大学で教授をしていた頃のこと、僕の教室の部下に指示したことをすっかり忘れてしまい、かなり経ってから、その部下に前の指示とは違うことを指示したりしたことが何度かあった。するとたいていは、

「先生からは別のことを指示されています。前に指示されたことはもうほぼ仕上がっていますけど、どうしたらいいんですか。」

と問い詰められ、部下の詳しい説明を聴いてみると、良く覚えてはいないが、何となくそんな指示を出したような気がしてくる。そこで、

「済まんかった。前の指示通りに進めていいよ。」

と半分渋々と詫びを入れて、そこで決着することになる。

 

 僕が教授になった時代は、「教授なら何でもあり。」と言う慣習は廃れて来ていたが、その10年後には、「ハラスメント」と言う言葉が使われだしていて、さらに色々なタイプのハラスメントに細分化されて、現在の状況に至っている。中には、こんなことまでハラスメントに含めなくてもいいんじゃないかと言うハラスメントが大手を振っている。「男のくせして、そんなことも出来ないのか。」というのは立派なセクハラだそうだ。その論理でいけば、「女の風上にも置けない」などと言うのはもっとひどいセクハラてことになる。

 

 僕が教授になりたての時に、副学長のA先生から聞いたのだが、その先生が医学部の或る講座の助手だった頃は、学会総会への出張はすごく金がかかったらしい。その理由は、その講座の主任教授は、当然出張旅費を大学からもらっているのに、交通費から宿泊費から学会参加費に至るまで全てが、教室員持ちだったと言うことだ、当然、旅先での宴会や飲み屋での費用も全て、その教室の助教授、講師、助手、研究生が手出ししていたそうである。今は、そんなことを強要するような人は居ないであろうが、若い教員は、事に依ってはそう言う困った状況に置かれることもたまにはあるのかも知れない。

 

 話が横道に逸れたが、昔はそんなパワハラのような時代が有ったのである。今の世の若者たちはそうしたパワハラもどきは経験せずに済んでいるが、「みんな平等・自己責任」と言う理念が浸透し定着したおかげで、リーダーから言いつけられた仕事は、自己責任でこなして行かないと責任を取らされ、転属・転勤・リストラと言う運命に翻弄されることになる。良かれあしかれ、終身雇用・年功序列制度が定着していた時代には、そんな心配はしないで済んだし、NHKのプロジェクトXでおなじみの新しい発想での超新しい機器やシステムの開発などと言う仕事は、自己責任・転属・転勤・リストラの壁に阻まれ、殆どの挑戦は成就することは無かったと思う。

 

 新しいことだけが最善なのではない。有人宇宙ロケットを見給え。繰り返し使用によるコストの大幅ダウンを謳ったアメリカのスペースシャトル計画は、10名以上の犠牲者を出して、1981年から2011年までの30年で打ち止めになり、現在、宇宙ステーションへの宇宙飛行士の行き来は、いまから53年も前の1973年に実用化されたソ連のソユーズロケットに頼り切っているのだ。ローテクがハイテクを上回っている実例の一つだ。

 

 我が家には、Macintosh のPower Mac G4と言うパソコン(1999年製)が今でも健在で、パソコン本体の図体が必要以上に大きいが、ネットも出来るし文書作成もちゃんとできる。未だに、年賀状の宛名の印刷は、購入してから25年以上も経つこのパソコンで行っている。普通のA4文書は、ノートパソコンを使って、E社のレーザープリンターで印刷しているが、このプリンターは葉書の印刷は不得手で、3枚ずつの葉書をプリンターにセットしてから、葉書を少し後ろから押してあげないと印刷が出来ないと言う体たらくである。新しいものが、常に古いものよりも機能的に優れているとは断言できないことの一つの証拠である。

 

 話がまたまた逸れたが、何れにしても、僕が忘れっぽいのは確かな事実なように思う。一つには、自分の大事な作業に集中している時には、生返事をしてしまう癖が問題なのであろう。大事な仕事で、脳の中で盛んに活動して情報のやり取りをしている我が神経線維とシナプスのネットワークが、その仕事を邪魔されたくないために、別の神経ネットワークに指示して、僕の前頭葉の命令なしに勝手に生返事をさせてしまうのではなかろうか。この悪い癖は、単なる物忘れには当たらないように思う。聴き手の人に迷惑をかける悪質なタイプの無意識の行動なのだ。心して直さないといけないと常日頃思ってはいるが、悪癖と言うものはそう簡単には直らないものだと言うこともまた事実である。

