構成:

 〈前半〉概ね、 起・承・転結

 〈後半〉漢字の説明は、、、からの転結

 〈補足〉

 

文字数比 1:1:1 くらい

 

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正接一体...

「相反する2つの相が、相手の特性を自分の中にも持ち、共に満の状態で際と際を接し、

 相手の分を侵す事なく1つの輪の中におさまっている」

この辺、ちゃんと伝わってる?(この形が「愛」「神」であり...別言多し)

 

「ヤ/YA」の部分も、先っぽに「ア/A」の特性である「丸いもの」の小さいのがあり

「ア/A」の部分も、「ヤ/YA」の特性である「かたく真っ直ぐなもの」の小さいの…

「小さい鉾」を持っている。

この「ア/A」が持つ「小さい鉾」は、中に秘められていて

外からは見えないけれども、刺激を受けて硬くなる部分…🤫

 

で、このかたくなる真っ直ぐな「小さい鉾」にもまた、

付属部分として、外側の先っぽに丸いコロコロクリクリするのがついてるでしょ🫣

(♂しか知らないゲイさんはお友達に教わってね😉)

 

いや😂私が考えたわけじゃないのよ。

ご講義で皆が眠くなると、大聖がして下さる話で、思わず

「シャレかジョークか😅」とも思ったのだけれど、どうやらシャレではないんだ。

設計図だから🤣

(日本には、男女の生殖器を崇拝する神社もある)

 

「大きい丸と大きい矢/小さい丸と小さい矢」でピッタリしっかりはまる凸と凹

コロコロクリクリが外についてる理由がスゴかった件🥹

(この世で随分スゴいお土産を頂いたわぁ。ちゃんと額に刻んで死のう。)

 

 

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で。

 

それと知っても知らずも、意図的であってもそうでなくとも、

利用されてなんぼの音楽屋でなくとも

この世の大半の人々が臭教/反対勢力の手先となっているのではないだろうか。

この世の営みのために「本物の宗教/絶対価値」を嫌う何かしらの団体に所属していたり、

支援を受けているのではないだろうか。

末法期のこの世で生まれ育ってきた以上、皆、その価値観の中で生きてきている。

 

人生の指針としてどっぷり臭教を信じてきた人もあれば

「会報費は島の所場代、概ね経済協力連合」程度の認識で、この世の処世術として関わっている人もいるだろうけれども。

 

熱心にのめり込んだ人程、それが間違いだった、騙されてきたと知る事は辛い

 

でも、そんな立場にいるからこそ、できる事というのもあるのではないだろうか。

どこかの誰かさんと違って、適当に話を合わせて上手く立ち回りながら、何かを正す事が

できる人もいるのではないだろうか?

 

「相反する2つの相がお互いの中にも相手の特性を持ち...」

先方に工作員を送り込むっていうのは常套らしいし...

そして、識大 ・頭・心の丸は輪ゴムのように捻じれていて、死ぬ時はコロッとなって一つになって死ぬそうだから(この身での学びが/額に刻んだ太法図が、コロッとなって

WA-nと1つの輪になって...識大に積まれる。コロッとなって外れて肉体を離れる)

 

クリがコロコロする理由も凄かった件🥹

※ちなみに太法図の外環二重円は「裏に(識大が)ある」を表している。

 

「コロッとなって死ぬ」

 

だから「相手の中に、自分の分子というか分身を仕込む」っていうのは、

まさに「理」にかなった、「キー(←クルッと回して外れる)」と言える、

手段というには勿体無い、大事な事「理想のカタチ」だと思う。

 

『秘密工作員となるススメ』です(或いは秘密の言葉で目覚める天空のロボットの様に)

 

「何とかすべき対象が逆」

 
 

もう一つちなみに、大神経普伝会のマークはここから来ていた。

その識大の上に更にまた、、、

「聖人は最高神と直結している」もどこかに書かれていたと思う。

 

            

 

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で。

 

「ヤ/YA」の先っぽに「丸」の話に戻ると…

 

日本の船の名前に「丸」がつくのも(「ヤ/YA」の部分は舟形。Nave)

外国の船の先に女神の像がついているもの、無事「港/母港」に帰れるようにと祈願してのもの、と…

私が正法のお話を聞く中で教わっただけなのか、一般的にそういう意味であるとされているのかわからないが、私はそう認識している。

 

そして「背く」は「Sa-o 剥く」であり、日本語で「Sa-o/竿」は男根の象徴。

(「袖」は「Sa-o デ(出?)」であり、袖を振って歩く「振袖」は「♂welcome」の意味になるから、独身女性しか着ない、既婚女性は留袖となった、との事)

 

♂は仕事だか遊びだか知らないけれど、♀に背を向けて出ていくもの...

