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↓『無頼のススメ』伊集院静著、新潮新書、2015)より引用(12)


関心を持つのは年金に医療費、それから安心と安全――老若男女を問わず、最近の日本人はどうも国に頼らないと生きていけないのかね、という感じがします。


年金の支給額が減らされるとか、開始年齢が引き上げられるとか言いますが、払うときに将来いくら年金として返ってくるかなんて考えてなかったでしょうに。
お金をもらえるときが近づいてきたから騒ぎ出しているだけで、今さら自分たちは苦労してきた、もっとよこせ、なんて文句を言うのはどうかしていると思います。


「だいたい、国がそんなことをしれくれるはずがない」


歳を重ねて経験を積んでいるならそういう直感があっていいはずで、こう言いたくもなるのです。


「定年退職して、年金でこの先何年かをどう暮らしていこうか悩むより、今までずっと働いてきたんだから、今度は女房を働きに出させたらいいじゃないですか。
もらうお金だけアテにしていたら、お金に頼るしかなくなって、ダメになっちゃうよ」


それに比べて北海の漁師やアラスカのエスキモー、オーストラリアのアボリジニ、ネイティブアメリカンなどの老人たちは、実にいい顔をしているのはなぜなのか。


もともと自然と自分の身体が頼りで、生きるとは国に頼ることではない、というスタンスがはっきりしている。
だから、年をとってもしゃんとしていられるのです。


都会から遠い僻地であるほど、不便で厳しい環境のもとで生きているほど、精神的に強くいられるということは、やっぱり都会暮らしというのはどこかで人間性を変質させたり壊したりしているにちがいない。


↑(引用ここまで)
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四十・五十歳も過ぎたおっさんやおばはんの多くが、口を開けば「健康」や「医療」、「カネ」の話ばかり。


「何に言葉を多く費やすか」でその人となりがわかる、と私は豪語しているのですが、そんなおっさんやおばはんの「話題」乏しさには辟易とさせられます。
「それしか話すことないんかい」、と。


そりゃあ、私も健康にはそれなりに気を遣っていますし、この歳になれば大きな病気もご多分にもれず経験しています。
しかし、日常的に「健康」のことばかり気にして暮らしているのはむしろ「不健康」、もっと言えば「”生きている”とすら言えないのでは?」とも思うのです。


巷の主婦がスーパーの特売だかクーポンだかの「オトク」のことばかり気にして生きているのも、そうです。
確かに「節約」は大事だけれども、普段の会話、普段の思考がそこにばかり向いてしまうのは「節約奴隷」、「生ける屍」と評されても仕方がないのではないでしょうか。


安くモノを手に入れることで、そんなにも「人生」から多量の時間が奪われるのなら、むしろ多少高くお金を払ってでも、精神的に「ゆとり」を持って暮らしたほうが、より「人間的」「豊かな暮らし」とは言えないか、と私は思うのです。


あなたの周りにもいませんか? 「カネ」や「健康」にばかり「時間」と「精神的ゆとり」を奪われている人は。
…スーパーに行って、手に取る商品が多少高くても、「”ゆとり”をカネで買おうや」と言ってはカゴに入れる私は、ただの「浪費家」なんですかね?(笑)


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