以前に書いた記事「日本人のルーツを考える」の第2弾というよりは、ちょっとした補足記事です。


人類の起源はアフリカにあります。およそ600〜700万年前にチンパンジーと分岐した最古の人類と言われる「猿人(アウストラロピテクスなど)」に始まり、その後の進化の過程は、すべてアフリカで起こったのです。
そして、現代人の直接の祖先である「新人」は、およそ7万年前に、初めてユーラシア大陸へと〝出アフリカ〟したのですが、実は、それよりはるか以前、およそ180万年前に、「原人(ホモ・エレクトス)」の段階で、人類は既に第一次の〝出アフリカ〟をしていたのです。その代表がジャワ原人や北京原人です。
そして、彼ら「原人」から分岐して進化したネアンデルタール人などの「旧人」と共に、人類亜種の生息分布は、アフリカの外、世界中に散らばっていきました。
しかし、こうした古い時代に拡散した人類の別系統種は、我々の直接の祖先ではありません。例えば、人類進化の幹からネアンデルタール人が分岐したのは、今から80万年前なのですが、上記したとおり、その時点で、彼らは既に〝出アフリカ〟して久しく(従ってネアンデルタール人はアフリカ起源の現生人類の祖先ではない)、その後も世界中いたるところに移り住んだものと考えられます。さらに、およそ50万年前には、同じ「旧人」に属するデニソワ人が、シベリアでネアンデルタール人から分岐し、その後、ネアンデルタール人と共存しつつ生活圏を広げていきました。もっとも、当時、ネアンデルタール人の生息地域は、主に欧州から中東、そして中央アジアにかけてと考えられており、デニソワ人は東アジアからシベリア辺りと、ある程度、棲み分けがあったものとも考えられています。
ともかく、はっきりしていることは、北京原人も、ジャワ原人も、ネアンデルタール人も、デニソワ人も、現生人類への進化の道は辿らなかったということです。ホモ・サピエンスとは異なる人類の亜種であり、言ってみれば、進化の競争におけるライバルだったのです。
そして、現生人類の直接の祖先として「新人」に繋がる系統の種(ホモ・サピエンス・イダルトゥ)が、それ以前に、 ユーラシアからアフリカに舞い戻っていた「旧人(ネアンデルタール人でもデニソワ人でもない/ハイデルベルク人の系統?)」から分岐したのは、今からおよそ20〜30万年程前のことと考えられています。
この〝原新人〟種の「旧人(ホモ・サピエンス・イダルトゥの祖先)」は、アフリカのエチオピア辺りに長くとどまり、およそ16〜10万年前にかけて、「最初期新人(イダルトゥ)」段階から「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス/現生人類))」へと進化していきました。
ですから、進化の頂点に立った現生人類そのものである「新人」が、再度、満を持して〝出アフリカ〟を果たした7万年前には、すでにユーラシア大陸全体に、「旧人」のネアンデルタール人やデニソワ人が広く分布し、各地で生活していたわけです。
ところが、ネアンデルタール人もデニソワ人も、今からおよそ4〜3万年前には、共に絶滅してしまった、と言われています。その原因は、欧州の火山の噴火による寒冷化にあるという説もありますが、より有力な説によれば、我々、人類の祖先であるクロマニヨン人(Y染色体ハプログループC1a2)などの「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)」によって駆逐され、虐殺され、絶滅させられたからではないか、と考えられています。
つまり、ネアンデルタール人もデニソワ人も、この時点で、我々現生人類の直系先祖との生存競争に敗れたわけで、上記したように、まったく別系統の人類なのです。
また、この時期の虐殺の惨劇については、イギリスの作家ウィリアム・ゴールディングが、「後継者たち」という〝原罪〟をテーマとした作品で描いています。ゴールディングの想像が正しいとするなら、我々現代人は、ネアンデルタール人を滅ぼした殺戮者の子孫ということになります。
ちなみに、「原人(ホモ・エレクトス)」については、20万年前には中東地域で「旧人(ネアンデルタール人やデニソワ人)」との生存競争に敗れ、その後、7万年前には〝出アフリカ〟した現生人類の祖先との生存競争に敗れて、その他の地域でも完全に絶滅したと考えられています。
