雑感
へーこんなものが。さいしょ聴いた時ラムのラブソングの原曲かと思った。完成度が高いのう。クレモンティーヌがアニソンのカバーするなんて、そんな時代なんだな。日本人がこれ聞く時、ボサノヴァとして聞くのか、アニソンとして聞くのか脳味噌が混乱するよね。
クレモンティーヌと言えばオー・シャンゼリゼとかカバーしてたし、カバー自体に抵抗のない歌手なんだろうと思ってたけど、まさかアニソンをカバーするとは。
アニメンティーヌなんてアルバムに収録されてるわけだけど、他の曲も原曲の雰囲気を留めてたり形跡もなかったりとなかなかに楽しいCDになってるみたいです。ポニョとか本当に跡形もなくミンチにされてる感じ。形跡を留めてるパターンでも、完成度高いが故にアニソンに聞こえないという不思議。
1. ラムのラブソング (アニメ『うる星やつら』OP) 試聴する
2. バカボン・メドレー 試聴する
3. 崖の上のポニョ (アニメ映画『崖の上のポニョ』主題歌) 試聴する
4. おどるポンポコリン (アニメ『ちびまる子ちゃん』OP) 試聴する
5. 風の谷のナウシカ (アニメ映画『風の谷のナウシカ』シンボル・テーマ・ソング) 試聴する
6. はじめてのチュウ (アニメ『キテレツ大百科』ED) 試聴する
7. ロマンティックあげるよ (アニメ『ドラゴンボール』ED) 試聴する
8. サザエさん・メドレー 試聴する
9. ドラえもんのうた (アニメ『ドラえもん』OP) 試聴する
10. とんちんかんちん一休さん (アニメ『一休さん』OP) 試聴する
11. タッチ (アニメ『タッチ』OP) 試聴する
12. CAT’S EYE (アニメ『キャッツ・アイ』OP) 試聴する
イマドキのネットの恐ろしいところは、CDなんか買わなくてもYoutubeとかニコニコに全部アップされていること。ありがたいんだけどこれで良いのかなぁ。まぁ気になった人は聴いてみれば良いし、買ってみれば良いと思う。良さげなのは良いし、ん?てやつはん?てなるよ。
でだ。先週末keiと旅に出たんだ。浜松まで。なんというか面白かったんだけど、旅としてごくごく当たり前の旅情漂う楽しさというより、たまたま旅に出たら面白い事によく触れ合った楽しさというか。まー色々考えさせられたし、一抹の寂しさを感じつつもそんなもんだろうと納得してみたり、何かしらの意義のあった旅だった。
今回の旅が、何か象徴的に僕の人生に一区切り顔をして置かれてるような、そんな気がしている。楽しかったものにしろ、哀しかったり、寂しかったりものにしろ、時間はいずれ動きだして僕たちの感慨を流し去ってしまう。
そのことを哀しいこととして捉えるか、むしろ運命的に恵まれた時間を懐かしむのかは人次第なんだろう。時間の流れはある意味この世界の真理な訳で、下手に感情を交えるべきではないのかなと思っている。僕たちはそうして生きていたし、これからもそうやって生きていく。それで良いと思っている。
自分が時間という、厳しく確固とした流れに追いついていないのならば、出来る事から始めれば良い。たったそれだけのことだ。結局のところ見つめないといけないのは、目の前に広大な未来で、形の定まった過去ではない。僕たち若人にとってはね。万感の思いを込めて。
…とまぁ色々あった訳で、ブログに写メなんか載っけながら「楽しかったのダ☆!!!!!!!!」みたいな紋切りで更新出来うる筈もなく、この旅自体をまずは自分の中でどう整理すべきなのか考えている。その結果として綺麗にまとまればブログという形にするし、載せるべきでないのならブログという形はとらないし、ましてまとまらないままに書く事はしない。
まーシャウアプフ的に言えば「ただそれだけのこと…。」旅は旅で、僕は僕。ブログはブログ。流れに任せて、なるがままになるでしょう。風が吹けばそっちになびき、水が流れれば足を引く。それだけのことさ。
あーそれから。浜松は妙に外人と擦れ違うなぁと思ったが、どうやら全国都市のなかで最多らしいね。調べたら少なくともブラジル人、日系ブラジルは日本で最多らしい。浜松の自動車工場なんかの肉体労働者として、気候も温暖だから外人が働きに来るらしい。ふーん。
ふー。まだ疲れてる。まぁそんな旅だったとざっくり書いておこう。僕にとって。さて、どうすっかなー…。
アニメンティーヌ~ボッサ・ドゥ・アニメ~
¥2,520
楽天
侘び・寂びってなんだろう
何もしてないと腐りそうだ。ブログであってもつけてるだけつけてないよりはマシだな。何かかきます。なんでもいいや。茶器とか。いいや、茶器で。
侘びだの寂びだの言ってさ、テレビとかで茶道の家元とかがさ、外人向けに分かるようで全くわからない説明してたりするよね。日本人面して「侘び・寂びってうまく説明できないんだよね」て言う奴とかさ。自分なりでいいから分かりやすく説明してみろとか思うのは僕だけでしょうか。それかそもそも分かんないだけだよね。例えば茶室のどこが侘びでどこが寂びなんだって聞かれて即答できる人がいるのかね。いたら教えて欲しい。僕の予想では割と一言で表せるものなんじゃないかと思ってる。
侘[編集]
侘(わび、侘びとも)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。
寂 [編集]
寂(さび、寂びとも)は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。転じて漢字の「寂」が当てられ、人がいなくなって静かな状態を表すようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3
