アーケードゲームを愛す・その50 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1999年の秋頃、たまたま地元の「クイーンエイト」に寄った際、コミュニケーションノートに目を通したのであるが、その時に初めてゲーメストの新声社が倒産した事を知った。当時、ほとんどゲーム雑誌には目を通していなかったし、ゲーメスト自体もあの10周年記念号以来全く読んでいなかったので、それを読むまで全く知る由もなかったのであるが、さすがに青春時代のバイブルだっただけあってショックを受けたものである。

 

その頃、ある用事で小田急線の鶴間駅に寄った際、そのついでに久々に「オレンジハウス」へ寄ってみた。その時点ではまだ割と盛況であったのだが、当時新作だった「ストライカーズ1999」をX-36で1周クリアしている人のプレイを見る事が出来たので、私もその影響で結構プレイしたものである。

 

ただ、さすがに「戦国エース」以降、まともに彩京シューティングをプレイしていなかった事もあって、その1999はとても難しく感じたものである。そして、あの「レイディアントシルバーガン」の筐体も置いてあった事も覚えている。1998年夏にSS版が発売された際、かのセガサターンマガジンが狂信的とも言えるプッシュをしていたので、もちろんその名前は知っていたが、みた感じ複雑そうだったのでプレイする事はなかった。

 

結局、プレイしたのはその1999ぐらいだったかと思うが、まだ隠し機体の出し方も知らなかったので、ほとんど先へ進めなかったかと思う。そして、何より当時大流行していたのはDDRこと「ダンスダンスレボリューション」だ。代表曲とも言えるSmile.DKの「Butterfly」がとにかく印象的な初代であったが、アーケードでは恥ずかしさもあってプレイしなかったので、実際に始めたのは数年後に家庭用を買ってからの事である。

 

そして12月、あるコンビニでたまたま新たなアーケードゲームの創刊号を目にした。「アルカディア」と名付けられたその雑誌は、一眼見てゲーメストの後継雑誌だとわかるものだった。もうアーケードゲーマーではなかったとは言え、さすがに創刊号ともなれば買わずにはいられなかったものである。そしてちょうど「ストライカーズ1999」の攻略なども載っていたので、それを参考にしていったがさすがに1周は出来なかった。

 

雑誌の内容であったが、さすがにファミ通と同様の大手「エンターブレイン」出版だけあって、誤植も少なく、ゲーメストと比べるとかなり洗練された印象を受けた。レトロゲーセンも度々紹介されており、ミカド以前の聖地と言えた「トライアミューズメントタワー」の存在もそれで知ったものである。そして、アーケードゲームエミュレータ、略してAGEとしてMAMEに代表されるエミュレータの存在も初めて知ったのだが、まだPC購入前の私としてはそれがなんの事やら意味不明だったものである。