ONCE IN A LIFETIME -24ページ目

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

PS5は55インチの有機ELに接続し、PS4ProとPS4はそれぞれ別々のゲーミングモニターに繋いでいたのであるが、あまりにも後者ばかり使いPS5は宝の持ち腐れ状態になっていたため、それはあまりにも勿体なさすぎる、と言う訳でPS5を現在ほぼメインに使用しているBenQのEL2870Uに接続し、メイン機種とした。

 

このBenQのEL2870Uは、4年前に発売されたゲーミングモニターだけあってOSDや操作性に古さは否めないものの、TNパネルながら画面は非常に美しく、応答速度も早く入力遅延も皆無、そして価格も現在では3万円台中盤というリーズナブルさもあり、コンソール用の4Kディスプレイとしてはまだまだ一線級のゲーミングモニターである。

 

もちろん、その価格帯だけあって60Hzまでしか出力出来ないのであるが、いくらPS5が120Hz対応ではあってもそれを活かせるゲームは多くはなく、FPSガチ勢でもなければ60Hzでも十分滑らかなため、私的にはまだまだ十分である。まあ、さすがにYouTubeなどを見る際にはIPSが欲しいな、と思わなくもないが、ゲームメインである以上やはり最も重要なのは応答速度であるため、特にシューティングゲームを好む私としては妥協は出来ないのだ。

 

さて、これで遂に宝の持ち腐れが終了、ようやくPS5がメイン機となった訳であるが、大抵のゲームはPS4とは言え、それでもやはりさすがにPS5だな、と唸らざるを得なかったものだ。一部のゲームが60FPSで動くというのは一番のメリットであり、例えばFFXVなどは軽量モードにすると60FPSでさくさく動いてくれる。さらに、このゲームに関してはHDRが非常に効果的に働いてくれるため、TNとは思えないほどの映像美を堪能出来るものだ。

 

それ以外に関して言えば、やはりUIのスムーズさだ。XboxOneと比べて、PS4の時点でUIはさくさく動いてくれるのだが、それでもダウンロードやゲーム起動時の速さなどはPS5が圧倒的である。私はDLでしか買わないので、PS4でDLを繰り返す時などはもたつきが気になって仕方がなかったのであるが、それがPS5だと大分スピーディになるものだ。

 

そして、私は昨年リリースされたVictrixのヘッドセットを使用しているのであるが、これも同じPS4ゲームであっても、PS5に接続時の方が音が良く聴こえるような気がする。これは科学的な検証が出来ないので、ひょっとしたらプラシーボに過ぎないかも知れないが、それでもPS4接続時よりもダイナミックに感じたのは確かである。

 

なので、もうこれだけでPS5しかない、という感じなのであるが、デメリットもある。これはネットでも散見されているが、スタンバイ時からの復帰が不安定な事がままあるのだ。PS4だと電源周りのトラブルが皆無だったので、入手しづらい事もありPS5で復帰出来ない時があると冷や汗ものだ。

 

そして、当然PS4ゲームは全て外付けHDDに入れているのであるが、最大容量の8TBを使用しているせいもあるせいか、HDDの認識に時間がかかる事がままある。設定でストレージを選択しても中身が見れない事もままあるのだが、その場合は本体SSDの一覧を選択し、それが見れるまで待てばHDDも認識はしてくれるのであるが、それに気付くまでは焦ったものである。

 

そういうデリケートさがあるため、ほとんどPS4のゲームしかしないのであればPS4かPS4Proのままでもいいかも知れない。実際、私はPS5の故障を恐れたため、PS4Proを使い続けたという理由がある。ただ、やはりPS5の快適さを一度味わったら戻りたくないとは思うし、重いゲームで知られる「サイバーパンク2077」のPS4版も、PS5で走らせればPS5と変わらないぐらいサクサク60FPSで動いてくれるので、やはりPS5がもっと出荷してくれる事を祈るばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして年が明けた2000年1月、当時私は何故かSS版のナイトストライカーSがどうしても欲しく、地元をしらみつぶしに探していたのであるがどうしても見つける事が出来なかった。と言う訳で、最終手段とも言える秋葉原へと久々に赴いたのであるが、そこでも売っておらず、その帰りにかのトライアミューズメントタワーに初めて赴いて行った。

 

