実以のブログ -62ページ目

白い桜、ハナニラ、咲き始めのサツキ

3月30日、代休を取ったので午前に母を散歩に連れていきました。 

 

日曜日にも見た大木のソメイヨシノは少し盛りを過ぎた感じ。

 

2月に日本水仙が咲いていたところにハナニラが咲いていて母を喜ばせました。

 

早くも咲き始めたサツキの赤い花。

 

ブルーベルが咲くのも楽しみです。

 

道路脇に咲くソメイヨシノよりも純白に近い花色で葉が花を同時に出ている桜。大島桜というのでしょうか。 低い位置に枝が出ているので車椅子の

母に目線近くで花を堪能させてくれました。

 

これも近所の公園の桜。やはり白い花色で手まり状に咲くのがゴージャスです。

 

公園の隅にあるアジサイの葉がだいぶ大きくなっています。 

アジサイの花が咲くまで母が元気でありますように。

 

 

ソメイヨシノの隣にある白木蓮の花びらを拾ってみました。根元がほんのり

紫なのですね。

 

拾った桜の花を父が昔演歌歌手のコンサートでもらった盃に浮かべてみました。ガクの色が赤茶色なのがソメイヨシノ、緑色なのが手まり状の桜。

 

母と散歩しているおかげで花や草を細かく観察するようになりました。

本当、花を楽しむのが忙しい季節です。

室内でも花見?

勤め先近くの植え込みの上に風で落ちていた桜の花を拾い、水を少し入れた

プーアール茶の缶に入れて持ち帰りました。

伸びかけた豆苗と椿、デンファレを入れた器に浮かべて箱庭風?に

してみました。

 

水につけたティッシュをいれたガラスのコースターに並べてみました。

2日間、きれいなままで楽しむことができました。

散る前に風で落ちてしまう花は気の毒ではありますが、おかげで

母に家の中でもお花見を楽しませてやることができます。

お花見、続き

3月26日も母に桜を見せました。

25日夕方に見たのと同じ桜の26日朝です。

 

斜面にはうように咲いているユキヤナギも可愛いと母は言っていました。

 

芝桜も咲き始めました。

 

スズランのようにひっそりと咲く白いアセビ

 

 

歌の教室の帰りに見つけたハナカイドウもきれいでした。

 

花に癒された一日でした。

 

 

 

 

 

お花見、口紅水仙、水色のムスカリ

3月25日、母を車椅子に乗せて買い物兼花見に連れて出ました。

 

近所の公園のソメイヨシノ。かなりの巨木です。幹に直接咲いている

花がよく見えると母は喜んでいました。

 

日曜午前にはいつも親子連れが遊んでいる公園ですが、この日は

みんどこか遠くへ花見へ行ってしまったものか、誰もいなくてゆったり静かに

桜を楽しむことができました。

 

以前にラッパズイセンが咲いていたところは口紅水仙に植え替えられて

いました。 下を向いている花なので写真を撮るのがちょっと大変。

 

白いスミレも発見。

 

小さなブドウのように見えるピンクのアセビもすてきです。

 

買い物の後で眺めた花壇には母のお気に入りの白いイベリスとオレンジのパンジーに淡い水色のムスカリが仲間入り。

 

家にいるのがもったいなくて夕暮れ時にも一人で買い物兼花見。

これはソメイヨシノより花の白い葉の目立つ桜。半月もいっしょに

写っています。 花にパワーをもらった一日でした。

童話『七つの星』、みかんが買えなかった冬

3月21日春分の日、仕事は休みでしたがみぞれが降って寒いので

一日家で過ごしました。 母には私が子供の頃から持っている童話集に

載っている『七つの星』を読みきかせました。

 

 

日照り続きの中、病気のおかあさんのためにひしゃくを持って

水を探しにゆく女の子のお話。歩き疲れて眠ると星から水がしたたる夢。

さめると本当にひしゃくに水。女の子が水を誰かにわけてあげる度に

ひしゃくが銀になり、金になり…金のなったらさぞかし重いでしょうに(笑)。

そして最後にはひしゃくからダイヤモンドが飛び出てあの北斗七星に…

考えてみると宇宙まで舞台になるスケールの大きい童話です。 トルストイ作だそうで…トルストイの童話集読んでみたくなりました。

 

