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↓『子どもの脳によくないこと』小西行郎著、PHP新書、2011)より引用(02)
昔は妊娠しても、特に生活を変えたりすることもなく、普通に家事をし、仕事もこなしていたと思うのですが、最近のお母さんはそうもいかないようです。
確かに昔は農業が主流で、今はサラリーマン家庭が多いわけですから、昔のようにはいかないのかもしれません。
少子化や核家族化の影響もあるでしょう。
祖ごとに一生懸命だと体に悪いから辞めたら? と言われたり、流産したらどうするの? と脅されたり……。
妊娠中に重い荷物を持たない方がよい、と書いてある育児書もありますが、それができる状況にある方がいったいどのくりいらっしゃるでしょう。
お父さんがいつも一緒にいて荷物を持ちますか?
また、子どもも二人目、三人目ともなると、平気でひょいっと抱っこしたりしていますよね。
相当重いですよ、子どもって。
それでもちゃんと下のお子さんは生まれていませんか?
(中略)
新しい生命が自分の体に宿るのだから、できるだけいい環境で育てようということは大切なのですが、胎児だって一個の人、しっかりと生まれる準備をしているのですから、適当に普通の生活をしてください、大丈夫ですよ。
↑(引用ここまで)
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妊娠中や子育て中の人たちに『適当に普通の生活をしてください、大丈夫ですよ』なんて言ってくれる人がもっといてくれればなあ、と思わされることは多いです。
「けっこう雑に扱っても、子どもは死にゃしませんよ」と。
私は一人目の子どもが産まれるとき、赤ん坊に対する助産師さんたちのその雑な扱いにびっくりしました(笑)。
そして、「なるほど、赤ん坊とはいえ一個の人間、ビクビクする必要もないんだな」と妙に納得したことを覚えています。
二人目の出産に際しては、生まれてすぐの赤ん坊をひょいと持ち上げて体重計に乗せ、頭や腰をぐにぐに持ち上げながらメジャーで身長などを測り、助産師さんと20本の指が生えていることを声を合わせて確認して、おぎゃあおぎゃあと泣く中、目をひん剥いて目薬を2発打ち込んで、さっさと布オムツをつけてやって、ひょいと抱き上げて新生児着でくるんでやる。…そのくらいのことが、平気でできるようになりました。
「お父さん、慣れてるね~」と助産師さんに褒められたくらいです(笑)。
「多少雑に扱っても、死にゃしない」という自信(?)が、「子どもを腫れもののように扱わない」「子どものワガママに振り回されない」というスタンスを私に与えてくれたように思います。
妊娠中も、別に神経質にならないで普通に外食を楽しむ。つい食べ過ぎてしまうピザの食べ放題にも行く(笑)。
生まれて数か月でも、手が離せないときは30分くらい泣かせておく。そのうち寝ちゃいますから(笑)。
子どもも赤ん坊ながらに「泣いても自分の思い通りにはならない」ことを学習しますし、親の側としても、「子どもに振り回されない」習慣が身につきます。
「泣いてもすぐに抱いてやらない」ことには賛否あるでしょうが、私は特に後者の理由で「しばらく泣かせておく」選択肢を持つことをお勧めします。
子どもが泣くたびに「どうしたんでちゅか~?」なんて言って(笑)抱いてやる反射的行為が親の側に習慣化されてしまうと、子どもがある程度大きくなっても、「泣けばリアクションしてくれる便利な親」を続けてしまう危険性のほうが大きいと思うからです。
また、子どもが大きくなっても、たとえば「次同じワガママを言ったらメシ抜きだからな」と約束して、子どもが同じミスをしたら、本当に夕飯抜きにしてやればいいんですよ。
その一晩があるだけで「あ、この親シャレにならねえな」と子どもは本気で思いますし、親の側にも「言ったことは守る、守らせる」自覚と責任が定着します。
…私だって、子どもから一食奪うのは心が痛むんですよ、本当は(笑)。
でも、ここで「さすがにやりすぎかも?」と弱気になって前言撤回してしまったら、子どもに「さすがにそこまではせんよな」と足元見られることにもなりますし、ここは心を鬼にして「首尾一貫した態度」を取ったほうがいいと思うんです。
…大丈夫ですよ、一食くらい抜いても。次の日の朝メシが美味しく食べられますよ(笑)。
「子どもは、多少雑に扱っても大丈夫」と、誰も言ってくれないので、仕方ないから私が言い続けることにします(笑)。