(最近は何かとうるさいけれど「Aの部分♀/YAの部分♂の持つ”特性”」「静/動の”特性”」としておけは黙るのではないか)

そして「戻る所がある事が心地よい/凧のようにフラフラしていても紐で繋がってる感が良い」という人もいれば

「それが嫌、繋がってるの嫌、戻るの嫌」という人もいるだろうが

いずれにせよ「背を向けて、Sa-oむいて」出ていく。

 

人間はというと…概して「派生させる事/派生義」が好きな人が...ひょっとして多い?

もっとも、この世にあるもの、この世の営みは全て、根本原理から派生されたもの…

そもそも、根本原理を設計図としてつくられた人間は「派生物」と言えるかもしれないのだから、派生させる/根本原理から離れていく性質を持っているのも道理かもしれない。

(その派生義/世に残る派生の末の欠片やカスをもってモノサシとし「世の中こうなっているから、その図は/教えは間違っている」というのが変)

 

「何かを研究して行き着いた答えが太法図の通りだった、なんて事もあるはずである。

 でもそういうのが嫌だと言うのは・・・」

 

 

人間は神に背くもの、背を向けて離れていくもの、

この世の営みにかまけて、この世に生を受けた意味を忘れてしまうもの…だろうか?

   『世の人々は、悪魔が用意した花を一生懸命に摘む事が人生だと思っておる。

    その種々の花々を相対価値という』大聖版ダルマパダより

でも人は必ず死を迎え、神の裁きを受ける。

この肉体が滅びた後、上の世か下の世かはわからないが、あの世へ戻る。

 

植物が二酸化炭素を吸って光合成して酸素に変えて出すように…

太陽の光を受けて葉で光合成した栄養を根に蓄え、地上は何もなくなる冬を越え、

また春に芽を出し花を咲かせる宿根草のように。

(彼岸に咲くという彼岸花も然り。花の姿は、丸”○”に縦棒” | ”

   花は秋に咲くので、他の多くの花々が咲く時期は宿根中で...時期が逆)

 

そして大神から五音の太言霊が人類に授けられたのに対し

人類はその御恩に報じて、御恩奉の言霊 ア リンガ ト ワ とお返ししたように

補足1↓)

 

「ア/A/上」から下されたエネルギーが「ヤ/YA//下」を巡って、また上に戻る…

 

 

全て、太法図によって説明される通りである。

 

 

 

 

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大聖は、しばしばご講義に参加する人の名前の漢字の意味を説明して下さるのだけれど、

すると赤べこ達は「ほら、××さんの漢字だよ、××さんの為に説明してくれてるんだよ、

ちゃんとノートとりなよ」とか始める(反面教師1号がそう教えるからなのだが)

 

じゃあ!その漢字の説明からその他の人が学ぶ事はないのか!

大聖が説かれているのは、ただの字源の説明だと思っているのか!

「経」も「軽」も字源は同じ、それを聞いて「はいはい、私はもう知ってる」と思っているのか!

小学生でも一度聞けば理解できる漢字の意味の説明を、同じ事を同じ人に何度も繰り返す

ボケ老人だとでも思っているのか!

その新人さんにそう示し教えるのか!(いや、新人さん相手でもなく、〇〇相手にそう言って上に乗ろうとするからあれなんだが。しかも、赤べこ達ではなく、先生という立場の人にそう言われたら...私は相槌の打ちようもない。地獄)

 

その場にいる人の中で自分は”先輩”なら、同じ説明を以前にも聞いた事があって2度目なら、

同じ本を読んでも時を経たり歳を重ねる事で違う側面が見えるように…

同じ説明でもそこから何かを、或いはそうやって解いて下さっている

聖人を見て、十分に学んだか。

先生から見て「まだお前は、まだこの説明でわかっていない事/学ぶべき事がある」

と思っているから、同じ事を言っている、とは思わないか。

   『法図に対して瞑想せよ。なおざりになるな。

    なおざりのゆえに、灼熱せる鉄丸を呑むな』

 

御本に書かれてある事も然り。

それを知識として捉えて、感動し「スゴい!」と思う人は、それだけでもいい。

でもそこからもう一歩深く考えて...

