不登校児のシングルマザーとして

パソコン1台で自宅起業を果たした

不登校児の母親歴11年のサニーです🌟

 

このブログでは、

不登校児の親は家庭にも社会にも居場所がない

という経験をしまして笑い泣き

子どもが学校を休み自宅にいても、

↓↓↓

自宅リビングで仕事ができる環境

「自宅起業」という形で作って、

 

経済的に自立→離婚

 

で、今は福岡で子どもたち2人と一緒に

平和な生活をおかげさまで

手に入れましたちゅー

 

そんな私の自己紹介、ぜひ

ちょっと読んでみてくださいね♪

 

サニーです、

こんばんは~🌟(≧◇≦)

 

やっとこちらの連載

書く時間ができましたー!

 

過去を振り返ることで、

あ~親として未熟だったなと

気づくことも多くて、

未熟者のサニーさんを

どこまでこのブログで

晒していいのやら・・・

 

正直、晒しすぎると

読者の方からドン引きされないかな

大丈夫かなと、思うのですが^^;;;

 

それでも書ける範囲全力で

書いていこうと思います笑い泣き

 

余談になりますが、最近、

仕事をしながら聞いている曲が

いくつかあります。

 

そのひとつは、

華原朋美さんが歌っている版の

 

こちら、Feel Like Dance。

歌われた時期を考慮すると

言葉が出て来ないのですが、、、

何か一本の道を進み続ける

カッコよさ、美しさ、才能の凄さに

とても励まされます。

 

なので、本作品も

サニー自身の一本道だと思って

楽しく書いていこう!と

決意新たになりました(≧◇≦)

 

というわけで、

まずは、前回までのあらすじから

進めていきましょう♪

 

 

 

🌟前回までのあらすじ🌟

夫を疑似介護したことで

サニーは在宅でできる仕事に

活路を見出し、離婚を急ぐ道を

私は選択しようと決めます。

 

そんな私が進んだ道は

ネットビジネス塾で、命の恩人、

ミスターエックスさんと出会い

わずか数か月でブログ安定収益を

組み立てることができました。

 

ママ友ミライちゃんとも

不登校を抜きに楽しい会話ができて

優しく接してくれる彼女のおかげで

居場所を見つけることができました。

 

ミスターエックスさんから

アメリカに行こうと言われて、

途中準備期間で、私が若干

うつ状態になるものの、なんとか

無事にアメリカ7日間を過ごして

リフレッシュして帰国したのも

束の間、、、、、

 

※連載本編は、改行の雰囲気がちょっと変わります

 

 

 

  不登校の子を持つママが自宅起業する方法、11年間の記録

【第11話】不登校の原因が母親のネグレクトではないか?と学校から疑われ...

 

アメリカから帰国した日の夜、子どもたちが寝静まったあとすぐに、久しぶりに戻って来た我が家のリビングで、大きなスーツケースを開いたらアメリカで連泊したホテルの匂いが少しだけ残っていました。

 

でも、それは一瞬のこと。

 

家を設計する時に、自分の意見が珍しく採用されたLEDのシーリングライトが、夜でも間接的に部屋全体を明るく照らしてくれるのが、とても気に入っていました。

 

そんな風にシーリングライトの光が、日本の自宅に無事に戻って来たよと教えてくれたかのようで、深夜12時で魔法が解けたカボチャの馬車のように、私は、

 

 

「ああ、夢の時間は終わって、また現実の世界に戻って来たな」

 

 

と、ちょっとだけ感傷的になりました。

 

でも、私はその反面とても満足していました。

 

なぜかというと、【ここ以外の世界が確実にある】と言葉だけではなく、娘や息子に直接見せてあげることができたからです。

 

大きなスーツケースというのは、7泊~10泊分くらいの荷物が入るもので、さすがに買ってもまたすぐ使うとは思えなかったので、レンタルしていました。

 

なので、そのレンタルの返却がもう帰国翌日だったので、その場でスーツケースの中に入っていた荷物すべてを、リビングのジュータンの上にドーンと出して、夜のうちに可能な限り整理整頓をしようと思ったのです。

 

すると、、

 

 

RRRRRR・・・

 

 

ミスターエックスさんから、電話がかかってきました。

 

こんな時間にどうしたんだろう?と思いつつ、何か仕事の用事かな?と電話に出てみることにしました。

 