ところで病気のおかあさんのためにと言えば…今年の冬はどういうものか

母になかなかみかんを食べさせてやれず、『七つの星』のヒロインの気分。

我が家が好んで食べるSかMのサイズが私が通常利用するスーパーには

売ってさえいないのです。あるのはLかLLサイズばかりでそれも高いのですね。 なので同じ個数でみかんより百円ほどやすいポンカンをよく買いました。 写真は母が葉っぱつきでかわいいと喜んでながめていたポンカンです。

 

この季節、イチゴも食べさせてやりたいのですが、もう少し安くならないかしら?

 

曇りだけど満開―桃、白木蓮、ユキヤナギ

3月19日午前、曇ってはいましたが降らず、寒すぎもしなかったので

母を車椅子散歩に連れ出しました。

 

公園の隅の八重咲の桃と満開でした。やはり満開のユキヤナギの白との

コントラストが鮮やかです。天気が悪いのでタブレットの角度をちょっと変えるだけで黒く映ってしまうので写真を撮るのが難しかったです。

 

 

 

これは母の車椅子の目線の位置のユキヤナギです。

 

白木蓮も満開になりました。 木の下で何か不思議なことでも見たかのように

しばらく呆然としてしまいました、これほど大きくて美しい花が枝が重そうなほど咲いているなんて―何だかこの世のこととは思われないような、不思議な感じなのです。

 

以前、雨上がりの朝に宝石のような露を宿していた花壇の葉ボタンは

伸びました。 伸びた姿もかわいいと母は喜んでいます。

 

ベランダでは弟が育てている菜の花が咲いています。ひょろひょろですが。

 

花曇りというのか、菜種梅雨というのか、桜の開花の頃はなんとなく

母の大好きなお日様がひきこもりがち?になりますが、

次の週末には桜の花を見せてやれますように。

日本人への遺書(メメント) 天本 英世著

昨年友人の一人が国立天文台の第一赤道儀(太陽観測用)の写真をネットにアップしているのを見ました。歴史を感じさせるミステリアスな建物で今にも中から白衣に身を包んだ天本英世が現れそうだなと思いました。その天本英世という俳優、マッドサイエンティストの役を得意とすることは知っていたけれど、いったいどういう人なのかなと調べてみたらユニークな生き方を貫いた方であるとわかり、この『日本人への遺書(メメント)』を読んでみました。

私は子供の頃『仮面ライダー』を放送しているチャンネルの映りの悪い家に住んでいたため、天本氏の当り役の死神博士も、最晩年に教育バラエティ番組に出演された姿も視たことがありません。だから遺言を承れる立場なのかわかりませんが(笑)、私としては共感するところの多い本でした。

 

若き日の天本氏は彫の深いハンサムで、鹿児島三大美人の一人と恋に落ちたというのも不思議ではありません。木下恵介監督の『二十四の瞳』ではヒロインの夫役。私この映画が子供の頃テレビで視た記憶があるのですが、まさか後の死神博士が大石先生の旦那様だったとは。それから博士役から想像してなんとなく「小柄できゃしゃな老人」のイメージを持っていたのですがこの本に掲載されている晩年のスペイン旅行時の写真を見ると背も高く、脚も長く、老齢でも美しい姿勢を保たれています。

 

スペイン人には、必ず明日自分が生きて目が覚

めるという意識がない。明日も自分の命がある

かどうかなど、神様にしかわからないことだ。

今日生きていることだけが、確かなことなのだ。

だからスペイン人は、今日、ものすごいエネル

ギーを持っているのだ。

 

スペインでは規則より人間が上にある。

そして国会より役所より会社より学校より、

人間が一番上にあり一番大事なのだ。

(以上第3章スペイン人と日本人より引用)

    

