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蒼空日記

しあわせダイアリー


娘、昨日無事入学式を終えました。

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名前を呼ばれ、元気に返事もできました。

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いろんなことが、とっても楽しみです。
お母さんが足を引っ張らないよう、見守りたいと思います。

このままの優しいしえでいてほしい。
それだけです。




















先日、とっても素敵な小学生に出会えました。

車での幼稚園の送り迎えは、歩道を挟んで車道へ出る訳ですが、
わたし、車の頭で歩道を踏んづけて車道へ出るの待ってたんです。

いつもはサッと出られるのに、その日は少し混んでいました。

すると、小学生の女の子が歩いてきたんです。
帽子の色で、一年生とわかりました。

ごめんね!とジェスチャーしてすぐに車をバックし、どうぞしました。

女の子は、車の前を横切る前におじぎをし、なんと横切ったあとこちらを振り返り、
再度深々とおじぎをしてくれたんです。


もう…
なんか…

一年生ですよ。
考えられん。

あとをつけて、あの子のお母さんを見てみたくなったくらいです。
弟子にしてもらいたい。

挨拶から、すべてが始まります。
挨拶から、広がります。
何を置いてもまず挨拶。

あれだけの礼儀を心得え、親が見ていなくても自然と実践できるのは、やはり普段から素晴らしい大人に囲まれ、そういったことが体に染みついているのでしょう。

わたしがこんなに感動しても、彼女にとっちゃそれが日常なんだな。

来年の今頃、しえはどんなふうに成長してるのかな。
まずお母さんがちゃんとしなきゃ。

こんなに素敵なお姉さんのいる小学校で、しえらしく成長してほしい。

この小さくて大きな出来事。
しえにとっても、いいお手本になったに違いない。

感慨深い日になりました。























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ガソリンスタンドで、
おっさんの何気ない気づかいに、
とっても癒されました。











鯖の水煮と玉ねぎとマヨネーズとお醤油と一味で、
とっても体に良くて、おいしいサラダのできあがりです。
週2で食べてます。
まだ飽きておりません。
地産地消です。

新潟県三条市発信だそうで、
アーティストの方々と、これから盛り上がっていってくれると嬉しいです。



サバサラ愛のテーマ予告編







来月静岡に来てくれるみたいなので、とっても楽しみです。
まってるよ。
http://sabasara.net/howto




















私の知ってる、小さな小さな枠の中の事しか教えてあげられないけど、私は、娘に伝えます。

それでも、それでもそれでも、
生まれ育ったこの国、
この土地が、大好きだと。




出会えた、たくさんの人。
育ててくれた、
お父さん、お母さん。
妹、弟。
友人、
先祖。

今ここに、私がいる事。
腕の中には、娘と息子のぬくもりがある事、
それは、勘違いでも間違いでもなく、
とっても、とっても、幸せな事。


大切な、いろんな事を、知ろうとせずに通り過ぎて来た。

あまりに、幸せだったから。

疑いもしない。
それは、
この山も海も坂道も、
お父さんとお母さんの笑顔も、
ずっと、そこに在ると、
いつもそこにいて、見守っていてくれるものだと、迎えてくれるものだという事。


こんなちっぽけな島国に、
たくさんの時限爆弾。
こんなちっぽけな島国に、
あふれんばかりの愛。


もう、何処へ逃げても、
逃げても逃げても逃げても、
何一つ振り払う事などできないのでしょう。
自分自身を逃れる事など、
できないのでしょう。


すべてに、寿命がある。
当たり前に在る風景やぬくもりも、愛しく、あまりに儚い。
失う恐怖に怯える。
焼きつく記憶の中生きる他なくても、
せめてその時がくるまでは、
震えながら、笑いながら、
愛して、生きたい。


この時代を選んで生まれた私。
歴史を紐解いたところで、
湧き出る感情に潰されるだけで、何も変わりはしない。

この手の中の愛を手放さない。
それだけ。



画面に映る、つみをおかしたひとたち。
目線を落とす。
名前を見る。
その名前に込められたはずの、たくさんの愛情を探す。
あなたは、愛されてた。
恭しいあなたの誕生に、どれだけの人が力を貰えた事か。

今は何かで覆い被されている、
心の奥の奥の奥にある何かに、
気付いて欲しい。

奪った命
奪おうとする命

遠い目をして、そこに辿り着こうとする前に、
目の前の命に気付いて。
そのかなしい武器やお金の無意味さに気付いて。


手をつなぐ事はもう、
できないのだろうか。

国境
目の色
肌の色
歴史
わだかまりを捨て、
ただ、人を愛する事はできないのだろうか。


この時代に、
この場所に、
産み落とされたひとつひとつの命の意味を、尊さを、
振り返る事はできないのだろうか。



人は必ず誰かに愛されてる。
自分自身へ向けられた愛情に気付いて。
ほんの少しでも自分の事を愛しく思えたら、
まわりの声が聞こえる様になったら、
景色に色がつき始めたら、
踏み潰して歩いてた草木が、愛しいと感じられたなら、