 

「はい、お疲れ様です」

 

「サニーさん、長旅大変だったね」

 

「いえいえ、色々ありがとうございました」

 

「子どもたちは大丈夫だった?もう寝た?」

 

「はい、おかげさまで自宅到着後にもう2人ともグッスリ寝てますw」

 

「そっかそっか・・・・・・」

 

 

と、ここで微妙な間がミスターエックスさんの言葉尻にあったのは、なんだか妙に覚えています。

 

後日談で、仕事とは関係がない話かもしれないけど、さすがにうちの娘の状態が気になっていたから、いつか何かのタイミングで聞こうとは思っていたけど、サニーさん本人から言い出すまではミスターエックスさん側からは言うべきではないと思っていた・・・とのこと。

 

アメリカにまで、それも仕事なのに子ども達を連れていったことを、この日の会話で本当は聞きたかったんだとは思うのですが、すぐさま仕事の話題に戻りました。

 

 

「明日はしっかり休んで、また明後日から仕事再開しようかなと思うんだけど、サニーさんのところは大丈夫そう?」

 

 

と、ミスターエックスさんが聞いてきました。

 

なので私は、

 

 

「はい、もちろんです。海外に行けて仕事もしたけど、リフレッシュもできたので、気分的にもスッキリしましたし、本当に貴重な体験でした。なのでこういう実際の経験を、ブログに活かせると思いますから、またよろしくお願いします」

 

 

と伝えました。

 

その後ちょっとした雑談をして、電話を切りました。

 

電話が終わって、ふと室内を見渡すと、シーンと静まり返っています。

 

深夜なので当たり前なのですが、ここ1週間程の別世界の喧騒はどこへやら、時間が1秒1秒進んでいるんだな・・・となぜか感じました。

 

今だけにスポットライトを当ててみると、娘の不登校のことは、不登校の問題そのものは全然大丈夫と私個人は思っていても、周囲の大人たちがそれを許さない雰囲気で、子どもの教育係としてすべての責任は母親にあるというような言動で、中間管理職のような立場に置かされていることには変わりはありません。

 

でも、1秒1秒と時間が進んで行った時に、私サニー自身は、自分の立場を守るために責任を誰かに押し付けるようなことは絶対にしないようにしようと心に決めました。

 

それは、娘の成長を見守り、大人になることは楽しいことだといつか何かのきっかけで、自然とそう思ってもらえたらいいなという気持ちからです。

 

その日は、私もさすがに疲れたので、深夜仕事をしながらゆっくりお茶を淹れて飲むこともせずに、就寝することにしました。

 

そして、その翌日はレンタルしていたスーツケースの返却など、片付けを全部やり、そのさらに次の日からは通常モードで仕事を再開しました。

 

 

アメリカから帰って来て、2週間ほど経った頃のこと。

 

その日は娘はなんとか3時間目くらいから登校はできていたのですが、お昼休みくらいに、担任の先生から私に電話がかかってきました。

 

 

「あれ~?どうしたのかな?」

 

 

と思って、電話に出てみると、

 

 

「来週の放課後、どこかで1回、学校に来てください」

 

 

とのこと。

 

「?」という感じで、なぜ放課後に学校に行かないと行けないのか、担任の先生は何も理由を言わないんです^^;;;

 

意味がわからないと思って、仕事があるからと断ろうと思ってその旨伝えたのですが、10月○日か△日のどちらかで来てほしいのですが・・・みたく、もう確定事項として私に言って来るわけです。

 

まあ、娘のことで迷惑をかけているなと思い直して、相手の提示した最初の日の方で、「じゃあ、その○日の放課後に行きますね」と言って電話を切りました。

 

私は特段気にもせず、その○日当日がやってきました。

 

放課後ということで、その日もたまたま娘が学校に行けたので、娘の帰宅を待ってから、指定された放課後の時間に、娘と息子を連れて、小学校の玄関口までまた向かったのです。

 

10月下旬の放課後の時間は、だんだんと夕暮れが早まってきます。

 

学校に車で到着する頃には、学校の玄関口にも明かりが灯って、グラウンドも夜間照明が点灯し始めた時間でした。

 

 

「いやはや、それにしても、何の用事なんだろうな」

 

 