 

 

 例えば、秋のT学会の支部総会に出席するために、その支部総会の会場があるH市のJR駅前に降り立ち、さて、支部総会の会場の最寄りのバス停まで行こうとして、路線バスに乗り込んでバスの後ろの方の座席に座り込んだ時に、僕の座席の窓側の席の人から「お早うございます。お久しぶりですね。元気にされていましたか。」と話しかけられたのはいいけれど、その先生のお名前を思い出せない時がたまにある。特にまずいのは、向こうはとても親し気に話しかけてくるのだが、こちらの方は、名前どころか、その先生がどう言う方なのかがさっぱり思い出せない時である。

 

 そう言う時は、「お早うございます。先生もお元気にされていましたか。研究の方は進んでらっしゃいますか。」と答えて、まずは、その先生がどんな研究をしているのかを探り、その先生と自分との関係性と接点を思い出すところから始めるのである。先生の研究内容を知れば、どういう専門なのかが分かるから、その先生のことについて思い出すための糸口になる訳である。しかし、敵もさることながら、「いやあー、私の方は臨床の方が忙しくて、なかなか研究の方は進んでいませんよ。論文にしたって、去年に簡単なケースレポートを1報出しただけなんです。」などと掴み所のない返事をしてきたりする。

 

 こうなると、研究面から攻めて行くのは無理なので、他の方向から探りを入れて行く必要が生じてくる。そこで先ずは「先生は、よくH市に来られるんですか。」と質問を投げかけてみる。すると、「私は新幹線で30分のО市に住んでいる割には、意外とH市には来ませんね。О市とH市との間には、何か目に見えない壁みたいなのが有るみたいですね。同じ規模の似たり寄ったりの地方都市同士なので、互いにあまり興味はないんでしょうね。」と答えてくる。

 

 その答えで、その先生はО市に在るО大学医学部か、О医療センターか、あるいはО市の東隣のK市に在る私立のK医科大学辺りの医師だと言うことが分かる。そこで、僕はО大学とK医科大学関係の知り合いについての記憶の糸を探ることになる。ところが、僕がО大学とK医科大学で知っている人は、僕が所属している主に2つの学会の支部会理事の関係の人と、それらの学会支部総会によく出席する人達に限られるのだが、いまバスの席の隣に座っている先生についての記憶は全くないのである。さあ、困った困った。その先生と僕とを結ぶ記憶の糸が全く見えてこないのである。

 

 いま僕の目の前にいる先生は、多分これから僕が出席しようとしているT学会の支部会の評議員の一員なのだろう。僕はその頃は、T学会の本部の理事をしており、その年は支部長も務めていたので、その先生がT学会西日本支部の理事ならば、当然顔見知りであるはずだから、その人は西日本支部の役員であったとしても、多分、理事ではなく、支部評議員であったのだろう。いくら支部とは言え、T学会の西日本支部には評議員が100人ぐらいはいるので、半分くらいの人は僕にとっての顔見知りではない訳だ。

 

 僕は、その年の評議員会では、支部長として評議委員会の議事を取り仕切っていたので、その先生にとっては僕は立派な顔見知りであるが、僕にとっては、いつぞや何処かの学会会場での演題発表の折にでも、互いの研究についての何らかの意見交換をしていないようであれば、僕がその先生を覚えている筈はなく、その先生は、僕にとっての顔見知りの一人には含まれていないと言うことになる。

 

 こうなれば仕方がない。隣に座って僕に親しそうに話しかけて来られるその先生を昔からの僕の親しい知り合いと言うことにしておいて、適当に話の相槌を打って時を過ごし、15分ほどのバスの移動時間をやり過ごし、T学会の支部総会の受付での記名を済ませてから、それとなく別行動に移るのが一番安全な方法である。そう言う判断に従って、その先生とは上辺だけで話を合わせ、必要に応じて相槌を打つという形での会話を続けていくのであった。

 

 そうこうするうちにバスは目指す停留所に到着して、我々はT学会の支部総会の受付に足を運んだ。学会参加費を支払い、学会参加証のカードをもらい、記名所でその参加証のカードに氏名と所属欄に記入する時に、その先生が氏名と所属を記入するのを、僕は素早く横目で見て、「〇〇先生(〇〇大学〇〇教室)」と言う記名内容を頭に叩き込んでから、やおら、その先生の名前をお呼びして、「それでは〇〇先生、私はこれからA会場に向かいますのでこれで失礼致します。」と述べてから、僕はそそとA会場へ向かうのであった。その時、その先生はB会場の方へ歩いて行ったようである。 

