******研修医MASAYA****** -6ページ目

10) 須磨様の正体

電話はアカデミアからだった。
以前、須磨様とお呼びした水商売風の女性が電話で私を指名してきたとのこと。
今日は出勤日ではないと説明したが、火曜日なら電話連絡すれば出勤可能と言っていたので呼んで欲しいとのことである。
(わざと無理を言い、私の対応をチェックするつもりか?)
時計を見ると5時40分を指している。
「7時までに入ることができると思いますので、その時間にお来し頂けるよう連絡してください」と伝えた。

急いで部屋に戻り、シャワーを浴び、ホスト雅哉になる。
紺のサマースーツにエルメスのネクタイ、時計はフィリップ・シャリオールにした。
値の張る高級ブランドは避けて、軽い感じの装いに抑える。
車の中でムスク系のコロンを吹き付け、急いでSLKを走らせた。

15分前にアカデミアに入る。
(まだ来ていない、間に合った!目的はなんだろう?)
入り口に立ち、須磨様のご来店をお待ちする。
暫くすると、グリーン系の薄手のツーピースを着た須磨様の姿が見えた。
早速、彼女の前まで走り寄ると、「あら」と一声出し、微笑みながら私の腕に手を通した。(やはり間に合って良かった)
「御指名ありがとうございます」そう言って、店内までエスコートする。
ほんの20メートルの距離ではあるが、眉をひそめる通行人もいた。
いつもの繁華街の風景であり、ほとんどの人はたいして気にもとめない。

ボックスのソファーに深く座り、右隣に座った私に、微笑みながら
「本当に来てくれたのね。冗談かと思ったわ。貴方は律儀なのね。」
「いえ、私もお声がかかることを光栄に思いますし、またお会いできると思っていましたので、喜んで参りました。本当にありがとうございます」
「今日は、少し爽やかな感じにしているのね。紺は若い人が着るといいものね」
「ありがとうございます。今日は何をご用意すればよろしいでしょうか」
「そうね、私も9時に店に行くから、水割りを用意して頂戴」
「分かりました、ジャックダニエルでよろしいでしょうか?」
「ええ良いわよ、良いお酒知ってるのね」
ウェイターに合図してジャックダニエル・シングルバレルを用意してもらう。
水割りを作り、彼女に差し出す。
「貴方、医学生なのね、店長に聞いたわよ。何年生なの?」
「6年です」
「国家試験の勉強あるでしょ?いいの、こんなことしてて大丈夫なの」
「ええ、何とかなってますし、週二日だけですので負担にはなりません。私はこの仕事が好きなので、勉強の合間の気分転換にもなります」
「貴方、この世界初めてじゃないでしょ?」
「はい、入学前の一年半、キャバレーやクラブでお手伝いをしていました」
「やはりそうなのね、その店、イエロー・キャブって言わない?」
(何で知っているのだ、いったいこの人は何なのだ?)
「ええ、そうですが・・。といっても7年前のことですけど・・・」
嬉しそうに、彼女は微笑みながら
「覚えていないでしょ?私もあの店にいたことあるのよ」
じっと彼女の顔を見る。(はて?)
7年前のことを必死で思い出す。
色々なことが走馬燈のように頭の中を駆けめぐる。
「・・・・」
「エリちゃん覚えてない?」
「優しいお姉さんでしたけど・・・」
「彼女に色々教えて貰ったでしょ?ふふふ」
「ええ、確かに」
「彼女と時々一緒にいた人覚えていない?」
「たしか恵子さんと・・」
「 そう、私よ」
「えっ?!全然感じが違いますよ。いつも忙しそうでしたし、私がお話しできる人ではありませんでした」
「エリちゃん言ってたわよ、色々教えてもすぐ覚えて上手になるって。頭いいんだって、嬉しそうに話してたわ。とっても優しい子だったし子供みたいに純粋だったので、みんなも色々可愛がっていたそうよ」
「・・・・」
「ある日、大学を受けたいといって辞めてしまった。お世話になった人たちにきちんと挨拶をしてから、店のアパートを出て行ったそうね。その後は合格したかどうか誰も知らなかったみたいね。」
「すみません、私もいろいろありまして皆さんの所に伺うことができませんでした」
「そんなこと良いのよ、みんなも応援していたもの。」
「でもね、こうしてこの世界の仕事が好きだって言ってくれて嬉しいわ」
「ありがとうございます」
「今夜は私の店に寄って頂戴、面白いものが見られるわよ」
「何でしょうか?」
「来てのお楽しみ、ふふふ」
「分かりました、楽しみにさせていただきます」
「店に入ったら、仕事をしているふりをしてバーテンダーの横で見ていてね」
「分かりました。伺わせていただきます」

