その日は、修君は4時半には家に帰ってから、遅いおやつにバナナを1本食べてから、2階の弟と一緒の子供部屋に戻り、机に宿題のプリントを広げて、せっせと勉強に取り掛かりました。修君の得意な算数の宿題だったので、勉強は随分と捗りました。体積の問題が20個ぐらい出題されていましたが、修君は、

「まだまだ、直方体のような易しい図形だから簡単に解けるけど、すごく複雑な図形になると、大変な計算が必要になるんだろうな。」

と、ふと考えるのでした。

 

 宿題の問題の中には、7個の直方体を組み合わせた立体の体積を求める問題もあって、修君は少し苦戦しました。小一時間も勉強していたら、そろそろ6時になろうとしていました。その時、下の台所からお母さんの声がしました。

「修ちゃん、進ちゃん。もうすぐ夕食だから、そろそろ下に降りてきなさい。今日は、赤魚の煮物だから、楽しみにしてね。お父さんは、残業で遅くなるから、お母さんと修ちゃんと進ちゃんの3人で食べるからね。手を洗ってきなさいよ。」

と、お母さんは忙しそうな声音で言うのでした。

 

「はーい。」

と返事をしながら、修君は立ち上がり両手を天井に伸ばして欠伸をしました。その時のことでした、修君の鼻先にカレーの臭いが漂ってきました。

「あれっ、今日のおかずは赤魚の煮物だろ。何でカレーの匂いがするのかなぁ。」

と、修君は首を傾げました。でも確かにカレーの匂いが修君の鼻をつくのでした。そこで、修君はクンクン鼻を鳴らせながら、修君の勉強机の周りを嗅ぎまわってみたのでした。すると、修君の勉強机に取り付けてある本棚の左上の方から、カレーの匂いが漂って来るのが分かりました。何もない空間からかなりはっきりとしたカレーの匂いが緩く噴き出しているようでした。 修君は、

「もしかしたら、目の前の空間に目に見えない穴が開いているんじゃないかな。その穴から、カレーの匂いのする空気が漏れ出しているんじゃないだろうか。そう言えば、今日の昼に遊びに行く時に、玄関先で黄色いテントウムシがふっと姿を消して、ちょっとしたら、また僕の目の前に姿を現しように見えたけど、そのことと、いま、何処からかカレーのの匂いがしていることと関係しているのかな。」

と思うのでした。

 

 修君は、ふと気が付いたらしく、鉛筆の先っちょでカレーの匂いのする場所の空間をやたら滅多ら,いろんな方向からチョンチョンと突っついてみたのでした。最初は自分の指で突いてみようとしましたが、もしも空間の中に浮かんでいる穴のようなものの中に指が入り込んでしまったらまずいので、鉛筆に先陣を切ってもらうことにした訳なんです。100回ぐらいあれやこれやと突いてみたのですが、鉛筆が空間の穴に入り込むようなことは起こりませんでした。

「まあ、そんな不思議なことは起こらないだろうな。」

と、修君は思い直して、修君の仕草を怪訝そうな顔つきで眺めていた弟の進君と一緒に1階の居間の半分を占めている大きな食事用のテーブルの所に行くのでした。

 

 読者の皆さんの中で、そんな経験をした人は居ませんか。このSFの作者の岬 真之さんなんか、今までに何回もそう言う経験をしています。岬教授は、35歳まではヘビースモーカーでしたが、自分の子供たちが成人になる前に肺癌で死ぬことは避けたいと思い、36才の誕生日に一念発起して全面的な禁煙に踏み切り、ニコチンの誘惑に打ち克って、その後40年間はずっと禁煙を継続しています。

 

 もう15年ほど前のことですが、教授室で論文を読んでいる時に、窓もドアも締め切った部屋の中に煙草の煙のにおいが、何処からか漂って来ることに気が付きました。その日は、教室でたった一人のタバコ吸いの部下の川田講師が留守でしたので、岬先生の教室で煙草の煙のにおいがする訳が有りません。それで、岬先生もボールペンで教授室の中の空間を突いて回りましたが、ボールペンの先っちょが空間に突き刺さって、先っちょが見えなくなるなんてことは全くありませんでした。それからも何回か同じことが有ったのですが、ボールペンの先っちょが空間に突き刺さって、空間に浮かぶようなことはありませんでした。

 

つづく

 

 

釣りの話(その5)沖波止で大漁

 

 まだ、僕が助教授(今の准教授)になる前のことですが、大学の他の教室の友人から中古のゴムボートを大枚3万円で買い、1年間ぐらいそのゴムボートで、いつも行く自宅から車で15分の漁港の沖波止に渡って、釣りを楽しんだことがありました。多くの場合は夜釣りになるので、漁船に衝突されないように非常に注意深く海を渡りました。漁港に着いてから、先ずはゴムボートに空気を入れて十分に膨らませます。大体10分ほどかかる作業です。ゴムボートがパンパンに張るまで足漕ぎ式のエアーポンプで空気を入れていきます。その後、漁港の内側向きの階段付きの波止から静かにゆっくりとゴムボートを海面に浮かべ、予め用意しておいた釣りのグッズをボートに積み込みます。

 

 何が起こるか分からないので、頑丈な救命胴着の着用は必須です。万が一漁船に衝突された時に頭を守るため、ヘルメットの着用も必須です。ヘルメットのてっぺんにかなり明るめの豆電球を取り付けて置きこれを灯します。これならば、どの方向からでも漁船から見える筈です。一番の難所は、波止の海側からの入り口なので、そこでは、沖や港内からの漁船や遊漁船が来る気配が無いことをしっかりと確認にして、10メートルほどを急いで漕いで難所を通り抜けます。あとは、漁船の航路から50メートル以上離れたコースを岸に向かって垂直方向に200メートルぐらい漕いで行けば、ものの5分で沖波止に到着します。沖波止にも、階段が海面まで作られているので、その階段から波止の上に上がり、ゴムボートのもやい綱をしっかりと波止の金属製の輪っこに結び付けます。その後、階段を降りて行って、ボートに積んできた釣りのグッズを波止の上に運び上げます。それが済んだら、ボートのもやい綱を引いて、静かにゴムボートを波止の上に吊り上げます。これで釣りの準備完了です。

