ある女性に出会いました。
彼女は言いました。
『子供は二人なんですよ~。』
二度目に会った時、子供の具合が悪いと話し出しました。
当然わたしは聞きます。
『上の子?下の子?どっち?』
彼女はこたえました。
『ごめんね、上の子、亡くなっているの。』
そして、いろんな気持ち、教えてくれました。
わたしには、それができませんでした。
話しを広げる為に、相手は様々な質問をぶつけるでしょう。
同年代が集まれば子供の話ばかりです。
子供は話題に事欠きません。
その度に、真実を相手に伝えなければなりません。
気をつかわれたくない、
息子の死を口に出すたびに、
薄れるような、慣れみたいな感覚を覚えたくない。
隠すんじゃない、
自分や相手の為にも、わざわざ言うべき事じゃない。
そう思い込んでいました。
その為、子供の事を聞かれるたびにひとりっ子と伝えてきたけれど
それはとても、とても、苦しかった。
また息子を閉じ込めた、と。
首を絞められ、意識を無くしては偽物の自分を装うような感覚でした。
彼女は、違いました。
『あの子の存在を、なかった事にしたくないもん。』
口に出すたびに、慣れるはずがない。
深いかなしみは変わらない。
そのたびに、強く、強く、
存在を刻み込める。
明るい彼女を見て、考えさせられました。
自分だから出来ることをしたいと思えました。
そして、息子の存在を、
わたし自身の
わたしをつくる一部にしていきたい。
伝える事で向けられた感情。
そこには確かに息子の存在がある。
これからは、もっともっと、
息子と一緒に、生きて行きます。