線路沿いの道 -3ページ目

焼け跡

電話で呼び出され、家に戻るとそこには焦げた残骸があった。

俺の家が出火元で、何軒かを類焼させる火事だった。

あれは、15歳の年だったろうか。


その夜、俺は家を失った。

長い長い取調べで調書を取られた。

そもそも俺は、友人の家にプチ家出をしていて、火元になりようがなかった。


父の仕事の縁で、社宅に住んだのが5年。

俺は家だけではなく、幼馴染の何人かも失っていたことにその後気付いた。

ある者は敵意を示し、ある者は会話を拒否するようになった。


まぁ仕方がない。

その頃すでに、俺は自分を繕ったり、無理をして気にしないふりをするガキだった。

本当は、深く深く傷ついていた。


救いは、同学年の仲間たちからは、思いやりしか受けなかったことだ。

なぜなら、類焼した家に同学年の家がなかったからだ。


父はあの火事についてどう思っていたのだろう。

少なくとも、母と父で、俺に対する態度はまったく違っていた。

父は、死ぬまで一度もあの火事について口にしなかった。

誰かを責めるどころか、話題にすることを避けていた。


母は、違った。

ことあるごとに、俺が火元なのだとなじった。

そんなことはない、と証明されているはずなのに

頑なに原因が俺だと信じ、責めた。

それがまるで、母のアイデンティティであるかのように。


それだけ多くのものを、あの火が母から奪ったのだ。

母と、俺の間にある溝は、もともと小さくなかったが

あの焼け跡を去ってから、取り返しがつかないほど大きくなっていった。

愛すること(1)

愛という言葉の意味のひとつに「許し」がある、と俺は思う。

自分とは違う考えや行動を、受け容れる、という意味でもある。


自分と違うものを受け容れるのは、ひどく難しい。

なにしろ、異物なのだ。

それが毎日、一緒に時を過ごす。

大半はやがて、異物を放置することになる。


理解しようと取り組んだり、受け容れようと努めるよりも

まるでペットを飼うかのように、心に柵を作り、閉じ込める。

そうやって永らえる人々が多い。


なんでもかんでも許すのは、許しではなく、放置だ。

なにか罪を犯したなら、その過ちを正そうとする行為を受け容れること

それが許しだろう。


明かり

メールが来ていた。


寂しくて、不安で、眠れなくて、俺の服を集めて抱いて寝ている、と書いてあった。

毎日、欠かさずに俺たちは同じ枕で寝ていたのに

今、俺の体はなく、抜け殻だけがそこにあるのだ。


部屋を暗くすると、それだけで一人では眠りなくなるみほ。

そのみほが、毎夜、寂しさと不安に耐えている。


言葉では言い表しようのない後悔が、俺を襲う。

悔やんでも、悔やんでも、どんなに悔やんでも拭い去れない毎日。

もっと早く一歩を踏み出していたなら。

再起にかける時間も手間も、ずっと少なかっただろう。


部屋の明かりをつけて眠ってもいいよ。

もしそれで、少しでも寂しさが紛らわせるのなら。