジョディー・フォスターが出ていたので、借りてみた。
- なにしろあの「羊たちの沈黙」は、圧巻だった。それから、「コンタクト」という壮大なSFもすごかった。
- 最近では、「フライトプラン」という映画も観たが、それほどの名作だとは思わなかったが、彼女の演技は光っていた。
- 今回の「インサイドマン」では、彼女が出ているおかげで、映画が引き締まっていた。ちょうど「タガ」のような感じだ。出ているだけで、映画の価値が上がってしまう。それが名優というものだろう。
- この映画は、一種大人の「おとぎ話」と言える.ちょっと出来そうだけど、現実には出来ない夢のようなストーリーをあたかも現実のように描いている。
- 最後にかっこいい落ちまでついている。
- それにしても、銀行強盗が発生しても、それほど驚くこともなく、緊張することもなく、淡々と対応していくニューヨーク警察を見ていると、アメリカって犯罪の日常化したところなんだなと思っていまう。その犯罪に少々慣れすぎた警察を手玉にとっていく犯人は、たいしたものだ。
- そういえば、人質の子供が遊んでいたポケットテレビゲームにはショックを受けた。犯罪ゲームで、犯罪を沢山犯す方が勝ちなのだ。車を盗んだり、強盗したり、ちんぴらの頭をピストルで撃ったりと、とても楽しそうには思えないゲームだ。弾が頭に当たると血がどばっと出て、挙句の果ては、爆弾をぶつけてふっとばす。
- それを見た犯人のボスは、
- 「このゲームは問題だな。後で君のお父さんと話がしたい。」
- と、この殺人ゲームを批判する。
- ここが、この映画が大人のおとぎ話たるゆえんである。
- 「誰も死なない」
- 「誰も傷つかない」
- そして、
- 「何も盗んでいない」
- そうして、結局、このおとぎ話は、暴力や殺人を批判し、もっと恐ろしい「大罪」も批判しているのである。