ただし、7万年前の「原人(ホモ・エレクトス)」の消滅については、7万5千年前のインドネシアのスマトラ島で起こったトバ火山の大噴火による劇的な気候の寒冷化が、絶滅の最大の要因としてあったのも確かです。地球環境の激変によって、それまで食べていた食料が手に入らなくなり、新しい環境への適応が遅れたために、ホモ・サピエンス・サピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人以外のすべての人類が、この時期に滅びてしまったのです。
そして、ホモ・サピエンス・サピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人についても、その個体数は大幅に激減しました。このトバ大噴火から6000年間続いた「火山の冬」現象によって、地球全体で、三系統の人類全体の個体数が、合計で1万人以下になったと言われます。この時期、生き延びた数千人規模の小さなホモ・サピエンス・サピエンス集団の子孫が、現在の人類の直接の祖先です。こうした個体数の激減による遺伝子の均一化(→遺伝子多様性の減少)を、ボトルネック効果といいます。


ですから、長い間、現生人類の直接の祖先であるホモ・サピエンス・サピエンス(新人)は、同時期にユーラシア大陸に生息していたとはいえ、異種であるネアンデルタール人(旧人)やデニソワ人(旧人)とは、互いに人口が激減していたために、交流など一切なく、分岐して久しい種同士であることから、まったく交雑しなかったものと考えられてきたのです。
ところが、2010年代の研究で、アフリカ人以外の現代人のDNA(ゲノム)の中に、最大で2〜4%のネアンデルタール人由来のDNAが含まれていることがわかってきました。つまり、現代人の祖先とネアンデルタール人は、我々の祖先がトバ・カタストロフの地球寒冷化による生存環境の激変をきっかけに〝出アフリカ〟して以降、7〜3万年前にかけての4万年の間に、ユーラシア大陸において、最初は中東地域で、それから欧州、中央アジア、シベリアなどで、かなりの頻度で交雑し、混血が起こっていたらしい、ということがわかってきたのです。
3万5千年前、滅びゆく種族であるネアンデルタール人の氏族に育てられ、ネアンデルタール人の子を産むクロマニヨン人の少女を主人公にしたジーン・アウルの大河小説「地上の旅人エイラ」の迫真の一大ストーリーは、考古学上の事実としても正しかったのです。
しかも、ごく最近のドイツの研究で、ネアンデルタール人由来のDNAを保有している人の割合が、人口比でもっとも高い民族は、私たち日本人であることがわかってきました。『日本人は、他の民族に比べて、ネアンデルタール人由来のDNAを保有している割合が、平均で51%高い』のだそうです。
この研究データからも、日本人特有の「異民族を奴隷化したり根絶することなく互いに共存を図る」という、世界に類のない稀少な〝平和共存主義〟的性向が、若干見てとれるような気もします。
おそらく、ネアンデルタール人と共存・交配したのは、Y染色体ハプログループで言えば、7万年前に〝出アフリカ〟したユーラシアン・アダム(CT)から、およそ7〜6万年前に分岐したC系統とD系統とF系統と考えられます。そのどれもが、日本の縄文系・弥生系に含まれますし、特に日本固有種であるC1a1やD1bは、共に「アジア人ですらない」とまで言われるユーラシア大陸最古の種族ですから、約6万年前に中東地域で起こったとされるネアンデルタール人との最初の交雑の該当種の直接の子孫と考えて、何ら不思議ではないどころか、極めて自然であると考えられます。
また、ルーマニアの洞窟から発見された3万2000年前の頭骨のいくつかには、ネアンデルタール人と現生人類の両者の特徴が認められるという研究発表もあります。ホモ・サピエンス・サピエンスとネアンデルタール人との交雑は、数万年に渡って、かなり頻繁に起こっていたのかもしれません。
そして、彼らC1a1やD1bもまた、繰り返される交雑の結果として生まれたネアンデルタール人とのハーフやクォーターらとともに、東へ向けて大陸横断の旅を続け、長い時間をかけて、およそ4〜3万年前に、この極東の地、当時、まだ大陸と地続きだった日本にまでやってきたのでしょう。
日本人は、はるか昔のネアンデルタール人の血さえも濃厚に混ざった世界最古の超古代人種(C1a1系統5%・D1b系統35%/縄文系40%*)と、最先端人種(O1b2系統30%・O2系統20%/弥生系50〜55%**)のハイブリッドだったのです。(これがいかに稀少なことか、それについては、下記の《参考》に述べます。)