時間が来たので店長に同伴で帰ることを伝えて店を出る。
彼女は嬉しそうに私の腕を掴んでタクシーに乗り込んだ。

9) ギネのBST(産婦人科の臨床実習)

{1}

URO(泌尿器科)のBSTも外来問診、教授診察の見学や手術見学など一通り済み、今週からはギネ(産婦人科)のBSTが始まる。
ギネも他の科と同様に外来問診からスタート。
問診の取り方もだんだん慣れてきた。

初めの患者さんは38才で、割ときれいなご婦人。
主訴は「おりもの」と「痛み」。
偶然にも母親と同姓同名で少し親近感をもつ。
問診も済んで診察室に入ると、指導医から内診中は私語はしないようにと注意をうける。
パーティションで仕切られた各診察台にはカーテンがある。
診察側からは、カーテンの向こう側にいる患者さんの顔は見えない。
患者さんからも内診中の様子が見えないようにしてある。
渡されたゴムの手袋を両手にはめ、両腕を上に向けた状態で、患者さんが診察台に上るのを待つ。

私の担当のご婦人が名前を呼ばれて診察台に上ると、下着を取り股を開くよう指示する看護婦さんの優しい声が聞こえ、股を開いたご婦人の下半身が丸見えになる(当たり前か)。
指導医の先生が患者さんに声をかけ、私の方を見て内診するよう目で合図したので、早速内診開始。
左手を膀胱の辺りにあて右手の第一指と二指ををそっと入れる、さらにゆっくりと入れ子宮頸部に指先が当たる。同時に左手に力を入れ軽く押すと、右の二本の指に子宮頸部が押し戻される感覚が伝わってくる。
明るい光の下で女性の陰部に指を入れ診察するという行為は、普通に女性との関係を持つ時のような愛撫行為とはほど遠いもので「何か異常はないか」と考えながら診察しているので余計なことを考えている暇もなく、必死で真剣そのものだ。
すぐに助教授に交代すると、早口で所見をドイツ語で次々と言う、それをシュライバー(記録係)の先生がカルテに記載していく。
訳の分からない言葉が次々と出てくる。

隣の診察台で繁山君が内診するのをのぞき見る。
患者さん二十歳くらいの女性で、初めのうちは恥ずかしそうにしていたが看護婦さんに言い含められ下半身を露わにした。
彼は初めから二本の指を入れようしたので、患者さんは「痛い!」と声を上げた。
内心、処女だったらどうするのかと心配になった。
その後は担当の先生に交代し、内診を見ていると、処女ではなさそうだ。

雨宮はどうだろうかと見ると、平気な顔をして内診をしている。
女はこの辺が男と感覚が違うのだろう。
ちらっと私の顔を見たが、そのまま内診を続ける。
雨宮の顔からは、少しサディスティックな感じが伝わってきた。
{2}
ギネのBST の初日は、少し緊張した。
その後は分娩見学などもあり、初めて赤ん坊が出てくるところをみる。
妊婦さんは、脂汗をかきながら「スースー、ハーハー」繰り返し呼吸を続ける。
分娩を見るのは初めてだ。
見学前は興味津々であったが、実際に目の前にすると、スケベ心など何処かへ吹っ飛んでしまう。
ただ心配な気持ちばかりになる。
見なくて済むなら、見ない方が良い。

赤ちゃんの頭が出てくる、陰部は驚くほど広がっている。
(こんなに広がって、大丈夫か?裂けてしまうのでないか)心配になる。
医者も看護婦も平気な風で声をかけている。
まだ出てこない。
突然、医者がハサミを持ち会陰切開をする。
「パチン」と音がする。
と同時に赤ちゃんが出てきた。
苦しそうな母親の顔が、赤ちゃんが出た瞬間、晴れ晴れとした素敵な表情に変わる。
生まれたばかりの赤ん坊の顔を見る母親の顔はとっても美しい。
男にはこの苦しみも喜びも判らない。
女性の特権だ。
女性、否、母親が強いのも頷ける。
母親には子供が自分の子供であることは確実に判る。
それに反し、男は自分の子供であると信じるしかない。
分娩の見学を通し、自分もこのようにして、この世に生を受けたことを始めて知る。
あらためて、母の恩を実感した。

