…なんだか、最近、胃が重いなと思っていたのです。
初夏の風の中、いい感じに疲れた体で帰って、夕餉の支度をし…。
やはり胃がむかむかするので、思いきって、翌日、病院にかかりました。
「大したことはないと思いますが、念のため精密検査を」と言われました
なぜ?
別の、大きな病院で、検査を受けました。
そして、結果が出るという日の朝、1本の電話がありました。
「できればご家族の方も、ご一緒にいらしていただけませんか」
なぜ?
悪い病気なの?
この設定、ものすごく臨場感があって、不安になってきます。
これを、プロのナレーショントレーニングを積んだような美声坊主が、絶妙の呼吸でナビゲーションするのです。
そう、これは、仏教と音楽をテーマにした寺フェス「向源」のイベントの一環。
「死の体験旅行」というものでした
複数の提携寺で開催されるイベントを、参加者は一日がかりで回ります。男女の触れ合いを目的としない「街コン」ならぬ「寺コン」という感じ。
●能・雅楽・声明パーティ
●坊主のテクノライブ
●お料理坊主による、精進料理の大ぶるまい
●座禅&ヨガ ●書道/生け花
●塗香づくり ●真っ暗闇ごはん
など。最近の青年お坊さん達は面白いことを考えられる。
「死の体験旅行」とは
【趣旨】
重篤な病にかかり、臨終するまでのストーリーを疑似体験しながら、自分の「大切なもの」を手放し、最後には「全ての喪失」を体験するワークショップ。
【発祥】
元々はアメリカ発祥のホスピスケア、終末医療の一貫であり、仏教と直接関連性はないそうです。
しかしお坊さんがこういうものをナビゲートすると半端ない説得力。
常日頃、アメリカって繊細じゃないなあと思うことも多いのだけど、こうしたサービスや代替医療の組み込み方はさすが。あちらは病院の中に礼拝堂があるといいますもんね。
日本で、病院にお坊さんが踏み込もうものなら・・。
【内容/手順】
「自分の大切」なものを4種類×5項目ずつ、合計20個を紙に書きます。
「物質的なもの」・・・不動産とか宝石とか
「自然のもの」・・・・・空とか小川とか
「活動、行動」・・・・仕事とか趣味とか
「人」・・・・・・・・・・・・・家族とか、友達とかペットとか
そして、
体調の変化→病院での検査→告知→手術→仕事や社会からのリタイヤ→体調の悪化→治療の中止→緩和ケアへ移行→体の衰弱→意識の朦朧…
というストーリーの進行と共に、1枚、2枚と「大切なもの」を書いた紙を捨てなくてはいけません。例えばこんなふうに。
◆
「午後の待合室は人が少なく、精密検査の結果を待つ間、チクタク、チクタクやけに時計の音が大きく聞こえます」
ここで、1枚紙を捨ててくださいと言われて…。
挑戦者サヤ香ハ、酒と社交場ヲ 最初ニ、捨テマシタ
◆
「…手術直後は見舞いに来てくれていた友人達が、だんだん来なくなりました。まるで、避けられているようです。放射線治療で、からだが痩せおとろえたからでしょうか」
ナビゲーターのお坊さんが語るストーリーが、身につまされ、だんだん論理的思考は消えうせていきます。
挑戦者サヤ香ノ、髪ハ抜ケ、肌ハガサガサニナリ、嗜好品ハ要ラナクナリマス。心ノ「ヨスガ」トナル物ダケガ、残ッテイキマス
◆
「…からだ中が痛く、あらゆる行動が苦痛になってきました。一日の大半を寝たきりで過ごします」
挑戦者サヤ香ハ、「意地デモ 手放サナイ!」ト決メテイタ「文筆活動」ヲ、手放シマシタ。何ノタメニ コレマデ、仕事ヲシテキタンダッケ?
……死の恐怖にかられると、事前に「こんなもんだろう」と考えていた「捨てる順番」が、みごとに狂ってしまうので、驚きました。死ぬとは、こんなに、くるおしいものなの。
涙と洟が止まらなくなって、オロオロと手放すしかなくて、、、
みんな捨てちゃった
【体験者の 皆さんの最期のご様子】
*ご家族とは、一緒に体験しないほうがいいかも。うっかり、連れ合い以外の好きな方の名前が最期に残って、困っていた方がいました。
*お坊さんの場合やっぱり「念仏」や「禅」や「仏」を、最期まで手放さない方が多いそうです。
お坊さんばかりで行ったバージョンの詳細レポートがこちら。
*30代以下の未婚男女は、最期に「お母さん」を残す方が多いようです(次は父)。人は幾つになっても、死ぬ間際は「お母ちゃーん」となってしまうのでしょうか。
*お母さんの場合は、最期に「お子さん」を残す人が多いです。でもそれは小さい子や、庇護の要る子の場合であって、高校生以上になったお子さんを最期まで残す方は少ない、そうです。
【自分的総括】
自分が「本気で大事」と思っていたものは、健康なときに選べるものばかりでした。
人生、そういうことでいいのだと思うんだけど、「自分の本当のラスト1」を自覚したほうが、生き方が濃密になる気がしました。
財産もプライドも、愛情すら手放して、最期まで握っていたかったもの。私は風でした。
何だそれ?