或いは、そうじゃなく「字源や聖書の言葉の意味がわかっても別に…宗教も特にどこか熱心に信仰してきたわけじゃないし...だから何?何がすごいの?どう大変なの?私の仕事の分野の事は書かれてない...」と思う人は「飯の種/現世の営み」から離れて「輪廻はありそう」辺りから考えてみたらいかがか。

 

 

漢字の説明も、言語体系の説明も、音の持つ意味の説明も

『太法図の各相/パーツの持つ意味、特性』の説明になっているのだから...

その太法図は「根本原理を説明するために図を用いる」のその「図」なのだから...

その説明している「大元/オオモト」がわかれば、それを別な言葉やトピックで説明する事もできるし(例えば、自分が研究してきた事が正法図通りだった!となれば、今度はそれを趣味の仲間に、その分野の人がわかるトピックで説明するとか)

それがわからなければ「漢字がわからない人には関係ない話」

「大聖は字源学の大家」という事になってしまい、

その時点で間違って伝わっていると言える。

 

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「大勢を相手にした講義は一番できない人に合わせないといけない、新しい人が来ると大変だ」

「それでも、皆さんに、何かしらお土産を持って帰ってもらえるようにと思っている」は

大聖の言葉である。(何を意図されての言葉かはさておき)

(下に合わせる教育を左の教育という…は心の声だったかどうか、私が思っただけか、この辺は定かではないが、一番できない人をサポートしていく教育と、

できる人を更に伸ばし引き上げる教育、両方必要である事は誰も否定しないであろう)

 

最高神は ア ヤ ナ ワ ン の五音しか発しない、ご存在であり

それだけでわからなければならないそうである。

🔁それだけでわかるお方に太言霊は下された。

大聖は、その五音だけで太法図を図顕され、御成道なされた。(補足2:ビビビについて↓)

大聖は「この身を最後身とするであろう(←輪廻を越えるという意味のように書かれていたと記憶している)」と仰るのだから…

如来・菩薩・独覚・声聞…の如来でしょう。補足5

それに対して「菩薩行」「弘伝行」という言葉があるように、それは修行の”行”であり

如来のする事ではないと言えるのではないだろうか。

 

最高神は太言霊しか発しないご存在。

聖人はその五音を聞いて、太法図を図顕し…五妙音の獅子吼/三薀道の開示宣説をなさる

お方。

人間はその図を見せてもらってもそれだけでは何の事だかわからないから、

説明をして下さる…

膨大な量の「説明書」をつけて、開示して下された。

 

それに対して

「私は本を読むのが苦手なので直接説明して下さい」じゃねーだろ。(補足3↓)

「大聖は本を読むのが嫌いだって書いてある、だから私も…」じゃねーだろ。

(↑沢山の本を読んでわかったのではない/学者ではない/人間の思考の延長線上にあるものではない」の意味で書かれた言葉)

それとも「本を買うより、グループレッスンご講義の方が安くて、声聞衆になれた方がいい」とでも言うか、亜法ども。(「若い人達はお金がないから、別な方法で」と子供を盾にするのも、どの世でも見かけるゲスな手。私は大聖の御本の代金は高校生の時に月賦でお支払いした。多分反面教師1号か普伝会が立て替えてくれていたのだと思う。お金がなければ図書館で読んだらどうか?国立図書館の蔵書って...閲覧できるんでしょ?「往復の時間が...忙しいから...家で読んだ方が」か?聖人のご講義を御本の販売促進会だとでもお考えか?自分の命の話であるという事をお忘れか?補足4↓ついでに言うなら「上下のない社会」は、「上下/太法図」を否定し、自分が上になろうとする人の旗印/隠れ蓑)

 

「ワシに会いたければ世界中の金を集めて持ってこい」も

何とかっていう数百年前の僧は「自分の腕を切り落とし差し出し、何とか(差し出せる最大限のものとして)これで秘伝の宝をお教え頂けないかと正法の教えをこうた」というお話も大聖のご講義での言葉である。(後者はどこかに書かれてもいると思う。

