11月27日(土)
縄文講座Vol.2
資料作成中です(˶˙º̬˙˶)*॰
「日本人はどこから来たか❓」
( ・ิϖ・ิ)っ
日本語、アイヌ語、ニヴフ語、朝鮮語
日本列島周辺に分布する4言語は、
ケット語(オビ川水系ケット川、エニセイ川流域のロシア・クラスノヤルスク地方に分布)
バスク語(スペイン・バスク州)
と共に
出アフリカ古層A型に分類される分岐年代の古い言語です。
(´-ω-`)
つまり、
大日本帝国には
日本語
ニヴフ語
アイヌ語
朝鮮語の、
世界でも古いタイプの言語が4言語も存在していたことになりますฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!!
( ・ิϖ・ิ)っ
この事実は、日本列島に古くから人が住み、隣合って暮らす
ニヴフ、アイヌ、ヤマト、朝鮮族の分岐が非常に古く、
それぞれの民族が長い期間、同じ場所で暮らしてきたことを意味しています。
(´-ω-`)
古墳時代に中国から多くの渡来氏族がやって来ましたが、
漢字は取り入れたものの、日本語は中国語にはなりませんでした。
(´-ω-`)
岩宿時代(後期旧石器時代)
縄文時代
弥生時代
古墳時代
日本列島の先史時代は世界でも最も詳細な研究が進んでいますが、
たとえば地域毎に数百年単位で土器様式が変遷していくものの、
ガラッと文化が変わってしまうわけではなく、前の時代の文化をベースにしながら進化していきます。
( ・ิϖ・ิ)っ
縄文→弥生に関しても、
西日本では西日本のそれぞれの地域の縄文土器に似た弥生土器が作られ、
東日本では東日本のそれぞれの地域の縄文土器に似た弥生土器が作られています。
新技術の導入はあっても文化は断絶していないのです。
(。ì _ í。)
日本人男性の30~40%を占めるY-D1a2aは、日本列島以外では極めて少なく(朝鮮半島南部に4%、ミクロネシアに6%、沿海州、モンゴル、中国華北に1%未満)
チベットのD1a1、
アンダマンのD1a2bとは
53000年以上前に分岐しています。
その頃、日本列島にやって来て、ずっと住んでいる可能性が高いのです。
(。ì _ í。)
また、
初期クロマニヨン人のC1a2と
42000年前以上に分岐した
Y-C1a1は
ヤマト族に5%、
琉球族に7%
の他は
朝鮮半島、中国遼寧省、河北省に僅かに見られる程度です。
このハプロタイプも、ヨーロッパのクロマニヨンと分かれて40000年以上前に日本列島へ渡ってきたと考えられています。
(。ì _ í。)
男系ハプロというのは、異民族に征服されると消滅しやすいのですが、40000年以上前のY遺伝子が日本人男性の半数近くに残っているのですから、
北東アジア起源の弥生人による征服、
古墳時代の騎馬民族による征服、
などは
有り得ません‼‼
( ・ิϖ・ิ)っ
また、岩宿時代の遺跡からは、
異なる石器を使うグループが、
同じ集落に共存していたことが明らかであり、
岩宿時代には更に、
ナウマンゾウを狩る内陸の住民と、
鹿や猪を罠で捕え、植物質食糧を中心とした沿岸部住民の、
異なる文化がありましたが、
神津島の黒曜石が内陸部に、
諏訪の黒曜石が沿岸部に運ばれており、
山の民と海の民が交易をしながら共存していたことも明らかになっています。
(˶˙º̬˙˶)*॰
日本列島には
よそ者を受け入れる文化があり、
4万年以上前から
D1a2a系統
C1a1系統の
受け入れる側の男系が常に主導権を握ってきたのです。
(´-ω-`)
永らく歴史作家によって流布されてきたO1b2弥生人説も、
分岐年代と分布を考えれば、縄文時代草創期に日本列島に来ていた可能性が高く、
日本文化が岩宿・縄文時代から連綿と続いている事が確定的になってきました。
(。・ө・。)
日本には僅かですが、
NO*、O2*、N1といったウラル系、漢民族の祖先系統がいます。
また、大陸にいるD1a2aは子孫系統です。
これは、更新世末期から完新世に
日本列島から大陸への人の流れを示しています。
(¯―¯٥)
もはや、
日本人は何処から来たか❓
ではなく、
日本人は何処まで行ったのか❓
が重要なのです。
٩(。•ω•。)و
11/27、12/11の2回の講座では、
日本文化は朝鮮半島からやって来たニダ٩(๑`ȏ´๑)۶
としか言えない歴史作家の虚妄を排除した
最新の考古学、歴史学の知見に基づき(然し政治的な配慮から研究者が大きな声では言いにくい)、
(˶˙º̬˙˶)*॰
日本と朝鮮半島の真実の関係
日本人とシュメル(フェニキアとユダヤ、エジプト)
日本人とエラム(ドラヴィタとタミルナーガ)
日本人と東夷社会
東夷社会(トゥラーン)とヨーロッパ
について、真相を明らかにします。
(•ө•)♡
皆さん、遊びにいらして下さいね‼
海鮮や辰海名物マグロのカマ焼きも美味しいですよ(•ө•)♡