当時は上階にグラディウスコーナーというものがあり、ほぼ全作品並んでいたのであるが、初代グラディウスを2周ほどプレイした後、グラディウスIIIを久々にプレイしていった。それまで、新宿や渋谷のゲームセンターで見かけた事はあるものの、すでにクリアなどは諦めていたので、プレイする事はなかった。という訳で、記憶にある限り8年ぶりぐらいのプレイであったかと思う。

 

1周クリアを考えた場合は、E装備でノーマルミサイルとバーティカル、そしてリップルを選んでいくのがいいのであるが、最終面では最強とは言えそれ以外では火力の弱さが響き、2面や5面では苦戦を強いられる事が多かったので、この時は好きなD装備を選択して行った。ツインレーザーは7面の火山が天敵なので、そこが壁となるのだがとてもそこまでいけるはずがない、と思っていたので、そこまで考えもしていなかったのである。

 

しかし、あれよあれよという間にクリアしていき、当時の最高だった6面もあっさりクリア。さすがに7面は難しいと思いきやここもクリアし、攻略法さえ知っていれば楽勝な8面もクリア、そして遂に9面のキューブまで到達してしまったのである。当然、初挑戦のキューブ、かつ復活パターンも知る由もないとすると初見でクリアする事など不可能なだけに、そこでゲームオーバーとなってしまったのであるが、まさか8年ぶりのプレイでそこまで到達出来るとは思わなかっただけに、この時はかなりエキサイトしたものである。

 

当然、ここまで行けた要因は、ビデオで攻略を覚えていたからに尽きるが、要は攻略法さえ暗記しておけばクリア出来るというグラIIIのゲーム性がまさにここで証明されたという事である。まあ、さすがにグラIII目当てでここまで来る訳にもいかなかったので、またしばらくプレイする事はなかったのであるが、これは今なお鮮明に覚えているぐらい印象深い思い出だ。

 

そして、世間はPS2の発売で大盛り上がりだった2000年上半期、久々に地元のペンギンハウスへ寄ってみたところ、なんとグラIIIが設置してあった。もちろんプレイしたのであるが、さすがにそうそう上手くは進めなかったため、ここで1周する事は出来なかった。これをきっかけに、久々に本厚木のゲームプラザなどにも足を運んでみたりしたのだが、全盛期の賑わいはどこへやら、恐ろしいほどにガラガラだった。話は前後するが、ゲーメストの廃刊を知った地元のクイーンエイトに寄った時もガラガラだったため、その辺りからゲーセンの凋落を目に見えて実感していったものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1999年の秋頃、たまたま地元の「クイーンエイト」に寄った際、コミュニケーションノートに目を通したのであるが、その時に初めてゲーメストの新声社が倒産した事を知った。当時、ほとんどゲーム雑誌には目を通していなかったし、ゲーメスト自体もあの10周年記念号以来全く読んでいなかったので、それを読むまで全く知る由もなかったのであるが、さすがに青春時代のバイブルだっただけあってショックを受けたものである。

 

その頃、ある用事で小田急線の鶴間駅に寄った際、そのついでに久々に「オレンジハウス」へ寄ってみた。その時点ではまだ割と盛況であったのだが、当時新作だった「ストライカーズ1999」をX-36で1周クリアしている人のプレイを見る事が出来たので、私もその影響で結構プレイしたものである。

 

ただ、さすがに「戦国エース」以降、まともに彩京シューティングをプレイしていなかった事もあって、その1999はとても難しく感じたものである。そして、あの「レイディアントシルバーガン」の筐体も置いてあった事も覚えている。1998年夏にSS版が発売された際、かのセガサターンマガジンが狂信的とも言えるプッシュをしていたので、もちろんその名前は知っていたが、みた感じ複雑そうだったのでプレイする事はなかった。

 

結局、プレイしたのはその1999ぐらいだったかと思うが、まだ隠し機体の出し方も知らなかったので、ほとんど先へ進めなかったかと思う。そして、何より当時大流行していたのはDDRこと「ダンスダンスレボリューション」だ。代表曲とも言えるSmile.DKの「Butterfly」がとにかく印象的な初代であったが、アーケードでは恥ずかしさもあってプレイしなかったので、実際に始めたのは数年後に家庭用を買ってからの事である。

 

そして12月、あるコンビニでたまたま新たなアーケードゲームの創刊号を目にした。「アルカディア」と名付けられたその雑誌は、一眼見てゲーメストの後継雑誌だとわかるものだった。もうアーケードゲーマーではなかったとは言え、さすがに創刊号ともなれば買わずにはいられなかったものである。そしてちょうど「ストライカーズ1999」の攻略なども載っていたので、それを参考にしていったがさすがに1周は出来なかった。

