パスカルズ(Pascals)「水曜日」発売記念インストアライブ(新宿タワーレコード 2009/04/23)
1.さんぽ
2.Am 8 Beat
3.森
4.ファンファーレブーメラン
5.のはら
6.走れ廻れ
パスカルズは、一度だけ生で観に行ったことがある。
高田渡逝去直後の吉祥寺音楽祭で、吉祥寺駅前のロータリーで無料ライブのトリを務めていたと思う。
ほとんどインストゥルメンタルだが、知久寿焼やあかねのボーカルが入る曲もあり、石川浩司のパフォーマンスや火花飛ぶチェロなど、見応えはあった。
大人数の割には、音楽的には聴きやすい作りになっており、ユニゾンの多用が安心感を与える。
この日は、19時30分開始の予定だったが、1時間前に行くと普通に同じ場所でリハーサルをやっていた。
それで、だいたいの雰囲気は分かり、期待が持てると感じた。
知久寿焼と坂本弘道は、残念ながら欠席であった。
1.さんぽ
石川浩司は、Tシャツと花柄の短いズボンに穿き替えていた。
女性メンバーは、ほぼ全員パスカルズのトレーナーを着用していた。
トイピアノの音は、一見おもちゃに見える割にはしっかり作ってあるのか、美しい音色を奏でる。
全体的に2拍子ののどかな流れで、フレンチ風の耳当たりのよい旋律が続く。
視覚的に印象に残ったのは、石川浩司がピコピコハンマーでパーカッションを叩いたところか。
「音が鳴るものでさらに楽器を叩く」というのが、この日結構共通して見られた演奏法であり、普段ないアタックの音がこの技法により提示されるため、興味深い試みであるとは感じた。
もちろん、視覚的効果の方が大きいところはあるが。
インストゥルメンタルなので、あまり述べることもないのだが、チェロの通奏低音が基調になって上の音楽が組み立てているのだと感じたところはあった。
パスカルズののどかさの基本は、「ユニゾン」である。
無駄なぐらいいるメンバー数も、こののどかさには必要な要素となる。
シンプルなソロ楽器の演奏は、一つの楽器の脈拍に聴き手が同期させて聴き入る必要があるため、緊張と集中を強いる。
楽器が増えると、聴き手は音と音との間を渡り、「いいとこ取り」できるために、緊張の度合いが減少する。
だが、楽器が増えても呼吸や脈拍を全て合わせたアンサンブルは、逆に緊張をも増幅させるのである。
パスカルズが、なぜのんびりと聴けるか、この答えはまさにここにある。
それは、縦を合わせないからである。
比較的自由なテンポで、多少の幅やゆれは音符の音自体の厚みにもつながり、緊張を強いるスポットの山場も少ない。
バイオリンも低音も打楽器も、「リストラ」して経済効率だけを貫けば、半分でおそらく近い音符の音楽はできるであろう。
だが、同じ楽器で音を重ねることにより、音の周波数成分を安定させ、聴き手にリラックスさせる効果を出しているのである。
パスカルズは、音の決して大きくない楽器を集めて、一種の合唱(時には斉唱)を行っている、とも言えるかもしれない。
2.Am 8 Beat
1曲目が終わると、ステージ横からひょっこり横澤龍太郎が入ってきて楽器を出し始めた。
どこかのステージの後に駆けつけたのであろうか。
ドラムとして紹介されるが、この曲はタンバリン(皮が張ってあったのでパンデーロであろうか)のみであった。
この曲はアルバム「水曜日」の作品ではなく、旧譜からの演奏であった。
全体的にモード系で、近い和音展開が繰り返され、音が重なり合い盛り上がっていく構成であった。
もっとも、マイナー調なので、盛り上がりの頂点も、「歓喜」と言うよりは「不安」を象徴しているかのように感じられる。
パンデーロ(と決め付けることにする)が入ったおかげで、曲自体のテンポ感が増した。
石川浩司のパーカッションは、テンポをキープするための存在では決してないので、チェロの他にやはり安定したリズムを刻むパートは欲しい。
