猿の惑星 キングダム | kazuのブログ

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昔、昔、チャールトンヘストン主演、監督フランクリンJシャフナーで公開された「猿の惑星」。公開されたのが1968年、私がこの作品を初めて観たのが公開から5年後の月曜ロードショー。まだ小学生やったなぁ。けどなんかよう覚えてます。核戦争だのなんだのって当時はようわからんかったけど、ヘストンのラストのセリフ

「おおー、何てことだ!人間なんて、人間なんて、みんなくだばっちまぇー!」

浜辺で埋まっているリバティ(自由の女神)を目の当たりにして叫ぶんです。私は最初ようわからんかったんですが別の星に辿りついたと思ったら地球やったわけです。この絶望感、あまりにもアンハッピーエンドのラストが衝撃的でした。

物語は宇宙船がある惑星に不時着するところから始まります。このファーストシーンの宇宙船の中のちょっとした出来事がミソ。宇宙飛行士はみんな冷凍睡眠のカプセルの中で眠っているわけですが中で一人だけカプセルが割れてしまって死んでしまった飛行士がいたんやけど老衰で干からびて死んでいるわけです。日時を現すメーターも潰れてしまっている。だから地球を出発してからどれだけ経ってるかわからん。そして不時着したその惑星は空気もあり、水、草木も...地球そっくり。だけどこの地球を支配しているのは人間ではなく猿(エイプス)だった。宇宙飛行士の一人、チャールトンヘストンが迷い込んだのは猿が人間を狩っている真っ最中。ここは一体...。

テレビで初めてこの作品が放映された時、時間も延長して、おまけに当時、絶賛された猿になるためのメイクアップを解説の荻昌弘さんが体験すると言う特別企画までありました。大々的に放映されたこの番組は当時の映画放映では最高視聴率を記録したそうです。あれから40年以上たって2011年に「猿の惑星 創世記ジェネシス」として「なぜ猿が地球を支配することになったのか」と言うシリーズが始まりました。一匹の異常に知能の高いチンパンジー、シーザーが飼い主の青年の言葉を理解するようになり、やがて会話ができるようになる。猿はエイプス(猿人)となり、人間の圧政からシーザーが立ち上がった。そして自らの命を犠牲にして人間から独立する。この前三作から数えて四作目、シーザーの死から何世紀もたった未来、エイプスが遂に人間を支配するようになったと言うのが本作です。あの「衝撃」はないけれどこの人類滅亡のストーリーはコロナ当時のウイルスも絡めて面白いって言うと不謹慎かな。

エイプスたちの神ともいうべきシーザーが死んでから何世紀もたった世界。今、3頭の若いチンパンンジー、ノア、アナヤ、そして雌のスーナは成人のための儀式を前に儀式に必要な鷲の卵を捕ろうと険しい崖を登っていた。彼らが生活しているチンパンジーのイーグル族は鷲を飼いならし漁をさせて静かに暮らす種族だった。彼らは卵を捕獲し村へ戻ったのだが、その夜、村に女のエコー(人間)が忍び込んでいるのと鉢合わせしたノアは驚いた拍子に卵を割ってしまう。真夜中、アナヤとスーナが止めるのも聞かずもう一度卵を捕りに崖へ向かう。だが、その途中、武装したゴリラの種族の軍隊に出くわす。思わず森に隠れたのだが別の種族の村を全滅させた彼らはどうやらイーグル族の村を狙っているようだ。ノアは急いで彼らの後を追ったが時すでに遅し、村は焼かれ、父は殺され、母や友人たちは連行された。必死で抵抗するも彼の意識は遠のいていく...。

翌朝、目覚めたノアは死んだ父に母や仲間を連れ戻すことを誓い、ゴリラたちの後を追った。途中、彼はオランウータンのラカと出会った。ラカの部族もゴリラたちの軍隊に全滅させられたのだ。二人は共に旅を共にすることになる。ノアは博識なラカから今まで父や長老から教えられた歴史や価値観、エコーに対する認識などことごとく違うことを知る。道中、二人はエコーの若い女と出くわしともに行くことになった。しかしノアはその若い女メイが言葉を話し、高い知識を持っていることを知り驚愕する。人間は知能も低く、口もきけない動物だったと思っていたからである。

三人は一団に追いついたがゴリラたちの狩りの真っ只中、ラカは川に流されノアとメイはゴリラたちの軍隊に捕縛される。そして二人が連行された先は自らをプロキシマス・シーザーと名乗る暴君が治める帝国(キングタム)だったのである。

 

1968年当時は冷戦真っ只中の世界情勢でした。だから核戦争後の地球が舞台となりラストのヘストンの絶叫となるわけです。この雄叫びだけ聞くとチャールトンヘストンと平和主義、反体制派と思うのでありますが、実のところ彼はゴリゴリのタカ派、かの全米ライフル協会の会長なんかもやってました。この映画だけを観るとそうは思えんのでね、昔からずーっと引っかかってました。まあそれはともかくとして1968年当時は冷戦、そして核兵器が世界情勢の話題の中心でした。そして今はウイルス...映画は世相を反映します。けど何十年経とうと一貫して映画が訴えるのは人間の愚かさ、阿保さです。

ノアが最後にメイに言いますね、「お前たち人間は変わらない。物を作り、すべてを破壊する」。

高い知識を誇り、文明を築く。そしてそれを事も無げに破壊する。人間自らがその姿を描く。なんとも50数年たった今でも

変わらないと言うのはなあ...。

特殊メイクキャップの時代から特殊映像技術の時代へ。これだけは革新の進歩があります。凄いです。エイプスたちは人間のように話し、人間のように動く。だが運動能力は人間の身体能力を遥かに超える。知能と行動力、そしてそれを統率する者さえいれば猿がエイプスとなり地球上を支配する。そんな時代が来ても不思議ではない。だが結局は人間と同じ、暴力で弱きものを支配し、すべてを破壊する。権力、暴力、それを手にしたものはやはり人類の世界でもエイプスでも破滅へと導く。権力、暴力を凌駕し平和を導くものとは一体何か。これは永遠のテーマです。この欄でもしょっちゅう書いているように我が国の周りには権力、暴力を思いのままにする指導者が顔を連ねています。ほんまに「阿保の惑星」ですな。