著者の経歴。
1986年東大医学部を卒業
2008年まで国立がんセンター
2009年より三井記念病院呼吸器内科科長
「衆愚の病理」は裏表紙で本名と実名の経歴を晒しているので少し語り口が柔らかい。
「偽善の医療」は、里見清一というペンネームで書いているのでストレートに本心がでている。
第1章、患者さま撲滅運動。
2001年に厚生労働省(筆者は木っ端役人と言って憎んでいる)が「患者の呼称は様を基本とすべし」という通達を出したらしい。
これが気に入らない、病院で誰一人患者様を「様」だと思っている職員はいないと断言する。
同僚後輩がこの言葉を使うと厳しく注意するという。
以下は著書から何行か引用する。
((そもそも患者さまとはなんであるか。
病気になったときに人は偉くなるはずがないので「様」というのは、医療サービスの提供社である医療者が顧客である患者に対してお客様としてこの病院を選んでくださって(そして診療を受けて下さって)ありがとうという意味で使うことになる。
どうして「診察を受けて下さってありがとう」なのか?
医療行為で病気が良くなるのであれば当然利益は患者側にあるのでありがとうと言うのは患者側であろう。
これが人間社会の常識であると私は思う
もう一つ人間はおだてられるとつけあがるものである。
自分はそんなことはないとおっしゃる方はでは自分の周りに「優しくすればつけあがりやがって」と言う人が皆無であるかどうか考えてみたらよろしい。
もしそういう人間も1人もいないとのであれば、それはたぶん、あなたが人に優しくしたことがないからであろう。
いくら論理的に考えて、病気になった途端に「さま」はなかろうと思っても、繰り返しこうやられると、中には勘違いするものも出てくる。
自分はサービスを受ける消費者であるデパートやホテルの客と同じである。
ちゃんと医療費も払っている。
なのになんだこの扱いは。
デパートの売り場で、ホテルの受付で怒鳴っている客を見かけるのはしょっちゅうであろう。
同じ事は医療現場にも起こってると言う事は、今更私が言うほどのことではない。))
この勘違いぶりはどうだろう。
この人はボランティアでやってるわけでは無い。
治療の対価として患者からいくばくかの治療費をもらっているのである。
そしてそれで生計をたてている。
大半の患者は保険料を払うのも、その医療費を出すのも大変なのだ。
僅かばかりの年金から、年金前の中高年は夜勤もこなし手取り二十数万円の中から出しているのだ。
医者も患者も対等の関係であろう。
こんな事はビジネスでは常識である
サービスの提供者が偉いわけでもなく顧客が偉いわけでもない。
こんな調子で
第二章消えてなくなれセカンドオピニオンでは
著者が勤めているがんセンターにセカンドオピニオンに来る患者が気に入らないらしい。
違う意見を2つ提示されても迷うばかりで患者はどうしていいかわから迷ってしまうのでセカンドオピニオンなどせず元の主治医の言ったことを守っていればいいのだと言う。
ネズミの実験まで出して選択はストレスを生むと主張し途方にくれる患者を馬鹿にしている。
この治療法でよいのだろうか、これで助かるのだろうかという患者の不安、恐怖に少しも思いが及ばない。
要するにがんセンターのような大病院は混んでいるのでセカンドオピニオンなどというのはやりたくないと言い切る
こんな感じで末期医療や告知、癌闘病記などを批判している。
この医者に決定的に欠けているのは優しさである。
医者と患者とは同じステージの関係にあるわけではないのである。
患者は好き好んで病院に行っている訳ではない。
態度の悪い患者にも包み込む様な優しさが必要なのだ。
教師と生徒の関係の様なものなのだ。
優しさのない傲慢な医者は適性がないのだ。
厚生労働省も傲慢、不遜の医者が多く見られるのでこのような通達を出したと思われる。
この本を医者が読めば、なるほどと納得、共感するだろう。
しかし患者側からすれば上から目線で気分が悪くなる。
この筆者は独立開業してみたらどうだろう。
ペンネームの著書にも勤務施設名は匿名でも東京大学医学部卒業としっかり記載してあるので、その学歴がプライドの根源なのであろう。
その学歴と勤務経歴がどれだけの物か知るといい。
そんな考え方と態度は、自ずと患者にも伝わる。
開業医にとって評判と噂の怖さを知るだろう。
患者が押しかけ先生先生とチヤホヤされたのは、そのバックに国立がんセンターや三井記念病院のネームバリューや診断機器があるのであって裸の個人の魅力では無いのだ。
こんな勘違いは大企業に勤務するサラリーマンにも見られる事がある。
勉強(ペーパーテスト)は出来たであろうがこの程度の想像力と洞察力がないのは愚かなことだ。
その自慢の記憶力や判断力もAIの時代が目前に迫っている。
医者にもっとも必要なのは、暖かい心と患者に寄り添う優しさだ。