一方で、C1aの近縁種であるC1bは、6〜5万年前に、シベリアで、デニソワ人と交雑し、その後、ユーラシア大陸を、ゆっくりとスンダランド(インドネシア)へと南下を続け、さらにサフル大陸(ニューギニア)まで渡って、現在の南太平洋メラネシアの人々に、デニソワ人の遺伝子を残したのではないかと考えられています。
また、アフリカにおいては、ホモ・サピエンス系統の「旧人(イダルトゥの近縁種?)」と「新人(おそらくE系統)」との間で、かなりの確率で交配が進んだのだろうと思います。
さらに、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑については、9万年前に13歳で亡くなったと思われるシベリアの少女の骨片のDNAから、母親がネアンデルタール人で父親がデニソワ人のハーフであったという解析結果が、2018年に発表されており、交雑種の存在が確認されています。


ところで、ジーン・アウルも書いていますが、ネアンデルタール人は、現生人類に比べても、脳の容積が大きく、ヒト科の歴史上、最大の脳を持っていたことが知られています。ですから、ネアンデルタール人もまた、当時の人類の進化過程において、一つの頂点を極めていた種であったと言えます。
特に、側頭葉が大きかったらしく、性格無比の写真的記憶力と、図書館並みの膨大な記憶容量を誇っていたと考えられています。一方で、前頭葉は小さく、その分、推理力や創造性に欠ける面もあったと考えられます。
ただし、フランス南部で発見された4万年前のネアンデルタール人の人骨の側からは、象牙の指輪など、高度に加工された装飾品が出土しています。それらの装飾品が、ホモ・サピエンス・サピエンス(新人/現生人類)との交易によって得られたものか、彼ら自身の手による加工品なのかはわかりません。けれども、そうした装飾品に価値を見出す高度な文化を持っていたことは確かなように思われます。
いずれにしても、非常に血縁的に遠い交配ですから、現生人類との交配においては、圧倒的に優性遺伝する確率が高かったはずです。ですから、ネアンデルタール人の遺伝子は、日本人の伝統を重んじる傾向や細かい作業の器用さなどに、積極的な影響を与えているのかもしれません。
それにしても、脳の容積の増量進化が頂点に達したネアンデルタール人は、胎児の頭蓋が大きくなり過ぎて、頭が産道に閊えて通れなくなったために、難産・死産が増えて、ついには絶滅したのだという説は、意表をつく話ではありますが、なかなか説得力があります。
また、一方で、ネアンデルタール人は、脳の容積だけでなく、全身の骨格自体が大きく、筋肉も発達していて、標準体型が、現生人類の中でもとりわけ屈強なプロレスラーのような体型で、常人離れした超人的身体能力を有していました。
例として挙げるなら、キングコングの異名を持つ史上最強のレスラーだった超獣ブルーザー・ブロディ、あるいは、人間離れした握力(120kg超)や脚力を持っていた「無冠の帝王」「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックのイメージでしょうか。
ネアンデルタール人は、氷河時代を生き延びるために、その強靭な筋肉を発達させ、身体も巨大化したのです。さらに、筋肉を震わせることで体熱を発生させ、極寒の中でも体温を維持して機敏に動くことができました。
そして、氷河期の獰猛な巨大哺乳動物に対して、石槍を持って肉弾戦を挑み、勇敢で命知らずの狩りをして、生き延びていました。
ですから、彼らが滅びたのは、環境の温暖化によって、主要な獲物だった巨大哺乳動物が地上から姿を消し、もともと小動物を獲物にしていたホモ・サピエンスに対して、食糧獲得競争上、相対的に不利になったこともあるかもしれません。
しかし、それ以上に、主要な要因として、4万年前に、ホモ・サピエンスに起こった狩猟具の革命的進歩の影響があったのでしょう。おそらく、5万年前までは、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、その生存圏争いにおける勢力にそれほど差がなく、ある意味、互角に渡り合っていたものと思われます。ところが、およそ4万年前、ホモ・サピエンスは、とんでもない狩猟具を発明しました。それが、物語の中でエイラも使用していた〝投槍器(アトラトル)〟です。