 

雑誌の内容であったが、さすがにファミ通と同様の大手「エンターブレイン」出版だけあって、誤植も少なく、ゲーメストと比べるとかなり洗練された印象を受けた。レトロゲーセンも度々紹介されており、ミカド以前の聖地と言えた「トライアミューズメントタワー」の存在もそれで知ったものである。そして、アーケードゲームエミュレータ、略してAGEとしてMAMEに代表されるエミュレータの存在も初めて知ったのだが、まだPC購入前の私としてはそれがなんの事やら意味不明だったものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

前にも触れたよう、1996年という年はゲーム業界が非常に活況を呈していた。その中で新たな注目を浴びたのは、前年末のナムコミュージアムから端を発したレトロゲームの復刻ブームである。アーケードと家庭用のクオリティの圧倒的な差により、1990年代前半までアーケードゲームの完全移植は不可能と思われていた。

 

実際に不可能であったのだが、PS・SSの発売によりその差が一気に縮まる事になり、過去のレトロゲームの移植であれば容易に出来るようになったのだ。この時代はまだエミュレータではなく手移植であったので、実際は本当にそのままとはいかなかったのであるが、それでも過去の家庭用移植と比べると圧倒的にアーケードに近かったため、かつてのレトロゲーマーたちは狂喜したものである。

 

しかし、当然私などはそれで満足しきってしまったため、アーケードとはさらに遠くなっていった。よってここから数年ほどゲーセンからは足が遠のき、再び足を運んだのは1999年の夏ぐらいになってからだったと思う。この頃、かつてグラディウスIIIにハマった小田急相模原前の「ペンギンハウス」にレトロゲーム中心の別館が出来ており、そこにはパロディウスだ!も含まれていた。

 

最後にプレイしたのは、小田急線伊勢原駅のそばにあったゲーセンだったかと思うが、この時点でまだワンコイン1周は達成出来ていなかった。実際に1周だけ目指すのであれば、5面ボスで残機を2、3機潰していくのがセオリーなのだが、ビデオの影響かあくまでワンコインクリアに拘ってしまった私は10面が最高だったのだ。

 

そこで、おおよそ7年ぶりのプレイとなった1999年の夏は、最初からそのセオリー通りにプレイしていく事に決め、遂にツインビーでワンコインクリア出来たのだ。初プレイから実に8年3ヶ月ほど過ぎた頃だっただけに、喜びもひとしおだったものである。その後、ビックバイパーとタコでも1周を達成し、あれほど苦労していたワンコイン1周が実にたやすいものとなっていった。

 

そして、その近くのコンピューターランドにも寄った際、なんとドルアーガの塔が設置してあった。私は長らくファミコン版しかプレイした事がなかったので、アーケード準拠の移植はPS版までプレイした事がなかったのである。そのPS版は5人設定ながらワンコインクリアは出来たのであるが、さすがにブランクもあったためアーケード版はそこまではいかなかった。このゲームは、後半よりも前半面の方が忍耐を強いられるので、時間的に余裕がないとなかなかプレイする気は起きなかったものだ。

 

さらに、そこで印象的だったのは、数年前と比べて明らかにゲーセンが空いていた事である。もちろん、理由としてはそれまでのゲーセンの主役であった格ゲーが衰退していった事が挙げられるが、それ以上にやはり自分と同じく家庭用で満足してしまった人たちが多かったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沙羅曼蛇2以外に覚えていたゲームと言えば「ストリートファイターZERO」などがあったが、これは町田のYOU2で一回だけプレイした限りだった。ゲーム自体の発表からはすでに1年ほど過ぎていた頃であり、「ヴァンパイア」を踏襲したアニメ調のグラフィックである事もすでに知っていたが、ストZEROならではの面白さがあまり感じる事が出来なかったため、前述のようにそれっきりで終わってしまった。

 

それでもたまにゲーセンには足を運んではいたのだが、そんな時地元のゲーセンにおいて意外なゲームを目にする事が出来た。それはあの「ストライダー飛竜」である。一部に根強いファンを持つゲームであったが、肝心のインカムは今ひとつであり、私がゲーマーになった1991年春の当時でほぼ見かける事のない幻のゲームと化していた。そして、CPSの場合は、古いゲームをカプコンに送り、新作にROM交換させられるというのが基本であったため、世の中に出回っている基板そのものもすでに希少であったのである。