 

 

岬 真之 ライブドアブログ* 「やさしい微生物学」、「5分で分かる」講義スライド

                           (2026年10月23日現在)

「やさしい微生物学」1~7

細菌学総論1:構造・分類・生理

細菌学総論2:検査、感染・感染免疫・化学療法

細菌学各論1:グラム陽性球菌、グラム陰性球菌、グラム陰性桿菌

細菌学各論2:グラム陽性桿菌、特殊細菌(スピロヘータ、リケッチア、クラミジア)

ウイルス学総論:構造・分類・複製・ゲノム・検査・病原性・感染免疫・治療・予防

ウイルス学各論1:DNAウイルス(ポックス・ヘルペス・パピローマ・アデノ)

         RNAウイルス1(インフルエンザ、パラミクソ・ピコルナ)

ウイルス学各論21 RNAウイルス2(フィロ、レオ・カリシ・トガ・フラビ・コロナ・

                アレナ・レトロ)

          肝炎ウイルス(HAV・HBV・HCV・HEV)

 

「5分で分かる〇〇」シリーズ

MRSA・結核菌・多剤耐性緑膿菌・O157・インフルエンザ・感染免疫・AIDS・帯状疱疹・

ハンセン病・肝炎ウイルス・エボラ出血熱・コレラ・プリオン病         

 

*1 すべての講義スライドは、ライブドアの岬 真之のブログに掲載しています。

*2 下記「5分で分かる」シリーズの講義スライドの動画は、Youtubeにもアップロードされてます。

「5分で分かるO157」、「5分で分かる感染免疫」、「5分で分かるインフルエンザ」

「5分で分かる帯状疱疹」、「5分で分かるAIDS」、「5分で分かるエボラ出血熱」、

 

なお、これらの動画には音声は付けていません。説明を聴くよりは、スライドをじっくりと読む方が、

理解を進めるには有効だと思います。

 

 

 例えば、秋のT学会の支部総会に出席するために、その支部総会の会場があるH市のJR駅前に降り立ち、さて、支部総会の会場の最寄りのバス停まで行こうとして、路線バスに乗り込んでバスの後ろの方の座席に座り込んだ時に、僕の座席の窓側の席の人から
「お早うございます。お久しぶりですね。元気にされていましたか。」

と話しかけられたのはいいけれど、その先生のお名前を思い出せない時がたまにある。特にまずいのは、向こうはとても親し気に話しかけてくるのだが、こちらの方は、名前どころか、その先生が同いう方なのかがさっぱり思い出せない場合である。
 
 そう言う時は、「お早うございます。先生もお元気にされていましたか。研究の方は進んでらっしゃいますか。」
と答えて、まずは、その先生がどんな研究をしているのかを探り、その先生と自分との関係性と接点を思い出すところから始めることである。先生の研究内容を知れば、どういう専門なのかが分かるから、その先生のことについて思い出すための糸口になるわけである。しかし、敵もさることながら、
「いやあー、私の方は臨床の方が忙しくて、なかなか研究の方は進んでいませんよ。論文にしたって、去年に簡単なケースレポートを1報出しただけなんです。」
などと掴み所のない返事をしてきたりする。
 
 こうなると、研究面から攻めて行くのは無理なので、他の方向から探りを入れて行く必要が生じてくる。そこで先ずは
「先生は、よくH市に来られるんですか。」
と質問を投げかけてみる。すると、
「私は新幹線で30分のО市に住んでいる割には、意外とH市には来ませんね。О市とH市との間には、何か目に見えない壁みたいなのが有るみたいですね。同じ規模の似たり寄ったりの地方都市同士なので、互いにあまり興味はないんでしょうね。」
と答えてくる。
 
 その答えで、その先生はО市に在るО大学医学部か、О医療センターか、あるいはО市の東隣のK市に在る私立のK医科大学辺りの医師だと言うことが分かる。そこで、僕はО大学とK医科大学関係の知り合いの人についての記憶の糸を探ることになる。ところが、僕がО大学とK医科大学で知っている人は、僕が所属している主に2つの学会の支部会理事の関係の人と、それらの学会支部総会によく出席する人達に限られるのだが、いまバスの席の隣に座っている先生についての記憶は全くないのである。さあ、困った困った。その先生と僕とを結ぶ記憶の糸が全く見えてこないのである。
 