この曲の石川浩司で感心したのは、振れば鳴るカウベルか何かの鉄製楽器を、両手で持ち振って鳴らしっぱなしであったところである。
旋律楽器で言えばトレモロ演奏のような効果を、肉体的負担の大きいこの楽器で石川浩司はやってのけた。
一般的に石川浩司はパフォーマンスの人で、同じ音を出すにしても「どのように視覚的効果を与えるか」にまず意識が向くところがある。
それは本人の得意分野であり、聴衆の反応もストレートに返ってきてやりやすいはずである。
だが、音のムラを出さずに、地道に裏方として安定した音を出し続けたところに、パーカッション奏者としての石川浩司の意地を感じた。
最後のffでの演奏は、音の小さな楽器には結構しんどいものがあったと思われるが、実際の音量より視覚的効果のおかげでffに聴こえてくる不思議さもあった。
インストアという制約もあるだろうが、音楽の出し方見せ方を分かっている強みはあった。
3.森
今回の曲目の中では、唯一ボーカルが入る曲であった。
旧譜では「326」や「きんとんうん」などがあり、本日欠席の知久寿焼かあかねかどちらかが歌うことが多い。
パスカルズ自体は基本インストゥルメンタルの楽団だが、あかねの歌い手としてのキャリアは結構長い。
20年以上前の音源を聴いてみると、トイピアノなどの生楽器の音にはかなげな声が重なり、他にないような世界を作り出している。
歌詞は病的に陰りがあり、曲調も淡々と暗めの調子が続く。
商業主義の対極にある世界であるので、バブルが来ようと金儲けができる作品ではないが、個人的には嫌いではない。
「森」は、金井太郎のガットギターのボサノバ型の音で始まる(いわゆる「ブンチャーブチャッチャ」の形)。
安定した音とリズムで、この曲全体の基調となる。
石川浩司は、シャボン玉を飛ばし続ける。
割れないタイプのシャボン玉であったので、曲が終わっても飛んでいたりどこかに引っかかって残っていたりするものがあった。
石川浩司のパーカッションは、この曲では「鉄の鎖」。
よく、営業時間を過ぎた駐車場に張ってあるアレである。
ガチャガチャと鉄同士が当たり合う音で、曲の音に彩りを与えていた。
鳴り物で太鼓を叩くのは、この曲も同じであった。
この曲あたりになると、横澤龍太郎は地べたに座ってボンゴ(だと思った)を叩き始めたので、ほとんど見えなくなってしまった。
あかねの声質は、クリアな音ではなくホワイトノイズが全体的にかかった感じである。
アタックの音の力強さはその分削がれるが、逆にロングトーンを伸ばしたときの効果は大きい。
高音域の倍音成分により神秘的な印象になり、リアルな現実世界の中で中波のAMラジオの音が鳴り響くのに近いところがある。
「1つ目はクレヨンが」のあたりの、さびで声を伸ばす部分は、大貫妙子にも通じる澄んだ世界への引き込みの力を感じさせる。
パスカルズはパフォーマンス的には個性的な面々(特に坂本弘道と石川浩司)が並ぶが、音的には置き換え可能な自在さはある。
だが、あかねのボーカルは音的に置き換え不能なパーツであり、パスカルズ全体の宝であり財産であるともいえる。
「きんとんうん」と比べて、もともとあかねが作り出していた音楽に近く(「オルゴオル」など)、よさが引き出されているとは感じる。
やはり、言葉と声の魅力は大きく、個人的にはこの曲が一番印象に残り、名演であると感じた。
パスカルズの曲のエンディングは、基本フェルマータの全音符で終わり、アドリブ的なカオス状態の中、ジャンと収束する。
これは、バンド演奏では恒常的に見られる形態であるが、生楽器でのアンサンブルは短音符で縦を合わせて収束点が誘導されることも少なくない。
だが、パスカルズは集団主義的な収束ではなく、個々のエネルギーの発露の場として着地点を設けているところがあり、今後もこの精神は変わることがないであろう。
