不登校児のシングルマザーとして

パソコン1台で自宅起業を果たした

不登校児の母親歴11年のサニーです🌟

 

このブログでは、

不登校児の親は家庭にも社会にも居場所がない

という経験をしまして笑い泣き

子どもが学校を休み自宅にいても、

↓↓↓

自宅リビングで仕事ができる環境

「自宅起業」という形で作って、

 

経済的に自立→離婚

 

で、今は福岡で子どもたち2人と一緒に

平和な生活をおかげさまで

手に入れましたちゅー

 

そんな私の自己紹介、ぜひ

ちょっと読んでみてくださいね♪

 

先日初めてアップした

サニーの自己紹介にも

たくさんのいいねや

温かいコメントをいただき

本当にありがとうございます。

 

嬉しかったです*^^*

 

実は以前、実名を出して、

不登校の娘と3歳下の息子と

そして私が、日々どんな風に

生活をしているのか、

 

不登校日記(ホームスクール日記)みたく

書いていたことがあったのです。

 

娘が不登校3年目、

小学校1年生の時期に

少し書いていました。

 

しかし、その頃が

一番私のメンタルに来ていて

ブログを書くのが続けられなくなって

一旦は非公開にしていたんです。

 

なので、それをリメイクしまして、

 

 

不登校の子を持つママが自宅起業する方法、11年間の記録

 

 

と題しまして、

過去のサニー家の経験を

こちらのアメブロで少し

書いてみようと思います。

 

どうぞよろしくお願いします*^^*

 

※連載本編は、改行の雰囲気がちょっと変わります

 

 

 

  不登校の子を持つママが自宅起業する方法、11年間の記録

【第1話】不登校の親の特徴?夫婦関係の悪化は娘が新生児の頃から

 

 

冒頭は、私サニーの学生時代の話から始めようと思います。

 

私の学生時代は塾講師のアルバイトを少ししていたので、子どもを持つ親御さんとの接触機会というのが、若い頃から多かった気がします。

 

塾講師という立場で、様々な親御さんや子どもさんと接して来て肌身で感じていたのが、子どもさんが嫌がることを無理にやらせようとしても、嫌なものは嫌だから、克服とかいう次元ではないんだな・・・ということです。

 

具体的には、子どもさんご本人は全く勉強する気がないにも関わらず、親御さんがせめて勉強だけはできるようになってほしいという気持ちになっていると、子どもさんを引きずってでも(?)塾に連れてくるなどして、「え、そこまでやるの?」というような状態で子どもさんだけ超嫌々な状態で、塾に取り残されるわけです。

 

一応仕事なので、塾内で授業はしますが、何をやっても子どもさんは嫌がりますから、お互いに時間の無駄、労力の無駄だったりします。

 

でもそういう状態では、塾講師のプロとしていけないと思い立ち、どうやったら、子どもさんが楽しく塾に滞在してもらえるだろうか?と一生懸命考えた結果、

 

 

「(塾に来るのがめっちゃ嫌な子どもさんに対して)あのね、今日は先生からお願いがあるんだけど」

 

 

と、ある時、授業の始まりに一声かけてみることにしました。

 

 

「んー?」

「せんせぇ、トイレ行きたーい」

 

 

と、子どもさんたちは、どうせまた宿題やってないとか言われるんだろうなみたいな、テキトーな返事をするわけですw

 

なので、

 

 

「○○くんたちさ、今日はね、"先生に" テストを作ってくれない?」

 

 

と提案してみました。

 

 

「テストぉ?テストって、先生が出すものでしょ」

「そうだよ~」

 

 

子どもさんたちは、口々に言います。

 

 

「ううん、違う違う、今日のお願いはね、立場を逆にするというか、、、○○くんたちの出した問題に先生が答えるから、テスト用紙を作ってくれない?」

 

 

という風に、先生と生徒の立場が逆になるような提案を子どもさんたちに言ってみました。

 

すると・・・

 

 

「え?ええ???マジで?いいの?」

 

 

普段、塾に来ても全然勉強もしない、宿題もやらない、一番やる気のないSくんが目を輝かせているんです。

 