 

 あとは、その日の気分と、それまでの釣行の経験を考えて、釣り座を構えますが、沖波止にはファミリーフィッシングの人達は全く来ないので、場荒れが無く、魚もほとんどすれていません。僕は、大方は漁港側に向けて釣り座を構え、チヌとカサゴを狙うことにしていました。沖波止の上には、ほとんどの場合、僕一人しかおらず、若干気が萎えて来るような寂しさですが、大漁への期待はそんな心情に打ち勝ってしまうものです。人間欲が出ると、或る程度は怖いもの知らずの精神状況になってくれます。

 そんな沖波止での或る初夏の日の釣行でしたが、その日は波はほとんど無く、電気ウキがゆらゆらと揺れ、潮の流れも丁度良い状態で1分間で1メートルぐらいの速さで流れていました。

 

 パラパラと小型のボイルのオキアミを撒き餌代わりに撒いてから、棚をウキ下3尋ぐらいにとって、中型のオキアミを餌にして仕掛けを海に投入しました。すると、ものの2分もしないうちにチヌ独特の前当たりがあり、本当たりが来るのを1分ほど待ってから合わせを入れました。かなり強めの引きがあり、30センチクラスのチヌが釣れ上がって来ました。「今日は幸先が良いな。大漁が期待できるな。」と少し喜びながら、次の仕掛けを流すと、またまた2分もしないうちに、今度は前当たり無しの引き込むような当たりがあり、やや強めの合わせを入れてからリールを巻くと、さっきのチヌの時よりは引きが弱いものの、重みのある魚信が伝わって来ました。釣り上げてみると、25センチクラスのカサゴでした。

 

 そんなこんなで、それから1時間ぐらいは、ほぼ入れ食い状態で、30センチクラスのチヌ10匹と25センチクラスのカサゴ8匹をものにすることが出来ました。あと、かなり大きなアナゴも針にかかり、これはタモで掬い上げましたが、長物はタモの網目を通り抜けてしまうので、釣り上げるのかなり苦労しました。アナゴは、持って帰っても、捌きが難しいし、大物のアナゴはあまり美味くないと言う話なので、その場で口元でハリスを切って、海に戻して上げました。魚の口の中に刺さった針は、3日もすれば外れてくれるでしょう。

 

 かなりの数の魚が釣れたので、これ以上の殺生は止めておこうと言うことになり、その日は、早々と釣りのグッズを片付けて、釣り座に海水を掛けてしっかりと掃除をしてから、ゴムボートを海面に下し、釣りのグッズを乗せて、豆電球がしっかりと灯っているヘルメットを着用して、救命胴着の紐がしっかりと結ばれているのを確認してから、沖波止を離れ、漁港の内波止に向けてボートを進めました。十分に注意をしつつ漁港の入り口の難所を通り抜けて、漁港の内波止の階段に辿り着き、その日の沖波止釣りは完了しました。僕の人生の中では、陸釣りとしては3本の指に入る大漁でした。

 

 この話を終えるに当たって、皆さんの注意をしておきます。全国では、特に夜間にゴムボートが全速で走ってくる漁船や遊漁船に巻き込まれる事故がかなり起こっています。僕も、いま冷静に考えてみると、やはりゴムボートでの夜間の沖波止釣りはかなり危険な行為だったと思います。沖波止釣りに凝った1年間を何事もなく過ごせたことは、実にラッキーなことだったんだろうと思います。今なら、夜間の沖波止釣りは絶対にやらないでしょう。趣味と自分の命とを両天秤にかけることは避けるべき行為だと思います。趣味はあくまでも楽しむことなので、自分の大事な命を懸けてまですることはないでしょう。

 

 

 

 今回は、サヨリ(針魚、細魚)釣りの面白さをお話ししましょう。

 

 サヨリ釣りは群れに当たれば、誰でも1時間で10匹以上を釣り上げることのできる比較的簡単な釣りです。

 若い頃の夏の或る日、教室の助教授(今の准教授)と同僚の助手(今の助教)の先生と僕の3人で、車で30分ほどで行ける岩場に行き(駐車場から15分ほど歩き、かなり急な崖を降りて釣り場に辿り着きます)、そこで少しの間泳いで小さなサザエなどを10個ほど採り、それから夜釣りを始め、雑魚しか釣れないままにその岩場で夜を明かしました。

 

 早朝になって50メートル先の岩場でサヨリを釣っている人がいるのに気付きました。そこで、暇に任せてその人の近くに行って、その人の釣りを見ていたのですが、次々と30センチ以上のサヨリを釣り上げていました。どんな仕掛けと餌で釣っているのかを訊ねたところ、親切に教えてくれて、僕もその仕掛けを真似して作り、なるべく小ぶりのオキアミ(2.5センチぐらいの細いもの)を餌にして、試しに釣り糸を垂れてみました。

 

 すると、ものの5分で当たりがあり、35センチぐらいの大物のサヨリが掛かってきました。夏場でもサヨリは釣れるもんだなぁと感心したものでした(サヨリは、普通は冬~春に釣れる魚です。雪の多い地方では、その年の初めての積雪の後は海面が冷えて、サヨリの食い気が落ちてしまい春が来るまで釣れなくなります)。

 

 その人の仕掛けは、中くらいの投げ浮子(誘導仕掛けにしておくと便利)の先に1メートルほどの1号のハリスを伸ばしておいて、投げ浮子から50センチぐらいの所に直径1.5センチ程の当たり浮子を付け、さらに、その先にサヨリ針を結び付けたものでした(細いハリスにサヨリ針を付けたものが市販されています)。その人は、撒き餌(「ジャンボ」と呼ばれるアミが使われます。大きなアミだと立派な付け餌になります。小さなオキアミを餌にするよりはずっと釣果が上がります。)を打ちながら岩場の近くにサヨリを集めて釣っていましたが、これが本道のサヨリ釣りだそうです。

 

