涙にかすんだクリスマスツリー
クリスマスが近づき街は明るい装飾や笑い声で賑わっています。
このシーズンになるとつらい思い出がよみがえります。
私が小学校5年生の時突然父が亡くなり、亡骸をお守りし火葬場へと行ったのが12月24日。
いつも本を買いにつれて行ってもらっていた荻窪駅のクリスマスツリーはその年も華やかな装飾で飾られていました。
霊柩車が荻窪駅を通った時涙があふれてその年のツリーはかすんだ中にぼんやりと人々を祝福しているように見えました。
その日の夜、親戚も皆帰って、母と姉と三人きりでガランとした家の中で無言で時を過ごしていました。
その時玄関のベルがなりました。
出てみると小学校のPTAの方が大きな箱をもって立っていました。
「こんな時にどうかなと思ったんだけど、クリスマスケーキを焼いたの。いけなかったかも知れないけど真っ白のケーキにしたから・・・」
と私の手に渡してくれました。
父の真新しいお骨にお供えし、残された3人でいただきました。何も今夜は食べる事ができないと思っていたのですが、1口口に含むとほんのり膨らむ甘さに思わず2口目に手が運び、3人でたくさんいただいてしまいました。
その時の甘いふくらみは何年たっても心に残っています。
今年もそのシーズンがやってきました。あれからどれだけのすばらしい出会いがあったことでしょう。
今年もあのクリスマスケーキの味ような美しい出会いが私たちを包んでくれます。
人々の暖かさのおかげで年ごとにクリスマスツリーも喜びの象徴に代わり、今年はぬくもりのある木でできたツリーをかざりました。
出会いの喜びをかみしめる暖かいクリスマスイヴを過ごしています。
メリークリスマス
ベートーヴェンは日本人の最大の友
べートーヴェンの曲がいつごろから日本で演奏されてきたかご存知ですか?
1887年(明治20年)上野の音楽取調係(今の東京芸大)の卒業演習会で交響曲第1番が演奏された、という記録があります。
1927年(昭和2年)には日比谷公会堂でベートーヴェン100年祭が行われるほどに発展し、人々はレコードを競って買いに行ったそうです。すごい広がり方ですね
第2次大戦末期、1946年(昭和20年)6月にも新響(現N響)が交響曲のチクルスを継続していた、という熱狂ぶりだったそうです。
又暮になると第9の演奏会はもう日本の年中行事ですね。
皆が愛するベートーヴェンを更に楽しんでいただこう、そして勉強もして行こう、という企画が始まっています。
ボンにあるベートーヴェン研究所に行ってきました。
この街はオーケストラとの共演などで滞在したことも多い街なので、私にとっても懐かしい土地です。
研究所のディレクター:マルテ・ベッカーさんにお会いしました。彼は私の共演者たちとも親しい間柄で、心からベートーヴェンを愛する方です。私に様々なご提案をくださいました。
この事務所はベートーヴェンが生まれた家のとなりにあり、何だかベートーヴェンのオーラが感じられるようなオフィスです。
ベートーヴェンが生まれた家の玄関
私自身ベートーヴェンを弾いたり聞いたりすると体も頭も力がみなぎり、なぜかポジティブになり前向きな姿勢になります。
私の母は車の中にベートーヴェンのカルテットのCDをいつも積んでいて、運転につかれたり睡魔が襲うと必ず聞いています。カルテットの1番から聞くときが多いみたいです。
このようなベートーヴェンが持っている大きな「感動というエネルギー」を日本にもっと広めようというものです。
これから具体的に進んでいくと思います。
ベートーヴェンファンの方、まだあまり曲を聞いたことのない方、ぜひ楽しみにしてください
ベートーヴェンアルヒーフのベッカーさんと
熱く語りあいました
サンスーシの音楽の間
サンスーシ宮殿には音楽のための部屋があります。
ここではフリードリヒ大王本人もフルートを吹いたり、音楽を聴いたり、作曲までしましたΣ(゚д゚;)
フリードリヒ大王作曲のフルートソナタは百曲以上もあるそうで、私の母も伴奏で弾いたことがあるそうです。
この部屋には実際に大王が使っていたフルートと当時としては最新鋭の楽器フォルテピアノがあります。
ロココ趣味の華麗な宮殿でバッハの息子カールフィリップエマニュエル・バッハもここで働いていました。
J.Sバッハもフリードリヒ大王にはポツダムで会っていて、大王からもらったテーマを基に「音楽の捧げもの」を作りました。
ただ、作り終わって献呈した時には大王は戦争などで忙しくて、特に反応も弾いてみるなどもしなかったらしいです(゜д゜;) 現代から考えるとなんてもったいない、、、
私も以前ライプツィヒで弾いたことがありますが、とってもいい曲です。でもちょっとフルートパートは難しめかもそれが弾かれなかった原因かもしれませんね
デュッセルドルフで初コンサート
ドイツに越してきて初めて、地元デュッセルドルフでコンサートを行いました。
このコンサートは私が日本文化海外普及協会の親善大使に任ぜられてその重いお役目を背負ったコンサートです。
今回はドイツの方々に東北のすばらしさを知っていただこうと工夫をしました。
まず震災の時にユルゲン・ヴォルフが作曲してくれた「東北レクイエム」を演奏しました。
この曲には東北の海の美しさ、そして神秘的に感じられる緑の深さが表現されています。
二曲目には来月ライプツィヒのバッハフェストで演奏するバッハの無伴奏パルティータ2番全楽章を演奏しました。
この曲をドイツの西側で演奏するのは初めてです。
今までライプツィヒはじめ東ヨーロッパで演奏することが多かったです。
ヨーロッパではバッハのとらえ方が西と東ですごく違うのです。
東のバッハはやはりバッハの聖地ということもあって伝統が光る演奏法と思います。
しかし時々勘違いをされることがあるのですが、決して自由性がないということではないのです。
伝統の中にわくわくするような即興性、新しい発見などがある、という演奏法という気がします。
ここシューマンの街デュッセルドルフ、となりのベートーヴェンの生まれたボンなどでは解釈の幅も違ってくるようですし、パリまで行くとパリ風バッハが存在する気がします。
どれも芸術性に富み感動的です。
ここでやはり私は日本の伝統が演奏に現れるようです。
でもヨーロッパの演奏って日本で思われているように本場の本場でなくてはいけないという感覚がありません。
日本の繊細な美意識をもって今回演奏しました。(大好評でした)
又スペシャル曲として「会津磐梯山」のヴァイオリン編曲版を演奏しました。
昔会津に行ったときの思い出ですが、山の奥深くから神秘的な弦楽器の音が聞こえてくるように出だしのところが思えるのです。
今回会場にいらっしゃれなかった皆様、いつかこの曲聞いてくださいね。
6月13日バッハの聖地で行われるバッハフェストでの演奏も応援して下さいね。
前回ライプツィヒで私の演奏を聴いてくださった方がこの日いらして下さりました。
とてもうれしかったです。