パスカルと言えば、哲学者が思い出され、『パンセ』という書がまず浮かんでくる(個人的には「深淵」の件の部分の方が好きだが)。
「人間は一本の考える葦である」という精神が、パスカルズという楽団名に冠せられた根本であると考えるのは考えすぎであろうか。
一人一人の考える「個」の葦の存在を尊重し、発露とする場を与え、その弱い葦(実際弱い音量の楽器が多い)を集めて一つのかけがえのないものを作り上げよう、といった方向性がロケット・マツの意図であったのではなかろうか。
作り過ぎず、「個」の入り込む余地を大いに残した楽曲と演奏形態は、そのように想像させるのに十分な表情を持っている。
4.ファンファーレブーメラン
この曲で、再びインストゥルメンタルに戻る。
金井太郎のガットギターと原さとしのバンジョーが、ブンチャブンチャの弾き方で中高音域の楽器の特性の音を強調させていた。
やはり、バンジョーというのは特殊な楽器で、音的にはよく目立つ。
一般に、バンジョーはブルーグラスの記号的な存在として用いられることが多いように思える。
だが、パスカルズではあえて既存の記号として用いられるのを拒絶し、多様で自在な奏法に羽ばたかせるような意識が感じられる。
小さい音の楽器のインストゥルメンタルバンドと言えば、他に「栗コーダーカルテット」と「ピラニアンズ」あたりが思い出される。
前者は、もともと別楽器の奏者が4人集まり、リコーダーを基調としたアンサンブルを行い、CMやNHK教育で大活躍している(「ピタゴラスイッチのテーマ」など)。
後者は、ピアニカ前田率いる、音量の小さいバンドとして結成され、「スタジオパークからこんにちは」の初代テーマソングとして長年親しまれた「チキンズ・パレード」が有名である(聴けば絶対思い出す名曲である)。
ピアニカが入る分、若干ピラニアンズの方がパスカルズの音色に近いが、どちらも少人数でコンパクトにまとまった音楽である。
だが、パスカルズは人数が3倍以上に膨れ上がり、弦楽器だけでもピラニアンズの人数を超える。
音楽的には「栗コーダーカルテット」と「ピラニアンズ」を足して、さらにごちゃごちゃいろいろ混ぜた、雑多性のようなものが特色であろうか。
「ファンファーレブーメラン」などは、この形態を生かした曲想のつけ方をしている。
冒頭部から音楽を盛り上げていく部分までは、音の小さな楽器は主旋律の脇役に徹し、音楽に飽きを起こさせないように動かしている。
曲が最高潮に達し盛り上げていく場面では、ほぼ全ての楽器がメインストリーミングに合流し、一つの大きなユニゾンとして、明確でシンプルな輪郭を提示する。
生楽器独自の盛り上げ方であり、電気楽器(「明和電機」を除く)であればほぼ逆の、細かい音を複雑に絡み合わせていく手法を取ると思われる。
音の増幅が可能なこととダイナミックレンジを重視していないことがその要因であろうが、電気増幅は意図とは裏腹に音楽を平面的に誘導してしまうことがある。
ppのない音楽は、音の強さに対する感覚を麻痺させ、音楽の一つの要素を表現対象から奪ってしまう。
だが、クラシックに代表される生楽器での表現は、この部分が重要な表現の一部となり、音色、テンポの変化にさらに表情をつける役割を果たしている。
ラベルの「ボレロ」から、電気増幅でppを奪ったらどのようなことになるか、考えてみると分かりやすい。
歌入りの音楽でも、小川美潮の「おーい」などのように、ppからffまでのダイナミックレンジを用いる曲が増えて欲しいとも感じる。
なお、この曲の石川浩司は両手に音の鳴る人形(ひよこ?)を持ち、鳴らしながらステージ上を歩き回っていた。
あかねなどに視線を合わせ、トイピアノの上の別のひよこに挨拶をさせたりなどしていた。
5.のはら
バイオリン部隊のうち、後ろの二人がリコーダーに持ち替える。
リコーダーが入る分だけ、栗コーダーカルテット系の音に近くはなる。