と思いつつも、玄関口で子どもたちと一緒に靴を脱いで、来客用スリッパを履こうとした時に、学校の教頭先生と、娘の担任の先生がやってきました。

 

「こんばんは~」という声をかけたところ、「あらっ・・・子どもさんたちまで一緒に??」となぜか先生2人とも困惑していました。

 

私は、先生方の反応が意味不明で、放課後に呼び出したら、子どもたちもセットでついてくるであろうことは、当たり前のつもりでいたので、先生たちの反応に、若干不信感を感じます。

 

担任の先生は、というと、私のことを呼びだした張本人のはずなのに、なんだか遠巻きにいて、私と直接話をする雰囲気ではありませんでした。

 

教頭先生が、職員室の隣の部屋をあけて、まだ残っていた別の先生を呼んで、子どもたち2人をそこで見ているということで、私に声をかけて、娘も、下の弟と一緒だったのですんなりそっちの部屋の方に行きました。

 

私は、「???」という感じで、一体何の用事なんだと思っていたところで、なんとなんと教頭先生の誘導で、校長室に通されました。

 

校長室には校長先生がいます。

 

・・・ものすごく当たり前のことを書いているのですが、私は何も聞かされていなかったので、なぜこのような呼び出しを喰らっているのかが、全く理解できないまま、座ってくださいと相手が言うのでとりあえず座ることにしました。

 

しかし、テーブルを挟んで、向かい側の3席分には、校長先生、教頭先生、そして娘の担任の先生が座るではないですかっ(;´Д`)

 

一体何の用事で、こういう雰囲気になっているのか?というくらい、なんだかおもたーーーーい雰囲気なわけです。

 

それで、教頭先生から最初に、

 

 

「サニーさん、娘さんのことなのですが、お仕事にも連れて行っている雰囲気なのですが、大丈夫ですか?」

 

 

と聞いて来られました。

 

なので、私は細かく説明しても、3対1だとなんだかもう面倒そうだなと思って、

 

 

「はい、娘を見てくれる人がいないので、仕事に連れていく日もあります」

 

 

と答えました。

 

すると、いきなり校長先生は逆切れモードで、

 

 

「子どもが学校に通うのは権利なんですよッ」

 

 

って、強く言って来るではないですか。

 

何が言いたいのかな?と思って、意図がよくわからなかったので、

 

 

「権利なのはわかりますが、うちは幼稚園の年中さんから娘の不登校?不登園にずっと悩んでいて、これでも精一杯やっているんです」

 

 

と私は伝えました。

 

担任の先生は、黙って下を向いたまま。

 

 

あ~これ、ハメられたな・・・と思いました。

 

 

理由は、実際問題、学校のことはよくわからないのですが、恐らく担任の先生が娘の不登校のことを、教頭先生や校長先生に『問題である』ということで、何らかの形で提出したのではないか?と感じたからです。

 

校長先生はまだブチ切れています。

 

 

「母親として、あなた、一体何を考えているんだ?」

 

 

と言って来ました。

 

というか、あなたは誰ですか?我が家の娘の不登校のこと、何が原因で、それに対して私がどんな行動を取っているのか、本当に知っててそんなことを言えるんですか?・・・と、心の中では思ったのですが、3対1で非常に不利な状況だったので、黙秘することを選択しました。

 

民主主義は、投票数が多い方が勝つんです。

 

だから、ここでどれだけ自分の意見を伝えたとしても、同情票すら入る余地なしと判断したサニーは、早く子どもたちを連れて家に帰ろうと決めました。

 

校長室の窓ガラス越しに見える、小学校のグラウンドや空は、すっかり夜になっていました。

 

そんなに「母親」「母親」と言うならば。

 

母親として、これから晩ご飯を作らないといけないのに、こんなところで無駄に足止めされるなんて・・・という気持ちにもなったものです。

 

さすがに見かねたのでしょう、教頭先生が間に入って来て・・・実はこの教頭先生は、翌年までうちの娘をかなりヘルプしてくれた、女性の先生で、娘にきちんと向き合ってくれたことには今でも感謝しています。

 

でも、この時ハメアポで用件をまともに言わずに、私を学校に呼び出した担任の先生と校長先生は、この日以降私とまともに話すこともなく、人間関係は完全に終わりました。

 

不登校の原因は、母親にあるという雰囲気だけじゃなく、どうやら母親がネグレクトをしているから娘が不登校になっているのではないか?と疑っていることが、この日の会話からなんとなくわかったんです。

 

アメリカに行っている間に、夫が学校側と何か話をしたのか?

