(2016年12月11日投稿〜6/6)

 

大聖に自分が信じてきたものを否定されてしまった人達…生きてきた環境までも否定され、それこそ仕事も家族も捨てて出家でもしなければ救われないかのような環境に生きている人もいるかもしれない。

正しく伝えてこなかったのはどこも皆んな一緒…

 

でも自分達が間違っている事になると困るから、法図の意味を変えて欲しい、自分達のでもいい事にしてもらおうと正法を変えようとするなら、それこそ悪の枢軸ってやつです。ついでにせこいし、ナンセンスです。

自重なさる気はありませんか。

 

今まで自分がしてきた間違いを認めたくないがために真実を歪めようなんていうのは、短慮すぎ…せっかく正法時に生を受けたのだから、聖人にはただ真実を説いて頂けるようにつとめ、そして私達はそれを学ぶ方が(損得勘定で考えたとしても)得策でしょう。

それに、この世において「それでもいいこと」にしてもらった所で真実が変わるわけではない。それでいて「自分に都合がいいように神を動かそうとした」という事実が残ります。(そんなことしたら別な意味の最期身かもしれません)

正解を学ぶべきに決まってるでしょう。

「あの世でも許してもらえるようにお願いしておきます」何て言われても、あの世に関する嘘は死ぬまでバレない嘘、バレた時にはどうにもならない、格好のネタ。

「正法を守る為」と銘打った実は別の事に都合よく利用されておしまいかもしれません。

 

正しい答えが出て、間違いがはっきりしたのなら、なんとかすべきは間違っていた方…当然でしょう。

得意であろう、ビジネスや政治の手法でなんとかすべき対象が逆です。(自分トコなんとかしなさいよって話です。否定された人の気持ちを理解する事はできても譲れない物は譲れない、間違いは間違い)

 

例えば数百年計画の「臭教後片付け」をはじめるトカはどうでしょう。
はるか昔におこった宗教を起源とするビジネス協力団体や、この世での処世術や作法教室、健康志向コミュニティとなり…時にそれらは政治家が言えないような事を発言する格好のポジションかもしれない。

実際、世の中既に、その路線に乗っているのではないだろうか。

ただその中で「命を救う宗教」を看板に掲げ人を集め金を集め、それでいて騙してニセ宗教を売りつけ、さらに税的優遇まで受けちゃっているという事は相当ヤバいんじゃないか、という気がするし、なんとかするのもえらく大変そうだが、それも200年位かけてなんとかするトカでどうだろうか。
 

説明がつかないものは廃れるし、間違ったものを廃れさせる事も難しくないのだろうと思うが、正しい方が廃れさせられるわけにはいかない。

 

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自分達がしてき他間違いを認めたくないが故に真実を歪めよう、自分たちがやって来たのでも良い事にしてもらおう、そうなるように法図の意味を変えてもらおう、などというのは、

例えば算数の授業で100×10の答えを間違えた人が、先生に賄賂を渡して、その計算の答えを110って事にしてもらおう、っていうのと同じ…

バカも休み休み言え、って話です。

論外!

 

これもまた、この世だけの事しか考えが及んでいないからのように思う。

 

 

 

そして、こんなどうしようもない事になってしまった世の中をどうしていくのか、と考える時も、何を大事とするかによってそのやり方は変わってくるのではないだろうか。

即時、全部ぶっ壊そうというのなら、世界全体が(おそらく経済も?)ガタガタになってしまうのではないだろうか。だって、世の中の殆どすべてのものが元をたどれば臭教に(その元を更にたどれば宗教だけれど)よっているのだろうから…

 

 

だからと言って、正法は、法図は、神の宝は

ありてあるもの、普遍、不変、不可分ー不可なんとか、

絶対価値として存在するものであるという事は、決して譲られてはならないと思う。