隼人はまだ帰っていなかった。


志保が沙耶を送って帰ってくるとそこには隼人がいた。


「こんばんは~、沙耶がお世話になってます。」


突然だったのでおかしなことを言ったかもしれない。


「沙耶のことだけど、アイツ大丈夫だよな。


俺、いろいろ考えちゃって・・。


悪い病気じゃないよな。


最後に俺に会いに来たとかじゃないよな。


もしそうなら、俺はアイツに何がしてやれるのだろう。」


「夏木君、案外神経細やかなんだね。


沙耶は大丈夫。


今まで積み重ねていた荷物がほどけた・・ってところかな。


沙耶はずっと逃げてきた、自分の気持ちから。


夏木君に気持ちを告げたことによって沙耶の中で何かが終わった。


でも、それは夏木君には関係ないことだけど。」


なぜだろう、隼人は志保の『関係ないこと』その言葉が聞き流せずにいた。


いつだって、何だって、自分には関係ない、そう思いながら生きてきた。


でも、今、志保があんなにはっきりと。『夏木君には関係ないことだから。』そう言われて、今までに経験したことのない寂しさのようなものを感じていた。


だけど、隼人は今の自分を否定することはできなかった。


今の自分が満点だとは思っていなかったが、こんな自分と付き合っていかなけらばならない現実があった。


「無理して優しくしなくていいのよ。


今の夏木君でいいのよ。


沙耶だってわかってる。


どんな終わりでも、ちゃんと終われたらそれでいいんだから。」


ちゃんと終われたら・・か。


隼人は一人呟いた。




部屋の明かりは消えていた。


沙耶は眠っていた。


隼人は近くまで行ってその寝顔を見た。


次の朝、目が覚めると沙耶の姿はなかった。


リビングにもいない。


どこかに出かけたのだろう。


隼人も手早く仕度をして店へと向かった。

今日は良い天気になりました。


でも、このまま梅雨明け・・とはいきそうにないですね。


珍しく今日2本目です。




「志保、ゴメンね。


いつも勝手ばかり言って。」


「どうなの?


夏木君とは上手くいってるの??


身体の調子はどうなの??」


「一度にそんなに答えられないよ~。」


どうしてそんなこと聞くの?」


「少し顔色良くないって思ったから。」


「さすがだね。


風邪ひいちゃって・・でも、もう大丈夫だから。」


「ねえ、やっぱりちゃんと調べておこうよ。


貧血だってバカにしてたら後でひどい目にあうんだから・・。」


「わかりました。


向こうに帰ったら必ず病院に行きます。


約束します。」


「これ、この前と同じ薬、忘れないでちゃんと飲まなきゃダメだからね。


で、話って何?」


「・・私、やっぱり隼人のことが好き。


嫌なとこ見つけるよりも、優しいところ見つけてばかり。」


「でも、アイツは誰にでもそうなんだよ、思い出してみな、あの頃、そうだったでしょ。


優しくされた女はみんな舞い上がって、この人、私のこと好きなのかしら・・なんた思ったりして。


勘違いしたらダメよ。


沙耶だから優しいんじゃない。


冷たい言い方でゴメン。」


志保はそう言った。


「いいよ、本当のことだから。


私だって・・、私だってわかってる。


あ~、どうしてこんな大事な時に調子悪くなるかな・・。


今まで元気だったのに。


少し無理してたのかな?」


考えてみると、ゆっくり休んだことなんて無かった。


走り続けることで、どうにか自分を保っていたから。


「沙耶、そんなに夏木君のことが好きだったの?」


志保は大事な何かを話すつもりなのか大きく息をした。


「無理して嫌いにならなくてもいいんじゃないの?


あの頃から私は夏木君のこと、あまり好きじゃなかったから、沙耶の気持ちにマイナスな言葉しか掛けてこなかったけど、二人の問題だもんね。


『女は男で変わる』とか言うけど、その逆もあるかもよ。」


好きだという気持ちはあの頃のまま心の中にあった。


そんなこと、ここに来なくてもわかっていた。


でも、隼人はサッカーを辞めて別の生き方を選んだ。


昔、あんなことがあった・・と思い出に変わるのはまだ先のことだろう。


今の隼人にとって思い出したくない過去に繋がっている女、それが自分なのだと沙耶は思う。


「こっちに泊まっていく?」


「隼人のマンションに戻る。


少しでも話せるかもしれないから。」


「じゃあ、送ってく。」


「ありがとう。」


マンションの前で車を停めて心配そうな顔をした志保と別れた。


「おはよう。


隼人、ずっとここにいてくれたんだね。


今朝は気分イイよ。


ゴメンね。」


沙耶が昨日より元気になっている。


単純に良かったと思い嬉しかった。


「無理しないで寝てろ。


それとも、何か食べるか?」


「今は何もいらない。


お腹が空いたら一人で起きて食べるから、大丈夫。」


「俺、もう行かなきゃ。


なるべく早く帰るから。」


隼人は、そんなことを言ってる自分に呆れていた。


(何やってるんだ、オマエってヤツは。)


考えた末、小松には話しておこうと思った。


「夏木ですけど、小松さんお願いします。」


「私ですけど、どちらの夏木さんですか?」


「沙耶のことで話があります。


時間少しいいですか?」


随分と余所行きのは話し方をした。


「夏木君なの?


