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↓『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』北野武著、幻冬舎、2015)より引用(17)
本能を否定するつもりはない。
ただ、本能なんてものは、本来はちょっと隠しておくぐらいがちょうどいいんじゃないか。
セックスだって本能だけど、やりたい気持ちをおおっぴらにする人間はあまりいない。
うんこしたいって、叫ぶ奴もいない。
それは、本能のままに行動する自分を、他人に見られるのがなんだか気恥ずかしいからだ。
その気恥ずかしさが、食いものに関してだけは、なぜかなくなってしまった。
そうなった時期と、日本が外国からたくさん食い物を輸入して、スーパーだのデパートだのにいろんな食い物が山盛りにされ、ファミレスだのファストフードだのの外食産業が盛んになった時期は重なっているはずだ。
旨いと感じるのは人間の本能だろう。
だけど、その本能を商売に利用されているだけのことなんじゃないか。
↑(引用ここまで)
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…『その気恥ずかしさが、食いものに関してだけは、なぜかなくなってしまった』。
おいしいものを食べたい。
たくさん食べたい。
そりゃ誰もがそうは思っているのでしょうが、それがいつからか、「公言しても恥ずかしくないこと」になってしまった。
…ひと昔前の日本人たちが現代の我々を見たら、「恥を知れ」「下品だ」と評されてもおかしくないくらいに。
私の好きな海外SFドラマ「スタートレック」で、「口を開いて摂食する姿」を見せることは、「うんこをする姿」を見られるのと同種じゃないか? 人間は恥を知りなさい、と指摘した異星人の話を想起しました。
単細胞生物では口と肛門が共通の穴ですし、「摂食も排便も、本来的に、他人にみせるものではない」という感覚はわからいではないですよね。
そういう意味では、その異星人のエピソードは、「摂食行動に関しては厚顔無恥になってしまった現代人」へのアンチテーゼとして取り上げられたのかもしれません。
「おいしいものを食べたい!」なんて公言するのは、本来恥ずべきこと。
「たくさんむさぼり食う」姿を他人に見せるなんて、本来恥ずべきこと。
確かに、私たち現代人は、「食うこと」に関してずいぶん鈍感になっているのかもしれません。
少なくとも、私たちの親や祖父母の世代には、「食えるものがあるだけ有り難い」「他の生き物を殺生して”いただいている”」という意識がまだ強くあったように思います。「おいしいものが食べたい、たくさん食べたい、なんて下品なこと言うもんじゃない」という意識が。
いつだったか、漫画家の江川達也氏が言っていました。
「なぜ、現代人は”食うこと”にこんなにも執着するのか」と。
「摂食行動」に本能的「快感」がついて回るのは理解できるが、それ以外にいろんな「楽しみ」「快感」で世の中は満ちているだろうに、どうしてこうも「食うこと」ばかりに必死なのか、滑稽ですらある、と。
夏休み前に「何したい?」とレポーターにマイクを向けられた子どもが「おいしいものをたくさん食べたい」。
アホっぽい女がコンビニかどこかで食い物を指さして「これ、ちょーおいしいんだよね!」
…確かに品がない感じがします。
たけし氏も指摘するように、「食」なんて、『本来はちょっと隠しておくぐらいがちょうどいい』のかもしれません。
そうでもしないと、食糧を供給する側・商売人たちの思うツボですよね!