だそうです。番組なんかでは日本人古来の美意識だからって茶人なんかに話聞いてますけど、少なくとも日本ではもっと普遍的なことだと思う。普段触れない茶道が絡むから分かりにくいんだよ。きっと。そもそも専門家なんて偏った生き物なんだから、一般人にわかり易く説明出来るはずがないんだ。
侘び=簡素な美、ないし粗末な美
寂び=経年変化による美
なんだとすれば、例えば無印良品なんか「侘び」だよね。不自然なまでに簡素化してるところに美を見出す。機能美を追求して余剰を省き続けることで、簡素で持ちやすく使い勝手の良い皿、それはただの白い皿なんだけど余計な意味が省かれてるぶん作り手の真心なんかが浮かんでくる。最初白かった革製品を使い込んで飴色になったやつに感じる愛着は「寂び」かな。あとスニーカーなんかでも新品ピカピカよりも多少汚れた方が格好イイよね。色落ちしたジーンズとか。あれあれ。たぶん。

白樂茶碗 銘 不二山
茶道とか華道で言えば、一輪挿しとか石庭とかひしゃげた形の茶器なんかが「侘び」で、茅葺き屋根とか古材の柱・苔むした古石なんかが「寂び」なんだろ?(侘びも時間経てば寂びが加わるんだろうけど)なんか「良いなぁ」という感覚は分かるけれど、それってなんでなんだろう。
個人的には
侘び=生命を哀れむ心
寂び=物を愛おしむ心
なんじゃないかと思ってる。花を束にして外面的な華やかさを求めるのではなく、敢えて一輪にすることで心が花の内面に向かう気がする。ピカピカツルツルした完璧な陶磁器=白磁とか青磁とかマイセンの見た目からくる美しさではなく、ゴツゴツザラザラした焼き物には土の息吹きというか、なにか土の優しい気持ちを感じる。石庭もなんか世界表してるんだっけな。余剰を省いてモノの内面を覗くような粗末さ、それが侘びなんじゃないか。
苔むした石とか岩を見るとき、僕らの心に根ざすのはその石・岩の歩んできた長い時間じゃなかろうか。古材の良さというのも小なれた見た目の良さ以上に、その材木の歴史に大金をはたいてる気がする。モノの通過してきた時間と自分の限りある時間を比べた時に初めて、消耗品としてではなく、同じモノとして同列に並ぶことができる…。うーん寂びは表現しにくいな。

志野茶碗 卯花墻(国宝) 桃山時代
侘びが自分の生命をモノに投影して生物全般を哀れむ美意識とすれば、寂びはモノを生命なきものとして受け入れた上で、共有の時間を通じて静物の良さそのものを再確認する美意識と言うか。ある意味で真逆の概念だと僕は思ってる。例えば花や茶器には侘びはあっても寂びはないし、岩や古池そのものには寂びはあっても侘びはない。(庭は侘寂両方あるからまた別。)
侘び寂び共に不完全さに対する愛着なのは共通してるんだけれど、生命や人の手を感じさせるものには「侘び」で、生命から超然とした自然を感じさせるものには「寂び」なんじゃないかと勝手に思ったんだ。侘びは人工的に作るもので、寂びは経年変化という自然を介してできあがるというかね。似ているようで明確な区別のある概念だと思う。古池自体は寂びでも、蛙が飛び込むと侘びになる感覚かな。
まー少なくとも対象に関しては別なんだって説を提唱してみた。ガッテンいただけますかね?
で。中国の陶磁器や欧米流の庭園の完璧主義と較べて、日本の侘び寂び崇拝=不完全への美意識はやっぱり特殊だよね。イギリスだけは歴史的に骨董品を愛好したり、ツイード着古したりしてるし日本に近い感じがあるけどさ。上の侘び寂び考察とは別角度からなんだけど、この辺から日本人の精神性を書いてみるか。
たとえばへしゃげた形の茶器を愛好する日本人の精神性と、欧米中華流の精神性の違いは人間に対する考え方にも表れてると思う。欧米中華の偉人と言えば、大博愛主義のキリストであったり、多芸多才のダヴィンチであったり、ゴッホでありピカソであり、孔子であったり毛沢東のような、いわゆる天才型が多い気がしている。完全無欠、ないしある一芸においては天賦の才能を持ち合わせた人間を偶像化して賛美するよね。(モー娘。でも書いたな、あー恥ずかしい)
それに対して日本では、信長とかホリエモンのような天才型は杭のように打たれて、例えば黄門様とか北条時頼とか赤穂浪士とか義経とか、どこか親しみを感じさせるキャラクターの方が支持される。才能というよりも人間性からくる不完全さが昔っから日本人を惹きつけて止まない気がするんだな。(ホリエモンもあの事件以来更に人気だし。)錐のように尖った人間以上に、熊手のように惹きつける人間を愛するというかね。意味分かんないね。笑。
もっと身近に落としこんでみると、例えば、頭脳明晰、運動神経抜群、年間読書二百冊以上、武道百般に通じて、十六ヶ国語を自由に操るハーバード卒の国際弁護士を友達にしたいかってことだよ。なんか海外ではこの上なく尊敬を集めそうだけれど、日本では誰も友達いなさそうだよね。こんなスーパーマンよりも、中央大卒で(失礼)本の読めない、酒好きで女好きの、青森弁しか喋れないサラリーマンの方がよほど友達になりたいと思う。
仮にマジメでしっかりした優等生タイプだったとしても、ふっと、女性で大失敗して女嫌いになったみたいな、酒飲むと泣き上戸になるみたいな、そんな人間臭い話を聞ければ好きになれると思う。それって不完全さを愛する日本の国民性じゃないかと思った訳です。
で、更に。そこに潜んでる日本人の精神の柱は、たぶん「劣等感」だろうと思う。どこかで諦めて、妥協して生きてきて、それでも人生を楽しむ術を見つけてきた典型的日本人からみて、上にいたみたいなスーパー弁護士は嫉妬の対象でしかなくて、まるで好感を持たれない。