各科のBSTも臨床講義も着実に進んでいく、あと一週間で夏休みとなった火曜日のこと。
雨宮美鈴がまた一緒に帰ろうと俺を誘った。
「これで3度目だ」とつぶやくと。
「え、なーに?」
「今度は何のおねがいだ?」
「解る?」
「当たり前だろ!ワンパターンじゃないか。」
「ねえ?」
「なんだよ!」
「赤城君の部屋見せてよ!」
「いやだ!」
「どーして?」
「いやなモンはいやさ!」
「ふーん、そんなこと言っていいの?」
「なんだよ!脅したって脅されるようなこと無いぞ」

「何か変なのよ、入学当時もどこか秘密めいたところがあったのだけど、教養が済んで学部になってからも判らないところがあるのよ。他の人たちは2年も一緒にいるとだいたいこんな感じかなって判るのよ。赤城君の場合ずっと変わらないのよ、わざと変な眼鏡して格好悪く見せていることの理由に正当性とか納得させるものが無いのよ。これって変じゃない?女性がいる風にも見えないし。男臭さがほとんど無いのよ。ほかの男性は一緒にいると少し危険な感じが伝わってくるのだけど、赤城君は妙に安心させるのよ。ずっと側にいたいと思わせる何かがあるような気がするの・・・」
「気のせいだろ?」
「またそんなこと言ってはぐらかそうとする!ギネの内診の時だって、他の人達はあの後興奮してしゃべったりしていたけど、赤城君は冷静にして平気な顔をしていたもの。私見てたのよ。女の人の見るの慣れてるの?」
「そんなこと無いよ!生まれる瞬間なんて感激したよ!」
「それじゃあないのよ!またはぐらかそうとする!」
(やれやれ、困ったことになったぞ。どうしようか)

「はぐらかしてないよ、ほんとだよ。部屋が散らかっているので恥ずかしいし、雨宮さんみたいなお嬢さんが見たがるようなものじゃないよ。男の部屋に来るなんてことしない方がいいよ。誤解されるよ。今日は他の用事が入ってるのでまた別の機会にしようよ」
「なにか変なのよ、普通、男の部屋に行きたいっていうと喜んで連れてくと思うのに」
「そんなことないよ、あっ、そうだ。夏休みに別荘へ行く件どうなった?」
「行くわよ!いつなら良いの?」
「いつ行くの?」
「赤城君の予定はどうなの?」
「そうだな、夏休み入って初めの月火水ならバイト先に迷惑かけずに済むのでそのあたりでどう?」
「良いわ。じゃあ7月25日の月曜日から三日間一緒に勉強してくれる?」
「いいよ、じゃあ前と同じように犬塚駅前で降ろしてくれる?」
「部屋の前までじゃ駄目なの?」
「道が狭くて車では無理だよ」
「仕方ないわね」
「ごめん」

何とか雨宮の攻撃を避けることができ、駅前で降りてコンビニに入る。
外を見ると、雨宮はそのまま車を走らせ帰っていった。
突然携帯電話が鳴った。

8) UROのBST(泌尿器科の臨床実習)

臨床講義、臨床実習、勉強会が繰り返される毎日。
今週からウロ(泌尿器科)のBST(bedside-teaching)が始まった。
私が一人で外来で待っていると、先に雨宮美鈴が来て、少し遅れて残りの3人が来た。
5人そろったので問診室にはいり、実習担当の先生よりアナムネ(問診)の仕方の説明を受ける。
早速、問診が始まる。
始めは雨宮美鈴であった。それを指導医と残りの4人はカーテンの陰から聞いている。
雨宮の担当した患者さんは女性で、主訴は排尿時不快感、頻尿、排尿時痛であった。
患者さんが部屋を出た後、担当の先生は雨宮に予想される病名を質問し、我々にも鑑別診断と確定診断の方法を聞いてきた。
典型的な膀胱炎症状であり彼女は容易に答えることができた。
彼女はほっとした表情で私の方を見た。私も黙って頷いた。