沙耶がどうかしたの?」


「沙耶って本当に貧血なの?


重い病気とかじゃないよな。」


「どうして?


何かあったの?」


「昨日熱が出て、病院連れて行って注射をしてもらった。


今朝は少し元気になったみたいだったけど、この前のこともあったし・・。」


「この前って・・前にもあったの?」


「ああ・・。


俺に会いに来たあの日、あの時も倒れたんだ。


時差ボケだと笑ってたけど。」


「知らせてくれて、ありがとう。


私、沙耶に会ってみる。」


電話を切ったすぐ後に沙耶から電話があった。


「志保、相談あるんだけど、会えないかな?」


「いいよ、夕方なら時間あるけど、それでイイ?


そっちに行こうか?」


「私が志保の家に行く。


ここは私の家じゃないから。」


「でも、大丈夫?


バスとかじゃなくてタクシーで来るんだよ。」



もう眠ろうとベッドに入ったのだが、さっきから身体がだるくて頭が痛い。


貧血のせい?


風邪??


向こうに帰ったらちゃんと病院に行くから、もう少し頑張って、ここには長くいられないのだから、沙耶は自分の身体に言った。


沙耶にとって心細く長い夜だった。


少し眠っては目が覚めての繰り返しの末、やっとやってきた朝。


沙耶は起きれないでいた。


隼人は、多分戻ってきていない。


いくらなんでも今ここに誰かを連れてくるなんてしない。


調子悪いな、最近。


横になっていればそのうち治るかと思ったがだんだん苦しくなってきた。


志保に電話をかけようと思っても、そこまで行かれそうにない。


そんな時、隼人は帰って来た。


それでも沙耶は声をかけられずにいた。


閉じられたカーテン、静かな部屋、物音一つしない。


そんな部屋の様子で隼人は沙耶は出かけていると思っていた。


シャワーを浴びて少し眠ろうと寝室のドアを開けて驚いた。


沙耶がいた。


てっきり出かけていると思っていたから。


こいつ、もしかして昨夜からずっとこうして眠ってるのか?


気分でも悪いのか?


この前だって倒れたし、あの夜だって・・、眠っている沙耶の顔をのぞき込むと一目で辛そうなことがわかった。


「沙耶、大丈夫か?」


「大丈夫。


こうして寝てればそのうち治るから。


心配いらないよ、どうせ風邪だから。」


「でも・・。」


隼人は沙耶の額にそっと手を当ててみる。


息だって苦しそうだ。


「熱あるぞ。


計ってみたか?」


「計れば治るってわけでもないし、何度あるかわかったらそれを見た時から病人になってしまいそうだから。」


大体に病気はしないタイプの人間だった。


人に自慢できる才能は持っていなかったが、健康な身体はちょっとだけ沙耶の自慢だった。


さっきまで苦しくて、心細くて仕方なかったのに、隼人の顔を見ただけで少しラクになった気がした。


何だろう、この安心感て・・。


「大丈夫なんかじゃないぞ。


ほら、これで熱計って。


・・熱あるじゃん。


三十九度二分。


医者、行こう。」


風呂上りの隼人は部屋着の上にロングコートを羽織っただけだった。


それなのに沙耶にはだるまと間違えられるのではないかというほど、あれこれと着せた。


「さあ、早く。」


「でも・・。」


「ほら、急いで。」


隼人は沙耶を背負って部屋を出た。


外の空気は冷たく肌を刺すように痛い。


隼人の身体の温もりが伝わる。


心臓のドクドクというのまで・・。


馨と違う背中。


馨と違う匂い。


そう感じた。


タクシーを止めて隼人の行く病院に急ぐ。


そこで注射を一本と薬をもらった。


「これで元気になるといいな。」


「ありがとう。


隼人、ゴメン、迷惑かけて。


やっぱり・・ここ出て行くから。」


結局、一人では何もできなくて、隼人に助けられた。


隼人が戻って来なければ、あのまま今も眠っていただろう。


「で、どこ行くの?


小松のとこ?


兄貴のとこ?


