読書時間:3.0h
一読:あり
再読:なし
R指定:なし
編著:田野大輔・小野寺拓也/著:香月恵里・百木漠・三浦隆宏・矢野久美子
刊行:2023年9月
価格:2400円+税
出版:大月書店
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「悪の凡庸さ」から始まる議論
序 いま<悪の凡庸さ>の何が問題なのか
<悪の凡庸さ>をどう見るか
<悪の凡庸さ>は無効になったのか
<机上の犯罪者>という神話
怪物と幽霊の落差
<悪の凡庸さ>をめぐる誤解を解く
<悪の凡庸さ>という難問に向き合う
<悪の凡庸さ>/アーレントの理解をめぐって
アイヒマンの主体性をどう見るか
社会に蔓延する<悪の凡庸さ>の誤用とどう向き合うか
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「悪の凡庸さ」とは、ハンナ・アーレントがアドルフ・アイヒマンを形容した語句である。
上の命令に従っただけであり、組織の歯車であるという意味で、一般的には知られている。
その文脈で、われらはみな、アイヒマンの息子という本も出版されている。しかし、
アーレントは上記のような意味で「悪の凡庸さ」という語句を使っておらず、研究者にとっては常識だそうな![]()
で、議論が始まるわけだが、どういう「意味で悪の凡庸さ」を使ったのか、アイヒマンはどういう人物だったのか、普遍化できるところはあるのか、など結論がでない。
2転3転するおもしろい戦いだったが、腑に落ちたのは、
・アイヒマンは異常者ではない
・アーレントは匠な書き手
・アイヒマンでなくてもホロコーストは起きていた
・完全な主体性などありえない(主体性がなくても責任はある)
書籍発見に書いたように、本を読むことは、自分を発見すること
ホロコーストの意味を問うのが思想研究者、原因を問うのが歴史研究者だそうで、自分は歴史タイプと思ったら、思想タイプでした。
結論を急ぐ昨今、こういう議論は少なくなったように思います。
自分も議論に参加したいという意味で、再読ありです。