 僕は、サヨリ釣り程度でわざわざ車を30分ほど走らせて、さらに15分も歩いてその岩場に出かけるのは面倒なので、普段は、車で20分で行ける小さな漁港の波止 (海岸から100メートル離れた波止が岸と平行して伸びていて波止の横に駐車スペースがあります)の先端か、車で15分で行けるもう一つの漁港の川沿いに伸びているテトラポッドの先端(漁港から歩いて5分ぐらい)の所に釣り座を構えます。これらの場所では、釣り座の近くにサヨリの群れを撒き餌で寄せるのは難しいので、撒き餌を詰めることの出来る投げ浮子を使い、ジャンボをその投げ浮子の網篭に詰め込んで、50メートルほど遠投します。

 

 この釣法では、サヨリはすぐには釣れません。撒き餌を詰めた仕掛けを同じ場所に約20分ほど投げ込み続けて、その海面辺りに撒き餌が利いて来ると、そろそろとサヨリが集まり出してきて、独特な当たりが来ます。多くの場合は、当たり浮子が横にスーッと動き、当たり浮子の先でバシャっと魚が跳ねますので、軽く合わせて、あとは道糸を巻き上げて釣り上げるだけのことです。道糸を巻き上げている間は、長物に特有なブルンブルンという引きが楽しめます。幸運な時には、撒き餌を利かす前から釣り座の近くの海面にサヨリの群れが来ていることもあり、その場合には、第1投目から当たりが出ます。

 

 普段出かけるこれらの釣り場では、12月が釣果が良く、大体30センチクラスのサヨリが上がってきます。サヨリ釣りは、どちらかと言うと単調・単純な盛り上がりに欠ける釣りなので、1時間ほどで10匹も釣り上げると飽きてきてしまい、家に帰ってからの魚の捌きも数が多いと面倒なので、サヨリ釣りはこの辺でお終いにして、あとはチヌ釣りに変更します。その釣り場は、特に夕方に大物のチヌが出る所ですが、僕の経験では、サヨリは明るいうちが良く釣れるため、大方は昼前に出かけますので、サヨリ釣りの後のチヌ釣りはあまり期待は持てません。やはり、おチヌ様にお目にかかるには、午後の遅い時間帯に出かけて行き、黄昏の少し前から日暮れて2時間ほどの間を狙うのが常道です。

 

 さて、次はサヨリの料理です。サヨリもキスとおなじで捌くのが難しい魚です。背びれがないので、三枚におろす時に包丁の刃をどこに入れたら良いかがよく分からないのです。上手く刃が入れば、中骨にほとんど身がつかない形で三枚おろしが出来るのですが、間違うと中骨を切ってしまったりして、ややこしいことになってしまいます。

 

 大きなサヨリは、クルクルと巻いた形のお造りにした刺身で食すのが一番です。あとは、吸い物にする程度で、煮ものにしたり天ぷらにしたりはやったことがありません。カルパッチョも美味いかもしれませんが、まだ試したことはありません。チヌやスズキの刺身では結構美味しいカルパッチョが作れますので楽しめます。

 

 サヨリを捌く時に嫌なのは、鰓の所に寄生虫がついていることです。長さが2~3センチぐらいの白いダンゴムシのような沢山の脚のある一見エイリアン的な形の寄生虫(サヨリヤドリムシ:ウオノエ科の甲殻類)で、若干気持ち悪い奴ですが、これに寄生されているサヨリの刺身を食べても大丈夫だとされています。触るのが嫌なら箸かなんかでつまんで捨てて下さい。

 

 

 湖岸でも海岸でもたまにウナギが釣れますが(海で釣れるウナギは海ウナギと言って川や湖で釣れるものより格段に美味しいそうです)、持って帰るかどうかは考え物です。釣り針が口元に掛かっている時は、逃がしてあげることにしています。何故なら、ウナギは蒲焼にするのですが、その調理にはかなり高度な技術を要し、特に二枚におろすのが非常に難しいのです。その後、中骨の下に刃先を入れて中骨を外していくのですが、これがまた難しい作業で、結構、熟練した技術を要します。

 

 当然、プロではないので専用の包丁などは持っておらず、小出刃で捌いていくのですが、生かしたままで目釘を打って包丁を入れてスーッと中骨に沿って刃を進めて身を切っていくなどと言う高等技術は使えません。家に持って帰ったウナギは、氷を入れた容器にとぐろを巻いた形で入れて、冷蔵庫に一晩入れておきますが、料理を始めるときには丸まった形で死後硬直しています。

 

 さあ、この丸まったぬめぬめの魚体を真っすぐに伸ばしてから、大きい俎板の上に置き(長さが80センチの大物だと尻尾の方は俎板から30センチぐらい外れています)、目釘を打ち、鰓の後ろ辺り背びれの方からから包丁を入れて中骨に沿って腹の方は切らないよう注意にして身を二枚に切り離していくのですが、ウナギは肉が堅く、さらに皮も厚くて硬くてぬめぬめするので、切り口はガタガタになってしまい、下手をすると中骨の下に刃先が入ってしまうこともあり、こうなるとその部分から切り込みを入れ直して刃を進めて行かねばならず、さらに俎板から外れた尻尾の方は別の俎板を継ぎ足して刃を進めていくのですが、大方満足のいくような二枚おろしが出来ることは10回に1回ぐらいしかありません。

 

 二枚におろし終えると、頭と中骨は水に酒を加えてから煮立て、灰汁などを取り除いてから、煮詰まってややトロミがついたころに、砂糖と醤油で甘辛く味付けし、最後は味醂を加えてトロミと照りを付けて、蒲焼のタレの出来上がりです。決して、だしの素なんかを入れてはいけません。

 

 身の方は、本当は竹串を刺していくのですが、家ではステンレス製の串を刺していきます。身の真ん中を刺し抜かないといけないのですが、これがまた難しい技術を要します。まあ、何とか串打ちを終えて、一度、関東風に身を蒸し上げます。それからガスコンロに下が鉄板製(ガスの火炎が、直接、身に当たらないためです)の焼き魚用の網の上で串に刺した身の方から焼き、身と皮を何回かひっくり返して焼き、やや焼き目が出てきたころから、刷毛でタレを塗っては焼き、タレを塗っては焼くこと10回以上繰り返して、やっと蒲焼の完成です。