牧歌的な雰囲気を、楽器の変化によって表そうとしている。
なお、石川浩司はにわとりの被り物を頭に乗せて、舞台から客席まで歩き回り、最後は客席との仕切りの柵を潜ってステージに戻った。
この日、久しぶり(「ワイト島の奇蹟」以来)に見たら劇ヤセしていて、誰か分からぬぐらいであったが、パフォーマンスは健在であった。
そう言えば、石川浩司と言えば、「全裸でゴ・ゴ・ゴー」という曲があった。
この曲は、ネタ曲、イロモノ的要素が強く感じられる曲に一見見え、歌詞を吟味しようと思わせないような衣を纏っている。
だが、現在報道されている事件(というより「騒動」か)にほぼ内容的な一致があり、日常世界とイロモノ世界が実は紙一重の世界であることを感じさせられる。
もしかすると、人によっては食傷気味にも感じられる可能性があるパフォーマンスも、日常世界とイロモノ世界の境界線上の世界を、それとなく提示しようという意図があるのかもしれない。
この曲も、「水曜日」未収録曲であった。
本当は、この曲はロケット・マツのアコーディオンについて何か論じる予定だったらしい。
だが、すっかり忘れてしまったので、何か思い出したら追記することにする。
6.走れ廻れ
時間も予定の30分ぐらいになり、「あと1曲いいですか」とのことで最後の演奏。
渋谷のタワーレコードで演奏されたのか、タイトル曲の「水曜日」の演奏はなかった。
ロケット・マツはマンドリンに持ち替え、うつおと大竹サラはこの曲も前半はリコーダーを演奏した。
この曲で感じたのは、ビブラートを通常以上に効かせて、音楽の装飾以上の役割を担わせたところである。
通常、クラシックのビブラートは周波数の揺らしや、音符による長さまで定めておく(と自分は思うが違う世界もあるのかもしれない)。
あくまで、主となるピッチが特定できるように、上下ではなく下の帯域に揺らしを持ってくる(と公開レッスンでは習った)。
だが、パスカルズではビブラフォンのように、ビブラート音自体を一つの音色のように扱い、旋律を奏でる。
ノンビブラートの音の動きは機械的な調和を印象付けるが(いわゆる松任谷由美や麗美の歌唱法など)、ビブラートの音の幅と揺れは聴き手の生体としての律動に調和する余地をもたらす。
パリのゆったりとしたカフェで、手に汗握る緊張感を持った曲を聴きたいとは誰も思わないであろう。
このあたりも、フランスでパスカルズがある程度評価を受けているところなのかもしれない。
30分を少し過ぎるステージが終わり、サイン会となる。
旧譜でも買えば、今回特典の3曲入り未発表音源のCDが貰えたらしかった(渋谷とは別内容)。
少し迷いはあったが、この後のライブスケジュール(もちろん聴く方)を考えて、やめることにした。
予想以上に充実したステージであった。
パスカルズは、とにかく大所帯である。
経済効率だけを考えたら、「このようなバンドは作ってはいけない」バンドのお手本のようなバンドである。
パスカルズだけで一生不自由しないことはありえず、メンバーも版画や漫画、家具などを創作し、生計を立てている。
だが、逆に普通の生活者(決して普通ではないかもしれないが)の視点、呼吸、生活があるからこそ、この音楽につながっているともいえるかもしれない。
もちろん、音楽専従者も多くいるが、メンバーの多様性が、社会の最大公約数を踏まえた上で、素数の要素を付加した方向性につながっていると言える。
ロケット・マツの精神とあかねの歌声、調和させ過ぎず技巧に走り過ぎずのこの方向性は、末永く続いてほしいと感じた。
ライブ評というよりも、石川浩司の行動記録のようになってしまったが、よいステージであったので上げることにする。
これからも無料のオープンステージで、積極的に演奏活動を行ってほしいものである(「無料ライブ」にパスカルズはとても合う気がする)。