 

と言う訳で、この時点で私はアーケード版を見た事がなく、忠実移植のメガドライブ版をプレイしたのみだった。そのMD版はアーケード版にかなり忠実な上、欠落していた一部BGMが修正されていたりとかなりの良移植ではあったのだが、当然完全ではないし、もちろんあの有名な音声も未収録であったので、いつしか本物をプレイしていたいと思っていた。

 

しかし、都内の有名なレトロゲームゲーセンでも見た事はなかったし、さすがにプレイするのは諦めていたのであるが、それだけにまさか地元にあるとは予想だにしなかったものだった。ただ、さすがにその時点でワンコインクリアを目指そうとも思っておらず、モチベーションもなかったので1度プレイしたぐらいだったかとは思うが、それでも本物を見れた事は貴重だった。

 

そして時は降って1996年9月、「極上パロディウス」のSS版の出来が良い事を知った私は、ようやくSSを購入した。すでに白サターンメインであったが、初期モデルの方がカッコ良いと思っていたので、あえて中古でそちらを買った。ちょうどHORIのファイティングスティックも売っていたので、一緒に買って行き、ソフトももちろんその極パロと、そしてSSの代表作である「バーチャファイター2」であった。

 

つまり、私がバーチャ2をまともにプレイしたのは、実はSS版が初めてだったのである。当時のスペックでは当然モデル2の完全移植などは不可能であったので、オリジナルからは大分簡略化されていたりするのであるが、幸か不幸かアーケード版を知らない私はSS版でも大満足の出来であった。と言う訳で、後日ようやくアーケード版をプレイしたのであるが、ここでようやくモデル2との圧倒的な違いを目の当たりにする事となったので、いくら次世代機でも移植が不可能な基板はあるのか、と実感したものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

実際、そのゲーメストはさわりぐらいしか読んではいなかったのであるが、それから時を経ずして相模大野のゲーセンにて沙羅曼蛇2をプレイする事が出来た。しかし、その時はあっさりと2面で終わってしまったのと、さらにゲーム的なインパクトも薄かったため、あまり印象には残らなかったのであるが、後日町田のいこいに通った際、大画面の沙羅曼蛇2が置いてあったので、2回目をプレイして行った。

 

こちらは1回目とは対照的に、緊張感を持ってプレイしたのが良かったせいか、あっさりと1周目の最終ボスまで辿り着く事が出来た。気がついたらギャラリーに囲まれていたので、そのプレッシャーに負けて2回目のプレイで1周こそ逃したものの、そんなアーケードならではの魅力に快感を覚えた私はちょくちょくではあるもののゲーセンに再び通うようになった。

 

また、「ナムコミュージアム」の成功をきっかけに、家庭用でレトロゲームが続々発売されて行ったのもきっかけとなった。もちろん、決め手となったのはやはり「グラディウス・デラックスパック」である。初代PS本体を購入したのをきっかけに、家庭用に関しては再度ゲームに目覚めて行った。4月頃にFFVIIの発売がPSで報じられ、また「鉄拳2」や「バイオハザード」などのミリオンヒットをきっかけとして、PSが徐々にシェアを広げて行った頃ではあるものの、SSもまだ元気であり、そういう意味でこの1996年という年は非常に家庭用が盛り上がっていた年ではなかったかと思う。

 

しかし、その反面、家庭用でも3D以外のゲームはほぼ完全移植が可能となった事からも、次第にゲーセンに行く存在意義が失われていった時代でもあった。まだ対戦という切り札があったし、以前ゲーセンではバーチャ2が盛り上がっており、さらにはそのSS版の出来がアーケード版には全く及ばなかった事もあって、まだ客足自体は遠のいてはいなかったものの、個人的にはもう家庭用でもお腹いっぱいと言う感じだった。

 

そして、4月には遂にゲーメストが創刊10周年を迎えた。3周年記念号の表紙において「よくぞ持ちました‼︎」というフレーズが飾った事からも、どれほど当時の経営状態が厳しかったかを伺わせていたものだが、3年どころか遂に10年である。今であれば10年ひと昔とは言え、当時の私の感覚で言えば10年と言えばかなりの月日だ。本当によく持ったものである。

 

