高市首相に対する汚い罵詈雑言に辟易しているので、あまり言いたくはないのですが、6月23日の沖縄全戦没者追悼式での高市首相のあいさつについては、やはり言っておきたいと思います。
この部分です。
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今日私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたものです。
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まず、何人かの人が指摘しています。「尊い犠牲」という言葉です。
犠牲が尊いってどういうことでしょう。犠牲になるのは尊いことですか。
立派な生き方をして、尊(たっと)ばれる人になれ。こう教わって頑張って生きることが尊いことではないでしょうか。犠牲になることが尊いのなら、犠牲になることで尊ばれるのなら、苦労して生きるのではなく、今すぐにでも死ねばいい。
一人の犠牲者も出さない、犠牲者を出してはならない、というのが首相として言うべき言葉です。犠牲が尊いなど、口が裂けても言ってはならない言葉です。
次に、あいさつのこのくだりは、論理的に矛盾しています。
「この地で命を落とされた方々の尊い犠牲」があるから、「今日私たちが享受している平和と繁栄」があると言っています。
戦争で生き残った人が平和憲法を守り、がんばって生きて、がんばって働いたから、今日私たちが享受している平和と繁栄があります。
戦争で死んだ人は何もしていません。何もできなかったのです。死ななければ、したかったことも、できたことも、何もできないままに死んだのです。
戦争によって死を押し付けられ、夢も希望も失って死なされた人に向かって、「あなたたちの死は尊い。あなたたちが死んだから私たちは平和と繁栄を享受している」と言っているのです。これが首相の言いたいことですか。
本土防衛のための捨て石にされた沖縄だから言ってはいけないのではありません。どのような死者に対しても言ってはいけない言葉だと思います。
https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0623okinawa.html
<追記1>
戦争で死んだ人とは、特攻兵士として自爆した人、空襲で焼かれた人、ジャングルで飢え死にした人、マラリヤにかかって死んだ人、傷口にウジがわいて死んだ人、銃弾で頭を撃ち抜かれた人、軍艦とともに海に飲み込まれて溺れ死んだ人、自決を強要された人、日本兵により虐殺された人など。そんな非業の死を遂げた人に対する免罪符として「尊い犠牲」や「平和と繁栄の礎となった」という言葉があります。高市首相の独創ではなく、よく使われる言葉です。戦争をしなければ死ななくてもよかった人たちに、あなたたちの死は無駄ではなかったと慰めの言葉をかけて、戦争を肯定しているのです。「平和と繁栄を築くためには犠牲もやむをえない」という危険きわまりない考え方です。
<追記2>
安倍晋三元首相のあいさつのコピーだと言われています。
(1)2015年戦後70年沖縄全戦没者追悼式・安倍晋三首相挨拶(データベース「世界と日本」)
https://worldjpn.net/documents/texts/exdpm/20150623.S1J.html
<二十万人もの尊い命が失われました>
<平和の礎に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲となられた>
<筆舌に尽くしがたい苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と、安全と、自由と、繁栄を、享受している>
「尊い犠牲」という言葉は使われていません。
(2)2019年沖縄全戦没者追悼式・安倍晋三首相来賓あいさつ
https://youtu.be/yYNlmVz0MxM?si=aSa1zAFU8IpOCck9
<二十万人もの貴い命が失われ>
<犠牲となった方々が送るはずであったそれぞれの未来に思いを致し、こうした尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄がある。そのことを改めて深くかみしめながら、静かに頭を垂れたいと思います>
高市首相のあいさつは、こちらのコピーのようです。
安倍首相のあいさつも、高市首相のあいさつと同様、最初から終わりまで、よく聞き取れませんが、「うそつけ」などと激しいやじが飛んでいます。
















