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こんにちは。

ステップあやですニコニコ

 

 

先日わたし、誕生日を迎え

 

なんと、、、

 

50歳、になりましたよ~~✨

 

⇩⇩
 
 
 
 
ケーキは6個ありますが、、笑
誕生日の前日の夜と
当日の夜に、家族3人で少しずつシェアして食べました。
 
 
一個ずつ食べればいいのですが
我が家ではいろんな味を
少しずつ楽しみたいので、
 
全てのケーキを3等分に切って、
3人で分けて
みんなでちょっとずつ楽しみます。
 
 
 
摂食障害のころは
過食嘔吐の時はホールケーキは前菜替わりに食べる勢いだったのに
 
過食以外では
ケーキ一個も怖くて食べらない、
(食べてしまったら吐くしかない)
 
という状態だったことを思い出した。
 
 
今は、自分の体を大切にしたい気持ちから”心がける”ことは食でも運動でもあるけど、
 
それがどういものなのか
摂食障害のころは
さっぱり分からなくて
 
 
心がけることと
 
恐怖から逃げるために
食や運動のルール(←その時の自分にとっては正しいと思っていることだったりするのだけど)にエンドレスで逃げ続けている強迫観念と何が違うの?
 
 
って思っていたけれど、
明らかに違うものだと今はわかる。
 
 
 
「自分を大切にするために心がける」って、強迫観念じゃあないのよね。
 
 
心がけはルールじゃない。
 
楽しみたいことを優先して「やらない」を選ぶことも
疲れてる自分の体をいたわって「やらない」を選ぶことも
 
自分を責めたり
恐怖に駆られたりすることなく
ふつうにできる。
 
 
 
「やらない」を選ぶときも
 
心身の快適さや楽しみを
犠牲にしてまでやらないだけで
できるときはやってるんだから
大丈夫、これでいい、
 
って安心感をもっていられることが大きな違いじゃないかと思う。
 
 
それを甘えだとか太るぞみっともないぞとか言って否定して
 
自分を痛めつけてまでも
ルールを実行することの方が大切になってしまうのは
 
それこそ
摂食障害という病気の症状だった。
 
 
 
 
それを治すときは
”病気”の自分は
怖い、苦しいって感じることをするわけなので、その点では怖かったkれど
 
でもその苦しみは
永遠に続くものではなく、
 
治る未来、(=つ摂食障害の食や体型や運動のマイルールしてないと逃げられない(気がしている)恐怖や不安から解放されている未来)
 
に繋がる痛みだったんだな、
 
と誕生日の日に思い返していました。
 
 
そして、私の場合、
(摂食障害とともに
加齢恐怖
というのも特に30歳前後から強くなっていたので
 
 
 
50歳になった感想が

なってみたら
なんてことないな。
 
だったことも、
なんか自分で嬉しく思ったニコニコ
 
 
この先の人生は
 
”おばさん”を超えて、
”おばあちゃん”に向かう人生なんだけど
 
(あと10年後まで生きていられるなら60歳になるので)
 
 
年をとることも楽しみだな~、
 
って、楽しみに思えていることも、
そう思えなかった時間も長かった私には、とても心が温まることでした。
 

摂食障害や鬱病が治ってからだって、つらいことはあったしあるだろうけど、それは明らかに、”つらいのがデフォルトの人生”だったころとは違うの。
 
 
生きてるというより、ただ息をしてただ生かされているだけ、と昔はいつも感じていたけど
 
今は自分の人生を生きているという実感はいつもそこにあるんだ。
 
 
加齢恐怖の話を戻すけrども、
このブログを読んでる人の中には
その全員てことはないけど、
割と多くの人が感じてることだと思う。
 
※摂食障害や生きづらさの相談を受けてるとよくよく出てくるのです。
 
 
 
私の場合は
15歳の時は摂食障害になっていなかったけど、15の誕生日を迎えたときに「15年あっという間だったからこの後の15年もあっといまにすぎて、あっという間に30になって、どんどん年を取って死ぬんだ」って思って泣いてたので
 
もうその時点で、
加齢についてのネガティブなイメージは刷り込まれていたのだと思う。
 
 
 
