「将人、安心しろ。


彼女、『生きて行く』ってさ。」


「結局、僕は何もできなかった。


こうやって遠くから見ているだけで、言葉をかけてやることも、抱きしめてやることもできない。


傷つけただけだ。」


自分の無力さを感じずにはいられない。


唇を噛みしめ、拳を堅く握る姿。


「将人、それは違う。


彼女はオマエのことを一生忘れない。


出会ったことを悔やんだりもしない。


今のままの自分じゃダメだって思ってるんだ。


だから、自分の中でほんの少し芽生えた小さな勇気を信じて、歩き始める覚悟をしたんだと俺は思う。


将人と出会って生きることを考えた。


彼女と話して俺も生きて行こうと思った。


別れの時が近づいていた。


二人は電車を待っている。


「亮太、そのヤケドの傷、残らなきゃいいな。」


「いいんだ。


将人のことも忘れずにいたいから。


乗らないのか?」


「僕はここで。


じゃあな。」


「ああ。」


電車の扉は静かに閉まり二人はお互いの姿をじっと見つめていた。


ゆっくりと動き始めた電車の窓に食いつくようにして将人の姿を見続けた。




「ただいま。


おふくろ、何やってるんだ?」


「見ればわかるでしょ。」


かき氷を一生懸命に擦っている美紀の姿。


電動のかき氷機をどうしても買おうとしない。


シロップは決まってイチゴ。


ガラスの器に高く積み上げられた白い山を満足そうに眺めている。


シロップをかけ、ミルクもたっぷり。


嬉しそうにスプーンを口に運ぶ美紀の姿に、心がホッとするのを感じた。




                                    完



亮太は激しく将人を責める。


今さら・・、そうわかっていても彼女を見るとつい口から出てしまう。


亮太はゆっくり彼女に近づいて軽く頭を下げた。


「どうぞ、好きなだけ見て行ってください。」


彼女は、そう言った。


亮太の左腕の包帯からはみ出している赤くなった皮膚をじっと見つめた。


「その傷・・。


あなた、もしかして・・。」


亮太は黙ったまま返事をしなかった。


「私もこれ。」


そう言って左手首のリストバンドの下の傷を見せた。


「何度も死のうと思った。


大好きな彼の後を追って逝きたかった。


だけど、怖くてできなかったよ。


臆病だよね。


親に捨てられた私は、残していく大切な誰かなんていないから、そういう意味じゃ心残りなんて無いのにね。


彼も、こんな私を一人残して逝くなんてひどいよね。


どう生きればいいのかわからずにもう五年が過ぎちゃったよ。」


彼女の今すぐにでも泣き出しそうな弱々しい笑顔。


亮太の心に一瞬で焼きついた。


「あなたがいつまでもそんな顔をしていることを、その人は望んでいないと思います。


生意気なことを言っていることもわかっています。


それに、自分で自分を傷つけた俺に言われたくないですよね。


だけど、十七の俺にも少しはわかります。


大切な人を突然失ってしまった時の気持ち。


俺に何かできることはありませんか?」




暑い日が幾日続いても顔を上げて太陽を真っすぐに見つめている。


葉は少し萎れていることがあっても、花は元気。


『ヒマワリ』


毎日この場所に来て将人の幻を追いかける。


そして彼に抱かれて眠る夢を見る。


「私、やっと決心したの。


彼のいないこの世界で生きて行こう・・って。


彼の好きだった音楽が私に勇気をくれた。」


ある日、いつもは通り過ぎるCDコーナーに何気なく目を向けると、新しく発売になったのだろう、特別コーナーが設置されていてたくさん並べられている。


将人がいつも聴いていたバンドだと思いながら薫はそれを手に取った。


「音楽を聴く気分になんてなれなかったのに、学生カップルがそれを買ってくのにつられるように私も同じモノを買っていた。


何でも彼と結び付けて毎日泣いた。


涙ってどれだけ泣いたら流れなくなるんだろうね。


それを聴きながらまた泣いた。


何度も繰り返し聴いた。


一言一言。


私、決めたの。


もう大丈夫よ。


だから、あなたも頑張って。」


彼女の一人ぼっちの五年間。


「大丈夫よ。」・・って笑って言ったけど、本当に大丈夫?