前者も「千万金に価する教え」というような形で書かれているはずである。

無上の宝である。それも最高神である)

 

何を意図してそう仰ったのか、実際とるかという話でもなく

 

 

読解力がないなら、そんな貴方に読み解いて説明するのは、貴方の隣にいるあなたを大切に思ってくれる人の役目。

それもハンデだろうが、因縁あって/理由があって用意された、それが今回の貴方の条件/コンディション。そんな貴方だからこそ担えるつとめもあるのではないだろうか。

 

「大聖の御本をより沢山読んだ方が優」という事もないだろう。

   『蜜を持った花(神縁仏慮の者)だけに伝えよ。

    受け入れるべき人々は多くの時間を要せず

    神縁仏慮に遠い人々は今はまだ救済の時にあらず。

    よく熟した柿は枝を少しゆすっただけで落ちるが、青い柿はたやすくは落ちない』

                              大聖版ダルマパダより

 

 

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補足1:

例えば、

●ご近所から家庭菜園で沢山穫れたから、とお野菜を頂いたら

お礼に、それを使って作った料理を...或いは旅行のお土産でもお持ちするとか...

●「食べたものがそのまま出てきたら消化不良、消化されてウンコとなって出る」とか

同様に、 人類が大神から「ア ヤ ナ ワ ン 」とその図を教えていただいたのに対し

「.なるほど...これは...わかりました。ア リンガ ト ワ ですね」とお返しした、

それが御恩奉の言霊 

(・・・と教わっているはずだが、ざっと探してもそう書いてあるのは見当たらないが

多分そう)

そして、わかった人が/先生が、その「返って来たもの」を見れば、

人間が/生徒がどう理解したのか、どうわかったのか、わからなかったのか

何だか変えちゃいたい (悪魔は時に壊したがる)だけなのかも、わかる。

 

 

補足2:ビビビについて

まず

人間の上には識大(魂)が乗っていて、

肉体は今生に与えられた、やがて滅びるものであり

人間の本体はその識大(魂)の方

 

「大聖が、ビビビの五音を受けて御成道された」というあたり...

「その聖人とやらも自分と同じ人間、そこにビビビとお告げが来て、それを伝えている」

って感じだと思ってる人...いるでしょ?そうではなく、

大聖の上に乗っている識大(魂)が他の人間とは違う

やってきた事が違うから今が違う、

五音を聞いただけで太法図が図顕できる程 委しいが故に委ねられた

「幾多の生涯を経巡ってきた」と仰るその識大(魂)がそもそも違うの。

聖人をこの世に出すにあたり、

大聖の上に乗ってるあの識大(五音聞いただけで太法図を図顕できる)を

この世に出すにあたり、必要なあの肉体が用意されたの。(また話がそれるが、この図が本物であるという事を証明するに必要な証拠、法のカケラ、それらは各団体のごく上の方だけに隠し伝えられてきたものかもしれないが、それらが全く失われてしまう前に、大聖がお説きになる法が本物であると知れるに足りる証拠が残っているうちに、ご出現なされている)

 

 「いと高き御存在が、上から地上を眺めた時に最も輝いていたがゆえに下された」の

その輝いていたのは、あの肉体ではなく、上に乗ってる識大(魂)

それも「素直で心が綺麗な良い人」とかではなく...何というか...

本体である識大が、そもそもが既に如来級だったの。

喉の部分で示されるように、上と下は行き来がある「行き交う部分」だから、五音を受けて、何かこう...開けて識大とボディがツーカーになった感じなのかなー、と私は想像している。

 

大聖は恐らく、少なくとも釈尊ではあられたのではないかと、私は思っている。それゆえに梵語にお詳しく、学者達が1000年2000年学んでも出せなかった答えが、

釈尊が解かれた真実がお分かりになるのだと思う。

「倭成は沢山の本を読んでわかったのではない、学者ではない」はそういう意味だと思う。

その他、輪廻を重ねる中で識大に沢山積まれていたから、おわかりになるのだと思う。

大聖は当然(「わしが外に生まれたという事は」の言葉からも)歴代天皇であられた事もあるはずだと私は思っているので、以前書いた「目の前にいる人が、大聖が前世にて目にする事ができなかった玄孫とかだったら、きっと目を細めて見てくださる」はその辺の事が言いたくてのソレトナクカイタ事である。

