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↓『無頼のススメ』伊集院静著、新潮新書、2015)より引用(13)
ある日、(伊集院氏が幼少の頃、家族全員で)さあ出かけようという時に、近所にいた物乞いが母親に向かって、「奥さま、先日はありがとうございました」と言うのです。
その瞬間、父は顔を真っ赤にして怒りだし、その物乞いに近づいていって方を揺さぶりながら言いました。
「どうしたお前、ちゃんと二本足で立ってるじゃないか、自分で動けるじゃないか。だったら働け!」
そして母に向かってさらに怒鳴った。
「こいつに何をやったんだ? モノをやったのか。自分で働こうとしないやつにモノをやるから、いつまでたっても物乞いし続けるんだ。それは人間として一番卑怯なやり方なんだ。二度とするな!」
その光景を思い出すと、頭も身体も人並みに動かせるのに働かない若者も、年金が少ないだの言っている老人も、国家に物乞いをしているように見えてきます。
怠けることをよしとし、物乞いに与え続けるような国家はやがて潰れるしかありません。
↑(引用ここまで)
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漫画家の江川達也氏も、「人間は老いても、動けるなら死ぬまで働け」と言っていました。
「○○してくれない」と国や医療に不満をもらしている暇があったら、働けばいい。誇らしく生きて死んでいけばいい。
強くそう思います。
ここでもやはり、その人が「何に多く言葉を費やすか」という問題に尽きると思います。
確かに、「政治」として社会的弱者のフォローは大切。明瞭で安心できる「医療」も大切。
…でも、多く語るべきはそこじゃないでしょ、と。
日々の「生活」や「医療」はあくまで「ベース」であって、そのうえで私たちが、何をして生きていくか、どう死んでいくかのほうが多く語られるべきじゃないんですか、と。
また、テレビやインターネットニュースが、我々庶民を「物乞い」にしてしまっている、という側面もあるかもしれません。
「政府はなぜ○○しないのか」と、「本来もっとしてくれるはずなのに…」という意識を私たちに植え付け、「あなたの○○は大丈夫?」と、ちょっとした「不健康」をネタに私たちの不安をあおる。
そんな報道ばかりを毎日目にしていたら、そりゃあ「政府」や「医療」の寄生虫のようになってしまうのも、わからないではないですよね。
まあ、そういった報道を「見ない」「自分のアタマで判断する」という選択肢を持つ人なら、そんな「物乞い」のような思考ルーチンを植え付けられることもないと思うのですが…。
老いも若きも男も女も、「死ぬまで働く」。
多少の身体の不具合は「こんなものだろう」と自己判断する。
そのうえで、独自性を出しながらおもしろおかしく生きる。
そう皆が生きられたら、どんなに素晴らしい世の中だろうと夢想しつつも、精神的に「物乞い」の人たちの多さを考えると、それは単なる空想にすぎないとため息をつく今日この頃です。
