UFOを見たことのある人は居ますか。まずは居ないでしょうね。そう言う僕も、今まで一度も見たことはありません。ところが、僕は、今しがたUFOを見たばかりの人達が騒いでいるところに出くわしたことが2回あります。

 

 一回目は、僕が中学生の頃のことで、その日はぶらりと近所の公園に行きました。その公園は、キャッチボールが出来る程度の長さが150メートル、幅が70メートルぐらいのもので、高さが5メートル以上の木が10本ほど植えられていました。公園に足を踏み入れたら、数人の小学生たち東の方の空を見上げて、UFOだUFOだと大騒ぎしていました。その時には、もうUFOは去ってしまっていたので、僕は直接そのUFO を見ることは出来ませんでした。小学生たちに、そのUFOはどんな形だったか聞いてみましたが、薄い虹色に輝く円盤のようなもので、数百メートルほど離れた上空を数分間ぐるぐる回っていたとのことでした。そしてそのうちにあっと言う間に南の方向に飛び去って行ったそうです。あと数分早く公園に行っていれば、僕もそのUFOらしきものを目撃できたのに惜しいことをしました。

 

 二回目は、大学に勤務していた四十歳過ぎの事でしたが、大講義室の授業を終えて、講義棟の建物の正面の出入り口から外に出た時の事でした。その出入り口の階段の下で、数名の白衣の教員と学生が、空を見上げて「あれは、UFOだったんじゃないか。」と騒いでいました。この時も、僕は数分遅れでそのUFOらしきものを見逃してしまいました。UFOを見た人たちの話では、そのUFOらしきものは北向きのかなりな上空に現れたそうで、やはり白く輝く円盤上の飛翔体だったそうです。彼らは口々に人生で初めてUFOみたいな物を見たと話していました。三十代の臨床の女性教員も「あれは何だったんだろうか。初めて見たけど、UFOだったんだろうか。」と言いうことでした。その講義棟の南側にはグランドがあり、患者を運ぶためのヘリポート代わりに使用しているので、患者を運んできたヘリコプターを見間違えたのではないかとも思いましたが、その時はヘリコプターのプロペラ音は聞いていません。この時も、ちょっとの時間差で、UFOを目撃すると言う幸運に恵まれることはありませんでした。

 

 一体、それらの飛翔体は何だったのでしょうか。宇宙はものすごくだだっ広い世界です。地球から一番近い恒星であるアルファ ケンタウリと言う星は太陽系から.4.3光年の距離にありますが、地球が野球ボールと同じ大きさとする、その恒星は、何とベトナムの辺りに在るそうで、その間には他の恒星は1つもありません。そんな訳で、天の川銀河の中で太陽系が回っている区域はものすごくスカスカの空間だらけなので、そう簡単にはUFOは地球にはやって来れないでしょう。だから、今回お話しした謎の飛翔体は、太陽系以外の恒星の周りを回っている太陽系外惑星から来たものではないでしょう。でも、あれは一体何者だったのでしょうか。そのUFOらしきものは、僕自身がこの目で見たわけでないのですが、未だに気になります。

しまっ

 

 去年の12月2日に、間違って、樹齢30年の我が家の「まゆみ」と言う樹の幹を写真の緑の所で追ってしまった。背景に見える垣根のウバメガシ(備長炭の原料になる樹)を剪定しようとして、無理して脚立を押し込んだのがまずかった。緑のテープで巻いてある所でぽっきりと幹が折れてしまった。

 これはまずいと、己の迂闊さを反省し、米をすり潰して2種類の抗生剤(アモキシシリンとセファクロール)を1カプセルずつ混ぜ込んだ堅めの糊を接着剤として、折れた幹を繋いで、周りをビニールテープでしっかりと巻いて、一応形だけは元通りにした(図1)。

 さてその後、どうなって行くのか観察をしていたのだが、4週間もすると紅葉した葉が少なくなり(図2)、その次の日には、前の日の強風で葉っぱが全部なくなってしまった。よく見ると、3つの赤い実が健気にも枝にぶら下がっている。