スーパーマンだったとしても、自分と同じように人間臭さという名の欠点を見付け出したとき、「この人だったらしょうがない」と好感を持てる。これは日本人にとって割合共通した評価基準なんだと思う。少なくとも僕はそうだ。欠点をさらけだす者に対して持つ好感は、万能感への尊敬を上回るんだな。そこには美点だけではなく欠点をも重視する日本人の精神性がある。劣等感だけどね、それは。

そんな感じで不完全さを愛する精神性が、日本人ならではの審美眼を育てたんだろう。完全無欠、純白の陶磁器に見向きもせず、荒れ果てた寺にもののあわれを感じ、苔むした岩に向かってやたらと土臭い茶碗で酒を酌む。物の不完全さを通じて自らの不完全さを哀れむその生き方は、僕の知る限り他国にない正に日本独自のもので、欧米流の豪華絢爛バターたっぷりの審美意識に一石を投じているように思っている。僕にとって、それはすごく自然で、当たり前のこと。それが侘び・寂びなんじゃなかろうか。強引かな。笑。以上。
(観)私の小さなアクアリウム ~わびさび益子焼角鉢とコケと流木のセット~ 【あす楽対応_関東】

¥820
こんなものでも部屋に一つあれば、“寂び”になりますね
【 純金製 茶器 】茶釜 霰 6.5号 D

¥18,700,000
侘びも寂びもへったくれもないとはこのこと 秀吉気分かよ
ブログって思いつきを書くのに丁度いい媒体だな 気が向いたらまたなんか書きます 更新が滞ってたのはキーボードがぶっ壊れてたせいなんです
侘びだの寂びだの言ってさ、テレビとかで茶道の家元とかがさ、外人向けに分かるようで全くわからない説明してたりするよね。日本人面して「侘び・寂びってうまく説明できないんだよね」て言う奴とかさ。自分なりでいいから分かりやすく説明してみろとか思うのは僕だけでしょうか。それかそもそも分かんないだけだよね。例えば茶室のどこが侘びでどこが寂びなんだって聞かれて即答できる人がいるのかね。いたら教えて欲しい。僕の予想では割と一言で表せるものなんじゃないかと思ってる。
侘[編集]
侘(わび、侘びとも)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。
寂 [編集]
寂(さび、寂びとも)は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。転じて漢字の「寂」が当てられ、人がいなくなって静かな状態を表すようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3
だそうです。番組なんかでは日本人古来の美意識だからって茶人なんかに話聞いてますけど、少なくとも日本ではもっと普遍的なことだと思う。普段触れない茶道が絡むから分かりにくいんだよ。きっと。そもそも専門家なんて偏った生き物なんだから、一般人にわかり易く説明出来るはずがないんだ。
侘び=簡素な美、ないし粗末な美
寂び=経年変化による美
なんだとすれば、例えば無印良品なんか「侘び」だよね。不自然なまでに簡素化してるところに美を見出す。機能美を追求して余剰を省き続けることで、簡素で持ちやすく使い勝手の良い皿、それはただの白い皿なんだけど余計な意味が省かれてるぶん作り手の真心なんかが浮かんでくる。最初白かった革製品を使い込んで飴色になったやつに感じる愛着は「寂び」かな。あとスニーカーなんかでも新品ピカピカよりも多少汚れた方が格好イイよね。色落ちしたジーンズとか。あれあれ。たぶん。

白樂茶碗 銘 不二山
茶道とか華道で言えば、一輪挿しとか石庭とかひしゃげた形の茶器なんかが「侘び」で、茅葺き屋根とか古材の柱・苔むした古石なんかが「寂び」なんだろ?(侘びも時間経てば寂びが加わるんだろうけど)なんか「良いなぁ」という感覚は分かるけれど、それってなんでなんだろう。
個人的には
侘び=生命を哀れむ心
寂び=物を愛おしむ心
なんじゃないかと思ってる。花を束にして外面的な華やかさを求めるのではなく、敢えて一輪にすることで心が花の内面に向かう気がする。ピカピカツルツルした完璧な陶磁器=白磁とか青磁とかマイセンの見た目からくる美しさではなく、ゴツゴツザラザラした焼き物には土の息吹きというか、なにか土の優しい気持ちを感じる。石庭もなんか世界表してるんだっけな。余剰を省いてモノの内面を覗くような粗末さ、それが侘びなんじゃないか。
苔むした石とか岩を見るとき、僕らの心に根ざすのはその石・岩の歩んできた長い時間じゃなかろうか。古材の良さというのも小なれた見た目の良さ以上に、その材木の歴史に大金をはたいてる気がする。モノの通過してきた時間と自分の限りある時間を比べた時に初めて、消耗品としてではなく、同じモノとして同列に並ぶことができる…。うーん寂びは表現しにくいな。

志野茶碗 卯花墻(国宝) 桃山時代
侘びが自分の生命をモノに投影して生物全般を哀れむ美意識とすれば、寂びはモノを生命なきものとして受け入れた上で、共有の時間を通じて静物の良さそのものを再確認する美意識と言うか。ある意味で真逆の概念だと僕は思ってる。例えば花や茶器には侘びはあっても寂びはないし、岩や古池そのものには寂びはあっても侘びはない。(庭は侘寂両方あるからまた別。)
侘び寂び共に不完全さに対する愛着なのは共通してるんだけれど、生命や人の手を感じさせるものには「侘び」で、生命から超然とした自然を感じさせるものには「寂び」なんじゃないかと勝手に思ったんだ。侘びは人工的に作るもので、寂びは経年変化という自然を介してできあがるというかね。似ているようで明確な区別のある概念だと思う。古池自体は寂びでも、蛙が飛び込むと侘びになる感覚かな。
まー少なくとも対象に関しては別なんだって説を提唱してみた。ガッテンいただけますかね?