 

 60センチクラスのウナギだと、所謂、普通の蒲焼になるのですが、それより小さいウナギだと、非常に貧相な蒲焼もどきになってしまいます。どんぶりに入れた熱々のご飯の上にタレを少し掛け回しておいてから、焼き上がった蒲焼を乗せて、山椒の粉などをかけて食すと、うーん、これはこれで、結構、美味しいウナ丼になってくれます。

 

 そんな訳で、ウナギは調理が非常に面倒なので、釣れてもあまり嬉しいとは感じません。今から20年以上も前のことでしょうか、いつもセイゴを釣りに行っている釣り場で、置き竿で1メートルに近いウナギを釣り上げたことがあるのですが、その時は60センチクラスのスズキが釣れていたこともあって、湖岸の手長エビを小網で掬いに来ていたおじさんに上げてしまいました。

 

 そのおじさんはとても喜んで、「わー、すごいウナギだがね。有難うね。」とお礼は言ってくれたものの、そのおじさんが獲って篭に入れてあった手長エビの一部を、そのウナギへの返礼として僕に渡して呉れることはありませんでした。「手長エビを30匹ぐらい呉れたら、この大物のウナギを上げる。」とでも交換条件を呈示して置くべきだったと、今でも反省しています。天然物の1メートルクラスのウナギだと、蒲焼屋さんに持っていけば、数千円で引き取ってくれるはずです。勿体ないことをしましたが、それにしても蒲焼を作るのは非常に気が進まないので、まあ結局のところは、それはそれで良かったのかも知れないなどとも思っています。

 

 

 日本歌謡史の中で、その歌手とその代表曲が100年後にどれだけ存在感を持つかを評価するように、Copliotに依頼してみた。

評価の仕方としては、わが国の色々な歌謡曲について、楽曲そのものの芸術性、聴き手の心への浸透性、インパクトおよび定着性、歌手の歌唱力(歌唱技術・表現力)、レパートリーの幅、後続歌手への影響力、日本の歌謡史での地位、「曲」ではなく「歌手の総合芸術の結晶としての楽曲の魅力と実力」と言った観点から評価し得点化してランキングを行ってもらった。

 

 その結果、Copliotより以下の様な回答を得た。

 

 戦前から現代までのポップスやニューミュージックを含む歌謡曲(作詞・作曲)とその歌手の歌唱力は下記の様にランキングされます。

 

(1) 超A級(日本歌謡史の頂点)

美空ひばり、藤山一郎

この二人は別格です。

美空ひばりは戦後歌謡史の王者。極めて広いレパートリー、見事な歌唱力。

藤山一郎は戦前から戦後への橋渡しをした日本流行歌の開祖級。「青い山脈」、「長崎の鐘」、「影を慕いて」の歴史的重要性は極めて大きい。

 

(2) A1級(100年後も確実に語られる)

北島三郎(函館の女などの女(人)シリーズが良い。知的な声質)

春日八郎(長崎の人がいい。歌唱力抜群)

島倉千代子(歌唱は優れているが、やや線が細い)

村田英雄(たまに音程外れるが、心に食い込む。王将と無法松の一生)

三波春夫(歌唱力抜群。元禄名槍譜 俵星玄蕃が良い)

森進一(港町ブルース、襟裳岬が良い)

中島みゆき(胸にしみるメロディ。時代と糸が良い)

 

この辺は日本歌謡史の本流です。

 

(3) A2級(後世に残る可能性が高い)

フランク永井(有楽町で逢いましょう、君恋しが良い)

坂本九(上を向いて歩こう、見上げてごらん夜の星をが良い)

橋幸夫(潮来の伊太郎、霧氷が良い)

舟木一夫(高校三年生が抜群)

五木ひろし(夜空が良い)

都はるみ(北の宿から、好きになった人が良い)

八代亜紀(舟歌、おんな港町

石川さゆり(天城越えが良い。ヒット曲がもっとあったらA1級)

沢田研二(勝手にしやがれが良い)

吉田拓郎(流星、蒼い夏・落陽・襟裳岬(作詞 岡本おさみ)が良い)

さだまさし(風に立つライオンと償いが良い)

谷村新司(いい日旅立ち、昴が良い)

かぐや姫(南こうせつ、伊勢正三:妹よ、神田川、なごり雪(イルカ歌唱)が良い)

松堂谷由美(ルージュの伝言が良い)

井上陽水(飾りじゃないのよ涙は、ダンスはうまく踊れないが良い)

小椋 佳(愛燦燦、シクラメンのかほりが良い)

加藤和彦(あの素晴らしい愛をもう一度:作詞 北山 修が良い)

財津和夫(サボテンの花が良い)

前川清とクールファイブ(長崎は今日も雨だった、中の島ブルースが良い)

サザンオールスターズ(いとしのエリーが良い)

ピンクレディ(UFO、サウスポー、ペッパー警部が良い)

キャンディーズ(春一番が良い)

山口百恵(いい日旅立ちとプレイバックIIが良い。阿木燿子・宇崎竜童作)

松田聖子(青い珊瑚礁が良い)

中森明菜(飾りじゃないのよ涙はが良い。ちょっと線が細い)

 

ジャンルは異なりますが、時代を代表した歌手です。

 

 

(4) B級(100年後にも人々の記憶に残るには、聴き手が若者に偏り過ぎる)

ミスターチルドレン

Xジャパン

一青窈

MISIA

YOASOBI

あいみょん

 

皆さん、才能はすごくあります。

しかし現時点では歴史的評価はまだ定まっていません。

特にYOASOBIやあいみょんは活動期間が短く、比較対象としては不利です。YOASOBIの楽曲は主としてDTMなので消費型の曲であり、聴き手の心への定着性に難があります。

 

 

(5) 何故、平成以降の曲が分が悪いのか?