 果たして、何とか継ぎ目で組織が再生してくれたのだろうか。今年の春にはまた芽吹いてくれるのだろうか。まゆみが西風で倒れないように、右隣のアメリカハナミズキの幹に紐で括り付けて上げているが、どうなることやら。

 ところで、そのアメリカハナミズキは、家を建ててから数年して、1000円の苗を買ってきて植え付けたものだが、今では3メートル以上に成長し、ハナミズキの機嫌が良い年は、4月の中旬に100個ほどの白い綺麗な花を咲かせてくれる。

 写真には写っていないが、まゆみの左側には欅が植えてあって、これは幹の直径が40センチを超える巨木になり、近所迷惑なので、二階の屋根のてっぺん辺りで毎年枝を払っている。他の木も含めて剪定料が結構高いんだ。庭を維持するのも楽ではないが、春から秋には、色々な木々の緑が目を楽しませてくれる。

 

 

 

 

 

 昨夜、山陽道で大渋滞が発生した。

 

 昨夜(午前1時ごろから午前5時頃まで)、山陽道で23キロの大渋滞が発生した。登り車線で複数の車が道路の冠雪で車輪が空転して、エンコしてしまい、大渋滞の原因となったと報道されている。山陽道では、まずは雪が降ることは稀なので、殆どの車は冬用のスタドレッスではなく普通タイヤを付けていたのだろう。それが仇となった。

 

 今はほとんどの車がオートマチック・トランスミッション(オートマ)になっている。そのため、雪道でのタイヤの空転による車のエンコを、上手く避けることが出来なくなっている。昔のマニュアルトランスミッション車なら、運転者が手動でクラッチ操作とシフトレバー操作を行いギアを変える方式であるので、操作が複雑なものの、色々なテクニックが使えるので、雪道での車輪の空転地獄から、かなり容易に脱出できる。MT車の免許を持っている人ならば、誰でも知っているはずだが、雪道での発進の場合は、クラッチをセカンドにして、ほんの軽くアクセルペダルを踏んでやれば、普通タイヤでも、さほど苦労することも無く、車輪の空転なしに、スムースに発進することが出来る。それでも上手く行かない場合は、半クラッチ(半クラ)にして、エンジンとタイヤ間の動力を「半分繋がった」状態にして、ゆるりゆるりと車を動かして行くと言うテクニックも使える。

 

 今どきのオートマ車では、こうしたテクニックは使えない。せいぜい、アクセルペダルを弱く踏んで車輪の回転数を下げて、空転が起こりにくくする程度のもので、アクセルペダルの踏み具合を繊細にコントロールすることは、得てして普通の人には難しい。60歳以上の人ならば、マニュアルトランスミッション車の時のテクニックを体で覚えているから、何とかアクセルペダルの踏み具合のコントロールだけで、雪道での発進時のトラブルを回避できるのだが、60歳以下の人いでは、そうしたテクニックを使う技能が無くなっている場合が多く、今回のような大渋滞に繋がると考えられる。

 

 それから、雪国では、車の走行時の必須のマナーが常識化している。それは、「雪が積もっている場合は、一番状態の悪い車(冬用タイヤを装着していないためスリップを起こしやすい車)のスピードに、他のスリップ対策が万全な状態の良い車の方が我慢して、自分の方のスピードを下げて、状態の悪い車に合わせて上げることである。スリップしやすい車に、タイヤチェーンを付けた冬用対策万全の車が後ろから迫って煽ったりすると、普通タイヤの車の運転者は焦ってしまい、ますますスリップを起こしやすくなる。雪国の人達は、そう言うマナーを守っているから、ちょっとした雪では、スリップ事故は起こさない。裏日本の方が表日本より、雪道ではしっかりしているのである。

 司馬遼太郎の小説が好きである。翔ぶが如く、世に棲む日日、花神、項羽と劉邦、坂の上の雲、空海の風景はみな5回は完読した。中でも「空海の風景」は論文と言っていいほどに、深い考証をベースに書かれた優れモノの小説である。空海の若き頃の、大学での明経の勉学を中途で捨てての、密一重を求めての四国室戸岬での修行についての説明と考察には、小説を超えた学問の空気が眩しい。そして密教の奥義を求めての入唐と就学の実相を読み進めると、空海の世にも稀な天才ぶりに驚かされる。かなり厚い文庫本で上巻と下巻があるが、非常に読み応えがある。今のZ世代や、アメーバブログ好きな多くの人々には興味が無いかとも思われるが、機会と意思が有ったら、是非とも読んでみて欲しい小説である。これから、思いついた時に、上記の小説について、僕なりの考えを語りたいと思っている。

