原マスミ バンドライブ/吉祥寺SPC(09/06/10)
原マスミ[vo,g],近藤達郎[key,acc],堀越信泰[g],楠均[drs],内田ken太郎[b]
1.耳の夢
2.ムー
3.千年にひとり
4.光の日にち
5.人間の秘密
6.も・いちど
7.悲しいのはいやだ
8.ずっと君が好きだった
9.夜の幸
10.約束の満月
11.フトンメイキン
12.STEREO
13.カメラ
14.毛
15.イナフ
16.海のふた
17.ブレーメン
18.教室
19.アイス!アイス!アイス!
20.飛龍頭
21.冬の星座
久々の原マスミのライブである。
原マスミ公式ホームページは、セットリストが必ず上がるので非常にありがたい。
最近、双葉双一や滝本晃司のセットリストで非常に苦労したので、ありがたさをつくづく感じた。
もっとも、原マスミ曲はほぼ聴けば全曲タイトルが分かるが、これも毎回のリストのおかげであるかもしれない。
管理人には大変感謝をしており、今後もぜひ続けていただければ、と思う。
今回のライブは、自分の感じたことから憶測を広げたレポである。
自分の当てにならない感覚を根拠に論じているので、誤解が大きい可能性があることを初めに断っておきたい。
諸方面にご迷惑をおかけすることがあれば、初めに謝っておきたい。
「ごめんなさい」と。
今回は、原マスミの喉の調子が悪かった、と最後の最後で本人の口から述べられていた。
だが、そのことは全く感じさせないステージであった。
また、今回の大きな特徴として、PAがいっぱいいっぱいに頑張っていたところが挙げられる。
夏の南青山の弾き語りでは、よく最初に効果音(波の音、とか)が使われていることはある。
だが、ここまでSPCでPA(音響)が前面に出たステージを聴いたことはなかったように思える。
まるで、この日がフィッシュマンズナイトであるかのような、そんな錯覚さえ起こさせるほどであった。
1曲目の「耳の夢」から、PAが前面に出ていた。
そもそも、この曲が1曲目から演奏されることが珍しく、kuukuuやクアトロのライブでも、後半の佳境で演奏されることがほとんどであった。
「音楽だけをまとって」といったファンタジックな世界が、神秘的なシンセサイザーの音から始まり、繰り広げられる。
音楽をテーマにした曲として、ZABADAKに歌詞のみを提供した「遠い音楽」という曲が挙げられるが、「遠い音楽」が天然色系の色彩であるのに対し、「耳の夢」はパステルカラーの色彩が感じられる。
どちらも名曲ではあるが、「耳の夢」の方がより内部から音楽を実感し、浸っている印象を強く受ける。
転調前の間奏でソロが入り、その後のコーラスでエコーがかなり強調されて入る。
個人的にはkuukuuのときのような人海戦術の方が好きだが、男性ばかりのバンド編成で目一杯頑張るとこのような方法になるのだろうと、そのときは思っていた。
2曲目の「ムー」も、バンドでは珍しい。
かなり印象的な前奏の旋律が、シンセで奏でられる。
弾き語りもよいのだが(「星が落ちたよ」の後のギターの部分とか)、シンセが入った方がリアルさを人工音で包む分だけ、この曲は幻想感が強くなるように感じる。
あと、この曲に限った話ではないのだが、楠均のドラムのスティックが曲により、布を巻いてアタックを柔らかくするものを用いていた(ビブラフォンなどで用いる撥)。
チャカポコ感にあふれ、ドラム的というよりパーカッション的な響きに、クアトロ時代の空気を感じることができた。
この日は、楠均のドラムが普段より冴えているようには感じた。
個人的には(この言葉が多用されるが、申し訳ない)、3枚目のアルバムでは一番好きな曲である。
「静かな夜」という言葉の修飾語を作らせたときに、「楽器を忘れてきちゃったオーケストラのように」という語句を用意できるのは世界中で原マスミだけである。
2曲続けてかなりの冒険がプログラムに見られ(数年前ではまず考えられない)、先が期待できそうなステージであった。
「千年にひとり」で、いつもの曲調に戻る。
以前、クアトロ時代のライブで、「ビブラートをするには、首を振るとよい」といったアドバイスを小峰公子か誰かにしていた。
首ビブラートが、この後もあちこちで見られた。
曲後、「原マスミバンド」「ライブ」ではなく、「原マスミ」「バンドライブ」であることが力説される。
