久しぶりの一献はやはりいい。
パリッと香ばしい唐揚げと、芳醇な日本酒は一生を幸せにしてくれる。今宵はワンカップ「まる」が潤いをもたせてくれた。カップ酒は安かろう悪かろうと思っていたが、ワンコインでこの充実感は侮れないものだ。
ほろ酔い気分で語ることでもないと思うが、あえて言わせていただく。
やはり、MAZDAは素晴らしい。
広島マツダがレストアを担当しているT2000とポーターバン。およそ60年前の農家にはごく普通の組み合わせだったろうが、この現代に相まみえた両車は、まさに黄金コンビ。当時の藤田まことと白木みのるのような微笑ましさがある。
人は、いつか死ぬ。すでに藤田まことも白木みのるも鬼籍に入って久しいが、クルマは適切な整備を受けている限り、生き続けてくれる。
幼き日に見ていたクルマたちが、こうしてレストアされている様子を見るにつけ、なんだかホッとする。昭和の名残すら消えつつある中、旧車はなかなか貴重な存在といえる。
ところで、ポーターバンだが、このクルマには不思議なことがある。MAZDA初の軽四輪商用車、B360が登場したのは1961年のことで、63年、65年にマイナーチェンジ、68年にポーターに改名される。当初はキャロル用の4ストローク水冷4気筒OHV(言わずと知れた総アルミ製)エンジンを搭載していたが、何思うてか、1973年のマイナーチェンジを機に2ストロークエンジンへと換装されるのだ。
このエンジンの開発にあたっては、MAZDAに2ストロークエンジンの知見が無かったものだから、当時オートバイ用エンジンも開発していたブリヂストンから技術者が招聘されたとある。件のロータリー問題もあって、シャンテにも搭載されたエンジンである。
2スト・エンジンといえば、白煙と騒音がひどくて敬遠する人も多かった。4スト、4気筒、OHVから2スト、2気筒というのは、むしろ退化とも捉えられる。これはどうしたことか。
当時のMAZDAはロータリーまっしぐらで、それこそ軽自動車にも搭載せんとする勢いだったから、360ccの新型エンジンなぞにかける予算はない。がしかし、ライバル勢の性能向上により、キャロルのエンジンでは力不足が否めなくなってきた。実情はそんなところだろう。
ところで私は、2ストエンジンは嫌いでない。忍者の雲隠れのようで格好良いのと、オイルとガソリンの匂いがいかにも昭和という感じだからだ。
生まれ変わったら、多岐川裕美とドライブを楽しむ予定の損小神だが、お供に選びたいのはこのポーターバンである。
よし、今宵はもう一献といこう。