なので、

 

 

「先生、一生懸命テストの勉強するからさ、チョーーー難しい問題作ってほしいなぁ・・・」

 

 

と "お願い" をしたわけです。

 

 

そんな話を塾講師の私から聞かされると思ってもいなかった子どもさんたちは、もうキラッキラで楽しそうに、

 

 

「わかった!絶対先生が解けない問題、俺作るから!!」

「いいの?マジで、先生の点数悪かったら罰ゲームだよ?」

「何の教科でもいいんだよね?」

 

 

と、それはそれは嬉しそうで、もう次の瞬間にはテストにどんな問題を出そうかと、教科書を開き、ドリルを開き、一回自分で回答を書き出したり、問題文を書き出したりと、メッチャ勉強を始めたわけですw

 

どうせやるなら、嫌々やるんじゃなくて、意識高く楽しく取り組めるこういうキラキラ感を待っていたんだよ~💕って思いました*^^*

 

この塾講師時代の経験から、サニー自身思ったことは、もし将来自分の子どもが生まれたら、好きなことをさせよう、やる気が出るような声かけを、なるべく心がけて楽しもうということでした。

 

 

そんな風に思っていた塾講師時代は大学生の時でしたから、その後は大学卒業で塾業界からも離れて、社会の荒波にもまれて、でも貴重な体験もさせてもらいながら、夫となる人と結婚することになったのが、社会人4年目の最後のあたりでした。

 

結婚生活の基盤となった場所を選択する際に、「夫の地元の方がいいよね」という話になり(あの当時は、夫とも仲がよかったw)、私が社会人生活をしていた場所には通えない距離だったので、一旦は専業主婦状態になりました。

 

やがて、娘が生まれるのですが・・・夫の "豹変" は娘が生まれたばかりで5日間程の産科での入院を終えて、自宅に戻った直後からでした。

 

新生児って、ほにゃほにゃとかわいく泣くじゃないですか。

 

オムツが気持ち悪いとか、おっぱいが欲しいとか、いろいろな欲求をかわいく泣くことで親に伝えてくれる感じで。

 

ところが、夫は娘がかわいくほにゃほにゃ泣いているのを見て、

 

 

「コイツ、またインチキで泣いてる」

 

 

と言い出すわけです。

 

 

私は聞いたこともない、ギョッとする言葉に驚いて、

 

 

「え、あのさ、娘ちゃんは何か伝えたくて、泣いてるんだから、インチキって言葉はちょっと違うよ。娘ちゃんはインチキしてないよ」

 

 

とすぐに言い返しました。

 

しかし、

 

 

「インチキはインチキだよ?・・・それに、本当に俺の子か?

 

 

と、夫は急にトンデモナイことを言い出して来るではないですか。

 

私が夫に意見したことで、今度は私の浮気を疑うような言動まで出て、話し合うとか会話の中で何かを改善するという手段が、この人(夫)にはないんだな、とその時に思いました。。

 

結婚してしばらくの新婚時代は、そういう夫の変な言動もなかったので、夫婦喧嘩をすることもほとんどなくて、結婚生活は比較的円満な方だと認識していました。

 

しかし、娘が生まれて来てくれて、ようやく親子3人で仲良く暮らして、これから楽しんで人生を作っていこうと思っていた矢先に、夫が急に変わってしまったのです。

 

・・・というか、結婚を決断した私の見立てが間違っていて、『最初からトンデモナイことを言う人だった』というのが正しかったかもしれません^^;;;

 

なぜなら、人生何度か詰んだと思って、酸いも甘いも経験していく中で、「結婚相手に、一番相性の悪い人を選ぶ」な~んて話をよく聞くようになったからです💦

 

 

マジか~、サニーの人生の青写真、結構若い頃に試練多くない?(;´Д`)

 

 

と、心の中で何度もつぶやいてしまったものですorz

 

前向きに言い換えるとすれば、大器晩成型だよなと離婚が決まったあたりで思い直せるようになり、そこから家庭にも平和を取り戻せたのは、娘が新生児の頃から数えて11年後の話になります^^;;;

 