 

いえいえ、それは何も証拠がないからわかりませんし、あらゆるものを疑いすぎては、それはそれで自分自身の人生にとって、精神衛生上よろしくないわけで。

 

教頭先生の助け舟みたいな感じで、「今日はもう遅くなったから」というような話の流れで、3対1の超絶不利な弾劾裁判みたいな校長室での会話は終わりました。

 

が、私は、『この劣悪な環境から離れよう』という決意がさらに強まったので、結果的には良かったです(遠い目)

 

とりあえず、大人として「今日はありがとうございました」と声をかけて、校長室を出たら、子どもたちが廊下で私のことを待っていました。

 

 

「ママ―、帰ろう~♪」

 

 

娘も息子も、無邪気な感じで隣の部屋で待っていてくれたのかな?と思い、ちょっとほっとしました。

 

 

「そうだね、帰ろう*^^*」

 

 

と言って、子ども達を連れて玄関口で靴を履き替えて、学校を出ました。

 

一応、担任の先生はなんとなく教頭先生とくっついて、玄関口までついてきていましたが、私は「めんどくさすぎる」と思って、さすがにその場で担任の先生を許す境地になれずに無視して帰宅しました。

※器がちっちゃくてすみません💦

 

リアルでネットワークビジネスをやっている人たちが時々やらかすハメアポよりも、もっとひどくて、ネグレクトの疑いをかけられて、校長室という密室で3対1で、囲まれるって、ホントどゆこと・・・と思ったものです。

 

全くの余談ですが、、ミスターエックスさんから教わっていたブログ収益化+ネットワークビジネスは、自動面接化しているので、こちらからハメアポなんか、絶対にしません。

 

 

もう、アイツら本当に何なのーーーームキーッムキーッムキーッ

 

 

って、帰りの車を運転しながら、さすがに怒りがこみ上げて来ていたのですが、この当時本当にありがたかったのは、この日の出来事を帰宅後すぐにミライちゃんに話せたことなんです。

 

ミライちゃんは、「ナニソレ、ひどいよね」「学校の先生はねー」と一緒になって怒ってくれて、もうそれだけでちょっと気持ちが落ち着きましたorz

 

誰かに話を聞いてもらえることが、どれだけありがたいことか。

 

一番つらい時に、味方になってくれた友達には、感謝してもしきれないです。。

 

 

 

つづくーーー🌟

 

 

 

  あとがき

 

【第11話】を最後までお読みくださり、ありがとうございます!🌟

 

久しぶりの連載ストーリーの方が更新となりましたが、なかなかジェットコースター感満載の時期を執筆中です。

 

起きた出来事を、そのまま書くだけで、なぜかドラマチックになるのはどうしてなんだ・・・と、今更ながら自分でも思うのですが、この当時のことも完全に感情面でも昇華できているので、『先生たち、ブログのネタをありがとう!』という境地に到達しています(≧◇≦)

 

それにしても、家庭内で元夫のモラハラ状態から抜け出すために、一生懸命、自宅でできる仕事を作って、離婚しようと準備していた時期に、不登校の原因は母親のネグレクトだ!という疑いにまで発展したのは、なぜそうなったのか?どういう状況判断からそういう風に捉えたのか?の、マインドマップは真実を知りたいところではありますw

 

う~ん、、、さすがに、私サニーのような経験をしている方は、いないんじゃないか?とは思うのですが、不登校の子どものケアを一生懸命やろうとしていて、それなのにネグレクトを疑われた経験がある方、万が一いらっしゃったら、お互いブログのネタにして、この先の人生を楽しくしあわせにしましょう🌟🌟🌟🌟(力こぶ)

 

次回は・・・あー、もう次回はもっとヤッホーで、本連載作品の一番底かもしれない出来事が起きますorz

 

ここを乗り越えると、別居できる時期に到達しますのと、今現在は平和な暮らしを手に入れることができていますので、ご安心くださいね^^;;;

 

というわけで、次回更新をお楽しみに🌟

 

 

⇒「【第12話】登校するしないでひと悶着、夫が株の信用取引で大負け、悪魔のささやきで深夜の離婚合意

 

 

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

 

 

 

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