それであれば、SPCのリストも「原マスミ」とだけ載せればよいのでは、とも思うが、FABのステージ以来、「原マスミバンド」で載るようになっている。
「光の日にち」は「もう7~8年経っているでしょうか」と述べていたが、そんなものではきかないはずである。
青いgodin(ゴダン)ギターを抱えて、7カポにセットする(確か、そのくらいだったと思う)。
弾き語りのときは5カポぐらいだった気がするが、あまり自信はない。
音源化していない曲では一番好きな曲で、今日は1部からついていると感じる。
間奏の堀越信泰のボトルネックの響きが、おばけの出そうな青白く澄んだ怪しさを漂わせ、バンドならではの世界を提供してくれる。
近藤達郎がアコーディオンを背負い込み、「人間の秘密」と「も・いちど」が連続して演奏されることが予想される。
「人間の秘密」は、やはりPAが活躍し、「ワーイ」と叫ぶ部分でのエコーがあり、効果的であった。
こちらは1曲目よりも上手くいっているように思えた。
「人間の秘密」は、おそらく深い意味があるであろう振り付けが付く分、弾き語りよりも言葉の重みが伝わってくる。
「も・いちど」も、だいぶ今の編成が耳に馴染んできた。
クアトロでの演奏の頃は、小峰公子のコーラスばかりが耳に付いていたが、近藤達郎と楠均のオクターブユニゾンのコーラスがしっくりくるようになってきた。
前回は楠均の声の調子が本調子でなかったような感じだが、今回はドラムも声も本調子であった(2年に一度くらいこんなときがある)。
前回は堀越信泰のギターの上手さばかりが光ったが、この日はドラムデーであった。
もっとも、近藤達郎のコーラスがこの曲というのではなしに、入ってこないことがあった。
曲の別の部分に神経を注いでいたのではないかとも思われるが、やはり二人入ってこそのコーラスであるところがあるので、もうちょっとだけ無理をしてもらいたい。
「悲しいのはいやだ」「ずっと君が好きだった」と続く。
言われてみれば、この時点で声を張り上げるところは声の調子が本調子ではなかったのかもしれないが、かすれ系の変調なので、ひっくり返らない分気が付きにくかった。
「悲しいのはいやだ」は前回も書いたのであまり書くことはないが、よい歌詞である。
「人間の秘密」や今回演らなかった「空」あたりの方が第一印象は強いが、原マスミの人生観が実は一番出ている曲なのかもしれない。
「じゃあ聴いてください、さよなら人類」のMCが入るが、もちろん「さよなら人類」は演奏されない(「さよなら人類」が紹介されたことは多いが、実演は一度もない)。
「夜の幸」で、第一部の終了となる。
正直に書くと、最初アルバムを買ったとき、そこまでこの曲は好きではなかった。
ヒルティの『幸福論』第1章信奉者の当時の自分には、「いつまでも遊んでいようよ」の世界が実際よりも享楽的に映ってしまっていた。
だが、時が経ち20世紀も通り過ぎた今、この曲は儚げに映写機で映されたような幻想的世界を感じさせる絵のように感じられるようになった。
束の間の間だけ輝いていようとする妖精が、相応しいロータスの中で戯れている像である。
「さよなら人類」が演奏される日がいつ来るかは分からないが、「夜の幸」はエンディングの突然の途切れと余韻もあって、純粋に楽しめるようになった。
やはり、原マスミ曲は曲が終わった後の余韻も世界の一つであり、味わうべき空間であると感じる。
「海のふた」初演の後の長い沈黙の余韻は、曲に打ちひしがれた余韻に浸りたいがためであり、当人が考えていたような「しっくりいっていない」わけでは決してなかった。
第二部が、長い前奏から始まる。
「約束の満月」で、やっと気が付いたことが出てきた。
以下は、仮説なので見当外れかもしれない。
まず、「約束の満月」のバンドアレンジは、これ以上いじれないくらいに完成されている。
ピアノの音とフレットレスベースのスライドさせる音との調和が、鳥肌を立たせるくらいの存在感を生み出している。
静かな湖面かどこかで自分が佇み、満月の神秘的な光を浴びているような、そんな錯覚を起こさせる力がこの曲にはある。
だが、この日は美しい演奏だが、普段ほどではない印象だった。
これは、休憩明けの曲順のためだけではないのでは、と考えた。
この日は楠均の音はよく入ってきたが、ベースの内田ken太郎の音がさほど耳に残らないところがあった。