身近な人を大切にできて、
周りの人を大切にできて、


いろんなこと、
大切にできるはず。
いろんなこと、
願えるはず。




このちっちゃなまるいほしに、
ひとがうまれた瞬間から、
変わらないものって、
きっとある。




















幼稚園の入口にはお地蔵がいて、
毎朝『お守り下さいませ』と手を合わせてご挨拶してから中に入るわけですが、

今朝、
娘のクラスの男子、
『いただきま~す』

すかさずそばにいた女子、
『ほとけさまたべるんかいっ』

と、素敵なやりとりをしておりました。

そんな楽しいお友達と幼稚園で過ごす時間も、残りわずかとなりました。

門から園舎まで、ひとりで歩く後ろ姿は、とてもたくましくなりました。

思い出すのは、泣いて先生に抱かれながら行った事や、何度も何度も立ち止まり不安気に振り返る娘の姿。

卒園を間近に、また急に背が伸びた娘。

こっちが見惚れるくらい大人びた表情もするようになりました。

ほんの、ほんの少し前のちっちゃな娘の姿が、

重なるのです。

もう、毎朝、
いってらっしゃいと叫ぶと同時に泣けてきます。
キモいですね。

成長したんだって。
ありがとうって。


泣いてる場合ではありません。
土曜日に登園なのは、
参観会だからです。
本日はのりまきの日です。

しかし、のりまきをつくる日に、ご飯を忘れるというミラクルを起こしました。
まじ、何しに来た。わたし。

『しえ!ごはん忘れたし!』

『はぁ??お母さん!ありえないからーーーー』

大笑いする娘を抱き上げ、
カーチェイスして米を取りに帰り、涼しい顔して教室に戻り、
何事もなかったかのように、
のりまきつくりました。

そして、腹も膨れ、やり遂げた感たっぷりで満足したわたしは、
財布はじめ、荷物をまるまる教室に忘れて帰ったのでした。

大丈夫でしょうかわたし。
一体何者なのでしょう。
ネジが一本どころの話じゃ済まなくなってきました。

気と体を引き締めていかなければなりません。
脳みそまでぜい肉に覆われてはいけません。
まじで。

でも、とーっても楽しい一日でした。
よい思い出ができました。

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突然過ぎますが、手が、あかぎれとぱっくり割れでしんでます。
見た目は地味だけど、めっちゃ痛いですよね。


わたしこのCM大好きです。

おばーちゃんみたいな自分の手は、娘と歩んだ時間が記憶されてるようで。

傷だらけの手が、
むしろ愛しく、誇らしく感じられるのです。

最後のいってらっしゃいと、
汚れた靴と腕まくり。

思い出に浸る間もなく押し寄せる日常、とにかく忙しい。
自分の為ににつかう時間や労力など、今はまだ持てません。

その慌ただしい日々に、
わたしは、とんでもない幸せを感じております。


色々話がとびましたが。

娘よ、ありがとう。
お母さんとっても幸せです。





車に乗り数分後、
まさかの雪に気付きました。
その雪たちは、
ながい時間風に乗り、様々な動きをします。
とても楽しそうに。

降る、という表現は、全くしっくりこない。
まるで踊るようでした。


あまりに美しくて、
車から降り、
晴天の中、キラキラと白い花びらのように風に舞う雪を、しばらく眺めました。

花びらと言っても、どんな花が相応しいかなど、想像できませんでしたが。


クッキーの材料買って帰るつもりでしたが、
少し走りたくなりました。
娘と海岸線をドライブです。


メゾンドヒミコやメルサボンとかの家を見たり、
そのとなりで不気味に佇む原発を見たり。

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この地ならではの、美しい現象に出会い、
この地で、受け止めて生きなければならない残酷な風景に出会い、

いろいろ思い、


娘を抱きしめました。


行きと帰りでこんなに気分が変わるドライブは危険です。
生きてて良かったです。

あと、
やっぱり、静岡が大好きです。





夕飯のあと、
クッキー焼いて、
もしゃもしゃ食べました。






















蒼太がわたしのところに生まれてくれた、最高に素敵な日。

本当に、可愛かった。
いとおしくて、たまらなかった。


蒼太が、わたしに命をくれた。


蒼太、お誕生日おめでとう!






君が植えた、
世界を見渡せる木々を眺めながら、

木漏れ日のリビングから流れるドレミを聴きながら、

手のあたたかさを初めて知ったあの日に思いを馳せる。

記憶がすべてなくなる日が来ても、
何故か高鳴る心臓と
優しい君のドレミの中で眠りたい。





ある女性に出会いました。

彼女は言いました。

『子供は二人なんですよ~。』


二度目に会った時、子供の具合が悪いと話し出しました。

当然わたしは聞きます。

『上の子?下の子?どっち?』


彼女はこたえました。

『ごめんね、上の子、亡くなっているの。』

そして、いろんな気持ち、教えてくれました。



わたしには、それができませんでした。


話しを広げる為に、相手は様々な質問をぶつけるでしょう。
同年代が集まれば子供の話ばかりです。
子供は話題に事欠きません。

その度に、真実を相手に伝えなければなりません。

気をつかわれたくない、
息子の死を口に出すたびに、
薄れるような、慣れみたいな感覚を覚えたくない。

隠すんじゃない、
自分や相手の為にも、わざわざ言うべき事じゃない。

そう思い込んでいました。

その為、子供の事を聞かれるたびにひとりっ子と伝えてきたけれど

それはとても、とても、苦しかった。
また息子を閉じ込めた、と。
首を絞められ、意識を無くしては偽物の自分を装うような感覚でした。









彼女は、違いました。


『あの子の存在を、なかった事にしたくないもん。』



口に出すたびに、慣れるはずがない。

深いかなしみは変わらない。

そのたびに、強く、強く、
存在を刻み込める。


明るい彼女を見て、考えさせられました。
自分だから出来ることをしたいと思えました。


そして、息子の存在を、
わたし自身の
わたしをつくる一部にしていきたい。

伝える事で向けられた感情。
そこには確かに息子の存在がある。




これからは、もっともっと、
息子と一緒に、生きて行きます。