▼本文の前に-------------
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コメントでも言いましたが、
あらためまして、
あけましておめでとうございます。
あやさん、私は今、
摂食の症状はだいぶ軽いです。
たまに過食することはありますが、
それも、過食の波にのまれるというより
今は過食してもオッケー。
明日は休みだから、
だるくなって動けなくても平気だし
と、自分で判断してやっている感じです。
本来なら、過食に頼るべきでは
ないのはわかっていますが…
あやさん、
私は、去年の夏くらいから、
あやさんのブログを毎日見ていますし、
他の摂食障害の方のブログも
よく見るようになりました。
パソコンがないので、
全て携帯電話からです。
そんな日々を過ごしていたら、最近、
なんだか摂食障害から
距離をおきたくなってしまいました。
ブログを見すぎて、
いろんな参考になる情報や
共感できる気持ちを吸収しすぎて、
なんか、どっぷり漬かってしまって
苦しくなったみたいです。
最近、自分が
摂食障害以外の世界の方に
行きたがっているのを感じます。
「治したい」とはちょっと違う感覚です。
摂食障害にしがみつきたくないというか…
まだ完治には至らないのに
こう思うのは「逃げ」なんでしょうか。
よくわからなくなります。
あやさんは、こんな時期はありましたか?
お忙しいところごめんなさい。
切羽詰まった感じの悩みじゃないので
ただ読んで下さるだけでも嬉しいです。
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あや返信↓
ふむふむ。
摂食障害にしがみつきたくない、かあ。
それでいいんじゃないかな?って思ったよ。
っていうのは、
トップのリンク集にいれた
「拒食・過食を受け入れる」って記事や
他の記事にもかいたことなんだけど、
外の世界にいきたい!楽しみたい!
って気持ちってすごく大事なのね。
症状を止めてから・・・・する、
止まらないと~できない、
っていう考え方じゃなくて
症状があるいまだって
それとつきあいながら
今のままできることから楽しみたい!
みたいなかんじ。
この気持ちがあるなら、
すごくいいことだと思う。
でもそうでなくて、
なんかただ
治そうとすることに疲れちゃった・・・
みたいな時期もあるよね。
私も何度かかいたけれど、
病院にいくのも
理解を求めるのも疲れちゃって、
一人家で過食嘔吐やりたい放題で
あと、したいこともすべきことも
何もしたくない、みたいなときもあった。
でもそうやって休むとまた、
ココに止まってても辛いなあ
って自然に思えるときがきたの。
だって、拒食してクレイジーな運動して
体だけ痩せたって
過食嘔吐やりたい放題やったって
私って人間は、、
よくも悪くも何もかわらないんだもん。
病気を治すときに向きあう辛さはない。
その点は楽。
でも、症状やりたい放題で
あと何もしないのも、辛いのよ。
症状あってもそれ以外の時間
楽しむことができるような程度なら
それを大切にしていけばいいんだと思うけど
本当に時間ちょっとでもあれば
痩せるための努力か過食か・・・
っていうときはさ、、
本当にそれしかなくて
症状自体が辛かったから・・
やっぱりなおす努力もしてたいなって
まさに
過食嘔吐や拒食で
やせる/たべる事しか見えてないときって
時間がストップしてる感じでね。
普通に生活してたら、
うまくいくことばかりじゃなくて
悩むコトも泣く事もある。
でも嫌なことも失敗も
そこから何かしら学んで
成長していく実感があるんだよね。。
食べる痩せるだけのときは
それもなくて
本当にただ毎日起きて
生きてるだけのまっしろだった。
何も変わらない、
人間関係も。
私の中身も。
考え方も。
時間がストップ・・
まさにそんな感じだったんだ。
でも、摂食障害も
それを乗り越えていくときには、
ものすごーい成長するのだけどね。
年だけとってく
寂しさ感じるようになって、
こんな果てしなく続く苦しみやだ、
まだ可能性のあることがんばろ、
って思いなおす。
そういう意味で、
時に治そうとすることも放棄して
拒食や過食に明け暮れてもいい。
快楽であり助けでもあったけど
「やっぱり・・・辛い」って味わうコトも
わたしは
また、できることがんばろうって
戻ってくるきっかけになったとおもうから。
*もちろん、それだけで治るっていってるわけじゃないよ
これも、
体に不快を感じても
それを体が経験するからこそ
食欲(脳)が正常な食欲を発するようになるのとおなじなんだと思う。
治るために頑張ろうってかいたけど
自分に厳しく
ひたすらムチうつんじゃなくて
いつもいってる
「こういうのが好き・嫌い、得意・不得意」
っていうのを感じて知っていくだけでいいのです。
といっても
(楽しめるものを見つけなければいけない、
とか「~ネバナラナイ」って考えで
自分の心をおさえつけないように。
~したいって
心で「感じる」ことを大事にね。
自分がこういう人間で
私はこうしたいんだ、
私はこうおもうんだ
っていうのが分かると
人の目を中心に
動いてるときとちがって、
少しずつ
人はあーいうけど私は私
って自信になる。
自信ていっても
人と比べてこーだから優越感
という自信のことじゃなくて
ダメだなぁと思う自分ごと
「大丈夫」って温かく
受け入れられる感じのことで、
「もっと~だったら 自信がもてる」
っていう 条件付の自信とはまったく別物です。
そういう自信(自分軸)が
少しずつできてくると
いい意味の「自己中」になれる。
するとね、
そんな自分に
本当の味方が出来てくるの。
世の中、
うるさい人間が好きな人もいれば
おとなしい人間が好きな人もいて
色々ですから。
人に合わせて動いてる私じゃなくて、
ダメな部分も含めて
ありのままに振舞ってる「私」を
認めてくれる人が一人二人でてくると
心が「愛」で満たされます。
この3つ(愛、自信、自己チュウ)は
心の三大栄養素です^^
摂食障害になっちゃうような人は
思いやりも深く繊細なので
なかなか自己チューになれず
時間もかかるのだけれど
自分で自分の心と体
満たしていくうちに
とっても生きやすくなるよ。
→慢性的なストレス生活の改善
→悪化してる食欲と代謝が回復
→少しずつ痩せてくる
敵を作るのを恐れて
いい子を演じていれば
敵は少ないかもしれないけれど
その代わりホントに支持してくれる人も
みつからないという事なのですね。
それに・・
一生懸命嫌われないように振舞ったって
あたりさわりのない人を
悪く言う/思う人だってどこにでもいるものです。
絶対だれにも
嫌われないなんて無理。
どうせなら
ありのままの自分で
楽に楽しく生きがほうがいよね。
私、治るときね
克服者と話したりしたことなかったの。
手探りで、
何したら良いかもわからなくて辛くて
何年も何年もかかっちゃった。
ダイエット情報も医者をめぐって、
やっとストレスとカラダの栄養が
ダイエットを逆方向に導くことがある
ってヒントをくれて
そっからは
自分が信じてる情報と
逆のダイエット情報を勉強した。
今考えればあんなに必死に
情報を集めてた時点で
まだまだ、ダイエットにしがみ付いてて
なおってなかったんだろうね。
でも
私は逆ダイエット情報に支えられて
食べるコトも許し始めて、
だんだんとそこから卒業することで
ダイエットも摂食障害も終了したので
コレでよかったのかなっておもうんです。
心だけの治療でもよくならなかったし
体だけでもダメだったと思う。
だから私の心の話、体の話
どちらか一方ではなくて、
今 納得できてもできなくても、
いずれは どちらも少しずつ
読み進めて欲しいなっておもっています。
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