普段は、フレットレスだが歯切れのよい音で、印象にもよく残る。
だが、この日は音量だけは普段に負けない音量だが、クリアではなく重低音部主体の周波数を意識的に拾っているように感じた。
ピアノの音も、浮き立たせているというよりは、原マスミの後ろでピアノの音の残響が残っているぐらいの音の印象があった。
ところが、あれだけ大きな音で伴奏が鳴っているにも拘らず、原マスミの声がクリアに聴こえていたのは不思議であった。
考えた結果、辿り着いた結論が「音声識別のための周波数帯域を避けるように、楽器の周波数帯域を絞ったのではないか」というものだった。
ベースの音は重低音を基調として、ベースの音に輪郭を与える周波数帯域は犠牲にする。
キーボードも、おそらくは楽器が美しく聴こえる周波数調整ではなく、倍音成分を絞った基本周波数に重きを置いた調整をPAで行ったのではないだろうか。
ドラムはよく分からないが、今回は乾いた硬い音と、布で包んだアタックの弱い柔らかな音と、どちらかが多く中間はなかった。
気のせいかもしれないが、これも今回のための調整だったのかもしれない。
「フトンメイキン」が後半に来たのも珍しい。
普段は、前半の2曲目か3曲目辺りであろうか。
アルバムとほぼ同じアレンジで、ライブで聴けるのは嬉しい。
自分にとってはこの曲が原点であり、「非現実的」というより「超現実的」な世界が可視できるかのような歌詞と音が素晴らしい。
絵画で言えば、ダリやキリコ、マグリットあたりか(ピカソよりは音楽の色に光が感じられる)
堀越信泰の復帰後、この曲と「飛龍頭」の演奏頻度が上がったのは嬉しい。
「STEREO」は、何回か前のバンドライブで久方ぶりに演奏されていた。
堀越信泰の戻る前の服部夏樹がギターを担当していたときだったと思うが、そのときとは若干アレンジが異なっていた気がする。
メンバー全員、小さなパーカッションに持ち替えて演奏する部分があったが、今回に関してはその部分を見た印象がない。
この曲は、前回も今回も熱演で、生で聴くとよさが再確認できる曲である。
バンドでも弾き語りでも、歌い込んだ曲では決してないので、全力で声を絞り出す。
それがまずよい。
楠均のドラムがこの曲は素晴らしく、乾いた叩きの音が心地のよい少し変わったリズムで刻まれる。
この後、「カメラ」が来るのではないか、と考えていたら、MCの後本当に「カメラ」が演奏されて驚いた。
欲を言えば、MCなしにそのまま続くとなおよかった。
「カメラ」と「STEREO」の共通点、それは「ネコ」である(と思う)。
以前、この曲について知人と話をした際に、おそらく、「カメラ」も「ステレオ」もネコの名前であろうという結論に達した。
ネコが「甘いもの食べ」るのか、という疑問こそ残るが、他の部分はネコと考えると納得できる。
それにしても、ネコに「カメラ」という名前を付けるという感覚、これは凡人にはなかなか生まれない発想である。
今回も、ベースではなくギターでの演奏であった。
なお、MCで6/21に、くじら、bikke(ラブジョイの方)、原マスミの3人で、三軒茶屋でライブを行う告知があった。
思えば、表参道のFABでのライブも同じ顔ぶれであった。
このとき以降、しばらくバンドライブはお休みしていたし、小峰公子もこの後共演していない。
そして、今回のテーマ「原マスミバンド」という表記が生まれたのも、この3組の共演ライブのときであったと思う。
せっかく近藤達郎が出演するのだから、ギャラを少し上積みして原マスミステージでも参加してほしいものである。
「毛」は、PAがバリバリ入り、一番の「フィッシュマンズナイト」であった。
おそらく、フィッシュマンズは原マスミのファンなら、一度は聴きこんだ経験があるのではないか。
歌詞の座標軸が若干異なるが、佐藤伸治なき今、原マスミの音楽にエコーをかけまくったら、近い世界を味わえるのではないかと考えた両者のファンは少なくないはずである。
この曲は、もともと現実感からは距離を置いたアレンジなのだが、この日はフレーズの終わりに声のエコーや電気処理が強調されて入っていた。
今後も、「夢の四倍」あたりのアルバムの曲なら、この手法が効果的に生きてくるはずであり、喉の調子がよくなっても試みてほしいものである。
「イナフ」からは比較的新しい曲が続く。