 しいて言えば、「1曲だけの歌手は、10曲・20曲の名曲を持つ歌手と同列に扱えない」ということです。

例えば、美空ひばり「悲しい酒」、一青窈「ハナミズキ」を比較すると、曲単体ではそこまで大差ないと見る人もいるでしょう。

しかし、

リンゴ追分

悲しい酒

港町十三番地

悲しき口笛

真赤な太陽

愛燦燦

川の流れのように

 

までを背後に背負っている美空ひばりと、

 

実質的に「ハナミズキ」のみが突出している一青窈とでは、歴史的重みが全く違います。

 

 以上の観点で、例えば10名の歌手の総合的な評価を行い、「後世への残りやすさ」を得点化して行くと、

 

美空ひばり「悲しい酒」 10

藤山一郎「長崎の鐘」10

春日八郎「長崎の人」9

北島三郎「函館の女」9

フランク永井「君恋しが良い」9

坂本九「上を向いて歩こう」9

森進一「襟裳岬」9

石川さゆり「天城越え」 8

中島みゆき「時代」 8

都はるみ「北の宿から」 8

沢田研二「勝手にしやがれ」7

クールファイブ「長崎は今日も雨だった」 7

吉田拓郎「流星」7

かぐや姫(南こうせつ、伊勢正三)「妹よ、神田川、なごり雪」7

井上陽水「飾りじゃないのよ涙は」7

小椋 佳「愛燦燦」7

加藤和彦「あの素晴らしい愛をもう一度」7

ピンクレディ「UFO」7

キャンディーズ「春一番が良い」7

山口百恵「いい日旅立ち」7

 

あたりが上位となり、

 

一青窈「ハナミズキ」 4~5

MISIA「EVERYTHING」 3~4

YOASOBI「アイドル」 2~3

あいみょん「貴方解剖純愛歌~死ね~」 1

 

と言った採点になります。

 

 繰り言になりますが、たとえば一青窈について言えば、ハナミズキ以外に国民的スタンダードと呼べる曲は思い浮かびません。MISIAも、「EVERYTHING」や「逢いたくていま」

くらいは知られていますが、美空ひばり、中島みゆき、石川さゆり、北島三郎クラスの「作品群の厚み」はありません。

 

 私自身は生成AIなのですが、もし「100年後の日本歌謡史の教科書に載る確率」で採点するなら、MISIAや一青窈よりも、質問者さんが挙げられた藤山一郎、春日八郎、村田英雄、三波春夫、北島三郎の方をはるかに上位に置きます。彼らは単なるヒット歌手ではなく、日本人の歌唱様式や情感そのものを作り上げた世代だからです。

SF 「不思議な世界への入り口」(1) は来週土曜に非公開になります。

 

 このSF 作品(岬 真之作)は、脱稿した出版しますので、連載ものの記述は、アップロード後10日間ぐらいで非公開にします。続きを読みたい方は、早めに読んでおいて下さい。10日を目途に新しい章を書き足して行きます。

 

 基本は、」フィクションですが、かなりの部分は、作者の実体験を基にしています。物事注意深く観察していると、この世界の不思議に気付くものです。元々、我々が棲んでいるこの宇宙は、太陽と同じか大きい恒星が千憶個集まってできている銀河(私たちの太陽は「天の川銀河」の一員です)が、何と数千憶個から1兆憶個集まったものだそうです。

 

 この超巨大な宇宙は、その始まりは、1.6×10−35乗メーター(1メートルの1億分の1の、1億分の1の、1億分の1の、さらに1億分の1の大きさの球っコロ)だったそうで、その球っコロには、空間も時間もエネルギーも物質も無かったんだそうです。そのくせ、数学と物理学の原理は立派に有ったそうです。だから、元々この宇宙は不思議なことだらけなんだそうです。

 (3)

 修君たち4人は、ドリブルを中心にして、さらにサッカー遊びを小一時間続けていましたが、及川君と木下君が「塾に行かなくっちゃ。」と言い出し、河村君も「スイミングスクールに行かなくっちゃ。」と言いだしました。修君も「今日は塾はお休みだから、家に帰って宿題でもするかな。」と言って皆に「バイバイ」してから、紙町駅から西方向に1キロほど延びている天神通りと言う広い県道に面している公園の門から歩道に出て、自分の家に向かって歩き始めました。3人の友達も、自転車に乗って各自の目的地へ走り去って行きました。

 

 修君は、公園から西へ100メートルほどの三叉路で広い県道を渡って、修君の家の在る6メートルの幅の生活道路を北に向かって歩いてゆくのでした。この6メートル幅の道路の西側には2メートルの幅の浅い用水路が流れていて、そのさらに西側には100メートル四方の休耕地があって、数年前までは税金逃れの麦の栽培をやっていましたが、今は農耕を止めていて、土地を店舗用やマンションなどの住宅用に売りに出していました。土地の方はなかなか買い手が付かないらしく、手つかずのままに放置されていて、用水路の西側のあぜ道まで草ぼうぼうと言った風景になっていました。修君の家の前を通る6メートル道路の西側にはガードレールが設置されており、道路と用水路の横のあぜ道との間には2メートルほどの段差が有りました。

 

 広い道と6メートル道路との三叉路から修君の家までは150メートルぐらいの距離がありましたが、修君の家まであと50メートルぐらいの所まで歩いてきたときのことでした。修君は、6メートル道路の西側のガードレールの横を歩いていたのですが、ちょっと用水路の方に目を向けたとき、中年の女の人が用水路の西側のあぜ道を修君と同じ方向に歩いて行くのに気づきました。修君は、「何であの女の人は、用水路のあぜ道なんかを歩いているんだろう。」と、ちょっと不思議に思いました。その時、県道を西の方から東の方に、オートバイがすごくエンジンを吹かせて走って行く音が聞こえてきました。

 

