はんぶんくらい生きたと思います。
そんなに長生きできる気がしないし。
このわたしがわたしでいられるのは
一度。
一度。
たった一度きり。
こんなふうなこと思いながら過ごすのは、なんだか後ろ向きみたいな感じもしますが、
あんまり幸せだと、
全てなくなってしまう時のことを、
産まれる前の、真っ暗に戻ってしまう時のことを、
それはもう、
考えてしまって、仕方ないのです。
わたしが今、目のまわる忙しさに追われていれば、そんな悠長な気持ちは芽生えないのでしょう。
でも、ただ目の前にいる娘が可愛いだけで、そんな気持ちに襲われるんです。
父親の日記を見ては、
母親のぬくもりを思い出しては、
今こうしてわたしがわたしでいられることに、言いようのない嬉しさを感じます。
同時に、必ず訪れる全て失う瞬間の言いようのない喪失感に息ができなくなるのです。
『肉体は、言葉と思いの家でしかない』
昔からあるハワイの人のことばだそうです。
コイチさんが言ってました。
できることなら、
この肉体を借りて伝える言葉や思いが、
ずっとずっとずーっと、
かたちをかえて、
大切なひとに届けばいいのに。
ずっとずっと、つながっていられたらいいのに。
そうならいいのに。
触れていたいけど、
時間が引き裂くなら、
わたしはなんにでもかたちを変えて、
愛しい思いを永遠に伝え続けたい。






