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↓『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』北野武著、幻冬舎、2015)より引用(11)


たとえば、道徳の教科書で、小学一年生に真っ先に教えるあいさつにしても。
朝、誰かに会ったら、「おはようございます」とあいさつしましょう。
あいさつをすると、自分も相手もいい気持になる。
円滑な人間関係のためには、まずあいさつを憶えましょう、というわけだ。


それは、間違っていない。
俺も、弟子にはあいさつと礼儀だけは、厳しく教える。


だけどそうするのは、弟子を良心的な人間にしようとしているからではない。


芸人として生きていくには、円滑な人間関係は欠かせない。
だから、あいさつはきちんとしなきゃいけないと教える。
それは、弟子の良心とはなんの関係もないことだ。


良心は人間にとって大切なものだと思うけれど、あいさつをいくらしたって、良心が発達するわけではない。


↑(引用ここまで)
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人間は、特に日本人は、「きちんとしていること」に弱い。
それは、我が身を振り返っても、そう思います。…あくまで、個人的な印象なのかもしれませんが。


朝、見知らぬ人から爽やかに挨拶された。
席を立つとき、消しゴムのカスを手で集め、引いた椅子を戻し、ゴミ箱へ向かった。
玄関の靴を、誰が見ているわけでもないのに、自分以外の靴も揃えていた。
ちょっとしたことでも「ありがとう」を言う。


こういった「きちんとした」行為のどれもが、「おお、さすが。やりよるな」と、なんだか嬉しい気持ちにさせてくれますよね。
その上、ふりまく笑顔が素敵だったら、男でも女でも簡単に好感を持ってしまいそうです。…それは私だけでしょうか?(笑)


たけし氏も言うように、こういった「礼儀作法」は「技術」「習慣」として身についていると、「生きやすい」。「周囲に笑顔になってもらいやすい」。「好感をもってもらいやすい」。
これは間違いないと思います。


だから、私は、自分のところで暮らす子どもたちには、「処世術」として、「挨拶」を仕込みます。
保育園の敷居をまたぐときには、「よろしくお願いします」「ありがとうございました」を言わせます。
靴を揃え、事あるごとに「はい」と返事をさせ、そいつ自身の行動で「周りのみんながどんな気持ちになるか」を日常的に考えさせます。
そして、私の目が届かないところでも自然と実践できるよう、「ほら、挨拶は?」「こういうときは、何て言うの?」とせっつかないようにもしています。基本的に自分から言い出すまで待ちます。本人がボーっとしていたら、ケツをたたいて気付かせるくらい。


それらは、彼女たちを確実に「生きやすく」してくれるから。
2歳や4歳でも、ちょっと挨拶できるくらいで、おじさんやおばはんは、「よくできるね~、かわいいね~」と、笑顔になりますもん(笑)。
彼女たちが大人になって、誰が見ていないようなところで、自然と道端のゴミを拾って歩けるようになったら、どれだけ周囲にかわいがってもらえるか…、だけを考えて現在目下、仕込み中です。


とはいえ、子どもの自発的行動を促すには、まずは私がやってみせるところからですよね。
いつも、子どもたちや若者の目線が背中に突き刺さっていると想定して、挨拶をして歩く日々です。。(笑)


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