書道と絵画芸術の差は何処にあるのか

 

 今日は、長年抱いてきた疑問について僕なりに考えてみたいと思います。僕は絵を描くのは得意で、図工や美術の科目で小学校から高校まで5段階評価で5以外は取ったことはありませんし、色々な美術作品展で特選や入選をしてきています。高校の時は、美術の先生から、「君は、是非とも東京芸大に進学して絵画を学びなさい。」と勧められたこともありました。

 

 ところが、僕は文字を書くのが非常に下手で、真面目にゆっくりと書いても、バランスの悪い字体になってしまいます。いくら心を込めて書いても、所謂、上手な字、きれいな字を書くことは出来ないのです。人物や風景のデッサンなら、何の苦労も無しに、そっくりそのままの風景や人物や器物などを描くことが出来るのですが、書道となると、いくらお手本を見て書いても、どうしても綺麗な字を書くことは出来ないのです。どちらも、風景や、人物や、器物や、文字の形をそのまま写し取れば良いはずなのですが、字体だけは、そっくりそのままを写し取ることが出来ないのです。

 

 僕は専門家ではないので、以下に述べることには誤りが多いかもしれませんが、僕が推測するには、絵を描く場合には、対象物から発せられた光の信号が描き手の目の網膜の視神経を刺激したことによって生じるシグナルが、後頭葉にある大脳皮質の視覚野に送られて目的物の形の認識が行われ、その情報が大脳皮質の視覚野から前頭葉にある運動連合野ひいては一次運動野や運動前野に送られ、さらに運動神経経由で筋肉に対象物の形を忠実に再現するための手指の運動に必要なシグナルが送られ、目に映った対象物の形を適正な手指の動きで描写すると言う仕組みで描くことが出来るのでしょう。

 

 ところが、字を書く場合には、いくら綺麗な字のお手本を見て書いても、上述の神経回路の何処かに何らかのシグナルの伝達不良があるように思われます。字の下手な人間でも、綺麗な字と言うものは理解できるので、目の網膜に映った文字の形についての情報は大脳皮質の視覚野までは正しく伝わっているのだと思います。ところが、お手本の綺麗な字体は一応視覚野では正しく認識されるものの、何らかの他の脳神経系(多分前頭葉に在る感情に関係した部分、例えば前頭前野かも知れません。)からの干渉によって、運動神経系を介しての手指の筋肉の動きがおかしくなってしまうのではないかと思われるのです。

 

 何故でしょう。僕が思うに、お手本の字体には書き手の意思や感情が強く込められているからではないでしょうか。これが、運動野に何らかの干渉現象を引き起こしているのかも知れません。確かに、風景や人物と言った絵画の対象物にはそうした感情は込められてはいません。でも、この考え方には大きな欠陥があります。画家の感情が込められた絵画を筆写する時には、ちゃんとその絵をそっくりに描くことが可能です。字を書く場合のように、お手本通りに書けないようなことにはなりません。描こうとする対象物に感情が込められていることが、対象物の正確な再現描写を妨げていると言うことは考えにくいのです。

 

 もう一つ大事な理由としては、次のことが考えられます。すなわち、お手本無しに字を書く場合には、字の下手な人は、バランスの取れたきれいな字のイメージが思い描きにくいことは事実ですので、そうしたことで綺麗な字を書くための手指の運動を妨げられているのかも知れません。

 

 何れにしても、きれいな字が書けると言うことはとても有利なことで、人前で字を書かないといけない状況は数多くありますが、絵を描かないといけないような状況は10年間に1度もないでしょう。僕はもう高齢者ですが、一度ぐらいは、祝賀会などの出席者の署名欄にまともな字を書けるように、遅ればせながら書道教室に通っています。もう1年ほど経ちますが、基本的な運筆の練習も3カ月ほどで一応合格して、今では5字の書を楷書と行書で練習しています。

