ここのところあまりにも忙しく、ブログの更新が長いこと滞っていた。
最近、Scienceに味覚の情報処理に関する、爆弾のような論文が出た。
http://www.sciencemag.org/cgi/content/summary/333/6047/1262
感覚情報を如何に脳が処理をするか(というより脳に伝えるか)について、大きく分けて2つのstrategyがある。1つは受容細胞のレベルで、一つ一つの要素に分解し、その情報がそっくりそのまま大脳皮質まで伝わっていくというもの。それに対して、受容細胞のレベルでは多くの刺激に対して多くの細胞が反応するが、大脳皮質で、その多くの細胞のパターンで個々の刺激の種類を識別するというもの。前者をlabelled line theory, 後者をacross-neuron theory あるいはpopulation codingという。population codingとはちょっとわかりにくいかもしれないが、電光掲示板を考えてもらえばよい。10x10この百個の電光掲示板の特定の組み合わせでA,B,C,..等の文字ができたとすると、我々はそれを見ればA,B,C,...とわかる。しかし、個々の細胞は各「文字」に対して光ったり光らなかったりで、ある1つが光ったからといって文字を特定できるわけではない。しかし、100個の組み合わせでいろんな文字が識別できる。それに対して、前者のlabelled line theoryでは個々の細胞はA,B,C,...のどれか1個だけを担当する。だから、26本の電線、細胞があればアルファベットはすべて識別できるので、ストレートでわかりやすい。ではなぜpopulation codingがいいか、というと、これは100個でアルファベットだけでなく数字もひらがなもカタカナも漢字も、どんな文字でも表せる。labelled lineであれば、識別すべき文字の数だけ細胞が必要になる。いろんなものを識別しなければいけない脳にとって、labelled lineはある意味、致命的となる。しかし、例えば網膜上の細胞は視野のある一点をコードし、その情報は1次視覚野まで保たれるので、視野のすべての位置情報は視覚野に視野マップとして再現される。音も20Hzから20000Hzまでの周波数は内耳の特定の細胞を興奮させ、その情報は一次聴覚野まで保たれ、周波数マップがそこに形成されている。で、味覚は?味覚はこれまで舌の上の味細胞は複数の味刺激(甘い、塩辛い、苦い、酸っぱい、うまい)に反応するから最初からlabelled lineでは説明つかないし、当然across neuron説、つまり電光掲示板と同じメカニズムであろう、と考えられていた。教科書にもそう書かれている(少なくともアメリカの教科書には。日本の標準生理学には2つの説を並べて書いている)。ところが、今回のこの論文は、味覚は大脳皮質に、基本味(甘い、塩辛い、苦い、うまい)のマップが存在し、受容細胞のレベルからlabelled lineであると主張する。著者らはもともと受容細胞のレベルで1細胞1受容器を主張していたので、彼らの中では矛盾は全くない。しかし、これまでの、受容細胞のレベルから大脳皮質のレベルまで複数の細胞に反応する、としてきた研究者たちには衝撃である。それに何より、この2つでは情報処理のstrategyが根本から異なるわけだから、最初から考え直さなければ行けない。
視覚や聴覚でもpopulation codingを行っていないわけではない。というより、1次視覚野より上のレベルではむしろそれが情報処理の基本メカニズムであり、population codingにより我々はいろんな形、顔、そして特定の人の顔を認識できる。この方法の大きな強みは基本的に無限にいろんなものを表現できると言うことである。もう一つは、神経細胞というものは少しずつ死んでいくものであるが、population codingであれば、たとえ1個の細胞が死んでも認識は可能と言うことである。つまり電光掲示板の中の1つの電球がつぶれても、「S]とか「T]とかいう文字は認識できる。labelled lineであればこれは致命的だ。だから、例えば網膜の一部が損傷すると、視野のその部分が欠損することになる。年をとると高い周波数の音が聞こえなくなるもの同じことだ。
一方で、嗅覚系は受容細胞のレベルでは1細胞1受容体だが、匂い刺激は何十万とあり、受容体が1000個しかないことを考えると、各細胞はいろいろな匂いに反応し、多くの細胞のパターン、つまり最初の処理段階から電光掲示板方式でにおいを識別しているからpopulation codingである。従って、どのレベルからpopulation codingになるのか、と言う議論といえなくもない。そして味覚は?やはり、受容細胞のレベルで「1細胞1受容体説」の検証が重要となってくる。これからも議論を呼びそうである。