それぞれが画面上のプレーヤーの設定をする。名前を決め、顔形、めがね、ヘアースタイル、とみんな自分に似せているのがおかしい。 サイノスケなんか、ご丁寧にそばかすまである。 子供たちが、私のニッキーを作ってくれた。 私が自分だけで使う名前、誰もそう呼ぶわけではない。 本名はいちいちつづりを言わないと、それも何度も言わされると面倒なので、たとえばテイクアウトのオーダーなどでは、私は、ニッキーです、というのだ。 

画面に3人の子供と並ぶと、私のニッキーはコビトかというくらい背が低い。 ずんぐりむっくりというのがぴったりの体型だ。 目ははっきりとアーモンドだし、口はいかにも文句を言っているようにゆがんでいる。 ここまで、リアリズムに徹しなくても。

実際にはしたことがないし、興味もないのがゴルフ。 ブルジョワのお遊びみたいで。 でもWiiでやってみると、変に面白くて、はまりそうである。 パー、ボーギー、などと叫んでいる。 

リュウザエモンが寒い朝2時間店の外に並んで手に入れたニンテンドーの新システムWii。 感謝祭のお休みで上の二人も帰ってきた。 晩御飯も終わって、一緒にテニスのゲームをやろうと誘われた。 4人でダブルス。 リモートをラケットのように振るとその通りに画面に動きが出る。 サーブというと、つい左手で、ボールを投げ上げる格好、そして、打つ。 左手の動きは関係ないんだといわれても、やってしまう。 ボールの動きを見て、あっちやこっちへ走り、もうちょっとでスクリーンにぶつかりそうになって、ずっこけ、ひざを突いてしまう。 画面の自分と完全に一体化している。 ツレアイはあきれながら見学。


リモートをもっているうでの動きだけでいいんだといわれても、だめである。 20分もしたら、汗が出て、右腕が痛くなってきた。 ビデオゲームのテニスで腕を痛めましたというのでは笑い話にもならない。


しばらく休んだら、今度はボクシングをやってみよう。

風水というのはいったいなんだろう。迷信と言ってしまうには複雑みたいだし、科学というにはちょっと根拠が。 気の通りを良くするといいといわれても、気っていったいどこにあって、どうしたら見えるの。 太極拳のときには、先生がこうして、気(英語ではチといいます)を体の中に通します、とか言われてそのつもりになっている。 丹田にいつも気はあって、それを思うように動かすのだ。 


トイレにカレンダーは置かないほうがいいとか、財布は黄色だと金運がいいといわれてもね。 いまさら、直せないほど、生活の一部になっているものはあるし、玄関を開けてまっすぐのところに鏡があると、運を跳ね返してしまうといわれれば、じゃ、横にもってこようとするくらい。 英語の風水の本もたくさん出ていて、その専門のコンサルタントもいるようだ。 


なんだか良くわからないけど、台所の流し、水周りをいつもきれいにしていると運気が高まるとか、それくらいはしてみようか。と、怠惰な主婦の開き直り。 



ここカンサスでは日本の流行からは約10年は遅れているだろうけど、初めて、"香ばし十五穀、十五種類の穀物と豆のうまみがぎっしりつまった発芽玄米入り穀物ごはんの素”というのを買ってみた。 黒ゴマ、白ゴマ、小豆、大麦、とうもろこし、くらいは訳せたが、もちあわ、もちきび、アマランサス、になると、英語でなんと言うのかお手上げである。 とにかくこれを普通のごはんと一緒に炊くと体にいいのだと家人に説明する。 小袋6袋入っていて、7ドル49セント。 ひとつの袋を約3合のご飯に混ぜる。 ”出来上がった穀物ごはんにカレーをかけてもおいしく召し上がれます。” と書いてある。  


なら、カレーを作らなくては。 ハウスのカレールーを使い、普通にカレーを作る。 お肉はとりのモモ。 たまねぎとキャベツ、ニンジンとブロッコリー。 あと、しょうがをいれ、蜂蜜をたらし、だんだんエスカレートしてくる。 最後にはパセリとシラントロを刻んでいれて、出来上がり。 にんにくの芽のキムチと一緒に食べる。 いやーうまいうまい。極楽です。



アメリカではみんな結構仕事を変わる。地理的にだけでなく、給料のいいほうにうつることはしょっちゅう、内容的にも違う仕事に変わったりもする。 私もロースクールを卒業して仕事を初めてから、17年目にしてもう4つ目の仕事場である。今のところ、変わるたびに給料は上がったし、その時ごとに変わりたい理由もあったわけだ。 同じ仕事場で30年勤務とかは珍しい。 それがいけないこととは言われないが、あまり自慢できることでもない。 他に行くところがなかったのね、といわれる。


私は図書館の司書の資格もあるので、それを使って仕事をしてみたいなと昨今思う。 弁護士と比べるとどうしてもお給料は減るだろうし、これから物入りだから、収入カットは家計簿にきつい。 でもやりたいことをしないでどうする、一度しかない人生、あと仕事できるのは20年ないだろうし、と自分の歳を改めて思う。