 

 そこで気付いたのは、絵は何回でも筆を重ねることが出来るのですが、書では一瞬のうちに自分が書いていく文字の形を決め、筆筋の太さや、筆運びの速さやカスレ具合をきめなければならないことが良く分かりました。絵画は、筆の上塗りなど或る程度時間をかけての修正が大事ですが、書の方は字の形の見極めと連動した運筆が重要だと言うことです。

 

 現在では、まだまだのレベルですが、或る程度上達したら、般若心経の写経をしたいと思っています。

鉄道オタクの田村君 パラレルワールド体験記

岬 真之

アマゾンのクリンドル出版でオンライン小説として発売中

 

あらすじ

 田村慎太君は情報工学の専門家で、いまは県庁で働いている。田村君は鉄道オタクで廃線跡巡りが趣味である。或る晩秋の土曜日に廃線上岡鉄道の茂棲駅の付近を見て回ったが、駅から南に百メートルのトンネルの入り口に行ってみたところ、トンネルの先の出口は新緑に満ちているように見えた。その日は不思議に思いながらもそのまま引き返したのだったが、翌年の七月末の土曜日に、恋人の怜子(さとこ)さんと連れ立って、昼ごろにそのおかしなトンネルの様子を見に行ったのである。

 

 すると、茂棲駅側から見たトンネルの先の漆沢駅側の出口は早春の気配であった。怜子さんがトンネルの向うに行って真相を知りたいと言い出し、田村君は怜子さんに引っ張られながらトンネルの向う側のを目指したのである。トンネルを抜けると漆沢駅側の出口はやはり早春の季節で、茂棲駅側の方の真夏の季節ではなかった。さらに子細にみてみると、周りの景色はいつもと変わらないのだったが、怜子さんが見つけたコガネムシの死骸には脚が8本もあったのである。それで、この場所は別の世界ではないのかと言う不安が心を過り、二人はそのトンネルの中を歩いて元の茂棲駅側の出口に戻ったのである。出口の外は真夏の景色で地べたを這いずり回っている蟻の脚は6本であった。二人は、無事に元の世界に戻れたと手を取り合って喜んだのであった

 

 こんな調子で話が展開していくのだが、元の世界に戻れたと思ったのは、実はぬか喜びであり、その後二人は、自分たちは元の世界ではなく、元の世界に非常に近いパラレルワールドに入り込んでしまったことに気付くのである。一番の理由は、その世界では「田村慎太」は「田村愼太」と記されていて、「慎」の字は全て旧字の「愼」の字体になっていることであった。或る日、田村君は、この宇宙を創生した神のような存在が、「田村君と怜子さんの二人がパラレルワールドに迷い込んできた。」ことを感知したらしく、オリオン座の赤い巨星ペテルギウスの超新星爆発を引き起こして、その新星から放出される強力なガンマ線で地球上の全ての生命体を絶滅させようとしていることに気付いたのである。

 

 田村君は、そうした事態が起こる前にパラレルワールドから元の世界に戻るべく、超弦理論との関係で多次元空間を規定している時空理論に関する究極の数式を導くために、理論計算を進めて行くのであった。約1年間をかけて計算が完了し、11次元の時空を記載する数式に辿り着いた。田村君と怜子さんの二人は、この数式から導かれる解を頼りに、パラレルワールドから元の世界に戻るべく、行動を始めたのであった。さあ、どうなることやら。

 

 なお、この辺の話は、なるべく最新の物理学の科学的な知識に則る必要があるので、全体的に内容と説明がかなり難しくなってしまったが、異なる異次元空間の間をどのようにして移動するのか、そしてパラレルワールドBから元の世界であるパラレルワールドAに戻ることが出来ることを、どのような科学的な理屈で知ることが出来たかについてはなるべく詳しく説明しておいたので、頭の体操代わりにじっくりと読み進めてみて欲しい。

 