と、われにかえった今は思いますが。自分は「風」のように生きようとしないと、きっとガンになってしまうのだ、と知ることができました。
このイベントは、今後の「向源」ほか、寺社イベントでも行われるそうなので、ぜひ皆さんにおすすめしたいです。
初夏の風の中、いい感じに疲れた体で帰って、夕餉の支度をし…。
やはり胃がむかむかするので、思いきって、翌日、病院にかかりました。
「大したことはないと思いますが、念のため精密検査を」と言われました
なぜ?
別の、大きな病院で、検査を受けました。
そして、結果が出るという日の朝、1本の電話がありました。
「できればご家族の方も、ご一緒にいらしていただけませんか」
なぜ?
悪い病気なの?
この設定、ものすごく臨場感があって、不安になってきます。
これを、プロのナレーショントレーニングを積んだような美声坊主が、絶妙の呼吸でナビゲーションするのです。
そう、これは、仏教と音楽をテーマにした寺フェス「向源」のイベントの一環。
「死の体験旅行」というものでした
複数の提携寺で開催されるイベントを、参加者は一日がかりで回ります。男女の触れ合いを目的としない「街コン」ならぬ「寺コン」という感じ。
●能・雅楽・声明パーティ
●坊主のテクノライブ
●お料理坊主による、精進料理の大ぶるまい
●座禅&ヨガ ●書道/生け花
●塗香づくり ●真っ暗闇ごはん
など。最近の青年お坊さん達は面白いことを考えられる。
「死の体験旅行」とは
【趣旨】
重篤な病にかかり、臨終するまでのストーリーを疑似体験しながら、自分の「大切なもの」を手放し、最後には「全ての喪失」を体験するワークショップ。
【発祥】
元々はアメリカ発祥のホスピスケア、終末医療の一貫であり、仏教と直接関連性はないそうです。
しかしお坊さんがこういうものをナビゲートすると半端ない説得力。
常日頃、アメリカって繊細じゃないなあと思うことも多いのだけど、こうしたサービスや代替医療の組み込み方はさすが。あちらは病院の中に礼拝堂があるといいますもんね。
日本で、病院にお坊さんが踏み込もうものなら・・。
【内容/手順】
「自分の大切」なものを4種類×5項目ずつ、合計20個を紙に書きます。
「物質的なもの」・・・不動産とか宝石とか
「自然のもの」・・・・・空とか小川とか
「活動、行動」・・・・仕事とか趣味とか
「人」・・・・・・・・・・・・・家族とか、友達とかペットとか
そして、
体調の変化→病院での検査→告知→手術→仕事や社会からのリタイヤ→体調の悪化→治療の中止→緩和ケアへ移行→体の衰弱→意識の朦朧…
というストーリーの進行と共に、1枚、2枚と「大切なもの」を書いた紙を捨てなくてはいけません。例えばこんなふうに。
◆
「午後の待合室は人が少なく、精密検査の結果を待つ間、チクタク、チクタクやけに時計の音が大きく聞こえます」
ここで、1枚紙を捨ててくださいと言われて…。
挑戦者サヤ香ハ、酒と社交場ヲ 最初ニ、捨テマシタ
◆
「…手術直後は見舞いに来てくれていた友人達が、だんだん来なくなりました。まるで、避けられているようです。放射線治療で、からだが痩せおとろえたからでしょうか」
ナビゲーターのお坊さんが語るストーリーが、身につまされ、だんだん論理的思考は消えうせていきます。
挑戦者サヤ香ノ、髪ハ抜ケ、肌ハガサガサニナリ、嗜好品ハ要ラナクナリマス。心ノ「ヨスガ」トナル物ダケガ、残ッテイキマス
◆
「…からだ中が痛く、あらゆる行動が苦痛になってきました。一日の大半を寝たきりで過ごします」
挑戦者サヤ香ハ、「意地デモ 手放サナイ!」ト決メテイタ「文筆活動」ヲ、手放シマシタ。何ノタメニ コレマデ、仕事ヲシテキタンダッケ?
……死の恐怖にかられると、事前に「こんなもんだろう」と考えていた「捨てる順番」が、みごとに狂ってしまうので、驚きました。死ぬとは、こんなに、くるおしいものなの。
涙と洟が止まらなくなって、オロオロと手放すしかなくて、、、
みんな捨てちゃった
【体験者の 皆さんの最期のご様子】
*ご家族とは、一緒に体験しないほうがいいかも。うっかり、連れ合い以外の好きな方の名前が最期に残って、困っていた方がいました。
*お坊さんの場合やっぱり「念仏」や「禅」や「仏」を、最期まで手放さない方が多いそうです。
お坊さんばかりで行ったバージョンの詳細レポートがこちら。
*30代以下の未婚男女は、最期に「お母さん」を残す方が多いようです(次は父)。人は幾つになっても、死ぬ間際は「お母ちゃーん」となってしまうのでしょうか。
*お母さんの場合は、最期に「お子さん」を残す人が多いです。でもそれは小さい子や、庇護の要る子の場合であって、高校生以上になったお子さんを最期まで残す方は少ない、そうです。
【自分的総括】
自分が「本気で大事」と思っていたものは、健康なときに選べるものばかりでした。
人生、そういうことでいいのだと思うんだけど、「自分の本当のラスト1」を自覚したほうが、生き方が濃密になる気がしました。
財産もプライドも、愛情すら手放して、最期まで握っていたかったもの。私は風でした。
何だそれ?
と、われにかえった今は思いますが。自分は「風」のように生きようとしないと、きっとガンになってしまうのだ、と知ることができました。
このイベントは、今後の「向源」ほか、寺社イベントでも行われるそうなので、ぜひ皆さんにおすすめしたいです。