稼ぐ必要がなければ、夢はやっぱりヨガのインストラクター。 だがどう見ても無理な話。

地元の州大学の大学院に通う外国人学生の数がやっと2001以前より増えたとのニュース。 9・11のあと、特にアラブ系の外国人学生が大幅に減っていたのだ。 大学側の話によると、こういう外国人学生がいないと、リサーチなど科学系の分野では立ち行かないとか。 いかにアメリカ人学生が科学離れしているかをあらわしている。 リュウザエモンの行っている公立の高校では数学、化学の先生が見つからず、インドやパキスタンからリクルートしてくるのだ。 それで先生の英語が生徒にわからないと問題になったり。 先生のお給料や地位を上げて、他の仕事より魅力的にして先生のなり手を増やすほうが先だろうに。 


クマゴローの彼女は微生物学の博士課程にいる。 サメにとりつく寄生虫の研究に春休みにはミシシッピに行ったりしていた。 寄生虫よりやっぱり面白いのはバクテリアだろう、とはクマゴロー。 英文学専攻の私にとっては、異次元の世界。

土曜にはクマゴローに会いに行くことに前から予定していた。 前日電話がかかってきて、何時ごろ帰るかときいてくる。 ん? どうやら、女友達が遊びに来ることになったらしく、私が帰ったあとに会いに来るらしい。 3時半くらいには、といっておいた。 お昼ごはんを一緒に食べて、食料品を買出しに行って3時半。 クマゴローにバイバイ。 それからアジアンの食料品店で私1人、買出し。 帰りの道中にサイノスケのいる町があるので、途中で電話して、時間があるかどうか、もう5時半くらいにはなるから、一緒に夕食でもどうというと、今、彼女と一緒にいるんだという。 当然の成り行きで、彼女も一緒に3人でベトナム料理店へ。 彼女がトイレに行ってる間にお小遣いをやり、勉強ちゃんとやるのよといい、それからサイノスケにバイバイ。


退け時をわきまえる、けなげな母でありました。

久しぶりにクマゴローに会いに行った。今回はとりのモモ肉のチーズ焼き、ポークヘレの胡椒のローストとジャガイモをもっていった。 買い物に行くと、ちゃんとリストをもってくる子。 りんご、バナナ、簡単で体にいいものを食べるようにしているんだとか。 ふーん。 石鹸は殺菌作用のあるのは体には使わないという。 自分の体のバクテリアは敵ではないから、殺さない方がいいんだって。 ふーん。 トイレットペーパーをまた買ってる。 まだあったよというと、もしなくなってしまったらと心配するのはいやだから、買い物に来るたびに買っておくんだという。 だからトイレの流しの下にロールが10個くらいあるんだ。 ふーん。


そのトイレで読んでいるらしい本。 ”いざという時役に立つ本” たとえば、ドアの破り方、毒蜂におわれた時の逃げ方、水に落ちた車からの出方、などなど。 面白いけど、いったいいつ役に立てるつもり? クマゴローの一番のお気に入りは、タクシーの中で出産する方法だって。


クラスメートたちと、血液の採取の仕方、点滴のチューブの入れ方を今練習しているとか、結構うまいんだという、まだ2回ずつしかしてないくせに。 両腕の針のあとを見せてくれた。 ふーん。 

今日のローカル新聞によると、今月に入って鹿と車の交通事故がこの郡で18件、一日に2件の割合である。 11月が一番多いらしい。 それでドライバーに注意項目。

1.鹿のサインがあるハイウエーの辺りでは、鹿の有り無しを良く見る。 一頭いればほかにもいるものと気を配る。 

2.道端に鹿を見かけたら、安全な範囲でスピードを落とす。 驚いた鹿はパニックになると道に走りこむことが多いので。 

3.鹿がよけられなくてぶつかってしまうと思ったら、無理によけようとせずぶつかる。 ハンドルを切って誤って、ほかの車に衝突したり、道から外れて木にぶつかったりしたほうが、人身事故はひどくなる。

4.鹿を轢いてしまったら、 安全なところに車をとめて、ケイタイがあれば、それで、ハイウェーパトロールに連絡(鹿専用の番号あり)。 絶対死んでいるという確信がなければ、鹿の死体を動かそうとしてはいけない。


轢かれて死んだ鹿はいったいどうなるのかはよく知らない。 中華料理店の厨房の床の上で、鹿をさばいているのが見つかり、営業停止になった話が数年前あり。 私は鶏だって、丸のママは面倒だとたまにしか買わないし、鹿なんてどうやってさばくのか見当もつかない。 個人的には鹿はソーセージになってしまったのが一番好きである。

おばの絵がウェブサイトで見られると妹がメールで教えてくれた。 コンクールで佳作入選したらしい。 アマルベ鉄橋の風景水彩画である。 海、山、鉄橋と丁寧にきちんと暖かい筆遣いで描いてある。 以前は手書きの花などを着物地や、クッション、シャツなどに描いていたのは知っていた。 人柄の出ている絵だとほのぼの思った。 母は長女で下に妹が2人弟が2人。母は厳しくて煙たく思ったこともあったけど、おばたちは私にはいつもやさしくて子供のころは(今でも)甘えさせてもらった。 私がまだ小学生のころ祖父が転勤して勤めていたのがその地の漁業高校だったので、夏休みに遊びに行った。 サザエのつぼ焼き、ゆれて怖かった観覧船、それとアマルベの赤い鉄橋。 懐かしく思い出した。


母も旅行には小さなスケッチブックと色鉛筆のセットを持っていき、宿から見た風景など記念だといいながら描いている。 さすがに姉妹、なんとなくタッチが似ている。 姪に言わせると、私と妹たちの文章が似ていると言うのと同じか。