 多分、いま僕の目の前にいる先生は、これから僕が出席しようとしているT学会の支部会の評議委員の一員なのだろう。僕はこの数年、T学会の本部の理事をしており、その年は支部長も務めていたので、その先生が支部会理事なら当然顔見知りであるはずだから、その人はI部会の役員であったとしても支部評議員なのであろう。いくら支部会とは言え、評議員は100人ぐらいはいるので、半分くらいの人は顔見知りではない。
 
 僕は、その年は評議員会で支部長として評議委員会の議事を取り仕切っていたので、その先生にとっては僕は立派な顔見知りであるが、僕にとっては、いつぞや、何処かの学会会場での演題発表の折にでも、互いの研究についての何らかの意見交換をしていないようであれば、麦芽その先生を覚えている筈はなく、その先生は、僕にとっての顔見知りの一人には含まれていないと言うことになる。
 
 こうなれば仕方がない。隣に座って、僕に親しそうに話しかけて来られるその先生を昔からの僕の知人と言うことにした、適当に話の相槌を打って時を過ごし、15分ほどのバスの移動時間をやり過ごし、K学会の支部総会の受付で記名を済ませてから、それとなく別行動に移るのが一番安全な方法である。そう言う判断に従って、その先生とは上辺だけで話を合わせ、必要の応じて相槌を打つという形での会話を続けていくのであった。
 
そうこうするうちにバスは目指す停留所に到着して、我々はK学会の支部総会の受付に足を運ぶのであった。学会参加費を支払い、学会参加証のカードをもらい、記名所でその参加証のカードに氏名と所属欄に記入する時に、その先生が氏名と所属を記入するのを素早く横目で見て、「〇〇先生(〇〇大学〇〇教室)」と言う記名内容を頭に叩き込んでから、やおら、その先生の名前をお呼びして、「それでは〇〇先生、私はこれからA会場に向かいますのでこれで失礼致します。」と述べてから、僕はそそとA会場へ向かうのであった。その時、その先生はB会場の方へ歩いて行ったようである。

 

 

 熱中症は怖い。友達は、自宅の隣の野菜作りの畑で、7月中旬に農作業をやっていて、熱中症にかかり、身体じゅうに何とも言えない悪寒がはしり、このままでは死ぬかもしれないと言う風に感じたそうだ。夏場の野菜作りの趣味は暑い盛りは止めた方が良い。
 
 今から25年ほど前に15年間ほど近所の農家から10畳ぐらいの広さの畑を借りて、いろんな野菜を作っていたことがあったが、どうしても雑草が生えて来てしまい、3週間に一度は大掛かりな除草作業をしないといけない。5月ごろまでなら左程大変ではないが、7月に入ると、急に雑草の成長が激しくなり、暑い盛りの午後の除草作業となると本当に大変っだ。
 
 あの頃は、まだ熱中症と言う言葉は出始めたばかりであったし、この数年のような猛暑の夏ではなかったので、途中で数回の休憩を取って1リットルのペットボトルの水をのみのみ作業を続ければ、3時間もすれば、雑草取りは何とか何事も無く終えられたが、今から20年ほど前の夏の或る日は、異常に暑く、夕刻の2時間の作業中に、これは熱中症の初期ではないかと思わせる身体の異変を感じた。
 
 そんな訳で、趣味と身体作りの農作業は夏場は卒業と決めつけ、6月に玉ねぎの収穫を終えたら、畑の8割はビニールシートで覆い休耕地とすることにした。それから数年して単身赴任でその畑での作業の続行は無理になったので、その畑は土地を1年間5000円で貸してくれていた農家さんにお返しして、それ以降は畑仕事はしていない。自宅には、30畳ほどの広さの庭が有るが、女房から庭には農作物を植えてはいけない厳命されているので、本当に農作業は止めたままになっている。
 
 話のはじめから、ずーっと話題が横道に逸れているが、今日の物忘れ日記の主題は、熱中症がらみの急性痴呆症のことである。昨年の8月末のことだった。その日も猛暑が続いていた。僕は自分の寝室兼書斎の二階の八畳の和室で窓を開けて風邪を通しながら、エアコンを切って論文執筆を昼過ぎからずーっと続けていた。
 
