日曜日に神戸市美術館へ出向き大英博物館古代ギリシャ展へ行ってきた。あいにくの雨で、というより雨だからこそ人出も少なかろうともくろんでいったのだが、結構な人出で、人気の高さが伺えた。雨で遊びに行くところもないから美術館でも、と誰でも考えることは同じということかもしれない。

会場に入るや、いきなり大理石でできたギリシャの神々が出迎えてくれて、たちまちギリシャ神話の世界に引き込まれた。

スフィンクス像に出会う。エジプトの、よく写真で見かけるギザの大きなスフィンクス像とは違って、もっと小ぶりのものだ。「おすわり」した姿勢で、せいぜい人の身長ほどもない。ただ、羽を広げていた。羽を広げているスフィンクス像をこの目で見たのは初めてだった。後で調べてわかったが、エジプトのものと違って、メソポタミアやギリシャでは「人の顔、ライオンの体」に加えて「鷲のはね」を持つものが多いという。ちょっと気になって、足の指を数える。はっきりと見て取れるのは4本しかない。ライオンをモデルにしているならばもちろん5本あるはずだが、親指に当たる指は痕跡的にしか残っていない。

この時代、既に犬を飼っていたことは壺に書かれた絵などからわかるが、もしかしたらもうこの頃から親指を切り落としていたのかもしれない。同時に展示されている絵には、犬以外にも明らかに豹のような動物が首輪をつけているし、もしかしたら野生動物をペット、あるいは家畜にしていたのかもしれない。そうであれば、危険な爪を落としていたことは大いに考えられる。あまり知られていないが、ペットとなっている犬の後ろ足には指は4本しかない。これはもちろん、今の話である。親指は狼爪と呼ばれ大きくなると危険ということで、生まれてすぐに切り落とされる。何ともかわいそうな話である。が、もしかしてこの習慣は既にギリシャ時代からあったのではないかと、スフィンクス像を見ながら思った。

さらに奥に行くと、目玉の円盤を投げる人Diskbolosが、一部屋独占して展示されていた。ハドリアヌス帝の敷地跡から出たという見事な大理石像である。肉体美の極致ともいうべき、力のこもった作品である。ホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」を読むと、この当時の人々がどれほど肉体の美しさを賛美していたかがよくわかる。アキレウスも、ヘクトルも、「神々しい体」の持ち主として書かれている。目の前の肉体美も確かに美しいに違いないが、なにかが、どこかが違う、という気がしてならなかった。しばらく見ていて、はたと気がついた。顔の表情がないのだ。そう、これまで並んでいた神々の像も人物の胸像も、すべて言えることだが、ギリシャ時代の彫像には表情がない。中立した顔立ちをしている。円盤を投げる直前はもっと力のこもった、歯を食いしばる顔をしていて当然ではないか?女神は美しく微笑んでいたほうが、美しくはないか?しかしギリシャの神々は決して微笑まないし、怒った顔も、悲しんでも、楽しんでもいない。まるで、「端正な肉体美に喜怒哀楽などの卑しい感情は釣り合わない」とでも言いたげなように。それがどうも腑に落ちなかった。ギリシャからローマに受けつがれ、ルネッサンスになると、あれほど人間的に感情を表すようになるのに。