
Ptosis 術後2週間経過・問題なし
2週間ほどまえに受けた眼瞼下垂手術(Ptosisi-英語はトーシスと発音)のその後。今日は術後2週間のFollow-up検査だった。
問題なし。心配した両目のバランスもほぼ正常。手術した右瞼は上がりすぎず自然な出来栄え。いじっていない左瞼もだんだんと軽くなってきた。
縫い目の糸もポロポロと解けてきた。今日は術後初めて先生にまぶたの傷口の上からグリグリってこすられたけど痛くなかった。いきなりきたからこっちはびっくりしたけどね。
今後4週間ほど、毎日朝晩二回ほど軟膏を指に付けて目頭から目じりにかけて5回ほど指です~~っとマッサージをするようにと指示された。まぶたの筋肉は寝ている以外は休むことなく働いているからマッサージしなくても大丈夫だけど、するに越したことないですよ、とのこと。
ってことで一件落着。
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左まぶたもいつか手術が必要になった時のため、術後の経過を備忘録に残しておく。
指示された通り、真面目に20分Ice On 20分Ice Offって2日間、夜寝ている時以外はきっちりアイシングに勤しみ、Arnica(ホメオパシー)も2日間1日4回の服用を続けた結果、あざがほとんどできなかったし、腫れも2日目からはほぼ感じなかった。やっぱり1にアイシング、2にアイシング、ついでにアニカも大事だなって体感した。
手術当日はさすがに両目が腫れている感じがしたし、麻酔が少し残っているのかほとんど寝ていたけど(つまらないかったのもある)、翌日からは問題なし。面白いのが、ケガを治そうと涙がひっきりなしに出たこと。寝ていても涙が流れる。しかも両目。身体が頑張って治そうとしているのを感じて自分が愛おしくなった
すごいな、自然の摂理って。
私の眼鏡は車の運転重視で作ってあるから、いくらプログレッシブ(遠近両用)といってもPCでの仕事はきつかった。いま、このブログはPCから。コンタクトレンズと老眼鏡ですこぶる調子が良い。膝の手術の時『下半身は上半身の手術より辛いなー(ほぼ同時期に長男が肩の手術をしていたから)』って思ったけど、目が見えるってのは基本中の基本だと思った。
術後10日目あたりから傷口がかゆくなってきた。腫れがひいて傷口が縮んできたから糸が浮いてきたのかもね。
気を付けてシャワーしていたけど、シャンプー時に少し顔が濡れて(10日目あたり)傷口を拭いたあと、糸の切り口が少しほつれたような感じがした。これって、おそらく素材がゼラチンとか、液体に溶けるものだからなのかな。あまり濡らさない様にって言われたのは術後の感染症を起こさないようにっていうのと、糸が溶けちゃうことを避ける理由もあるのかなと思った。
そんなわけで、今日から向う4週間はマッサージを続け(膝の手術の時もしたなー)、両目のバランスは6か月くらいで正常になるらしい。
瞬きがラクになり、視野も広がって本当に手術して良かった!!!
要支援段階の母 2025秋
備忘録として。
・入れ歯の状態が悪い
・怒ってカッカすると物凄い剣幕で自己防衛に入る
・疲れからの回復に去年より時間がかかる
・自分のルーティン、例えば毎朝服用する薬とかは覚えているけど、今朝あったランダムな出来事は平気な顔して忘れる。
・思い込みが激しい
90歳。こうやって痴呆の道に入っていくのかなと感じた。
母はかなり前から入れ歯だ。上下数本しか自分の歯はない。
コロナ渦初期に上下とも新しい入れ歯を作ったけど、どうもしっくり来なくて使えないままその歯医者が廃業してしまい、歯医者難民になってた。そこで、以前使っていた入れ歯を使いだしたけど、やっぱり今年に入って調子が悪く、だんだんと気持ちが沈んて来た時に長男へSOSをもとめ、兄家族ががお世話になっている歯医者に母を連れていった。この歯医者さんは良心的で、まだほとんど使っていない母が持ち込んだ既存の入れ歯を調整してくれて、とりあえず状態をみましょうって事だった。それがこの夏あたり。ここまで兄担当。
母は自分で医者にあれこれ説明できない。あの年齢って医者を崇めすぎていて、先生の前では不具合をはっきり言えないのに、家に戻って家族にはあーだこーだ言えるってパターン。
てなわけで、ちょうど私の秋の帰国に歯医者の予約を合わせて何度か付き添った。この夏、兄は母と一緒に診察室に入らなかったらしいし、それはやっぱり駄目。今まで姉はどの病院でも診察室には必ず一緒に入ったらしいけど、やっぱり兄はこの辺慣れていない。