で。中国の陶磁器や欧米流の庭園の完璧主義と較べて、日本の侘び寂び崇拝=不完全への美意識はやっぱり特殊だよね。イギリスだけは歴史的に骨董品を愛好したり、ツイード着古したりしてるし日本に近い感じがあるけどさ。上の侘び寂び考察とは別角度からなんだけど、この辺から日本人の精神性を書いてみるか。
たとえばへしゃげた形の茶器を愛好する日本人の精神性と、欧米中華流の精神性の違いは人間に対する考え方にも表れてると思う。欧米中華の偉人と言えば、大博愛主義のキリストであったり、多芸多才のダヴィンチであったり、ゴッホでありピカソであり、孔子であったり毛沢東のような、いわゆる天才型が多い気がしている。完全無欠、ないしある一芸においては天賦の才能を持ち合わせた人間を偶像化して賛美するよね。(モー娘。でも書いたな、あー恥ずかしい)
それに対して日本では、信長とかホリエモンのような天才型は杭のように打たれて、例えば黄門様とか北条時頼とか赤穂浪士とか義経とか、どこか親しみを感じさせるキャラクターの方が支持される。才能というよりも人間性からくる不完全さが昔っから日本人を惹きつけて止まない気がするんだな。(ホリエモンもあの事件以来更に人気だし。)錐のように尖った人間以上に、熊手のように惹きつける人間を愛するというかね。意味分かんないね。笑。
もっと身近に落としこんでみると、例えば、頭脳明晰、運動神経抜群、年間読書二百冊以上、武道百般に通じて、十六ヶ国語を自由に操るハーバード卒の国際弁護士を友達にしたいかってことだよ。なんか海外ではこの上なく尊敬を集めそうだけれど、日本では誰も友達いなさそうだよね。こんなスーパーマンよりも、中央大卒で(失礼)本の読めない、酒好きで女好きの、青森弁しか喋れないサラリーマンの方がよほど友達になりたいと思う。
仮にマジメでしっかりした優等生タイプだったとしても、ふっと、女性で大失敗して女嫌いになったみたいな、酒飲むと泣き上戸になるみたいな、そんな人間臭い話を聞ければ好きになれると思う。それって不完全さを愛する日本の国民性じゃないかと思った訳です。
で、更に。そこに潜んでる日本人の精神の柱は、たぶん「劣等感」だろうと思う。どこかで諦めて、妥協して生きてきて、それでも人生を楽しむ術を見つけてきた典型的日本人からみて、上にいたみたいなスーパー弁護士は嫉妬の対象でしかなくて、まるで好感を持たれない。
スーパーマンだったとしても、自分と同じように人間臭さという名の欠点を見付け出したとき、「この人だったらしょうがない」と好感を持てる。これは日本人にとって割合共通した評価基準なんだと思う。少なくとも僕はそうだ。欠点をさらけだす者に対して持つ好感は、万能感への尊敬を上回るんだな。そこには美点だけではなく欠点をも重視する日本人の精神性がある。劣等感だけどね、それは。

そんな感じで不完全さを愛する精神性が、日本人ならではの審美眼を育てたんだろう。完全無欠、純白の陶磁器に見向きもせず、荒れ果てた寺にもののあわれを感じ、苔むした岩に向かってやたらと土臭い茶碗で酒を酌む。物の不完全さを通じて自らの不完全さを哀れむその生き方は、僕の知る限り他国にない正に日本独自のもので、欧米流の豪華絢爛バターたっぷりの審美意識に一石を投じているように思っている。僕にとって、それはすごく自然で、当たり前のこと。それが侘び・寂びなんじゃなかろうか。強引かな。笑。以上。
(観)私の小さなアクアリウム ~わびさび益子焼角鉢とコケと流木のセット~ 【あす楽対応_関東】
¥820
こんなものでも部屋に一つあれば、“寂び”になりますね
【 純金製 茶器 】茶釜 霰 6.5号 D
¥18,700,000
侘びも寂びもへったくれもないとはこのこと 秀吉気分かよ
ブログって思いつきを書くのに丁度いい媒体だな 気が向いたらまたなんか書きます 更新が滞ってたのはキーボードがぶっ壊れてたせいなんです
Micmacs-ミックマック
そういや映画を観ました。ジャン・ジュネの「ミックマック」。「アメリ」とか「デリカテッセン」結構好きだったんで、恵比寿ガーデンシアターで先行上映してるのを聞きつけてはるばる行ってきました。全国上映は18日からだったかな。
これほどフランス映画らしい映画もないと思う。見終わった後アタマの中を掻き回されたみたいにぼんやりしてしまう感覚というかね。フランス人の感性に脳味噌をぶっ叩かれにいく映画です。ストーリーとか適当だし、観ていて結構退屈するんですが、随所にあるセンスの良さに打ちのめされます。
まず映像の撮り方がとても美しい。小道具・大道具・セットが格好イイ。そんなMrビーンみたいな感じです。フランス人はギャグ好きだね。皮肉たっぷりのブラックジョークとか。設定もぶっ飛んでるし、話としても滅茶苦茶なんだけど、おおらかで色鮮やかなフランスに吹く風の臭いをこれでもかって味わえます。
なんかね、これ観るとなんで北野武がフランスで大受けしてるか分かる気がする。マジメな映画以外でも結構うけてるよね、フランスでは。アキレスと亀とか菊次郎の夏とか座頭市とか途中で話が崩壊してるにも関わらず、それをおおらかに評価してるのはフランス人の感性なのかな。アウトレイジなんかもギャグ映画だったしなぁ、ほとんど。
ジュネ監督は「アメリ」「エイリアン4」なんかではカッチリ作品を仕上げたんですが、「ミックマック」では「デリカテッセン」以来の遊びというか趣味で楽しんで、ゲラゲラ笑いながら作った印象が残りました。映画という名の感性の押し付けが好きな人、日頃「なんか面白いことない?」が口癖の人なんかは観に行くとすごく楽しめると思います。(逆に満ち足りた人生を送る人にはつまんないでしょう)