 この小説は、いわゆるSFであるが、いま流行りのSFファンタジーのように、

「或る日、何だか理由は分からないが、突然異次元の世界に入り込んでしまい、そこで何だか分からないが勇者として大活躍をして、異次元の世界の英雄になり、異次元の世界の美しいお姫様を娶って、楽しく暮らしましたとさ。」

と言うような童話のような筋立てではない。

 

 

 

 

 舞台はありふれた日常生活の場であり、パラレルワールド間の移動に伴って起こった主人公たちの生活状況の僅かな変化について、ドキュメントタリータッチで事細かに語られるだけなのだが、実際にそう言うことが起こることが不思議ではないような感触を覚える読者もいるかも知れない。

 

 事実、筆者がたまに経験するのだが、筆者の大学の教授室や、自宅の書斎で35歳で煙草を止めた筆者は全く喫煙などしはいないのに、部屋のどこからか煙草の匂いがすることがある。もしかすると、部屋の空間の何処かにパラレルワールドに繋がる空間の穴でも開いてて、そこから煙草の煙が漏れ出ているのではなかろうかと疑い、ボールペンで煙草の匂いがした当たりの空間を突いてみたりするのだが(万が一パラレルワールドにつながっている穴でも開いていたら怖いので、指先で突いたりすることは無い)、一向に異常なことは見つかっていない。

 

 この小説で語られるパラレルワールドは、現代物理学のマルチバース理論の一つの可能性をベースにしているが、宇宙のビッグバンの起点となった特異点と言うものを認めれば、私たちの宇宙に重なって存在する別の宇宙があっても不思議はない。宇宙は、その発生からして神の存在を無視しては語り得ない深い謎に満ちた世界である。SFはそうした根源的な宇宙の謎を、疑似科学的ではあるが、あくまでも客観的な視点で淡々として迫ろうとするものなのかもしれない。

 

 筆者が、もっとも推奨するのはカール・セイガン博士が書いた「コンタクト」と言うSFである。著者はコーネル大学の天文学の教授で物理学部長を務めていた優れた科学研究者であった。「コンタクト」は、カール・セイガン博士が生涯でたった一度だけ執筆したSF作品であるが、科学と神との関係を突き詰めて思索した小説であり、一種の哲学書でもある。このSFは、地球人科学者と極めて高度な文明を持つ宇宙人との交流を描いた作品だが、著者の専門知識をベースにした科学的な小説である。物語は、π(円周率)という数学や物理学の基本となっている数の小数点以下数百億桁以下に宇宙創造の神のような存在からのメッセーが1と0の並びで組み込まれていると言うことが明らかになったと言う所で結末を迎えている。セイガン博士の、数学に精通していないと到底出てこない発想に大いに感嘆したものだ。

 

 πや自然定数eなどの数学の基本である数字にメッセージを組み込むなど、神でなければ到底無理である。そして、宇宙は空間も時間もエネルギーも無い絶対的な無の世界の超ミクロな一点(特異点)から生じたと言うモデルが現代の物理学の基本であるが、その特異点には数学と物理学の原理だけは有るのだと言われている。カール・セイガンの書いたSF「コンタクト」はこう言う所まで迫った小説である。読者諸君も、そういう本物のSFを読むべく力を注いでみて欲しいものである。できれば、そう言うSFの執筆にも取り組んでもらいたいものだと思う。

 

 どうせこのご時世、筆者が書いた退屈なSFもどきの小説などをわざわざ購入して読んでくれそうな若者は、かなり科学好きな人しかいないだろうから、このSF本は1年間に1冊でも売れたら大したものだと考えている。

 

 

 

 

量子もつれは恋の予感

 主人公は28歳の男子で大学の助教をしている。或る日、主人公は高速道路の山越えで交通事故を起こし対向車と正面衝突をしてしまい、心肺停止に陥り臨死体験を経験する羽目になった。三途の川を渡ろうとした時に、突然主人公の意識が極微にまで押し潰されクォークと思われる量子と合体してしまった。