と言う訳で、さすがに元読者の私もその号だけは買ったものである。実に1年半ぶりのゲーメストであったのだが、当然中身は大幅に変わっており、正直覚えているのは記念の付録ぐらいである。これには年表も載っていたのだが、ゲーム以外の事は何故かアニメの事がやたらと多く、アーケードゲーマーとアニメファンには親和性は薄いと思っていた私には違和感を覚えたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

バーチャファイターも垂直ジャンプが異様に高かったり、空中コンボが決まりすぎたりと現実離れしている部分もかなりあるとはいえ、それでも実際の格闘技をモチーフとしているのとそのゲーム性から、それまでの2D格ゲーよりかはかなり現実のものに近かった。ただ、それが個人的にはネックであり、「ゲームで強くても…」という意識が初めて芽生えてしまったのである。

 

それまでの格ゲーであれば、現実でどんなに鍛錬しようが波動拳もパワーウェイブも撃てっこない、つまりどこまで行っても非現実であると割り切れたが故にハマっていったのであるが、バーチャは前述のようにリアルに近すぎたが故に、私としてはそこで強くなる意味を見出せなかったのだ。

 

そして、初代バーチャファイターが発売された時期は、奇遇にもパンクラスの旗揚げ、そしてアメリカではなんといってもUFC第1回大会が開催されたのとほぼ重なる。つまり、世の中的に現在のMMAの源流とも言える流れが生まれ始めてきた頃でもあったのだ。当然、それまでプロレスやUWFしか知らなかった私も大きな衝撃を受け、その影響をモロに被り始めた頃でもあった。

 

まあそんな訳で、ゲーメストの購読をやめた事も重なり、ゲーセン熱は急激に冷めて行った。とは行ってもゲーセンに行く事自体はやめてはいなかったのであるが、それでも極パロをプレイする程度であり新規でゲームを始める事はなかったかと思う。ちょうどこの頃、拠点としていた小田急相模原のコンピュータランドが大幅改装し、2階が加わり一気にスペースも広くなり、ゲーマーとしては理想的なゲーセンが開店してくれたのであるが、皮肉なことに私のゲーセン熱は冷めつつあった。

 

そして、バーチャファイター2はストII以来の大ヒットを記録し、その盛り上がりぶりにテレ朝深夜の「トゥナイト2」などでも頻繁に取り上げられるほどの熱狂ぶりだった。ハイスコアラーという概念はインベーダーの時代から存在はしていたが、「鉄人」という形で著名プレイヤーが一般メディアの取材を受けるというのは歴史上でも初めてではなかったかと思う。これはストIIの時代ですらなかった事だった。とは言っても、決してバーチャの枠からはみ出す事はなかったので、実際にプロゲーマーという呼称を一般化させたのはやはりウメハラ氏の功績なのであるが。

 

ただ、その頃の私はアーケードはもちろん、家庭用すら無関心であり、ゲーム雑誌すら読まなくなっていった。一応、当時広まり始めたブックオフなどに行った際、SFCのゲームなどを買う事はあったにせよ、所詮その程度のものだった。

 

それが変わり始めたのは、時はずっと降った1996年、当時まだコンビニでも売っていたゲーメストを偶然見た際、表紙に「沙羅曼蛇2」の文字を見つけたからである。「沙羅曼蛇はグラディウスシリーズの第2弾」という括りなので、2を冠したゲームが出る事への違和感は拭えなかったものの、ともかくそれにより久々にゲーメストを手にしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのように、極パロのSP面でギャラリーを前にしてプレイするのが快感だったので、その頃はほとんどそれしかプレイしていなかったように思う。同時期に「雷電II」も発売されていたが、こちらは前作以上の難易度であり、前作すら4面ほどしか行けなかった私としてはとても歯が立たなかった。なので、まともにプレイしたのはPS版が出てからであるが、それでも3面ぐらいまでがやっとだった気がする。

 

そして夏休みが終わる頃、SNKからそれまでの格ゲーの総決算とも言える「ザ・キングオブファイターズ94」が発売される。餓狼や龍虎と比べると劇画調のグラフィックであり、かなり目を見張るものがあったのだが、CPUがやはり強いせいもあって私はやり込む事はなかった。そして9月、とうとうモデル2を使用したバーチャファイター2が発表される。前作よりも劇的な進化を遂げたそのグラフィックに、ゲーメストの一報を見ただけで目を丸くしたものだった。

 