 黄昏の頃になって、何か頭にもやがかかったような気分がするので、窓を閉めてエアコンでも利かそうかと考えていた矢先、突然パソコン画面がモザイク状に見えているのに気づいた。この症状は、目をこすっても、視線をパソコン以外の所にそらしてみても一向に治らなかった。突発性の緑内障の悪化などが起って、網膜剥離でも起きたんじゃないかと疑ってもみた。
 
 そのうちに、これは熱中症の初期の症状ではないかと気付き、エアコンを最強にして冷風に当たり身体を冷やそうと考えた。すぐにエアコンのスイッチを入れて、先ずはパソコンでの仕事を一旦停止しようと考え、開いていた文書ファイルをOFFにして、「保存」のボタンを押したまでは良かったのだが、次にパソコンをシャットダウンしようと考えて、その操作をしようとしたが、何とそのシャットダウンの操作が分からなくなってしまっていた。
 
 「えーと、シャットダウンの操作はどうだっけかな。」とブツブツ呟くばかりであった。結局、パソコンのシャットダウンは諦めて、一階のエアコンの利いたリビングに移動して、氷水をちびちびと飲んで身体を冷やした。5分ほどしたら、だんだん頭の靄が晴れてきて、視野の中のモザイク模様も消えて、パソコンのシャットダウンの操作も「そうだ。スタートボタン+Xボタンの同時押しだ。」と思い出すことが出来た。まさに、軽い熱中症による視野欠損と一過性痴呆症、すなわち一過性の物忘れの症状だったのである。
 
 翌日は、念のため眼科に受診して精密検査を行ってもらい、軽度の緑内障疑いと視神経乳頭の神経線維がやや細くなっているとの診断で、一過性の痴呆症状は、もしかすると虚血性の脳疾患の可能性が有るから、脳神経内科も受診したほうが良いと言うことであった。素直に眼科医(博士論文の指導をしたので、学問的には僕の弟子である)の言うことを聴いて、その翌々日に脳神経内科でMRIと頸動脈エコーをやってもらい、特に異常なしと言う診断結果を頂き、現在も定期的な経過観察のために眼科と脳神経内科を受診している。
 
 何れにしても、一過性の物忘れの陰には、生命に関わる大事が潜んでいることがあるので侮ってなならない。大きな血栓が飛んだら、脳梗塞や肺梗塞を起こし命取りになるので、注意が肝腎である。面倒くさがらずに、医師の診察を受けた方が良い。

 

 今日は、「5分で分かるコレラ」岬 真之、講義スライドを、ライブドアの岬 真之先生のブログに掲載しました。微生物学が苦手な学生さんは対象にしていません。

 

 このAmebaブログには、どうも勉強好きな学生さんは会員ではないようですが、もしかして数人はそういう人がいるかもしれなので、検索エンジンにかかりますようにと、神様にお願いしつつ、この記事を載せておきます。

 

 僕は、結構真面目な所があるので、大学に勤務していた頃は、会議に出るのを忘れたことは殆どない。絶対出席しないといけない会議が有るときは、メモ用紙に「〇〇月〇〇日(〇曜日)〇〇時、〇〇委員会出席」と書き、余白に赤字で「重要」と書いて、仕事机に貼っておいた。これは今でも続けている習慣で、書斎の机とダイニングのテーブルの自分の椅子のランチョンマットの上にも貼っておく。今でも行政関係の委員会が定期的にあるので、3日ぐらい前から貼っておくことにしている。病院の受診日時なども、それを書いたメモを貼っておく。こうすると、先ずは忘れないで済む。

 

 会議に出席をするのを忘れることで、思い出したが、大学のでの結構重要な或る委員会で、委員長先生が自分でその委員会を招集しておきながら、ものの見事にその委員会に出席するのを忘れたことが有った。会議が始まる時刻を5分過ぎても、当の委員長先生が来られず、流石に「〇〇委員長先生は、この委員会のことを忘れてるんじゃないか。」と言うことになり、事務の人に連絡を取ってもらったところが、案の定、他の大事な仕事にかまけて、すっかり忘れていたと言うことが分かり、その委員長先生は、大いに遅ればせながら、頭を搔きながら平身低頭のご登場と相成った。

 