次は私の番だ。カルテには21歳男性とある。
緊張した気持ちで名前を呼ぶと、暗い表情の患者さんが入ってきて、机を挟んで向かい側に座った。
「○○さんですか」
「はい」
「どうされました?」
「最近、陰部がべたべたするのです」(男なのに変な主訴だな、夢精でもしたのかな)
「いつ頃からですか?」
「一週間くらい前からです」
「毎日ですか?」
「はい」(夢精ではなさそうだ)
「いつもですか?」
「はい」
「以前にも同じようなことはありましたか?」
「いいえ」(なんだろう?)
「何か出来てますか?」
「いいえ、なにもできてません」(なんだろう?)
「痛みはありますか?」
「ありません」
「パンツにドロッとした物が付きますか?」
「いいえ」
「オシッコですか?」
「そうかも知れません」
「オシッコするとき、始めは出にくいですか」
「普通に勢いよく出ます」(そうだろ、若者では前立腺肥大はあまり無いからな)
「排尿後はどうですか」
「やはり、ベタベタしてきます」
「尿が漏れるのですか」
「漏れません」
(なんか、変だな、病名の予想が付かないな、まずいな)と考えていると、同じようなことが自分にもあったことを思い出した。

あれは、キャバレーで住み込みで働いていた頃のことである。
いろいろ面倒を見てくれた年上の女性に初めて手ほどきを受けたとき、感激にと同時に罪悪感にも駆られた。その後しばらくべたべたした感じがあったが、回を重ねるうちにそのような感覚は消えていた。

(ひょっとして、初めての経験で病気を心配しているのかな)と思い
「失礼ですが、商売の女性と性交渉しましたか?」
しばらくもじもじしたあと
「はい」
「それで、性病を心配されているのですか?」
青年の表情が少し明るくなり
「実はそうなのです、大丈夫でしょうか?」
「血液検査をすれば判ると思います」
その青年はほっとした表情に変わり
「そうですか」と答えた。
私は、カルテの主訴の欄に「性病の心配」と書き加えて、私の問診は終わった。

青年が出て行った後、指導医の先生から「君は、よく分かったな。たいしたものだ」とお褒めの言葉を頂いた。
グループの連中も「何で、そんなことを思いついたのだ?」と聞いてきたので。
「なんとなく」と答えておいた。
後で雨宮も聞いてきたが、その理由は口が裂けても言うわけにはいかなかった。
「まぐれ」で済ませた。


問診をとったあと、私たちは教授の診察を見学する。
石黒教授は国立T大出身で少し太り気味だが立派な顔立ちをし、私が見てもダンディーに思える。
もう少し痩せていればイケメン、ハンサムの部類にはいると思う。
嘘か本当か判らないが、酒と女が好きで、奥さんとお嬢さんには愛想を尽かされているという噂である。
声は低めで優しく、言葉遣いも丁寧なので、患者さんはすぐに安心してしまうだろう。

診察や話の仕方は抜群で、さすがにT大出身は違うと感じさせられる。
中でも一番の驚きは、男性患者さんの診察で精液採取の見事さであった。
今まで、患者さんに写真をもたせてトイレの中で自分で採取させるものだと思っていたが、診察ベッドの上で肛門から指を入れ、前立腺の診察の終わりに、どんなマッサージをするのか判らないが一瞬で射精させスピッツ(試験管の一種)に採取してしまった。
その手際の良さには唖然とさせられ、雨宮も恥ずかしそうな顔をしていたが、しっかり見ていた。
私が問診を取った患者さんの診察が終わったあと、
「この問診は誰が取ったのか?」と聞いてきたので
「わたしです」と答えると
「学生にしては、ここまで聞き取れるのはなかなかできるものではない、私の所にこないか?」と言われた。
「ありがとうございます、これから勉強して国家試験に合格してから考えさせて貰います」 と答えておいた。


そのあと皆で喫茶室にはいりコーヒーーを飲みながら、今日のBSTの話で盛り上がった。
雨宮が「赤城君、ウロ(泌尿器科)に行くつもりなの?」
「そんなつもりはないよ、まだ決めてないよ。石黒教授を怒らせると怖いのでとりあえず、あのように答えておかないとまずいだろ?どの科でも入局者を増やしたいので学生には声をかけておくだろ?ギネ(産婦人科)でも学生を食事や飲みに連れて行っては入局を勧めているよ。」
「ねえ、どうしてあの問診から性病を心配しているなんて思いついたの?」
「たまたま、そう思っただけで、まぐれあたりさ、感だけだよ」
「ふーん、そうなの、そんなものなのね」
ひとまずこの件に関してはこれで終わった。


午後から内科総合の臨床講義が始まった。

いつもと同じようにや一番前の席に座り、ノートをとることにした。
今日は、第一内科、第二内科、第三内科の教授が順に講義をしていく。
各科の教授は、学生たちに自分の科の良さをピーアールする絶好のチャンスなので、面白いテーマを選び、判りやすく笑顔で講義している。

時々学生を指名しては答えさせたりしている。

やはり、どの科の教授も入局者数の確保には神経を使っているようだ。