不登校の親の特徴として、子どもに不安感を与える言動を繰り返していると、子どものメンタルが弱って、生命エネルギーを奪われて、学校という外的環境に行けなくなるという話もよく聞きます。

 

それは、子どもから見て、父親と母親のいわば夫婦喧嘩だったり、夫婦関係の悪化も少なからず影響すると思います。

 

あの頃の私は、夫婦関係を修復すれば、娘と3人でしあわせな家族として再構築できる道はないかと、まだすぐに離婚決断というところまでは意識は向いていませんでした。

 

娘はというと、すくすくと育ち、9か月頃には歩けるようになり、話し始めるのも早くて、1歳後半のあたりで公民館で手を繋いで娘と歩いていた際に、近所のおばあちゃんから声をかけられまして、

 

 

「娘ちゃん、何歳になったの?」

 

 

と、母親である私に聞いて来てくれました。

 

ところが、その返事を私がしたのではなく、先に娘の方が、

 

 

「1歳!」

 

 

と元気よく返事をしまして、赤ちゃん言葉ではなく1歳の子と会話が成立することに、近所のおばあちゃんはビックリしていたのが印象的で、今でも覚えています。

 

夫の言動は、インチキ発言以外にも娘に対して心ない言葉があちこちで出ていて、家庭崩壊までのカウントダウンが始まりつつある時期でした。

 

それだけじゃなく、一時的に専業主婦になる道を選んでしまったのですが、生活費としてもらえる額が少なくて、「え、これで食費を賄えっていうの?」という状態だった上に、夫婦で生活のことを話し合える状態ではすでになかったために、自分自身の独身時代の預貯金を切り崩して生活をしていました。

 

 

早く仕事に復帰しよう

 

 

そんな風に思い、いろいろ仕事の手段を探し始めていました。

 

が、娘の成長はありがたいことに順調だったので、夫が仕事で家にいない時は、娘と2人でおうちでの生活を楽しめた貴重な時期でした。

 

娘と2人で、ディズニーランドに行ったり、当時結婚生活をしていた埼玉県から山梨県まで遊びに行ったりと、娘との時間が多くて楽しかったのは、このブログを書いていて改めて思い出した次第です。

 

 

子育ての貴重な体験を娘を通してさせてもらえたこと、これは改めて感謝だなと思いました*^^*

 

しかし、次なる事件が起きるんです。。

 

 

 

つづく

 

 

 

  あとがき

 

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

娘はもうすぐ16歳になりますので、新生児の頃を思い出して当時を書いてみましたが、いやぁ・・・懐かしい、でも、元夫とは離婚フラグがすでに立っていましたね^^;;;

 

不登校の原因って、親にあるよなぁというのは、当事者として思ったりしますから、何も元夫にすべての責任を押し付けているわけではないんです。

 

私にも原因があります。

 

でも、この先、不登校の原因のすべてが私サニーにあると、周囲からいろいろ言われるようになり、そこで思ったことは、ちょっと極端な話ではあるのですが、

 

 

世の中、お金だな

 

 

ということなんです^^;;;

 

というのも、娘の不登校を発端に私のことを「母親失格」と言って来た人たちは、私が専業主婦でラクしているというような見方をする、距離の近い義理の親族たちだったからです。

 

もう、許す許さないの境地は通り過ぎているので、その出来事に私自身何かマイナスな感情が動くわけではなく、むしろ自分を成長させてくれた経験だったと感謝できる境地になっています。

 

同じ経験を繰り返さないために、何を変えたらいいのか、自分自身に問いかけてみた時に、子育てしていても、母親の立場でワンオペ育児状態だったとしても、仕事の手段を確保しておくことで、自由の幅を広げておけると思ったんですよね。

 

次話以降、そんな私自身の奮闘も書いていこうと思っています。

 

が、まず第2話は・・・なんと色々決断して下の子が生まれる描写が入る予定です。

 

えー、なんで?夫婦関係悪化してたんじゃないの?と思われそうなので、その背景も書いていきますね。

 

 

「【第2話】義家族の兄弟差別がひどい!3歳下の弟が生まれた直後の事件」

 

 

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

 

 

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