 幸いにも、僕自身は自分で招集した委員会だけは、出席するのを忘れたことは一度もない。僕が研究施設センター長をしていた時に、僕の管轄下にある4つの研究施設の内の一つである機器センターのセンター長を僕の職権で指名していたのだが、或る時、その機器センター長が自分で招集した大事な委員会を忘れて、いつまで待っても委員会に現れないことが有った。かれこれ15分も事務の人が探し回って、やっと当人の居場所が分かったのだが、委員会とは関係ない教授との世間話に花を咲かせていたことが分かった。

 

 僕はこう言うだらしない人間に機器センター長を再任させるのは大学運営にとって良くないと考え、その教授を次期の機器センター長の候補者から外した。やはり、個人的な杜撰さで自分が招集した委員会を忘れるのはとてもまずいのである。ちょっと可哀そうな気もしたが、心を鬼にせざるを得なかった。きっと、恨んでいるだろうけれど、筋は通さないといけない。公務と言うものは、それほどに大事なものなんだ。

 

 今回は、「10分で分かる化学療法」 岬 真之、講義スライドをライブドアの岬 真之先生のブログに掲載しました。今回の講義スライドの内容は、微生物学の得意な学生さんを対象にしていますので、内容がかなり難しくなっています。従って、微生物学が苦手な人はスキップして下さい。

 ライブドアのブログには、国立大学医学科や私立大学の看護学科などの医療系学科で教授として長年授業をしてきた岬 真之先生が、微生物学が苦手な学生さん用の「やさしい微生物学(細菌学・ウイルス学)」や「5分で分かる〇〇」シリーズの講義スライドを掲載していますので、皆さんの試験勉強に活用してください。
ライブドアブログのURL:やさしい微生物学 試験対策用スライド 生活術

 

 

 

 

 一、二年ほど前に、歯の治療で車で5分の歯科クリニックに出かけた。予約時刻の10分前にはクリニックの受付に辿り着けたのでだが、それから困ったことが起ったである。診察券は、1万円札を折らずに入れることの出来る革製の縦型の財布のカード入れに入れてあったのだが、健康保険証を忘れてしまったのである。

 

 「わっ、どうしよう。今から家に取りに変えると、行き帰り15分はかかるから、予約時刻を過ぎてしまうから、女房を呼びつけようかとか、此処は受付嬢に平に頭を下げて、次回に持ってくることでご諒解を得たら良いんではないかと思ってみたりしていたが、結局、診察券を受付嬢に渡しながら、「保険証を忘れました。」と正直に言ったところ、「あー、今度来られた時で宜しいですよ。それに、今月は上旬に一度来られているんで、保険証は確認済みになっていますから、大丈夫ですよ、」と言われて、ほっと一安心して、クリニックの先生に呼ばれて、診療室に入って行ったのである。

 

 大学附属病院でも、支払い窓口で、保険証の提示を指示されて、「あー、うー。」などと口ごもっている患者さんがいるが、大方は「次に来られるようでしたら、その時に保険証を確認させて下さい。」と言うことで無罪放免になるのだが、その日が診療の最後の日だと言うことになると、やはり一度帰宅して、保険証を持ってこないといけなくなる可能性が高い。

 

 保険証をいつも持ち歩くのは、落としたりすると厄介なことになるので、病院やクリニックに通わない日は、家に保管しておくのが安全である。そこで、考えてみたのだが、保険証をスマホで写真に撮り、その写真を支払い窓口の受付の人に見せたら、何とかなるのではないかと思うのだが、まだ試したことがないので、何とも言えない。結局、通院する前日に、いつも持ち歩いているカバンに保険証を入れておくのが一番なように思う。まあ、そのカバンを持って行くのを忘れるようでは、もうお手上げであるが、通院当日は、朝から保険証入りのカバンを家の玄関の上がり框の所に置いておくのが確実である。何れにしても、歳を食うと忘れ物が多くなるので、気を付けないといけない。

 

 

 今回は、「5分で分かるハンセン病」 岬 真之 講義スライドを、ライブドアの岬 真之先生のブログに掲載します。ハンセン病はらい菌と言う一種の抗酸菌の感染によって起こる感染症です。らい腫型(LL型)のハンセン病患者さんでは、らい菌が皮膚や末梢神経に感染し、それらの組織中で非常に多数のらい菌が増えて悪影響を及ぼしますが、そうした患者さんではらい菌の抗原に対する細胞性免疫が発動されないので、過度な免疫発現による障害反応が見られません。さらに、心臓、肺、肝臓などの内臓を直接冒すことは非常に稀であり、ハンセン病自体が直接の死因になることはほとんどありません。