戯画化された奇天烈なキャラクターばっかでてくる例のジュネ映画なんですが(アパートの中に蛙とカタツムリの群れと一緒に沼みたいな部屋で暮らす変人とか)、僕はその中で変な発明ばかりしてる博士的な人がすごいすきです。なんか発明品の無駄な作り込みに感動しました。
ラストシーンの撮り方は、アメリカ人でもイタリア人でも中国人でも、まして日本人には絶対に撮れない、鳥肌が立つような素晴らしいセンスのよさでした。なんかできるんならマジメに撮れよとか思うのは僕だけでしょうか。あぁあと音楽も素晴らしいんだ。
もし観に行きたいと思う人がいるのなら、まだ公開には時間があるし、「アメリ」くらい観とけば良いと思います。アメリ観たならデリカテッセン観れば良い。デリカテッセンの意味不明ワールドに耐えれるのなら、あなたには「ミックマック」を見る資格があります。笑。
☆☆★
一般人にはお薦めし難い が、俺は結構好きだ
アメリ予告編がない… 音楽だけでも 観たことのない人は観たら良いと思う
デリカテッセン 言葉のない予告編ってすげーな
これほどフランス映画らしい映画もないと思う。見終わった後アタマの中を掻き回されたみたいにぼんやりしてしまう感覚というかね。フランス人の感性に脳味噌をぶっ叩かれにいく映画です。ストーリーとか適当だし、観ていて結構退屈するんですが、随所にあるセンスの良さに打ちのめされます。
まず映像の撮り方がとても美しい。小道具・大道具・セットが格好イイ。そんなMrビーンみたいな感じです。フランス人はギャグ好きだね。皮肉たっぷりのブラックジョークとか。設定もぶっ飛んでるし、話としても滅茶苦茶なんだけど、おおらかで色鮮やかなフランスに吹く風の臭いをこれでもかって味わえます。
なんかね、これ観るとなんで北野武がフランスで大受けしてるか分かる気がする。マジメな映画以外でも結構うけてるよね、フランスでは。アキレスと亀とか菊次郎の夏とか座頭市とか途中で話が崩壊してるにも関わらず、それをおおらかに評価してるのはフランス人の感性なのかな。アウトレイジなんかもギャグ映画だったしなぁ、ほとんど。
ジュネ監督は「アメリ」「エイリアン4」なんかではカッチリ作品を仕上げたんですが、「ミックマック」では「デリカテッセン」以来の遊びというか趣味で楽しんで、ゲラゲラ笑いながら作った印象が残りました。映画という名の感性の押し付けが好きな人、日頃「なんか面白いことない?」が口癖の人なんかは観に行くとすごく楽しめると思います。(逆に満ち足りた人生を送る人にはつまんないでしょう)
戯画化された奇天烈なキャラクターばっかでてくる例のジュネ映画なんですが(アパートの中に蛙とカタツムリの群れと一緒に沼みたいな部屋で暮らす変人とか)、僕はその中で変な発明ばかりしてる博士的な人がすごいすきです。なんか発明品の無駄な作り込みに感動しました。
ラストシーンの撮り方は、アメリカ人でもイタリア人でも中国人でも、まして日本人には絶対に撮れない、鳥肌が立つような素晴らしいセンスのよさでした。なんかできるんならマジメに撮れよとか思うのは僕だけでしょうか。あぁあと音楽も素晴らしいんだ。
もし観に行きたいと思う人がいるのなら、まだ公開には時間があるし、「アメリ」くらい観とけば良いと思います。アメリ観たならデリカテッセン観れば良い。デリカテッセンの意味不明ワールドに耐えれるのなら、あなたには「ミックマック」を見る資格があります。笑。
☆☆★
一般人にはお薦めし難い が、俺は結構好きだ
アメリ予告編がない… 音楽だけでも 観たことのない人は観たら良いと思う
デリカテッセン 言葉のない予告編ってすげーな
ニュースアンカー9/2 & 民主党代表選メカニズム
ニュースアンカーは報道番組の中で最も情報量が多い番組だから、代表選関心ある人は是非見て欲しい。
会見発言から剛腕さんのポスト要求を裏読み。ニュースが報じない情報だね。菅さんの旗色が今あんまりよくないみたい。最初から戦闘態勢整えていれば(鳩山Gを早く懐柔してれば)もっと楽だったんだろうな。
剛腕の秘策①『民主+公明連携』
剛腕の秘策②『総理・代表の分離』
マジか。民公連携は聞いてたけれど、総理代表分離は驚いた。策士だな…。法的に問題ないと言ってもこれほどサポーターや有権者を馬鹿にした話もないと思う。そもそも世論は剛腕求めてないしさ。
で、よく考えたら代表選の仕組み知らなかったんで、調べた。
http://www.kyodonews.jp/feature/minshu/
民主議員824p+地方議員100p+サポーター300p=1224pってことですね。在日外国人サポーター票が有効になってるから問題になってる訳ね。なるほど。最も多い議員票の情勢はどうなっているのかと言うと、

http://mainichi.jp/select/seiji/graph/minsyujinmyaku/index.html
ということで、菅さんは結構厳しい立場にいるみたい。新人議員の取り込みはこういうところで効いてくるんだ…。党員・サポーターもどこまで投票するかよく分かんないし、地方議員も守旧派の人間多そうだから小沢支持になびくかもな。そうなると剛腕勝利も十分過ぎるくらいにあり得る。代表との分離やるなら海江田政権、原口政権になるかも知れないと。
ただ救いになってるのが小沢G150人がどんくらい団結するかって話だよね。一年生議員とか普通に菅さんに入れたりしそうだし。鳩山Gにしても全員が団結して剛腕支持って訳でもないみたいだから、世論次第では議員票でも挽回のチャンスはあるだろうね。今のところメディアは剛腕バッシングの流れだから、その点では菅さん有利だ。
普天間、小沢氏「具体案ない」 民主代表選討論会