それと、年寄りは話が長い。外来の医者だと患者との時間は一人20分くらいだろう。歯医者はもうちょっと長いかな、おそらく30分単位で予約を入れているはず。だから、母の説明が長くなりそうになったらストップをかけ、私が掻い摘んで代弁しないと肝心な処置の時間がなくなってしまう。
歯槽膿漏のせいで、月1/4ヶ月ぐらい通院するから、この辺を兄にしっかり説明してきた。
近くにいる兄と姉は母が1日をどうやって過ごしているかよく把握してないし、母はいつまでも一人暮らしができると思ってるように感じた。よく会うから変化を感じにくいのだろう。
長きにわたる一人暮らしの秘訣って、いかに自己管理を自らできるかって事だと思う。同居して他の家族が手を出してくれるに越したことはないけど、それだとサッサとボケるし足腰弱るなと、良いことも悪いことも母を長年見ていて教わることが沢山ある。
しかし、何度も言うけど90歳。来年私が帰省する頃にはどうなってるかなぁ。
眼瞼下垂の手術/Ptosis
5,6年ほど前、目尻にもの貰いができたあとから瞼が下がってきた。ものもらいは2年連続12月になったって事で、眼科医からはクリスマスツリーのアレルギーを疑われた。どうも瞼の裏側にアレルギー反応が出ているんだそうな。そしてコンタクト故の目の乾燥。悪い相乗効果で眼瞼下垂になってしまったらしい。
その後、眼科医から「目を開けにくいようだったら美容整形眼科の紹介状をだしますよ、保険も利くし」って言われていた。そこにコロナのロックダウンで話が流れていて、そのうち気にしなくなっていた。膝の手術もあったしとにかく面倒くさかった。
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そして去年あたりからその瞼の垂れ具合が気になってきていた。慣れていたとはいえ、夜になると特に視野が狭くなることが気になっていた。そこへ友達のJが5月に手術することになり、彼女に背中を押されて私も6月の健康診断の時に主治医に相談してみた。Jの執刀医は評判の先生で、ダメ元で私の主治医に彼女の名前をだしたらすんなり紹介状をだしてくれて、3か月後の9月の頭にコンサルテーションの予約を入れてくれた。
Dr.F(ophthalmologist)
とのコンサルテーション/検査の結果、私の手術はすんなりと保険が降りることになり、『手術は10月頭にしましょうね」って言われたけど、日本行きが入っていたので11月に入ってからにしてもらった。
因みに保険が下りるって言っても1割負担で約$2000の自己負担。片目でコレだからね、日本だったら片目3万円くらいらしい(※数年前に日本のタレントさんがブログに載せててその値段に驚いたわ。日本、何でも安すぎ!)
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私の場合、右瞼のみの手術。おでこから瞼にかけての筋肉は両瞼でシェアしているため、ほとんどの場合は両瞼同時の手術になるらしいけど、私の場合はボトックスをやったこともないし、左瞼の筋肉はちゃんと締まっているらしく、右のみで大丈夫との事。ほんとかねー⁉️
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手術当日。9:15分の予約で30分前には受付終了。クーパーは念のためシッターに預けた。10時近くに名前が呼ばれ、ドアの向こうのオペ室に入り、あれこれ手術前の手順を聞いたり、麻酔科、そして執刀医との顔合わせをした後に麻酔で「す〜〜😪」。
眠っていたのは30分くらいだったらしい。起きたらオットが隣にいた。
事前に手術の手順を聞いてたけど、術中にすこし麻酔を緩くして意識をちょっとだけ戻し、まばたきを数回して瞼の筋肉の動きをみる…ってことをしたらしい。確かに術中、ぼや~っと目を開けて先生たちがうっすら見えたのを覚えている。医療って面白いね~~
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術後48時間は20分おきにアイシング。20 on, 20 off をするようにと。膝の術後もそんなだったわ。今回は病院から目のアイシング用のパックを貰ってきた。これ、とっても楽!
