マクベス解釈
「マクベス夫妻は力を合わせて王を暗殺して王位を奪うが、あれは王になりたかったわけではない、
夫婦でやり遂げる事が何か必要だっただけだのだ、と以前この劇を上演した時、解釈したことがあった
からだ」
--山崎努「柔らかい犀の角」--
なるほど、マクベスは夫婦の愛の話だったのかと思ったところだ。考えてみると、マクベスは王殺しに
大しては常に夫人に推されてぐずぐずした男であったことも思いだした。
危険を避けるのではなく安全を避けなければならない
「演技する上で大切なのは、危なったしくやることである。失敗を覚悟で、どうなってしまうかわからない
ところへ自分を追い込んでいく。それが大事。失敗は正直怖いが、そのリスクを背負わない安全運転的
演技などなんの価値もない。危険を避けるのではなく安全を避けなければならない」
--山崎努「柔らかい犀の角」--
サラリーマンの僕として、同意していいものかどうか難しい言葉だ。但し、突き刺さるものはある。
「香薬師像の右手」

香薬師という仏像は中学時代に和辻哲郎の「古寺巡礼」を読んで以来、発見を待っている仏像
である。
僕は深大寺の釈迦如来を観て以来、白鳳仏の大ファンになった。好きな仏像としては、法隆寺にある
夢違観音、橘夫人念持仏、元山田寺仏頭等がある。香薬師は、写真でしか見た事がないが、見る限りは
中々素晴らしい仏像だ。誰がどのような動機で盗んだのかは知らない。但し、金銭目当てというよりは、
香薬師に惚れぬいた方が盗人となったのではないか。そんなことも不図思ってしまうような愛らしさ
である。
その香薬師を探し、右手を見つけ出したという話が本書の筋である。
本書を読む限り、右手の経緯は、やや不透明である。特に、持ち主である新薬師寺が佐佐木茂索という方に
右手を渡したという背景が理解しがたい。切り出されたものとはいえ、国宝の一部を寺が個人に渡すという
ことがそもそもあるのだろうか。なんとなく、生臭い匂いも感じてしまうのは僕だけだろうかと思ってしまう。
骨董というものに付き物のある種の闇がそこにあったような気がしてならない。
また本書を読んで気になるのは、後半部分で著者の配偶者の方にまつわる、ある種のオカルト性である。
前半部分では論理的な話の運びであっただけに、後半部分がいびつに感じられる。本書はある意味謎解きの
要素も多分に含んでいるだけに、肝心の部分で宙吊りにされた思いがした。
等と、やや難点を書いたものの、香薬師発見に向けての朗報であることも確かだ。中学以来40年間
待ってきた僕として、残された時間はそんなにあるわけではないが、是非期待したい。
である。
僕は深大寺の釈迦如来を観て以来、白鳳仏の大ファンになった。好きな仏像としては、法隆寺にある
夢違観音、橘夫人念持仏、元山田寺仏頭等がある。香薬師は、写真でしか見た事がないが、見る限りは
中々素晴らしい仏像だ。誰がどのような動機で盗んだのかは知らない。但し、金銭目当てというよりは、
香薬師に惚れぬいた方が盗人となったのではないか。そんなことも不図思ってしまうような愛らしさ
である。
その香薬師を探し、右手を見つけ出したという話が本書の筋である。
本書を読む限り、右手の経緯は、やや不透明である。特に、持ち主である新薬師寺が佐佐木茂索という方に
右手を渡したという背景が理解しがたい。切り出されたものとはいえ、国宝の一部を寺が個人に渡すという
ことがそもそもあるのだろうか。なんとなく、生臭い匂いも感じてしまうのは僕だけだろうかと思ってしまう。
骨董というものに付き物のある種の闇がそこにあったような気がしてならない。
また本書を読んで気になるのは、後半部分で著者の配偶者の方にまつわる、ある種のオカルト性である。
前半部分では論理的な話の運びであっただけに、後半部分がいびつに感じられる。本書はある意味謎解きの
要素も多分に含んでいるだけに、肝心の部分で宙吊りにされた思いがした。
等と、やや難点を書いたものの、香薬師発見に向けての朗報であることも確かだ。中学以来40年間
待ってきた僕として、残された時間はそんなにあるわけではないが、是非期待したい。
柔らかな犀の角 山崎努
山崎努の書評である。読まないわけにはいかない。
俳優が本を読むということを考えたことがあまり無かったので、本書で見せる山崎の博覧ぶりに唸ってしまった。
一方、本書で見せる山崎の文章のうまさはまた別の才能である。本書を読む限り、山崎は俳優としての表現力だけではなく、文章家としての表現力にも無類さがあることがわかる。
山崎の筆は自由闊達だ。肩肘張らず、思うがままをスラスラと書いている。読んでいて心地良い。隣で山崎が語りかけてくれているようにも思える。
この文章力が俳優という仕事から来ているのか。これに関しては僕に現段階での答えはない。但し、直感として、俳優という表現家のなせる一つの技だと思う。余技というレベルを超えている山崎の語り部としての一面と言えるのではないか。
大変勉強になった。続編を期待したい。
俳優が本を読むということを考えたことがあまり無かったので、本書で見せる山崎の博覧ぶりに唸ってしまった。
まず 読む本のジャンルの広さというものがある。山崎の読書は、やや乱読といっても良いかもしれないが、それは俳優として演じる役の種類の多さに重ねると当然であると言える。本を読むということは、他者の考えたことや他者の過ごしてきた時間を追体験することに他ならない。仕事上、多くの他者を演じることを強いられる俳優にとっては、そもそも不可欠な作業と言えるのではないかと考えると、腑に落ちた。
一方、本書で見せる山崎の文章のうまさはまた別の才能である。本書を読む限り、山崎は俳優としての表現力だけではなく、文章家としての表現力にも無類さがあることがわかる。
山崎の筆は自由闊達だ。肩肘張らず、思うがままをスラスラと書いている。読んでいて心地良い。隣で山崎が語りかけてくれているようにも思える。
この文章力が俳優という仕事から来ているのか。これに関しては僕に現段階での答えはない。但し、直感として、俳優という表現家のなせる一つの技だと思う。余技というレベルを超えている山崎の語り部としての一面と言えるのではないか。
大変勉強になった。続編を期待したい。
老朽化した電動器具
「コンセントを抜かないこと 」 、つまり作動を止めずにそっと置いておくこと
だという 。何やら身につまされるが参考にもなる 。」
電動器具を人間と読み替えても良いか?
1
「少し難しい話になりますが、数字の一番初めにある『1』の存在を数学的に証明することは
できない。20世紀の初めに多くの有能な数学者がなんとかして首尾よく『1』を定義しようと
したけど、できなかった。彼らは最終的に『1はある』と仮定するほかなかったんです。」
POPEYE 特別編集 「本と映画のはなし」 森田真生
そうなのかと感心したところ。
老人と少年
「老人がその生涯で得た教養を受け継ぐのは息子の世代ではなく孫たちなのかもしれない。
老人と少年は相性が良い」
-「柔らかな犀の角」 山崎努ー
映画でも老人と少年というものは定番だ。スターウォーズのルークとヨーダ等もその典型ではないか。