それがいいかもな。


・・だけど、ここにいてもいいぞ。


オマエ、俺を嫌いになりに来たんだろ。


気を遣ってないで早いとこ嫌いになってくれよ。」


そう言った。


隼人は頭の中で想像していた。


よくあるテレビドラマのようなシーンを。


沙耶、オマエは重い病気なのか?


それともホントにただの風邪なのか?


いつの間にか朝になっていた。


眠らずに沙耶のことを考えていた。


友達と飲んで朝になることは珍しくないが、最近こんな風に寝ないで傍にいることがよくある。

特にこれといって何かをしなくても、お腹は空くし時間は過ぎていく。


もう夕方。


隼人と二人で飲もうとワインなんか買ってきたりして、バカだな、飲んじゃおっ。


冷蔵庫にもたくさん入れたけど、ここを出ていくまでに片づけなきゃ。


妙な義務感があった。


残り物でもイイかと思ったが、ワインを飲むなら、もう少しと思って料理を始めた。


どれくらい時間が過ぎただろう、窓の外は暗くなっていた。


やっと出来上がった『それ』は美味しそうに見えた。


「いただきま~す。」


一人そう言って手を合わす。


そんな時、隼人は帰って来た。


「お帰り。」


「ただいま。


今から夕飯?


待ってたのか??」


「違うよ。


作るのに手間取ってこんな時間になっちゃった。


せっかくいろいろ買ってきたんだし、このまま腐ってももったいないから。


隼人はもう食べちゃったでしょ。」


「ああ。」


「じゃあ、いただきます。」


「それにしても、たくさん作ったな。」


「そうじゃなくて、たくさんできちゃったんだよ。


しばらく毎日これかもね。


でも不思議よね、何もしないでここに座ってるだけでもお腹は空く。


あっ、美味しい。


成功・成功、食べてもイイよ。


このワインも・・。」


こんな風に無邪気に笑う沙耶を見たのは初めてだった。


こいつ、こんな風に笑ってたかな、あの頃・・。


「じゃあ、少しだけ。


・・美味い、料理得意だったの?」


「向こうでいろいろやったから。」


「何やってるんだ?」


「出版社で働いてる。


取材にも行くし雑用もしてるよ。」


「楽しいか?」


「うん。


楽しく思えるように頑張ってる。


ねえ、隼人、『頑張る』って一体何だろう。」


沙耶が言った。


「沙耶は見つけたんだな。」


「まだ探してるよ。


何かを忘れるための仕事じゃなくて、誰かを忘れるための付き合いじゃなくて、本当に純粋にぶつかって行ける何かを・・。」


隼人は沙耶がこんなことを考えながら生きてるとは思ってなかった。


「頑張るって一体なんだろうね。」


沙耶はもう一度呟いた。


俺は何を頑張っているだろう。


何も頑張っていない。


何か目標があればそれに向かって進んで行ける。


今は特別な『それ』がない。


でも、頑張らなくても毎日を過ごして行ける。


とても簡単に・・。


今のこの生活で気づいていた。


沙耶はどうなのだろう。


さっきの様子からみると、今の自分を否定しているように受け取れる。


あの無邪気な笑顔の裏に全く別の沙耶がそこに居た。


あの頃から探している何かを今も変わらず探しているのだろうか。


目標なんて別に持っていなくても生きて行けることを認めたくないのか。


沙耶は何もない自分を責めながら毎日を過ごしてきた。


その反面、そんな自分を見ないようにギリギリのところに自分を追い込んでいた。


「沙耶、一つ聞いてイイか?」


「どうぞ。」


「今日、店にアイツが来たぞ。」


「知ってる、ここにも来たから。


ゴメンね、仕事場行くなんて反則よね。


私も人のことは言えないけど・・。


何か言ってた?」


「アイツ、兄貴だろ。


店の女の子たちが騒いでたから聞いたんだ。


ウソつくなよ。


あの頃からずっと続くはずだよな、兄貴ならさ。」


「ウソ?


みんなが勝手にそう言ってただけで、誰も確かめた人はいなかったもん。


誤解されてたとしても、都合悪いこと何も無かったし。」


「そういうところが俺には理解できない。」


「私のこと、何もわかってないでしょ。


興味も無いわけだし。」


沙耶はそう言って笑う。


そんな時、隼人の携帯電話が鳴った。


「俺、ゴメン、ちょっと急な用ができちゃったから。


これから行くから待ってて。」


そう言って隼人は急いで出て行った。


隼人は何しにここへ戻ってきたのだろう、約束があるのに・・。


まあいい、そんなこと考えてないで、早く片付けて休むことにしよう。


沙耶は片づけを始めた。


また一日、終わってしまった。


時間がもっとゆっくり過ぎればいいのに・・。