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ステップあやです!
続きすぐアップするつもりだったのにご無沙汰になっちゃいました😅
 
 
私は元気です!
父も元気です!
 
 
父は、脳梗塞で言葉がふつうに出てこなくなってもおしゃべり好きはとまらず、ずっと話しており、
 
それがリハビリになったのか
短期間で劇的に話すのうまくなりました。
 
自然ではないけど意思疎通は問題ないくらいになって周りも医師もびっくりです笑
 
 
 
 
さてここから一つ前の続きみたいになります。
 
 

毒親に分類される親なので、大変だったけどね。

 

母のことはさんざん書いてきたけど、

父はもっと強烈で、

 
 
自分がこうとおもったら明らかに間違ってても人の話はきかない、私の意見も思いももちろんきかない
 
 
すぐに大声で怒鳴るし、
ひとの見た目を平気でけなすし
 
昔はお皿なげたり
蹴りいれられたり
 
決して平和ではなかったし
 
いまもかわってないとこいっぱいあるけど。
 
 
 
そういう部分についても、がんばって受け入れようとか正当化しようとか努力したわけじゃないけど、自分の気持ちを整理をつけたらもう親のことはスッキリしています、。
 
 
 
 
と前の記事にかきました。
 
 
 
 
気持ちの整理って、なんだよ
 
 
ってのを今日は書こうと思う。
 
 
 
父に対してはどう考えたって「良い」とは思えないところは一杯あって、嫌いなところは嫌いです。
 
 
だけどそのことが私を苦しめなくなったのさ
 
 
父がそういう人である、ということと
私自身の価値は関係ないし
私自身の幸せとも全く関係ない、
 
と、まあ、当たり前のことかもしれないけども、
 
 
 
自分と結びつけない考え(当たり前・思い込み)に変わったから
 
あんまり父がどんな言動しても
 
嫌だな
むかつくな
 
とおもうことはあっても
私の人生の重大事ではなくなった
 
という感じかなとおもう。
 
 
 
 
すごく苦しかったときはね、
 
 
父があんなこと言うのは
 
 
私が父が言うように駄目だから
 
とか
 
 
私がありのままでは
愛されない、認められない存在だから
 
 
とか
 
 
 
私が苦しんでようがなんだろうが、
私の思い、私の考えなどどうでもいいから、父はあんななんだ
 
 
 
とか、言葉で、そう思ってたわけじゃないけど、
 
 
自分の存在価値に結びつける
嘘の考えを作っては
その考えを信じていたから
 
あんなに辛かったのかなっておもう。
 
 
 
だから
 
 
他人に褒められても、
 
 
どっかでいつも、
 
 
この人は本当の私がどんなにだめか知らないから言ってるんだ
バレたら離れていくんだろうな
 
 
としか思えなくて。
 
 
 
 
 
幼いころは、
そんな深いことわかんなかったから
 
ほんとに怖かったし
自分の存在などだれも認めてくれないようなきがしてしまったのも、仕方なかったとおもう。
 
 
 
 
子供だから
家から逃げ出すこともできないしさ。
 
 
親に見放されたら生きていけないわけだから、ほんとに生死に関わるわけだし。
 
 
 けど私はもう子供じゃない。
 
 
 
いっしょにいて気分わるかったら
嫌ならその場を立ち去ることもできるし
 
親がなんといっても、違うと思えば
その考えを私は私の中にとりいれないこともできるし
その行動を私はやらない、必要ないと選択することできるし
 
逆に親がなんて言っても
私がやりたければやることを選択することできる。
 
 
 
私が、私を幸せにするのに
親の承認は必要なくなった。
 
 
 
自分勝手に自分を幸せにしてきた。
 
 
 
 
私は私が、いっしょにいて心地良い人と、心地よい距離感でつきあって、
 
心地よいと思うことを選んで
心地よくないことはできるだけやらないで生きていけるよう頭を使うのも
 
離れたいもの、人、情報とは離れるし。
 
 
私は勝手に幸せになったら
 
あんまり親は関係なくなった。
 
というか私が、親を私の幸せに関与させない。
 
 
 
今は勝手に幸せなので
 
過去の悲しかったことは
過去の悲しかったことになり
過去に本当は腹が立ってたことも
過去にむかついた過去の出来事になり
 
 
いいとは思えないけど、
 
あのときの話 になったのだもおもう。
 
 
 
あの体験のおかげで
しばらくは、バタンてドアがしまっただけでも、誰かに責められているような気がしてビクビクしたり、誰かが怒鳴り散らかしてお母さんが号泣して怖かったあのときみたいことがまた怒るんじゃないかとビクビクしてたりして
 
 
 
しばらく大変だったけどね。
 
 
それも
 
私が、
安心していられる場所、人を選んで
その時時で借りられる人の力を借りながら
私が私を幸せにしていたら
 
 
 
いつのまにか、
 
大きな物音聞いても
大きな声を聞いても
 
ビクビク自動的な反応しなくなってました😄チョキ
 
 
 
 
 
特に、怒りは、表現したら大変なことになる環境だったからか、ずっと、自己否定や悲しみにすり替わってしまって、他者に怒りをかんじることがなく
 
怒りを表現することも
経験不足でどうしたらいいかわからなくて
困惑もしたけど
 
 
 
それは
 
少しずつ、自分の怒りも否定しない練習
言葉で表現する練習
 
 
とかしてたら、問題なくなりました。
 
 
 
 
しなくていい、経験をしたかもしれないけど
そういう経験してるひとの痛みに
 
気にしすぎーとかいうんじゃなく
こういうときはこういうべきとかどっかできいた正解でもなく
 
痛みを想像して
自分の言葉をかける
 
そんな自分になれたことは、よかったな
 
 
というふうに整理してきたら
 
 
 
ほんとにいろんなことが私の心の平和を妨害しなくなったかんじ。
 
 
まあいやなことはいやだけど
嫌なことや嫌な人がいても
ときにさ傷つくこともムカつくこともあるけど
 
 
そのことにそのこと
 
そのことに振り回されない
 
 
そんな感じ。
 
なんかとっても楽だよ😊
 
中途半端だけどでかけるのでこの記事これでおしまい。
読んでくれてありがとう!
 
 

🔻これを書いたあと、私が愛されてない認められてない‥と思っていた母からの手紙が出てきて驚いたので写真と共に載せました

 ↓↓

19年前の母からの手紙が出てきた

 
 

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