亮太はそう思った。


「じゃあ、俺、行きますね。」


薫の右手が亮太に向けてスッと差し出される。


二人は無言のままその手に力を込めた。

駅から急行電車に乗って二時間余り。


ザワザワした街を離れ、のどかな町へとやって来た。


校舎の屋上で彼女を見送った後、将太が一つ頼みがあるのだと言った。


どうしても行きたい場所があるのだと・・。




辺り一面にヒマワリが咲いている。


広さはと言うと、三百坪くらいだろうか。


建売住宅だと、六・七件は建てられるだろう。


農家の野菜畑が延々と続く場所にヒマワリ畑。


「彼女、どう思う?」


将人が遠くに見える女の人を指して言う。


麦わら帽子をかぶった小柄な人。


「あの人、誰?」


亮太が将人の顔をのぞき込む。


「彼女と、付き合っていたんだ。


薫というんだ。


僕が突然あんなことをしてしまって、彼女の心はあの日から前に進んでいない。」


薫も本当はわかっている。


将人はもうこの世界にはいないということ・・。


それを認めて歩き出すことを拒んでいる。




薫はそこから山側に少し行ったところにある自分の育った施設で働いている。


高校を卒業したら就職して、新しく自分の居場所を作ろうと決めていた。


将来は通訳になりたいと思っていたので夜はそのための学校に通うことも頭の中にあった。


だが、将人を失った時、自分の未来を捨てた。


夏の花といえばヒマワリ。


七月二十四日、薫の生まれた日。


置き去りにされた籠の中に生まれた日と名前を書いたメモが添えられていた。


将人と知り合って間もない頃、自分の生い立ちを話した。


「そう、えっ、もうすぐジャン、誕生日。


ほら、行こう。」


薫の手を取って将人は歩き始めた。


横断歩道の点滅信号を駆ける。


少し行くと足を止めた。


そこは、花屋。


ドアを開けて中に入った瞬間、花のイイ香りがする。


ガラスケースの中にはキレイな花が何種類も並んでいる。


「ここのヒマワリ全部下さい。」


そう言った。


エプロンドレスを着た目のパッチリした女の人が慣れた手つきで花束を作る。


「ほら、誕生日おめでとう。


夏はやっぱりヒマワリだよな・・、って本当はバラとチューリップとヒマワリしか花の名前知らないんだ。」


照れくさそうにそう言って笑う。


「ありがとう。」


薫はそれに続く言葉が見つからなかった。


将人に出会ってたくさんの初めてを経験した。


ずっと一人で生きて行くことだけを考えてきた。


まだ高校生なのに。


いや、そうじゃない。


幼い頃からずっとそうだった。


今、近くに信頼できる人がいる喜びを感じていた。


そんなある日、将人は飛んでしまったのだ。

「あれ?


あの子、飛ぶ気かなぁ?」


将人は校舎の屋上を指して言った。


テレビドラマで見るような場面。


慌てて屋上まで駆け上がる。


「ちょっと待って。」


息を切らしながら亮太がどうにか言葉をかける。


驚いて振り返る彼女。


そのひどく弱い目の光。


亮太は「ちょっと待って。」の続ける言葉を探すが見つけることができず黙ってしまった。


彼女の目から大粒の涙が一つこぼれた。


「ねえ、キミ、そんなに飛びたいなら飛びなよ。


僕が一緒に飛んであげる。


何も心配しなくて大丈夫だよ。」


将人が静かにそう言う。


その言葉にすかさず亮太が大声で叫ぶ。


「誘ってどうするんだ。」


かなり興奮している。


「彼女だって考え抜いてここに来たんだ。


今さら、やめられるわけないだろ?


それとも、彼女のこれから先の辛いことや哀しいこと全部を、亮太がどうにかしてやれるのか?」


「そう言うことじゃないだろ。


将人、オマエは間違っている。


さっき、言ってたじゃないか・・『急ぐ必要は無かった。』って。


俺はオマエと一緒に同じ時間を過ごしたかったよ。


アイツらのようにソフトをしたりサッカーをしたり、好きな女の話や将来の夢の話を。」


将人は黙った。


亮太の言葉が痛かったのか。


「僕が屋上に立った時、亮太はいなかった。


僕は飛び、命は消えた。


自分を傷つけて愛する人を傷つけて、僕が手にしたものなんて一つも無かった。


どんな事情があるのか、僕にはわからないけど、全部ナシにしようなんて思ってるならそれは間違いだ。


一つの命が消える事実。


残された人がどれだけ傷つくのか、これから先ずっとその重荷を背負って生きていくんだぞ。


もう一度よく考えて、それでもやっぱり気持ちが変わらなければここに来て僕の名前を呼べばいい。


その時はもう止めない。


一緒に飛んであげる。」


冷たく言い放った裏側で彼女の命を守りたいと思った。


不本意だったとは言え、生きることを投げ出した時、誰かを受け止めることも支えになることも失くした。


無力の自分を感じていた。


彼女は小さく頭を下げて行った。


「本当は死にたくなかった。


夢でないなら飛んだりしなかったさ。」


将人の声が心なしか震えているのを感じた。


気まずくて真っすぐに彼を見ることができない。


「亮太、今の僕を見ろ。


自分で死んでいくってことは、こんなにカッコ悪いことなんだ。


惨めな僕を見ろ。


生きるってことは、素晴らしいことだぞ。」

「亮太、オマエは自分が好きか?


自分を好きにならなきゃダメだ。


誰にも頼らず生きて行けってことじゃなくて、自分一人でも生きて行ける強さを持たなきゃダメだ。


誰かのため・・ってのもイイさ。


でも、やっぱり自分が好きでなきゃそんなの成り立たない。」


将人はその言葉に力を込めた。


そしてゆっくり言葉を選びながら話し始めた。


「僕は、ただ何となくこんなことをしちゃったんだ。


痛みなんてあったのかな~?


今思うと、痛みだったのか恐怖だったのかわからない。


ただ一つ、確かに僕の命は消えた。」


「死ぬってどんなだ?」


「別に、どおってことないさ。


自殺する人間には、単に死にたくなったヤツと、悩んだあげく死ぬことでしか今を変える術を見つけられなかったヤツ。


僕は、特別な理由を持たない方に属する。」


淡々と話す将人の目はどこか淋しげで途中で言葉を発することが出来ない亮太だった。


「聞かせてくれないか?


将人の、オマエの事情を。」


「僕は自分が生きていることの意味を知りたいと思った。


そんなある日、あのビルの屋上に立っていた。


飛び降りることに抵抗は無かった。


だって、夢の中のことだと思っていたから。


夢って目が覚めた時、全部忘れていたり所々曖昧だったりするだろ?


そんなことの無いように、どんな感じだったかを忘れずに覚えていたいと思ったりもしていたんだ。


一瞬の出来事だった。


僕はあっけなく死んだ。


そんな自分を気の毒だとも思わなかった。」


将人が他人事のように話す。


「生きていたかったか?」


「別に・・。


でも、急ぐ必要は無かったかも。


僕だって言えやしないよ。


哀しみに耐えている両親に間違いだった・・なんて。」


そこまで話すと将人は大きく息をした。