術後2週間は一日4回、処方されたオイントメント(軟膏)を塗ることと、テニスやピラティスは顔に力が入るから禁止。散歩は良いけど庭仕事はダメ。目に軟膏を塗ってるから埃やごみが付きやすいからだって。シャンプーをしても良いと言われたけどなんとなくまだやめておこう。ナースが「私も(この手術)経験者だけど、近くのヘアサロンにいってシャンプーしてもらうといいわよ」と。なるほど。
痛みは無いけどなんか縫い目が吊れる感じは当たり前にある。縫い目も結構グロい。でもアイシングのおかげか腫れはない。あ!ホメオパシーのArnicaを服用してるのも効いてるかも。あざが出来にくいんですよ、コレ飲んでると。ちゃんとアメリカでも売ってた💕(Arnica/Arnika/アニカはドイツでは子育てお母さんの味方。どの家庭にもありました。子供の耳痛やぶつけたり転んだ時の打ち身に効くと言われてて、赤ちゃんでも服用可)
唯一不便なのはコンタクトレンズを使えない事。メガネだとPCからoutlookを通しての仕事メールがしずらい!!!
この不便は分かっていたけどやっぱり不便だ〜〜
90歳の母
母に一年ぶりにあい、確実に老いが来てるなと感じた。
それでも、物忘れは結構あるけど、彼女の足腰のMobilityは私より良いんじゃないかなと、とても90歳とは思えないくらい達者だと感じた。いまだにエレベーター無しの5階にある住居に住んでいるってことがそれを助けているとしか思えない。さすがに今回は3階あたりで一呼吸してたけど、別に息があがっちゃうわけではなく、5階の自分の部屋にはいるとフツーに靴を抜いで何喰わぬ顔ってのがすごい。階段の登り降りは長生きの秘訣だな。
母は階段の努力ともう一つ、正座から立つとき、「よっこいしょ」って何かに掴まって立ちあがるのではなく、着物を着ている人がその場からすっと立ち上がる感じで太腿を使って立ち上がるよう気を付けているってのもすごい。
ベッドの部屋にはTVを置かず、朝起きたらTVのある居間にきて一日が始まるってのも長年の習慣だ。朝もしっかり時間を掛けてTVみながら朝食をとり、お昼過ぎから出かけ、夕飯もTVとともにしっかりとり、いまだにたまには焼肉などのお肉もたべ、ワインや日本酒も平気な顔してたしなむ。
彼女は子供3人を引き取って離婚し、62歳まで職業婦人で男性と肩を並べてバリバリ仕事していた女性で、20年くらい前に長年付き合っていた男性と死別してからはずっと一人で生活している。絶対に子供たちに世話にならないって金銭的にも生活面でも自立している女性ですごいなって思う。
でも、そろそろ人に頼ってもいいんじゃないかと、今回は母の意見ではなく、私と兄で介護保険のベネフィットを使う手続きを始めた。まずは私がアメリカから生活支援センターに電話し、ケアマネさんとの面談日を設定。兄も一緒に参加し、話を詰めた。
母は要支援1のレベルなので、まずは一回45分の家事サポートを週一でお願いすることになった。今週から始まる。
ヘルパーさんは2人が交代で来ることになり、近所のスーパー/コンビニに簡単に食べられる物の買い物、簡単な家事(掃除機、キッチンの流し周りの掃除、お風呂場の床タイル(風呂釜は自分で掃除)、トイレの掃除)をしてもらうことになった。
こうして他人が家に入ることになり、これらのサポートを受け始めると老化は確実に進んでいくと思われる。90歳にもなれば身体が日々退化していくのは止められない。週一サポートが週2(支援レベル2)になるのも時間の問題だな。
私たちとしては、週一で誰かが母の生存確認をしてくれるというのはありがたい。ケアマネさん曰く「もっと早い段階で介護保険を使い始める人も多いです」とのことだけど、母は今まで『自分で動けるウチは絶対にそんなのに頼らない』って頑なに受け入れなかったけど、90歳だよ?今使わないでいつ使う?って説得した。
このサービスは1割の自己負担。母は長年公務員だったってのと、役職をもってからの退職だったので、退職金も毎月の年金もちゃんとした額を貰っていて生活に困ることはない。
よく『今の年寄りに年金を払いすぎてて次の世代はこんなに貰えないよ~』って聞くけど、戦後の高度成長期を働き続けた人たちはしかるべき年金をもらって当然だと思う。
とにかくだ、今回の里帰りでやっと母への生活支援サービスを始める手続きができて安心した。
姉や兄も自分の子供たちがみな独立し、孫もできて家族が大きくなっていてそれぞれ忙しくしているし、私なんて国外生活だ。皆がこうやって勝手なことしていられるのも、母が自立してくれているからこそ。
そんな母に感謝した里帰りだった。