天本氏が絶賛するほどスペインがすてきな国なのかどうか私にはわかりませんが、学生の頃、イギリス人、フランス人、スペイン人を比較する講義を受けたことがあります。日本には絶対ない何かがある国なのでしょう。また私は基本的に日本人でよかったと思ってはいますが、天本氏が指摘するように「恐ろしい国」という面もあることを感じています。

 

若き日には東京大学で学んでいた天本氏、もしも「人生を捨てるつもりで」俳優にならず学業を続けていたら本当に博士になれそうな頭脳の持ち主だったようです。バッタと人間の合成ができたかはわからないけど、ヨーロッパの文化や歴史の分野なら大家になられていたかもしれません。

 

また木下恵介作品のヒロインの相手役路線で進んでいたら特撮ものの敵役ではなく、二枚目の正義のヒーローとして活躍されていたかもしれませんが、そうならなかったおかげで自由に生きることができたようです。第4章「非国民と愛国者」には安保反対、湾岸戦争反対のデモに参加したことを友人の大物俳優から「天本っちゃん、俳優がデモをやるのはどうもね…」と苦言を呈された話があります。大物俳優つまり正義のヒーロー役が多い人は自分の旗色を鮮明する自由がないのかもしれません。

 

 

   自分はあくまで俳優であると、俳優であることだけを押し通せば、麻痺の真っ只中にいく。生きていること自体、人生の全てが俳優ということになると、俳優だから何をやってもいいのだと思い込み、常識知らずで我が儘な、どうしようもない人間になってしまう。

   人間が職業にとらわれると、人間は麻痺するのである。(第4章「非国民と愛国者」より引用)

 

最近私は職業人としての自分=つまり1円でも多く売

上をあげることと、人間としての自分に何か隙間が

生じているのを感じています。だからといってたぶ

ん仕事を辞めたりはしないでしょうけど、天本氏の

言葉は考えるヒントになります。

 

二十歳で久留米の兵営に入営した夜、部屋の窓から

カランランコロンと下駄の音をさせて歩いてくる男を

見た天本氏。

 

   昨日までは私も、カランコロンと下駄を履いて、あの男のように自由に町を歩くことができたのに、今日からは、自分勝手に下駄を履いて歩くことはできないのだ。

    ( 第4章「非国民と愛国者」より引用) 

 

自由を奪われた時代を生きた人の実感が伝わってくる

くだりです。

 

 

天本英世の出演した『殺人狂時代』などの映画もいつか観ることにいたしましょう。

 

 

早春の散歩―沈丁花、桃、白木蓮

近所のスーパーに行く途中にある保育園の前で咲く沈丁花。

母といっしょに深呼吸して小さなボールのような花のかぐわしい香りを

吸い込みました。

 

公園の片隅にある桃が咲き始めました。去年は盛りをすぎるまで

気がつかなかったので「またこの花が咲くまで母が元気であるようにと

祈ったのです。願いがかないました!

 

低い位置で咲いてくれているユキヤナギも「きれいだねえ」と母を

喜ばせます。

 

2月から花芽をつけているのに気づいてた白木蓮もついに開きはじめました。

青空に映えますね、

 

 

部屋の中ではサービス花束のアネモネ。これは家の近くにない花なので

母に見せたいと思いまして。

 

ついに花の季節がやってきましたね。

映画 この首一万石 (大川橋蔵主演、ちょっとネタバレかも)

大川橋蔵という名前を聞いたり、見たりすると懐かしさを感じます。子供の頃、水曜の夜に必ず会う?人だったからです。時代劇好きの祖母が『銭形平次』を視ておりましたから。特別大ファンだったわけでもなく、一つ一つの捕物話をおぼえてもいないけれど、ともかくもあの平次親分を思い出すと心が和みます。あの時代の日本人に父性愛を伝えるためにやって来た天使のようにも思うのです。近年BSで再放送されたものを幾話か視ましたが平次の女房役が私の記憶にある女優では

ありませんでした。おそらく私が物心つく前の放送分なのでしょう。

 