 気が付くと、主人公の周りには人間の意識を持った量子が飛び回っていた。或る時、主人公は量子同士の重ね合わせ現象を利用して女性と思われる意識体と交信することに成功したが、その女性は主人公が正面衝突をした車を運転していた人だった。その後、主人公は量子力学研究者の意識体との交信にも成功したが、その研究者は死後の意識の量子化は人間に限られた稀な現象であり量子化した意識体の寿命は非常に短いと言っていた。主人公は、その人から彼女と一緒に宇宙空間を瞬間移動する方法を学んだ。心の交流が進むにつれて二人の間に恋心が芽生えて行った。

 そして二人は手に手を取って宇宙を巡る旅に出たのである。二人は色々な経験を重ね互いへの愛を深めつつ宇宙の果てに向けて旅を続けた。二人はついに宇宙空間と絶対的な「無」の世界との境界面に辿り着いたが、その光景は名状しがたいものだった。球形の宇宙の縁と「無」の世界との間の百億光年の空間には天体は一つもなく、「無」の世界との境界面からは青白いコロナが放射されていた。その時、二人の恋は愛に昇華し永遠のものとなった。

 その後、二人の量子が「無」の世界との境界面に触れたため、二人の意識体は瞬時に消滅したのだが、不思議な力が働き、二人は別々の病院の救急処置室で蘇生することになった。エピローグには、蘇生後の二人の入院生活、社会復帰の様子、そうした日々の触れ合いを介しての二人の心情の変化について語られるが、全編を通して若い女性にも受け入れられそうな魅力のある恋の物語になっている。結末は、二人が普通の恋をして結婚して幸せな家庭を築いて行くと言うもので、快い読後感の小説になっている。

俳句 2025

まゆみの葉 日々赤み増す 日暮れかな

トラクター 芒刈りゆく 休耕田

足湯にも 柚子を浮かべて 道の駅

春小麦 今日は種まき 風強し

 

晴れと雨 繰り返しつつ 初氷

雨の夜や 柚子風呂温し 冬至かな

アベリアの 葉数減りゆく 霜柱

ウバメ樫 伸びた枝刈る 冬の空

白樫の 緑まだ濃く 山眠る

 

初雪に 胸膨らませ 雀鳴く

蓮の葉の 浮かぶ水面や 初氷

アベリアの 花数期待の 冬芽かな

山茶花の 花満開の 日暮れかな

公魚の 甘露煮旨し 神無月

 

雑炊を 水炊き鍋の 締めとせん 

オリオンの ペテルギウスも 瞬けり

山遠し 河原に一羽 千羽鶴

シリウスの 青く冴ゆるる 夜空かな

裏庭の いよいよ紅き 紅葉かな

 

 

正岡子規の句 (冬)やはり一味違う。

木の影や 我影動く 冬の月

冬枯や 田舎娘の うつくしき

木枯しやあらおくいこむ菅の笠 

あたたかな 雨が降るなり 枯葎

苫の霜 夜の間にちりし 紅葉哉

 

 

僕の作った冬景色の版画の年賀状(場所は30年前の新宿)

 

 

 

 

 

 

 

 

白昼に幽霊を見た

 

 これは紛れもない実話である。五月ごろの良く晴れた日の午後3時ごろ、僕は自宅から西側に休耕地を挟んで150メートルの道路沿いにある行きつけのカフェで、珈琲を飲んでいた。ガラス窓から自宅が斜め左側に見えていた。

 

 僕の自宅は南北方向の幅が5メートルの道路に面しているが、その道路の西側にはガードレールがあり、そこから3メートルぐらい下を幅が2メートルの側溝が流れている。その側溝の西側に休耕地が広がっているのだが、側溝に面してコンクリート製の幅が50センチで50メートルぐらいの長さのあぜ道があった。そのあぜ道は側溝の水面から1メートルほど高い位置にあって、僕の自宅の前を通る道路よりも2メートルぐらい低い所を通っている。

 

 カフェで、注文したホットコーヒーを半分ほど飲んだ時であった。ボヤっと窓の外を見ていたのだが、その休耕田の側溝に沿ったあぜ道の上を北に向かって歩いている中年女性の姿に気が付いた。あぜ道の中ほどをゆっくりと歩ていた。その女性が、手に買い物かごを持っていたかどうかは覚えていない。「何で、あの女の人は、側溝の手前の休耕田のあぜ道なんか歩いているんだろうか。」と少し不思議に思って、その情景を眺めていた。