同じ頃、ダライアス外伝なども発表されたのであるが、なんとその頃私は突如としてゲーメストを買うのをやめてしまった。それでもゲーセンに行くのを完全にやめた訳ではなかったのであるが、ゲーメストに目を通す事は皆無となった。理由としては、月2回刊になって負担が大きくなって行った事、格ゲー以降読者層が入れ替わった事もあって、ゲーメストアイランドが面白くなくなった事、などが重なったからかも知れない。

 

その「ダライアス外伝」は、私がゲーマーになってから初のアーケードのダライアスの新作だった。今なお名作の誉れ高い作品であるが、連射装置がないとかなり厳しいゲームであるため、普通のゲーセンでプレイするのは容易ではなかった。のち、SSにてほぼ完全移植されファンの度肝を抜いたが、前述の理由によりもっぱら私がやり込んだのはSS版以降の事だった。

 

そして同時期、ゲーメストから初のシューティングビデオである「極上パロディウス」が発売された。この頃のゲーメストビデオはすでに一般流通していたのだが、CD屋ではなく近所の本屋で取り寄せて買う事が出来た。内容は非常にレベルが高く、こいつによるノーミスクリアと、全キャラによるSP面クリアである。当時はまだSP面後半の渦巻き地帯での紫ベルパターン以前のものなので、スコア的には甘いのかも知れないが、久々に見るA級シューターのプレイはまさに芸術の一言だった。

 

そして11月、遂にバーチャファイター2がゲーセンで稼働し始める。当然、発売と同時に大ヒットを記録し、その後2年近くに渡り大ブームを巻き起こしていくのだが、実は私は見向きもしなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月、そのAOUショー最大の話題作である「ストIIX」と、「極パロ」がほぼ同時期に発売された。正確には前者の方が少し早くリリースされているのだが、私のアーケード初プレイの時期はほぼ同じである。ただ、さすがに初代ストIIが発売されて3年、いかに進化しようと根本的なシステムは変わらない訳であり、さすがにもう飽きが生じてきたのは確かである。

 

さらに、前作スーパーは初プレイでもワンコインクリア出来るほどぐらいにCPUが弱いのであるが、このXは2人目ぐらいからかなり強く、特にディージェイや本田が凶悪な強さであり、すぐに嫌気がさしてプレイするのをやめてしまった。その後何ヶ月かして、四天王のどこかまでは行ったが結局今でもワンコインクリアは出来てはいない。

 

そんな事情もあり、対戦がどこまで流行ったかも覚えてはいない。当時はディージェイが最強とされ、都内のどこかのゲーセンでは全員ディージェイという通称ディージェイ村まで存在したほどである。ディージェイはアップ画面ならイケメンなのであるが、プレイ画面だとただの憎まれ役にしか見えないため、その強さもあり嫌いなキャラでは常に上位だった。確か増刊でも1位だった気がする。

 

そういう訳で、私はもっぱら極上パロディウスをプレイして行ったのであるが、5月上旬、当時WWFの横浜アリーナ大会を見に行った帰りに寄った町田のYOU2において、すでにスペシャルステージを到達、かつ何度も最後まで行っては繰り返しプレイしているスーパープレイヤーのプレイを見る事が出来たのだ。何故か2P側の「あいつ」でプレイしていたのであるが、当然初見の私は圧倒されまくり、そのあまりにも華麗なプレイに目が離せなかったものである。

 

このように、極パロは1周プレイが程よい長さ、かつスペシャルステージと言うおまけを用意する事により、初心者から上級者まで満遍なく楽しめるという、シューティングとしては稀有な出来であり、同年のシューティングでは1番のヒットを記録したものである。私がいつ1周したかは覚えてはいないが、さすがにSP面は一筋縄ではいかなかった。そこで天の助けとなったのが、ゲーメストにおいて攻略記事を担当していた方によるビデオプレゼントである。

 

当然、市販のものではなく筆者のプレイを記録したものであるが、ここぞとばかりにシューティングへの愛を込めたメッセージを送った所、なんと夏にそれが届いたのである。それを何度も見返して覚えていき、遂に夏休み頃にワンコインクリアをする事が出来た。もちろん、まだ大人気だったので、当時SP面をクリアしたらそれはもうギャラリーで沢山であり、しばらくはその快感に酔いしれた。

 