その大川橋蔵が若き日に大名同志の争いの犠牲になる人足を演じたというのにひかれて『この首一万石』(伊藤大輔監督)を録画しておいて視ました。

 

 

一万石の大名、小此木藩の槍持ちに雇われた主人公権三。仲間の人足たちにからかわれた腹立ちまぎれに捨草鞋を蹴り、生爪をはがしそのせいで行列からおくれてしまいます。一方、本陣についた小此木藩一行のもとに四十九万石の大名から「本陣をゆずれ」という使いがやってきます。たかがホテルのダブルブッキングみたいな話なのですが、小此木藩が承知しないと使いの人は切腹しなきゃならないとか…小此木藩の家来たちは権三が遅れてもってくる槍を「東照神君の命を救った伝家の名槍あちゃら丸」ということにして何とかおさまりをつけようとしますが…。

 

権三は銭形平次のように出来た人ではありません。江戸に残してきた恋人そっくりの遊女に出会うと妓楼にあがりこんでへべれけに酔っぱらってしまったり…軽率で酒と女にだらしないために悲運をたどったとも言えなくはないのです。小此木家臣たちに侍風のいでたちをさせられ、責任者として切腹させられるのだと知った時にはおびえて尻もちをつくような場面もあります。いつも落ち着いている平次親分の俳優がこれほど捨て身の演技をする人だったのかと目を見張りました。

 

しかし逃れられぬ運命であっても最後まで抵抗しようと覚悟を決めたとたん、権三はヒーローになります。仲間の人足が持ってきた槍をふるって大暴れし、自分を陥れた侍たちを倒すのです。中には口から槍で貫かれてしまう残酷な死に方の人も…。

 

主人公権三の恋人千鶴の父は娘に人足をさせなければならないような貧乏浪人なのですがプライドだけは高く、「武士でなければ娘はやれん」と主張。そのため権三は侍になることを夢見ています。そして小此木家臣たちの中で一番若くて美形でいい人そうな山添にその望みを語る場面も…でもそれが後に利用されることに。考えてみると千鶴の父も武士の誇り、つまり表面的なことばかり大切にしているという点で小此木家臣たちと同じ。

 

けがをした権三に「破傷風にでもなると命取りだ」と優しい言葉をかけ、「びっくり膏」を与える山添を演じているのが水原弘。私が物心つくかつかないころ歌手としてテレビに出ていた人ですが、ちょんまげ姿初めて見ました。映画にもたくさん出演されているのですね。

 

それから恋人役が江利チエミ。卓越した技量を持つ芸能人であることは知っていましたが、高校生の時みた映画『教育は死なず』の教師役やタイトルの記憶がないがホームドラマのお母さん役のイメージが強く、橋蔵の相手役が少し意外でした。でも後半に登場する「すれっからし」の遊女と二役なのでなるほどの配役でした。

 

支配層の都合に振り回される庶民…21世紀の今も過去の問題ではありません。このようなテーマが時代劇映画で語られ、そしてスター俳優たちがだらしなかったり、ずるかったりする役を臆することなく演じていた―それが日本映画の黄金時代なのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

さようなら歩行器兼車椅子

今まで使っていた歩行器にもなる車椅子。ハンドルに不具合が出たのと母はもうあまり戸外で歩行しないので普通の介助用のものと替えてもらいました。
 
今まで母を歌の発表会やらコンサートやらばら展に連れて行ってくれて本当にありがとう…と語りかけて写真を撮りました(笑)。
 

 
新しい車椅子は車輪が大きい分だけ段差などを越えるのは楽です。
これまでより母の散歩の範囲を広げてやれるといいのですが。
 
早速試運転に出たら、公園のツツジの根元で草丈15センチほどのミニラッパスイセンが咲いていました。 神社の近くで咲いていたこの花はもう
しぼんでいますが、場所によって咲く時期がちがうのですね。
 
 
「おじぎしているみたいでかわいいね」と母が言っていました。 カラスノエンドウも芽吹いています。