 修君はちょっと後ろを振り返って、県道を猛スピードで走って行くオートバイを数秒間で目で追っていました。オートバイが走り過ぎて行ったので、修君はまた前の方に振り向きました。修君は思わず「あれっ。」と声を出してしまいました。不思議なことに、今まで用水路のあぜ道を修君と同じ方向に歩いていた女の人の姿が、忽然と消えてしまっていたのです。用水路のあぜ道は、広い県道と6メートル道路の三叉路から修君の家の北隣の青い壁の家の近くにある、用水路のあぜ道から道路に上がるための階段の所までは、170メートルの距離があるのですから、たった数秒前までは修君の5メートル先を歩いていたその女の人が階段の所まで行きついている筈は有りません。修君はまるで神隠しに会ったような不思議な気分になりました。

 

 もしかしたら、その女の人は、昼間にも出てくる幽霊だったのかも知れません。あるいは、その女の人は突然別の世界に入り込んでしまって、次の瞬間には、修君の居る場所からずっと離れた別の場所でこの世界に戻って来ているのかも知れません。修君は、少しうす気味悪くなって、速足で修君の家に戻るのでした。その晩の夕食の時に、お父さんとお母さんにこの話をしたら、お父さんが「験が悪いから、その女の人が消えた用水路のあぜ道の近くに行って、塩と酒を撒いておこう。」と言い出し、その晩、お父さんとお母さんと修君の3人で厄除けの儀式をしたのでした。

 

 幽霊には、白昼でもその姿を現している幽霊がいて、にぎやかな人通りでも、もしかしたら自分のすぐ前を歩いている人が実は幽霊で、その人が途中の横道に曲がって行った場合、誰も気づかないけれど、実はその人が角を曲がった瞬間に姿を消してしまっているなんて言うこともあるかも知れません。

あるいは、この世界と別の世界を自由に行き来できるような人や動物がいるのかも知れません。修君が、今日の午後、公園に遊びに行こうと思って玄関の階段を降りかけた時に、黄色いテントウムシがムスカリの花から飛び立とうとした瞬間に、突然姿が見えなくなったことが有りましたが、そんなことも関係しているのかも知れないですね。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 修君が、その公園に行ってみると、学校のいつもの友達が3人でサッカー遊びに興じていました。早速、修君も仲間に加わり小1時間ほど公園中を走り回って汗を流しました。少し疲れて喉が渇いたので、公園の水飲み場で喉を潤してから、ブランコの周りの囲いに腰かけて少し休むことにしました。その時、日の空を見上げていた河村君が、

「あっ、あれは何だろう。すごくキラキラ光っている星みたいのが見える。その上のお日様と同じぐらいに光っているぞ。それに、その星みたいなものから飛行機雲みたいに真っすぐな雲が上の方に向かった伸びてる。」

 と不思議そうに叫んだのでした。

その声に気付いた修君や木下君や及川君たちも、

「ほんとだ。あのキラキラ光る星みたいのは全然動いていないけど、飛行機雲のようなものもすごく明るく光っている。」

 と異口同音に答えました。

 修君と3人の友達には、昼下がりの空に傾いて見える太陽の下を、今まで見たことがないほどに明るく煌めく星のようなものが、燃えるような明るさの飛行機雲のようなものを引きずりながら、地上に落ちて行くような感じに見えていたのでした。

 すると及川君が、

「前に読んだたくさんの不思議って言う本に書いてあったけど、あのすごくキラキラ光る星みたいのは、金星じゃないだろうか。金星っていうのは、明けの明星、暮れの明星と呼ばれて朝と夕方に地平線の近くで明るく光る星で、地球から近い星なんだそうだ。多分、今日はよく晴れて、空気も澄んでいるから、すごく明るく光って見えているんじゃないかな。それから、ギラギラ光って真っすぐに伸びている雲みたいなのは、やはり飛行機雲でお日様の光を真正面から受けて、その分、すごく明るく光って見えているだと思うな。」

 と言いました。

他の三人は、及川君のものの見事な説明に素直に頷いて、

「及川君の言う通りだろうな。でも、珍しい光景を見たね。」

 と納得するのでした。

つづく

 

 この間、ネットのGoogle記事かなんかで、「麺つゆでソーメンを食べ続けてきたら飽きてきたので、無塩のトマトジュースにニンニクと生姜を入れてオリーブ油を垂らし、少し塩味を付けたのでソーメン食べたらとても美味しかった。」と言うことを宣う「料理研究家」なるお方がいらっしゃいましたが、大体、ソーメンを麺つゆで食べて美味しいと言う感覚が信じられないですね。決して不味くはないけれど、スゴーい、スゴーいと言うほどのものでは有りませんでした。その「料理研究家」さんは、どこかの大学の栄養学科でも卒業した栄養士さんなんだろうけど。

「料理研究家」を名乗ってるくせに、ちゃんとした料亭やレストランでの修行などしたことのない人が、勝手に「料理研究家」を名乗っているのじゃないだろうか。昨今、こういう本物ではない「料理研究家」、特に手抜きタイパ料理が専門の「料理研究家」が多いですね。

 

 まあ、そう言う「料理研究家」が推薦する料理を心底美味しいと感じる人ならそれでも一向に構わないけど、料理の世界と言うものは、そんなに浅いものではないことは心すべきですよ。一度ぐらいは、二つ星以上ののフランス・イタリアンレストランや、ミシュランの星などは相手にしない高級料亭にでもに行ってみて、本物の深い味を味わってみて下さい。物の味を知ることは、プライスレスの経験です。何でも、コスパやタイパが良いという訳ではありません。

 

 ご参考までに、以前書いた小生の記事を載せておきますので、本格的なソーメンや蕎麦のつけ汁を釣ってみたい人や、麺つゆを薄めて作ったソーメンつゆがもう少し美味しくなったらいいのになぁなどと考えている人は読んでみて下さい。

 

 今回は、家庭でも作れる結構美味しい(蕎麦屋でも出て来そうなかなり本格的な味のする蕎麦つゆ)とソーメンつゆの簡単な作り方をご紹介しましょう。プロの蕎麦屋さんでは、鰹節(基本は木枯れ節)でかなり濃い目の出汁を取り(鰹節を煮込む時間が大事で10 秒単位で苦みや酸味や灰汁のない出汁を取るには、それなりの修練が必要だそうです)、笊と料理用の不織布などで濾してから、その出汁がまだ熱いうちに少量の醤油と味醂と日本酒を加え、それに返し(かえし:醤油、本みりん、砂糖を加えてから、2週間ほど寝かせたものです。蕎麦屋さんは必ずこれを使います)を加えます。