それにしても剛腕の発信スペックの低さは神がかってる。代表討論会でも菅さんの揚げ足取りというか、ただの反論しかせず、内容のある話には思えなかった。(菅さんも抽象的だったけど、剛腕の方は内容すらないという意味で。)
前日の普天間発言も思わず眉間に皺が寄ったよ、僕は。青山繁晴も言ってるが、今さら沖縄県民と米国どちらも納得する案なんかある筈ないだろ!相談とか議論とかそんな段階じゃないし、ありもしない腹案チラつかせるのは、鳩山さんの苦い記憶が過ぎるからやめろ。
マニフェストの完全履行とかも(苦笑)だよ。誰が望んどるんだ、そんなもん。それよりも頼むから円高・デフレ対策の具体策を提示してくれい。
菅さんが仮に勝っても国会運営に不安が残る。自民党との協力体制が築けるか不安だよなぁ。そもそも剛腕が党割るとか愚か過ぎることを平気で言ってるし、どうなるか分からん。でも昨日ふと思ったんだが、結局僕が民主党支持してるのは中堅層の厚さ、人材で言えば菅・前原・岡田を中心に馬淵・蓮舫とかのラインなんだよね。
鳩山政権の時は子ども手当だの、普天間問題だの、外国人参政権問題だの、資金問題だの(剛腕本人もそうだ)、目を瞑っていた事がこの代表選で菅さんが勝ったら解消、ないしずいぶんマシになることに気付いた。外人参政権は剛腕が推進してるしな。
そもそも民主党に投票した人は、党の若々しくてクリーンなイメージ(自民党に較べて)で支持してるハズだから、剛腕さんと相容れないんだよな。民意とか大嫌いな言葉だけれど、代表選や鳩山政権下での剛腕の野放図さは、まさに国民の意志の外にある。もうそろそろなんとかして欲しいです。
議会運営どうこう考える以上に、やっぱり僕は人物本位で代表選を見ていたい。仮に割れてもそん時考えれば良いさ。だから。
菅さん、頑張れ!
ネガティブ失礼。ミクシーに大量に湧いてる小沢擁護者は一体何?すごく気持ち悪い。散々外国人参政権がどうとか煽ってたネット世論はどこに行ったんだよ。剛腕に何を期待してるかは知らないけれど、彼のいる政権が何か業績残したことがないという事実を、もう一度思い出したほうが良いんじゃないかとおもうがね
会見発言から剛腕さんのポスト要求を裏読み。ニュースが報じない情報だね。菅さんの旗色が今あんまりよくないみたい。最初から戦闘態勢整えていれば(鳩山Gを早く懐柔してれば)もっと楽だったんだろうな。
剛腕の秘策①『民主+公明連携』
剛腕の秘策②『総理・代表の分離』
マジか。民公連携は聞いてたけれど、総理代表分離は驚いた。策士だな…。法的に問題ないと言ってもこれほどサポーターや有権者を馬鹿にした話もないと思う。そもそも世論は剛腕求めてないしさ。
で、よく考えたら代表選の仕組み知らなかったんで、調べた。
http://www.kyodonews.jp/feature/minshu/
民主議員824p+地方議員100p+サポーター300p=1224pってことですね。在日外国人サポーター票が有効になってるから問題になってる訳ね。なるほど。最も多い議員票の情勢はどうなっているのかと言うと、

http://mainichi.jp/select/seiji/graph/minsyujinmyaku/index.html
ということで、菅さんは結構厳しい立場にいるみたい。新人議員の取り込みはこういうところで効いてくるんだ…。党員・サポーターもどこまで投票するかよく分かんないし、地方議員も守旧派の人間多そうだから小沢支持になびくかもな。そうなると剛腕勝利も十分過ぎるくらいにあり得る。代表との分離やるなら海江田政権、原口政権になるかも知れないと。
ただ救いになってるのが小沢G150人がどんくらい団結するかって話だよね。一年生議員とか普通に菅さんに入れたりしそうだし。鳩山Gにしても全員が団結して剛腕支持って訳でもないみたいだから、世論次第では議員票でも挽回のチャンスはあるだろうね。今のところメディアは剛腕バッシングの流れだから、その点では菅さん有利だ。
普天間、小沢氏「具体案ない」 民主代表選討論会
それにしても剛腕の発信スペックの低さは神がかってる。代表討論会でも菅さんの揚げ足取りというか、ただの反論しかせず、内容のある話には思えなかった。(菅さんも抽象的だったけど、剛腕の方は内容すらないという意味で。)
前日の普天間発言も思わず眉間に皺が寄ったよ、僕は。青山繁晴も言ってるが、今さら沖縄県民と米国どちらも納得する案なんかある筈ないだろ!相談とか議論とかそんな段階じゃないし、ありもしない腹案チラつかせるのは、鳩山さんの苦い記憶が過ぎるからやめろ。
マニフェストの完全履行とかも(苦笑)だよ。誰が望んどるんだ、そんなもん。それよりも頼むから円高・デフレ対策の具体策を提示してくれい。
菅さんが仮に勝っても国会運営に不安が残る。自民党との協力体制が築けるか不安だよなぁ。そもそも剛腕が党割るとか愚か過ぎることを平気で言ってるし、どうなるか分からん。でも昨日ふと思ったんだが、結局僕が民主党支持してるのは中堅層の厚さ、人材で言えば菅・前原・岡田を中心に馬淵・蓮舫とかのラインなんだよね。
鳩山政権の時は子ども手当だの、普天間問題だの、外国人参政権問題だの、資金問題だの(剛腕本人もそうだ)、目を瞑っていた事がこの代表選で菅さんが勝ったら解消、ないしずいぶんマシになることに気付いた。外人参政権は剛腕が推進してるしな。
そもそも民主党に投票した人は、党の若々しくてクリーンなイメージ(自民党に較べて)で支持してるハズだから、剛腕さんと相容れないんだよな。民意とか大嫌いな言葉だけれど、代表選や鳩山政権下での剛腕の野放図さは、まさに国民の意志の外にある。もうそろそろなんとかして欲しいです。
議会運営どうこう考える以上に、やっぱり僕は人物本位で代表選を見ていたい。仮に割れてもそん時考えれば良いさ。だから。
菅さん、頑張れ!
