昨日は妊娠報告の記事に、
たくさんのイイネやお祝いのお言葉をありがとうございました♡
不妊治療中の人にとって、
他の人の妊娠報告は辛い場合が多いから、
厳しいリアクションも覚悟していました。
でも、私のところに届いたのは全て祝福の言葉でした♡
ありがとうございます♡
さて、今日は、
私が今回の妊娠に至るまでのことを書こうと思います。
本当は一回で終わらせたかったけど、
アメブロの文字数上限に達してしまい、
どうやっても1記事に収まらなさそうなので、
やむなく二つに分けます…
(どんだけ長いねん)
読んでて苦しくなると思うので、
関心のない場合は見ないことをオススメします。
いいですか?
ここから先は、
辛い経験でも知りたい、という人だけが
読んでくれてるつもりで書きますね。
学生時代から、私は生理不順でした。
結婚してから、
婦人科で一度見てもらわないといけないな、
と思うものの、
実は結婚してすぐの2年間は旦那さんと一緒に暮らせず、
単身赴任で二重生活でした。
いつ一緒に暮らせるようになるだろう…
妊活の前にその不安の方が先にありました。
妊活を本当に意識し始めたのは、
結婚後2年経ってようやく、
一緒に暮らせるようになってから。
そんな中、新婚旅行から帰ってきたら、
なんと、妊娠していました…!
え???
こんなにスムーズにいくものなの??
信じられない気持ちと嬉しい気持ちとで、
ふわふわとしていたのを覚えています。
エコー写真に写った小さな丸い影が、
愛おしくてたまりませんでした。
心拍確認後、
周囲にも会社にも報告をしました。
ところが幸せもつかの間、
仕事中に不正出血があってすぐに病院へ行きましたが、、
赤ちゃんの心臓が止まっていました。
あぁ…
こうして書くのも、
いまだに辛くてたまりません。
当時の辛さは、
もう言葉になんて到底表せないほどの、
心も体もビリビリに裂けてしまったかのような、
大きな大きな苦しみでした。
対面することはできなかったけど、
私はあの小さな黒い影を、
心から愛していました。
すぐに手術の日を決め、
旦那さんに付き添ってもらって、
日帰りで手術を受けました。
会社にも、親にも、友人にも、
みんなに辛い報告をしなければなりませんでした。
もう、消えて無くなりたかった。
お空に帰ってしまったあの子のところへ、
私も一緒に行きたい。
流産を知った日から、
時が止まったかのように、
私は産んであげられなかった子への想いを募らせるばかりでした。
そして手術後、
なぜ流産したのか原因を探るため、
保険適用内での検査として、
血液検査を受けました。
そこで、
私は不育症だと言われたのです。
高プロラクチン血症と、黄体機能不全といって、
お腹の中で赤ちゃんが育たない性質があると…。
初期の流産って、
染色体異常がほとんどだから避けられないと聞いてたけど、
それって…
不育症って…
私のせいやんか!!!
愛する存在を失った苦しみに、
その原因が自分にあったという罪悪感が合わさり、
耐え難い苦しみが四六時中肩にのしかかりました。
夜は眠れない日が続きます。
なかなか眠れず、
寝付いたと思っても、
夜中に目が覚めて、
赤ちゃんがいない、
赤ちゃんが死んでしまったと泣いては、
旦那さんが起きてなだめてくれる日々でした。
流産とはいえ、
体は出産に似た疲労があるそうで、
体調を崩す日が多くなりました。
そこに連日の不眠が重なり、
体も心もボロボロでした。
そしてさらに追い討ちをかけるように、
職場での人間関係がこじれ始め、
少しずつ嫌がらせを受けるようになります。
会社をよく休むようになったので、
周囲に迷惑をかけたのは申し訳なかったと思います。
だけど、
私生活がこんな状態の時に、
職場で女性の集団から私一人が責められることが続き、
もう、
絶望でした。
どこにも逃げ場がなかった。
私はなんで生まれてきちゃったんだろう。
私が存在しているせいで、
ろくなことが起こらない。
こんな私を嫁にしてしまった旦那さんに、
申し訳なくてたまらない。
ずっとそんなことを考えていました。
常に気力がなく、
お化粧は最低限。
洋服は着れればなんでもいい。
エレベーターの鏡に映った自分を見た時、
一気に歳をとった女がそこにいました。
死んでしまいたいけど、
死んだってなると、
また色んな人に迷惑がかかるから、
死ねない。
いっそのこと、
消えてなくなって、
初めからいなかったことにしてほしい。
それが当時の私の一番の願いでした。
次につづきます。