 

 店によっては、最後に直火で熱した金属の焼き火箸をその中に10秒ほど突っ込み褐変反応を起こさせることにより香味を強めることもあります。これで、所謂蕎麦屋の蕎麦つゆが出来上がりますが、普通の家庭では手間が掛かり過ぎますので、そう言う本格的な味を楽しみたければ、蕎麦の名店に足を運ぶことです。

 

 さて、簡単な蕎麦つゆの作り方についてお話しましょう。まず鍋に水を張り(一人につき蕎麦猪口七分目ぐらいの量で良い。その量の人数分の量の水を鍋に入れる。ただし、ソーメンの場合は、食べているうちにソーメンつゆが薄まるので、途中で1回つけ汁を全部替えることを考えて、蕎麦つゆの場合の2倍量にしておくと良い)、その水に1/10量ぐらいの日本酒を加え(大吟醸や吟醸酒は、酵母臭が鼻につくことがあるので、普通のグレードの酒にして下さい。無ければ、酒などは別に加えなくても良いです。出来上がりの蕎麦つゆに味に左程の差は出ません)、中火で加熱していきます。沸騰したら1分ほど強火で加熱して日本酒のアルコールを飛ばして下さい。

 

 その後、やや火を弱めて、味醂、砂糖を加えます(味醂を多くすると味に深みが出ます。一説に、ざる蕎麦ともり蕎麦の値段の違いは、蕎麦つゆに使う味醂の量の違いにあると言われています。もう一つの説は、海苔が掛けられいるかどうかの差だと言うものですが、ざる蕎麦にパラパラと少しだけ掛けられている海苔の値段からすると、ざる蕎麦はもり蕎麦に比べて高すぎます)。この時、後で加える鰹出汁の素と、少量の塩と、最後に加える醤油から来る塩味とのバランスを予想しつつ味醂と砂糖を加えて下さい。

 

 昆布だしの代わりに味の素をパラパラと加え(多く加え過ぎると味の素特有の人工的なしつこさが鼻につくことがありますので、控えめに加えて下さい。勿論、味の素も特に加える必要はありません。昆布だしの主成分のグルタミン酸の旨味が欲しいと思ったら加えて下さい)、次に市販の鰹の出汁の素をやや多めに加え、次いで少量の塩を加えますが、これは、蕎麦つゆの色が濃くなり過ぎないようにするのが目的です。薄口醤油は、発酵時間が短く、発酵条件も醤油の香味を抑えるように作られているため普通の濃い口醤油に比べると旨味と香味が弱いので、僕は使いません。

 

 これが済んだら、やや難しい作業に進みます。まずは、5人前の蕎麦つゆでしたら、鰹の削り節の2パック分(茶碗1杯のご飯に1パック分の削り節を振りかけて、醤油をかけて掻き回して食べると美味しいおかかご飯が出来ます)を、紅茶用の茶漉しに入れて皿の上にでも置いておいて下さい。その作業が済んだら、いよいよ、鍋を緩く沸騰させながら濃い口醤油を加えて行くのですが、何回も何回もじっくりと味見をしながら最終的に加える醤油の半分の量を加えて下さい(この醤油の量の見極めが少し難しいのです)。なお、この段階でなら、適量の砂糖を足して甘みを調節することが可能です。そして、一度、軽くぐらっと沸騰させてから火を止めて、素早く残り半分の量の生醤油を加えて下さい。これは醤油の香りを立たせるために行う作業ですので、再度沸騰させるようなことをしてはなりません。

 

 その後、鰹の削り節を入れた茶漉しを鍋の中の蕎麦つゆに通します。茶漉しの中から削り節が蕎麦つゆに流れ出ないように慎重にする必要があります。さらに、大きなスプーン(カレーライスなどを食べるスプーン)で沸騰したての熱い蕎麦つゆをその削り節に掛けてから、つゆを含んだ削り節をスプーンで押して削り節のしぼり汁を蕎麦つゆに戻します。この鰹の削り節に熱い蕎麦つゆをかけては絞ると言う作業を数回繰り返して下さい。この最後の作業で、蕎麦つゆにしっかりと鰹節の香りをつけることが出来ます。後は、鍋を冷たい水を張ったボールに浮かべて蕎麦つゆを冷まし、出来たら、それを一晩冷蔵庫で冷やして下さい。味が落ち着きます。一晩寝かせなくても、かなり美味しい蕎麦つゆなので、僕は、氷水を張ったボールで冷やした蕎麦つゆをそのまま使って、蕎麦やソーメンを食べています。

 

 これで、簡単な蕎麦つゆの出来上がりです。なお、ソーメンのつゆの作り方は、基本的には蕎麦つゆと同じです。ただ、味醂と砂糖の量を増やして、蕎麦つゆよりも2~3割方甘みを増やし、1割方塩味を減らして下さい。僕は関東人なので、蕎麦には半分しか蕎麦つゆを付けないので(江戸っ子の粋です)、蕎麦つゆはやや辛めにしています。出雲そばや椀子蕎麦のようにそばを蕎麦つゆにしっかりと漬けて食べる場合には、塩味を控え目にしないと、辛くて食べられません。ソーメンつゆよりももう少し塩味を減らす必要があります。なお、出雲の割子蕎麦の場合は、紅葉おろしを載せて食べるので、その分やや辛めのつけ汁にして下さい。

 