ネガティブ失礼。ミクシーに大量に湧いてる小沢擁護者は一体何?すごく気持ち悪い。散々外国人参政権がどうとか煽ってたネット世論はどこに行ったんだよ。剛腕に何を期待してるかは知らないけれど、彼のいる政権が何か業績残したことがないという事実を、もう一度思い出したほうが良いんじゃないかとおもうがね
慎太郎の対談、それから代表選とか政治の話
慎太郎ついでに対談も載せとこう。
田原総一朗との対談とか熱い。二人ともべらべらよく喋る爺いだな。田原総一朗は未来に明るい展望を持ってるらしい。著名人としては彼くらいだろう。僕も賛成だ。少なくとも良い未来の可能性は探っていく必要があるよ、当然。
先週の朝生で中国人の発言で新鮮に響いた言葉がある。
『中国人から見ると、今でも日本は理想の国ですよ。中国の田舎は悲惨なんだ。日本人は失われた十年と言っているけれど、この十年で失われたどころか(技術的に)進歩してるじゃないか。日本人は俯いてばかり居ないで、胸を張ったらどうですか。』
という趣旨の発言だった。物事には悲観的と楽観的、二つの見方がある。政治的混乱についてもそうだ。確かに今の政治を取り巻く環境は嘆かわしい。でもだからと言って文句を言っても始まらないじゃないか。Mixiやってる人は日記検索で小沢出馬について、ブログ検索でも良い、調べてみるといい。
なんだか捨て鉢な意見ばかり溢れているよ。アレがダメだの、これがダメだの。殆んど感情的な記述で、未来に対する希望なんかどこにもありやしない。菅さんがダメだから小沢で良いみたいなさ。麻生さんとか寝言を抜かしてるやつも平気でいる。日本はそんなすぐに沈没するような脆弱な国家じゃないんだからさ、もう少し長い目で見ればどうかね、と思う。
なるほど民主党はダメかも知れん。分かるよ。でもね、野党第一党の自民党もこのチャンスを生かせず、与党批判しかできてないという体たらくだから、期待なんかできやしない。もしかすると多少は民主党よりマシな可能性が無い訳でもないが、政界全体に情熱をもった人材が見当たらないんだから、どうせ大して変わらんよ。
(そもそも与謝野馨・舛添・鳩山邦夫・渡部ヨシミとか実力のある政治家をもっと活用できていれば、自民党はこんな状態にならなくて済んだんじゃないか?爺いばっかで上が詰まってる古い体制が全て悪いんだから、当分期待する方が間違ってると思う。仮に自民党が政権とったとして、誰が閣僚になるんだ?国民の期待できない人間ばかりにポストを回すんじゃないのか、前みたいに。)
それよりも首相を変えず、経済対策にじっくり取り組むべきだな。僕は大連立して欲しいです。可能性なんか知らない。でも未曽有の経済危機に当って、与野党が一丸となって政策議論することになんの不思議があるでしょうかね。
社会保障なんかに強くて、中堅層が厚く活気のある民主党と、安全保障・外交に強く、経験豊かな自民党が連立するメリットはとても大きい。藤井さんがいなくなった後、民主党には目立った経済通がいない。野田さんぱっとしないしね。財務大臣には小泉政権で務めた谷垣さんにこそなって欲しい。防衛大臣は同じく石破さんで。安倍さん・麻生さん・福田さん辺りが入閣してもいい。
そうなれば僕たち国民はどれだけ安心できるだろう。政権はずいぶん重みが増すだろうし、下らない足の引っ張り合いのない、新しい国会運営は僕のずっと待ち続けているものなんだ。
菅さんは参院選の前から消費税について自民党に協力を求めているし、谷垣さんは元から(リーダーシップのあんまない)穏やかな人だから、可能性もそう低いもんでもないと僕は思っている。参院選中の番組でもギスギスしてなかったし。大連立しないにしてもせめて経済で民主・自民が協力し合えば良いのになぁ。
今回の代表選でも菅さんは野党との協力を言ってる。マニフェストの是正も必要だし、僕はやっぱり菅さんの方が良いと思う。剛腕さんは普天間問題で訳の分からないことを言っていたり、内容のないことをいってるから信用できない。公明党と連立するつもりだろうと思うけど、宗教団体ももうイラネ。剛腕さんのダーティー過ぎるイメージが払拭されないままに首相になっても、国民は希望を持てないよ。剛腕さんが代表になったら冷めます、僕は。
だらだら書いてきましたけど、何が言いたいのかと言えば、いい加減生産的な議論をしようってことです。アレもダメ、コレもダメなんて文句を言って済まされる時代は終わったんだ。これからどうすべきなのか、それを考えるためにブログやツイッター、もっと言えば新聞やテレビがあるんじゃないのかな。
メディアがそうすぐ変わるとは思えないから、ブログから始めよう。政治でのネガティブ記事をこれからはできるだけ控えようと思っています。文句悪口でストレス発散とかダサ過ぎる。日本をどうしていくのか、ブログでこそ考えていきたいと思います。