17歳で摂食障害になったけど、
まだ若いころは、拒食でも過食嘔吐でも下剤使っても、食や運動のために人と普通に会うことができなくなっても
 
「痩せれば絶好調」だと思っていたので、食と運動のことしか考えらなくなり、一時期だけだけど、加齢の恐怖については考えなかった時期もあった。
 
 
そのうち
 
常に太る恐怖に追われて、
人と会ってる時も運動や食のこわさと向き合って
 
ダイエットとか
運動に追われる毎日になり
 
死ぬほど太るのがこわいに
増えていく過食と
 
吐いて帳消しにしたつもりでも
どんどん体重も増え過食も増え
 
太ると恥ずかしくて、
人に会いたくなくなって
 
 
大切な人が誰かもわからなくなり
 
人との間で感じる温かい気持ちも、少しはあったはずだけど、それもわからなくなり、
 
 
そういった日々は
本当に寂しかったし孤独だったけど
 
ただ、体重や体型、運動や食事を
コントロールすることで頭が一杯で、他にたくさんあった不安と向き合わずに済んだ。
 
加齢に対するネガティブな捉え方も、その一つだったと思う。
 
でも症状で見えなくしていただけのことは、きちんと向き合って解決してきたわけじゃないので、
 
いずれは向き合わざるを得ない時が来るんだと思う。
 
 
 
30歳近くになってきたときに
加齢恐怖症
顕著になってきた。
 
 
年をとって
しみやしわがふえて
体型が変わることも
筋力が衰えていくことも
 
老化のサインは全て
怖ろしい世界にむかうサイン、
 
のように
身近な人やメディアからの情報がきっかけだけど、
 
最終的には見た情報
私自身が、そういう怖ろしい考えとして、自分の中に取り入れてしまった。
 
そのうち
”紫外線”も恐怖になって
(老化に繋がるって聞いたから)
 
やりたいことも紫外線に当たるのだと思うとやりたいことではなく恐怖に変わってしまうという具合になって
 
自分の中からどんどん
喜びが消えていき
 
人との心の交流も
自ら断つようになってしまった。
 
 
 
心の交流がなくなると
心を通わせなくても分かりやすい
”見た目”のよしあしだけで
他人に評価されるような気がして
 
ますます
体型が変わることや
年齢を重ねることが
怖くなり
 
 
安心といえば、太る不安や加齢の恐怖から逃げて一瞬ほっとする程度のわずかな安心しか思いつかなくもなっていき、そのためのマイルールが増えていった。
 
 
こうして書いてみると
それで生きてることが辛くないはずないな、って思うけれども
 
 
「私にとっては過食や太ることがストレス(だからダイエット自分の意志)です」
 
「ほかにはストレスはありません」
 
「仕事や人間関係のストレスくらい、誰でもあると思います」
 
なんて当たり前に思っていたし、病院でも、そう言っていたんだ。
 

 

 

 

もし、今、これを見てるあなたが、
 
私はルールに追われることも
 
何か得たいのしれない不安や恐怖から逃げつづけるために「症状」が出ていてそれがつらい、
 
ってかんじているならば。
 

 

 

その辛いと感じてる気持ち、
大事にしてあげてほしい。
 
 
その気持ちは
一生懸命、あなたに大切なメッセージを伝えてくれているあなた自身の心の声のはずだから。
 
 
 
もう、今までのやり方(恐怖や不安から逃げ回るための”決まり”を作って、その決まりに毎日追いかけられて、たまにうまくいったときだけほっとする)を変えてほしいよ、
 
勇気をもって
もっと心地よいラクな生き方に
(食、運動との付き合い方もそのひとつ)変えてほしいよ
 
って、そういってる心の声を、
こんなの甘えだとかいって
無視するのはもうやめにしてあげてほしい。

 

 

甘えだとかいって
自分のツライと感じている声をつっぱねて、
 
外の情報から拾ってきた正しさ(食べ方、運動、体型、見た目のこうあるべき)を自分に押し付けていても、それで強くはならないんだ。
 
逆にどんどん体も心も、弱っていくよ。

 

⇩⇩詳しくはコレ

 

 
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そんなときは、
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