大学で教授をしていた頃のこと、僕の教室の部下に指示したことをすっかり忘れてしまい、かなり経ってから、その部下に前の指示とは違うことを指示したりしたことが何度かあった。するとたいていは、
「先生からは別のことを指示されています。前に指示されたことはもうほぼ仕上がっていますけど、どうしたらいいんですか。」
と問い詰められ、部下の詳しい説明を聴いてみると、良く覚えてはいないが、何となくそんな指示を出したような気がしてくる。そこで、
「済まんかった。前の指示通りに進めていいよ。」
と半分渋々と詫びを入れて、そこで決着することになる。
僕が教授になった時代は、「教授なら何でもあり。」と言う慣習は廃れて来ていたが、その10年後には、「ハラスメント」と言う言葉が使われだしていて、さらに色々なタイプのハラスメントに細分化されて、現在の状況に至っている。中には、こんなことまでハラスメントに含めなくてもいいんじゃないかと言うハラスメントが大手を振っている。「男のくせして、そんなことも出来ないのか。」というのは立派なセクハラだそうだ。その論理でいけば、「女の風上にも置けない」などと言うのはもっとひどいセクハラてことになる。
僕が教授になりたての時に、副学長のA先生から聞いたのだが、その先生が医学部の或る講座の助手だった頃は、学会総会への出張はすごく金がかかったらしい。その理由は、その講座の主任教授は、当然出張旅費を大学からもらっているのに、交通費から宿泊費から学会参加費に至るまで全てが、教室員持ちだったと言うことだ、当然、旅先での宴会や飲み屋での費用も全て、その教室の助教授、講師、助手、研究生が手出ししていたそうである。今は、そんなことを強要するような人は居ないであろうが、若い教員は、事に依ってはそう言う困った状況に置かれることもたまにはあるのかも知れない。
話が横道に逸れたが、昔はそんなパワハラのような時代が有ったのである。今の世の若者たちはそうしたパワハラもどきは経験せずに済んでいるが、「みんな平等・自己責任」と言う理念が浸透し定着したおかげで、リーダーから言いつけられた仕事は、自己責任でこなして行かないと責任を取らされ、転属・転勤・リストラと言う運命に翻弄されることになる。良かれあしかれ、終身雇用・年功序列制度が定着していた時代には、そんな心配はしないで済んだし、NHKのプロジェクトXでおなじみの新しい発想での超新しい機器やシステムの開発などと言う仕事は、自己責任・転属・転勤・リストラの壁に阻まれ、殆どの挑戦は成就することは無かったと思う。
新しいことだけが最善なのではない。有人宇宙ロケットを見給え。繰り返し使用によるコストの大幅ダウンを謳ったアメリカのスペースシャトル計画は、10名以上の犠牲者を出して、1981年から2011年までの30年で打ち止めになり、現在、宇宙ステーションへの宇宙飛行士の行き来は、いまから53年も前の1973年に実用化されたソ連のソユーズロケットに頼り切っているのだ。ローテクがハイテクを上回っている実例の一つだ。
我が家には、Macintosh のPower Mac G4と言うパソコン(1999年製)が今でも健在で、パソコン本体の図体が必要以上に大きいが、ネットも出来るし文書作成もちゃんとできる。未だに、年賀状の宛名の印刷は、購入してから25年以上も経つこのパソコンで行っている。普通のA4文書は、ノートパソコンを使って、E社のレーザープリンターで印刷しているが、このプリンターは葉書の印刷は不得手で、3枚ずつの葉書をプリンターにセットしてから、葉書を少し後ろから押してあげないと印刷が出来ないと言う体たらくである。新しいものが、常に古いものよりも機能的に優れているとは断言できないことの一つの証拠である。
話がまたまた逸れたが、何れにしても、僕が忘れっぽいのは確かな事実なように思う。一つには、自分の大事な作業に集中している時には、生返事をしてしまう癖が問題なのであろう。大事な仕事で、脳の中で盛んに活動して情報のやり取りをしている我が神経線維とシナプスのネットワークが、その仕事を邪魔されたくないために、別の神経ネットワークに指示して、僕の前頭葉の命令なしに勝手に生返事をさせてしまうのではなかろうか。この悪い癖は、単なる物忘れには当たらないように思う。聴き手の人に迷惑をかける悪質なタイプの無意識の行動なのだ。心して直さないといけないと常日頃思ってはいるが、悪癖と言うものはそう簡単には直らないものだと言うこともまた事実である。