夏休みまでずれたのは、春先からしばらく家庭用でFFVIやスーパーストIIが移植されたりと、もっぱらそちらが中心だった事もある。アーケードでは極パロ以外めぼしいソフトがなかった事も大きい。そして、当時は毎月次世代機と呼ばれていたセガサターン、そしてプレイステーション、あと一応PC-FXもあったが、それらの記事が目白押しであり、家庭用が大盛り上がりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日24日、ようやく待望の「カプコンファイティングコレクション」が発売されたので、当然PS4版を購入。インターフェースは「カプコンベルトアクションコレクション」を踏襲、オプションも充実しておりその辺りの抜かりのなさはさすがカプコンである。

 

収録ゲームに関しては今更語るまでもないが、個人的な一番の目当てはやはり「ハイパーストリートファイターII」である。何故かアニバーサリーコレクションには収録されなかったこのタイトルであるが、実は個人的にかなりのお気に入りタイトルであり、これをプレイするためだけにPS2版を引っ張り出したり、さらには北米初代Xbox版までメルカリで買ってしまったほどである。

 

後者はXbox360互換なので、当然HDMIでプレイ可能、かつ入力遅延も皆無に等しいのであるが、さすがに元がSD画質なだけに、HDMIでプレイすると画面の粗が目立ってしまうのが難点である。という訳で、ようやく現行ハードでプレイ出来るようになったのは大変な喜びなのであるが、やはり一番気になる点と言えば入力遅延である。

 

アニコレでは、いずれの機種もほぼ同等レベルで入力遅延が発生していたので、どうにも違和感が拭えなかったのであるが、正直このPS4版カプコレも同等の遅延を感じてしまった。まあこれは仕方ないな、と思っていたのであるが、私が毎回参考にさせてもらっている@kimagreGamingさんの検証によると、なんとPS4版はSwitch版よりも遅延が大きく、そしてXboxOne版がコンソールでは最も小さいアーケード版と同等の3フレーム前後という事が判明したのだ。

 

実際はSteam版はそれよりさらに少なく、ほぼ0フレームという結果が出たのであるが、個人的にゲーミングPCはあれど基本コンソール優先でプレイしているので、つまりはXbox版が最強という事なのである。実際、私の体感であるが、3フレームまでならほぼ遅延は感じず、4フレーム以上で体感できるレベル、そして5フレーム以上でプレイに支障、と言った感覚である。

 

という訳で、その結果を見た私は早速XboxOne版をDL購入したのであるが、初見で明らかにPS4版よりも遅延が少ないと感じ、非常に快適にプレイ出来たものである。さすがにブラウン管時代の移植には及ばないレベルとは言え、それでも3フレーム以内であれば十分すぎるほどのレベルだ。

 

そういう訳で、この「カプコレ」に関してはXbox版がメインになる事は間違いないのであるが、マルチタイトルはほとんどPS4版を優先してきた私にとって、Xbox版がメインとなるのは久々である。かつて、前世代時はPS3の遅延問題により、ストIVなどはXbox360版がメインとなり、かのウメハラ氏もデモでXbox360版のアケコンを使用しているのが確認出来ていたのであるが、おそらくそれ以来、と言った感じである。

 

ただ、残念な事ではあるが、XSXSシリーズが比較的好調とは言え、やはり今でも日本ではSwitchがダントツ、それにPSが続くという感じであり、Xboxの普及率は前者には全く及ばない。さらに、Xboxは致命的なほどにアケコンが不足しているというのもある。私はUFBアケコンを複数所有しているので、それに対する心配は全くないのであるが、余程のマニアでもない限り普通は手を出さない代物なのである。

 

一応、昨年ファイティングスティックαがPS4版よりも先行して発売されたのであるが、やはり普及率の問題もあるせいか、日本では初回版でほぼ終了、現在では国内で新品を購入するのはほぼ不可能に近い。一応、BrookのWingmanコンバーターを使えば他機種のアケコンを使いまわせるし、遅延も以前のものと比べると遥かに少ないのであるが、拘る人はやはり専用アケコンに拘るだろう。

 

そういう訳で、残る選択肢はSwitchかSteamとなるのであるが、日本ではまだPCでプレイしている人はさほど多くはないと言う。となると、多くの人はSwitch版という事になるのであろう。4フレームほどという事であるらしいが、SwitchではUFBよりもRAPVの方が遅延が少ないと言われており、実際私も体感でそんな感じなので、という訳でRAPVを使えばもしかしたらXbox版と同等になるのかも知れない。所有していないので確信は持てないが、それでもPS4版よりかは1フレームの差があるという事なので、という訳で多くの人はSwitch版、という事になるのだろう。