 

そこを現生のみで考え「自分と同じ人間、そこにビビビとお告げが来て、それを伝えているだけ」と思うと「何であの親父なんだ」

(『正法を説く師の身なり素性をみてはならぬ』も多分ダルマパダに書かれている)

さらに「説明の方向」を勘違いしていると「自分だって...もっといい説明ができる」となるのではないだろうか。

 

自分と同じ人間だと思うから、現生のみで考えるから敬意も薄い。

そこに『わかった人から聞けば誰にでもすぐわかる簡単な話だ』

『意識の高い者は暫時にても聖賢に仕えたならば、すみやかに正法(人の象に似たり)を受け入れる』などの言葉がグチャグチャっと混ざって...

この世の推薦状などを握りしめて「私は優秀ですっ!」「アタシっ、我こそがっ」的にアピールするみたいな人は、何かしらその辺の勘違いがあるのではないだろうか?(その実態は「わからせてっ、もっと私を引っ張って!」ではないか?)

 

 

「声聞衆は縁故入学」

「神縁仏慮により正法に出会えるのは、 記 憶 に あ る 限 り 棚ぼた」

「大聖がなさってきたように、説明して、示していかなかければならない」

「臭教とは違う、というのならそれを説明してわからせなければならない」と

私は概ね多分常に、正法に出会えた人に、或いは、そうではない人に対する声聞衆に、厳しい立場で書いてきた。

「先生は、生徒から出たものを見れば、どうわかったのか、どうわからないのかがわかる」も教える側の戒めとして、或いは「気根を見て説法する」大聖をお手本として、の意味で書いた。

「この人はわかってる/わかってない」は人間はやってはいけない」と書いたのは、

それは閻魔様の専権事項であり、人間がそれをやると個人の好みや我見が入るから。

そして時にその言葉自体がマウントの道具だし、或いは

「"聖人に会わせてあげる"を餌に自分に人を引きつける道具」にもなる

→この世の利得のために正法を利用している事になるから。

だから伝えるだけ(縁ある人はすみやかに正法を受け入れる)

わかるように説明する、という説く側の戒めとして書いた。


では、教わる方の皆さんはいかがか。

偽物のシュウキョウが本物ヅラする末法時を、それがシュウキョウだと思って生き、
或いは、相対価値を絶対価値だと思い、
この世に残る、派生の末の法の欠片やカスをモノサシとして正法を見るが故に、
入り口でつかえて入りにくい事に、
或いは、反対勢力の手先である事に、工作員として懐に入り込むべく近づこうとしている事にお気づきか。

 

聖人がしばしば「黙っていたら、わかったのかわからないのかが、わからないから…なんとか返事してくれんとな」と仰る、と書いたのは、

「大神から最初に太言霊を下された人間は ア リンガ ト ワ と答えたのですよ

 なんとハイレベルな事か」の辺りを意味しての事である。

 

「聖人の言はただ黙って拝聴すべきもの、トコブシ礼をもって、一言も口を挟む事が許されない」

 

 

 

補足3:

速く走れる人とそうでない人が一緒に走る場合、合わせる事が出来るのは速く走れる方。

遅い方の人は何とかついていこうと頑張り...それによって力がつく

→先生は/上は/神は、必ず生徒に合ったハードルを用意している。

例え先生が生徒に合わせていたとしても、生徒が何とかついていこうとしなければ、

何とかそのハードルを飛ぼうとしなければ、力はつかない。

教えは上から下に垂れ下されるもの。

何とかそれを理解しようとする事、下が上に何とかついていこう、何とかそれを理解しようとする、それが教わると言う事だと、私は思う。

それとも「神が用意するハードルが適当ではない、その人の気根を見誤っている、

神は全てお見通しではない」と思うのだろうか?

 

 

補足4

「本物の宗教が隠された後、この世に残った偽物のシュウキョウのイメージと違って...」

 

補足5

投稿時は、記憶にあるまま「如来・独覚・菩薩・声聞」と書いたが、

御本を見たら如来の一つ下は菩薩のようなので、訂正。(2024年7月)