ちなみに慎太郎の対談で、総一朗と平蔵は面白かった。みんなもっと発信すればいいのに。まぁ取り敢えずチャンネル桜は侮れませんね。それでは。
田原総一朗との対談とか熱い。二人ともべらべらよく喋る爺いだな。田原総一朗は未来に明るい展望を持ってるらしい。著名人としては彼くらいだろう。僕も賛成だ。少なくとも良い未来の可能性は探っていく必要があるよ、当然。
先週の朝生で中国人の発言で新鮮に響いた言葉がある。
『中国人から見ると、今でも日本は理想の国ですよ。中国の田舎は悲惨なんだ。日本人は失われた十年と言っているけれど、この十年で失われたどころか(技術的に)進歩してるじゃないか。日本人は俯いてばかり居ないで、胸を張ったらどうですか。』
という趣旨の発言だった。物事には悲観的と楽観的、二つの見方がある。政治的混乱についてもそうだ。確かに今の政治を取り巻く環境は嘆かわしい。でもだからと言って文句を言っても始まらないじゃないか。Mixiやってる人は日記検索で小沢出馬について、ブログ検索でも良い、調べてみるといい。
なんだか捨て鉢な意見ばかり溢れているよ。アレがダメだの、これがダメだの。殆んど感情的な記述で、未来に対する希望なんかどこにもありやしない。菅さんがダメだから小沢で良いみたいなさ。麻生さんとか寝言を抜かしてるやつも平気でいる。日本はそんなすぐに沈没するような脆弱な国家じゃないんだからさ、もう少し長い目で見ればどうかね、と思う。
なるほど民主党はダメかも知れん。分かるよ。でもね、野党第一党の自民党もこのチャンスを生かせず、与党批判しかできてないという体たらくだから、期待なんかできやしない。もしかすると多少は民主党よりマシな可能性が無い訳でもないが、政界全体に情熱をもった人材が見当たらないんだから、どうせ大して変わらんよ。
(そもそも与謝野馨・舛添・鳩山邦夫・渡部ヨシミとか実力のある政治家をもっと活用できていれば、自民党はこんな状態にならなくて済んだんじゃないか?爺いばっかで上が詰まってる古い体制が全て悪いんだから、当分期待する方が間違ってると思う。仮に自民党が政権とったとして、誰が閣僚になるんだ?国民の期待できない人間ばかりにポストを回すんじゃないのか、前みたいに。)
それよりも首相を変えず、経済対策にじっくり取り組むべきだな。僕は大連立して欲しいです。可能性なんか知らない。でも未曽有の経済危機に当って、与野党が一丸となって政策議論することになんの不思議があるでしょうかね。
社会保障なんかに強くて、中堅層が厚く活気のある民主党と、安全保障・外交に強く、経験豊かな自民党が連立するメリットはとても大きい。藤井さんがいなくなった後、民主党には目立った経済通がいない。野田さんぱっとしないしね。財務大臣には小泉政権で務めた谷垣さんにこそなって欲しい。防衛大臣は同じく石破さんで。安倍さん・麻生さん・福田さん辺りが入閣してもいい。
そうなれば僕たち国民はどれだけ安心できるだろう。政権はずいぶん重みが増すだろうし、下らない足の引っ張り合いのない、新しい国会運営は僕のずっと待ち続けているものなんだ。
菅さんは参院選の前から消費税について自民党に協力を求めているし、谷垣さんは元から(リーダーシップのあんまない)穏やかな人だから、可能性もそう低いもんでもないと僕は思っている。参院選中の番組でもギスギスしてなかったし。大連立しないにしてもせめて経済で民主・自民が協力し合えば良いのになぁ。
今回の代表選でも菅さんは野党との協力を言ってる。マニフェストの是正も必要だし、僕はやっぱり菅さんの方が良いと思う。剛腕さんは普天間問題で訳の分からないことを言っていたり、内容のないことをいってるから信用できない。公明党と連立するつもりだろうと思うけど、宗教団体ももうイラネ。剛腕さんのダーティー過ぎるイメージが払拭されないままに首相になっても、国民は希望を持てないよ。剛腕さんが代表になったら冷めます、僕は。
だらだら書いてきましたけど、何が言いたいのかと言えば、いい加減生産的な議論をしようってことです。アレもダメ、コレもダメなんて文句を言って済まされる時代は終わったんだ。これからどうすべきなのか、それを考えるためにブログやツイッター、もっと言えば新聞やテレビがあるんじゃないのかな。
メディアがそうすぐ変わるとは思えないから、ブログから始めよう。政治でのネガティブ記事をこれからはできるだけ控えようと思っています。文句悪口でストレス発散とかダサ過ぎる。日本をどうしていくのか、ブログでこそ考えていきたいと思います。
ちなみに慎太郎の対談で、総一朗と平蔵は面白かった。みんなもっと発信すればいいのに。まぁ取り敢えずチャンネル桜は侮れませんね。それでは。