 この頃、市販の濃厚ソーメンつゆの味が良くなってきており、以前にあった妙に人工的な魚臭さがほとんどなくなっているようなかなり優れもののソーメンつゆが売られています。これをそのまま使い、一度沸騰させてカルキ臭(塩素の匂い)を飛ばしてから冷やしておいた湯冷ましの水で既定の濃度に薄めて使うと、なかなか美味しいソーメンを食べることが出来ます。もし、もう少し美味しく食べたければ、その市販の濃厚ソーメンつゆを水で既定の濃度に薄めてから、鰹の出汁の素を少し加えて沸騰させ、火を止めてから、少量の醤油、好みに合わせて砂糖を少量を加えてあげると、市販のソーメンつゆに特有な若干気になる異臭のない結構美味しいソーメンつゆになってくれます。もっと美味しくするには、上述したように、火を止めてから、茶こしにカツオ節を入れて、出来上がった熱々の汁の中を数回くぐらせて下さい。これで、かなり満足の行く味になります。これならものの5分で出来上がります。なかなかの味に仕上がります。

 

 

 

 我が家から車で30分の大きな汽水湖(S湖)での釣りになりますが、これが思ったよりよく釣れるので、40代後半から20年ほどはスズキ(中型はセイゴと呼び、60センチ以上はスズキと呼びます)釣りがメインになっていました。

 

 今から20年くらい前のこと、僕の教室のA講師が、彼の中学生の息子さんが釣りをし出したのを機に彼も釣りを始め、何事にも凝る性格であったので、2年も経たないうちに僕よりも釣り道具を充実していました。或る日、研究室で釣りの話をしていた時に彼が言うのには、「先生、S湖は岸からでもセイゴが釣れますよ。この間、30センチ以上のが3匹も釣れました。」とのことでした。「本当かね。じゃあ、今度の土曜日にでも行ってみよう。」と言うことになり、そのS湖に二人でセイゴ釣りに行ってみました。H川のS湖に注ぐ河口の近くで釣ってみたのですが、20センチのセイゴの小さいのが数匹釣れただけで、「A君、君の言うほどのことはないな。」などと話していました。 

 

 その時、そんな我々の横を3人組の釣り師たちが通りかかって来たのですが、彼らの内の一人が「どうですか。釣れますか。」と訊いてきたので、「いやぁー、釣れませんね。」と答えると、「それじゃ、湖側の方に行くか。」と言って通り過ぎていきました。そこで、「それじゃ、僕等もそっちに場所を変えてみるか。」と言うことになり、僕らは彼ら3人組の釣り師の後を追って行き、すでに湖側で釣りを始めていた彼ら3人組の隣30メートルの所に釣り座を構えました。そうして、自分らも釣りを始めて様子見をしていたのですが、15分もたたないうちに、3人組の一人に当たりがあり、見事50センチクラスのセイゴを釣り上げました。「あっ、本当に釣れるじゃないか。」と言うことになり、そばに行って彼らの仕掛けを見てみると、単3電池を使うタイプの遠投用の電気ウキを5号の道糸に付け、電気ウキを取り付けたサルカン(道糸やハリスを取り付ける金具)に70センチぐらいのハリスを垂らし、それに17号ぐらいのセイゴ用の針を付けた仕掛けを使っていました。

 

 スズキ(セイゴ)は、食い上げで餌を食べる(上に居る餌を泳ぎ上がって食べる)性質があるので、食い気がある夏場は、ハリスは半尋(ひろ)(一尋は両手を広げた長さ)程度で十分なのです(5月から6月の水温が低い季節は、ハリスを2尋(約180センチ)ぐらいに長くする方が良く釣れます)。大きなセイゴやスズキの当たりは、ずーんと言う感じの当たりで、電気ウキが横に1、2メートルほど斜めに動きながら沈んでいきます。浮子がピクンピクンと沈むような当たりは、殆どは小物の当たりなので合わせをすることはありません。ズーンとした当たりが出てから、ゆっくりと5つほど数えて餌をしっかりと飲み込ませ、それから、おもむろに強めの合わせを入れて、あとは道糸を張りながら岸まで寄せてくればバラスことはまずありません。不思議なことに、S湖のセイゴやスズキは、あまり鰓洗いと称されるジャンプはしないので、岸まで寄せればまず間違いなく釣り上げることができます。そういう意味で、面倒くさがり屋の人間には向いた釣りです。

 

 早速、彼ら3人組の人たちの真似をして、仕掛けを作り、餌の青イソメ(青虫とも言う:海に住んでいるミミズみたいな環形動物)を2, 3本房掛けにして50メートルぐらい遠投して当たりを待ちました。そうしたら、一投目で当たりがあり、見事、人生初の50センチのセイゴを釣り上げることが出来ました。それ以来、セイゴ釣りはそのS湖か、S湖に注ぐH川の河口の川岸(大きな運動公園の横の川岸なので、コンクリートの階段になっていて釣りやすい場所です)でやっています。ルアー釣りも、夕まずめにはやってみることはありますが、竿を振り続けないといけない割には殆どヒットして来ないので時たま気が向いた時にしかやりません。仕掛けを投げ込んだら、あとはラジオでも聴きながらじっと待つだけでよい青イソメの餌釣りがメインです。

 

 今までの最高記録は80センチのスズキ(65センチ以上をスズキと呼びます)ですが、この時は2号のチヌ竿でタモも使わずにズリ上げるような感じで釣り上げることができました。これはその釣り場が水面から20センチの高さしかないために出来る荒業です。S湖でのセイゴ釣りは結構よく釣れる釣りで、今まで3時間で45センチから65センチのセイゴを17匹ぐらい釣ったことがありました。この時は、釣り上げる度に生き締めと血抜きを繰り返したため、殺生の罪悪感と少しでも沢山釣り上げて記録を作ってやろうという欲との心の戦いでした。

 

 このS湖の護岸やS湖に注ぐH川の川岸の階段では、通常1.5回の釣行で35センチ以上のセイゴが最低1匹は釣れます。以前に勤めていた大学の教室のトップになってからは忙しく、釣りには1年に」数回ほどしか行かなくなっています。加えて、その後、⑨年間は、大きな地方都市の大学に単身赴任していたため、S湖の近くにある我が自宅には1か月に2回ほどしか帰らないので、セイゴ釣りには、殆ど行かなくなりました。10年前の夏休みには、1回セイゴ釣りにS湖に釣行しましたが、40センチが1匹と30センチクラスが5匹と言う釣果でした。