散らかったままの部屋を肯定する精神が原マスミから唱えられたことは、個人的に大変心強い。
誰も気にしてはいないだろうし、興味もないであろうが、このブログは「散らかった部屋」という副題が付いている。
「散らかる」という言葉は、マイナスの意味に使われることが多い。
逆に、「整理・整頓」という言葉は、人間の社会生活に必要な、それがなければダメ人間とみなされかねない評価を受けている。
だが、常日頃から自分はそれに疑問を抱いている。
なるほど、最終的に提示されたものは、張った伏線も全て解消した秩序あるものを示すのが理想であろう。
だが、物事を生み出す場合、完全な秩序と整理の中からは、創造性に溢れたものは生まれないのではないだろうか。
何度も書いて申し訳ないが、寺山修司は闇を引き算したものではなく、物事を生み出す源泉のようなものとして捉えていた。
我々が取り戻さねばならないものは、実は光ではなく真の闇なのではないか、とも自分は感じる。
地理の教科書に「スプロール化現象」という言葉が出てくる。
都市計画もされずに、だらしなく秩序なく都市が開発されていく現象を指している。
このブログのタイトル「sprawl world」は、この言葉から自分が勝手に作った言葉である。
雑多で、分かりにくく、無秩序である世界(アウトローということでなく)、この中からしか新しい素数的な創造物は生まれないのではないかと考えている。
シンプルで、無駄が全部削ぎ落とされた引き算の世界からは、公約数と公倍数の計算できる世界しか生まれないのではないか。
語りたいことは尽きないが、ライブレポとは離れてきたので、さすがに今回はこの位にしておく。
「海のふた」は、定番曲。
喉は苦しいのかもしれないが、歌い方が部分部分で異なるだけで、いつもの世界が待っていた。
以前、讀賣新聞で同名曲のタイトルの連載が始まったとき、音源化されるのではないか、と期待していた。
文庫化はされたが、残念ながら音源化はされておらず、メンバーも含めて元気なうちにぜひ収録されてほしいものである。
「ブレーメン」、「教室」と、2番目と3番目に新しい曲が続く(一番新しいのは「イナフ」、「椰子の花」や「January」は入れていない中でだが)。
「ブレーメン」の歌詞は、今までの世界に対する自己否定ばかりではないのではないか、とも思えてきたのだが、まだ自分の中で結論は出ない。
「教室」は、ピアノの遠くから聴こえてくるかのような響きが印象的である。
教室ライブが思い起こされるが、残念ながらもう次はないらしい。
この曲も近藤達郎と楠均のコーラス(掛け声?)が入るはずだが、残念ながら近藤達郎の声が被ってこなかった。
アンコールの中、「アイス!アイス!アイス!」が演奏される。
本編に入れにくい、他の曲との時間の違いがあるので(他の曲の時間はケーブルカーが走っていない)、アンコールに置かれることが多い。
堀越信泰のボトルネックでのスライド音が、なかなか心地よくアイスを食べたくなる気にさせる。
「飛龍頭」でアンコールの本編終了。
「海のふた」同様ゼネラルポーズがあるが、拍手をわざと求めるようにしてブレークに入り、再演する。
BGMは鳴り始めていたが、再度のアンコールで登場。
明るい曲を、とのことで、日本一早い「冬の星座」の演奏となる。
この曲は、内田ken太郎のベースが一番目立ち、かっこよく弾かれる曲である。
楽器屋でベースを試奏するときに、誰もがこのフレーズを試したくなるような印象深いフレーズが繰り返される。
この日は、少し輪郭部の音域をカットされていたかに感じるベースだったが、さすがにこの曲はベースが主体で、聴いている方がほっとする。
演奏後、「よいお年を!」のMCで終了。
日本一早い年末が終了した。
今回のライブは、出そうとした音程をコントロールできないコンディションの悪さに関して、本人は不本意だったかもしれない。
だが、PAの活躍、プログラムの冒険、ドラムの冴え具合など、全てがそれを補完し、大成功のライブだったと言えるのではないか。
今後、喉の調子がよくなっても、今回のような挑戦的な試みを続ける限り、新鮮な感動を味わえるのではないかとの期待を持つことができた。
次のライブまで、ゆっくりと喉の保養に努めてほしいと思う。
もっとも、48時間後にはそのライブは終了しているが。