 

 そして、僕がコーヒーを飲もうとして2秒ほど目を逸らした間に、その女性は忽然と姿を消していた。カフェの西側の窓の外の風景が、こちらの窓ガラスに映っているのかなと、西側の窓の外の風景に目をやったが、道路を行き交う車は見えたが、その女性の姿は見えなかった。その女性の姿が、あまりにも突然に消えてしまったので、僕は少し気持ち悪くなって、残りのコーヒーを飲み干して、カフェを出て、カフェの前の東西方向から南北方向に半弧を描いて回っている広い道の歩道を歩いて、休耕田の東南の角で、僕の自宅前を通る道路へ左折して家に戻った。その間、きょろきょろと周りを見回してみたが、その女性の姿は目に入らなかった。

 

 僕は、薄気味悪い感じがしたので、日本酒を小さなコップに入れて、その女性が見えたあたりのガードレールから、お払いのためにお酒を撒いたのであった。その後、25年ぐらい経つが、毎年2回実施している町内会の件(くだん)の側溝のどぶさらいの作業中に、みなで側溝に下りて行って川底のヘドロをスコップで、件(くだん)のあぜ道の上に掬い上げたりしているが、そうした不思議なことが起こったことは一度も無い。

 

 と言うことで、この何となく怪しい話は終わりであるが、幽霊がもし居たとしても。深夜の人のいない心霊スポットに出没するのではなく、幽霊は白昼堂々と通りを歩く人々に混じって姿を現しているのではないかと思う。そして、あなたの前を歩いている幽霊は、次の角で左に曲がるが、その途端その姿は消え失せてしまう。しかし、あなたはそのことに気付かずに、その路地の角を通り過ぎて行くと言うようなことも、しばしば起こっているのではなかろうか。

 

 オカルトから離れて考えてみると、その幽霊の姿は、全く別の所に居る普通の生きた人間の姿のホログラフィーなんてこともあり得る。何たって、アインシュタインが理論的に発見した「量子もつれ」という現象が存在することが証明されていて、その功績に対してノーベル賞も出ているが、「量子もつれ」から「テレポーション」と言う現象が引き起こされるんだし、超弦理論を発展させると、3次元のこの世界は、2次元の世界が投影されたホログラフィーなんだと言う説も導かれて来るそうだから、そう言う物理現象の裏に幽霊と言うものが潜んでいても別に不思議はないだろう。

 

 ノスタルジックでロマン溢れる詩を書いてみましょう。最初は真似で良いから、島崎藤村が好んで使った語彙や言い回しを紹介して置くので、それらの語彙や言い回しの心象風景を読み取って、自分なりの明治~昭和初期の現代詩を書いてみましょう。現代ポップスのラップの歌詞も悪くはないけれど、それだけだと教養が問われます。

 

遊子、蘩蔞、淡雪、畠中の、草枕、榮枯、百年、聲調、荒磯、波路、東雲、彩なす、舟路、葡萄葉、美酒、花影、初音、

うらぶれ、かそけし、ほのか、み空、み山、み川、たまゆら、かげろふ、しづけさ、うつせみ、夕づつ、朝ぼらけ、霧雨、

こずえ、みぎわ、朧、ほととぎす、こほろぎ、しら梅、朽葉、旅人、ふるさと、さすらひ、うたかた、かへらぬ、夢路、

うつろひ、たそがれ、みちのく、ひと昔

 

千曲川旅情の歌(1番)
小諸なる古城(こじょう、ふるき)のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る


あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ


暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む

(2番の詩も有ります。) 
僕が大好きな藤村の抒情詩です。藤村は、沢山の優れた詩を書きましたが、突然詩作をやめて、小説に転向して、「夜明け前」、「破壊」などの長編小説を書きました。詩では語り切れない自分の思想と哲学を綴りたかったのでしょう。藤村が亡くなってから長いこと経つので、藤村威の詩は著作権には抵触しませんが、現代詩などは気を付けましょう。商用に使うとかなりの確率で高い使用料を支払わされることがあります。ちなみに、日本の著作権の保護期間は著作者の死亡後70年です。