この道具の登場によって、ホモ・サピエンスは、より遠隔から獰猛な巨大野生動物を狩ることができるようになり、個体としての身体能力では及ばないネアンデルタール人に対して優位に立ったのです。その他、20万年前からホモ・サピエンス系統が徐々に発達させてきた集団的な追い込み猟の高度化などもあり、次第にネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに太刀打ちできなくなったものと考えられています。
そこに、さらに、4万年前のイタリアのナポリ付近で起こった巨大火山の噴火による「火山の冬」現象が追い打ちをかけました。
こうして、およそ、4〜3万年前に、ネアンデルタール人(およびデニソワ人)は、おそらくは飢餓によって、また、一部はホモ・サピエンス・サピエンスの殺戮によって、地上から姿を消したのです。


それでは、ここまでの内容について、話をまとめてみます。
以上、見てきたように、ネアンデルタール人・デニソワ人の系統と、ホモ・サピエンス系統は、ユーラシア大陸で、80万年前に「原人(ホモ・エレクトス)」から枝分かれし、別々に進化した別系統の種族です。
その後、およそ、30〜20万年前にかけて、現生人類の祖先(旧人段階)は、進化の過程を先行したネアンデルタール人とデニソワ人によって、次第に生活圏を脅かされるようになり、押し込められるように、ジリジリと故郷のアフリカへと後退していき、ユーラシア大陸から追い出されてしまいました。
その時点では、ネアンデルタール人、デニソワ人の方が、生存競争において、現生人類の直接の祖先よりも優勢だったということです。
しかし、それから長い歳月(20〜7万年前まで、10数万年の年月)をかけて、私たちの祖先(ホモ・サピエンス系統)は、アフリカで独自の進化を遂げていきました。その進化の中には、上記したような大規模な集団的追い込み猟の考案・試行・改良も含まれるでしょう。
そして、上記の3種族(ネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・サピエンス・サピエンス)は、7万5千年前から6000年間続いたトバ・カタストロフの「火山の冬」を共に生き延び、その後も、地球上のそれぞれまったく離れた地域において、激変した環境の中で悪戦苦闘しつつ、細々となんとか生き延びていきました。
そうこうするうちに、7万年前、ホモ・サピエンス・サピエンスの一部(Y染色体C系統・D系統・F系統)が、おそらくは、寒冷化した過酷な世界で、安住の地を求めて、故郷アフリカを、再度、離れることになりました。
それによって10数万年ぶりに、今からおよそ6万年前に、中東の地で、ホモ・サピエンス・サピエンスとネアンデルタール人は、当時の人類進化の頂点を競うライバルとして、再び出会う(再戦する?)ことになったのです。そして、今度は、ホモ・サピエンスもネアンデルタール人に遅れをとりませんでした。
その後、数万年の間に、ホモ・サピエンス・サピエンスは、他の二つの種族と、何度か交雑を繰り返しましたが、4〜3万年前に、ホモ・サピエンス・サピエンスの狩猟能力は、他の2種族を凌駕し、この時点で、ライバル種族は、生存競争に敗れて、すべて滅んでしまいました。ホモ・サピエンス系統のリベンジが成ったわけです。
こうして、現在、地上に生き残っている種族(現生人類)は、唯一、我々、ホモ・サピエンス・サピエンスだけとなったのです。ある意味、寂しくなりました。
けれども、かつての交雑によって、私たちのDNAの中には、ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子が引き継がれています。とりわけ、日本人は、ネアンデルタール人から多くの遺産を受け継いでいるようです。
例えば、上記したような、筋肉を燃焼させて寒さに耐えられるような身体をつくる遺伝子などもそうです。
人類生存(存続と繁栄)のためにも、遺伝子多様性の見地から考えて、実に貴重で大切な遺産です。

興味深い話ではありませんか?



《参考》
*縄文系のY染色体ハプログループには、現代日本につながる最も古い血筋である日本固有のC1a(5%)・D1b(35%)の他に、旧石器時代後期にバイカル湖畔から移動してきて細石器文化を日本にもたらしたとも言われるモンゴル系のC2系統(5%)があります。
ただし、C2は、北海道のアイヌ(10%)では多いのですが、東北(0%)では異常に少なく、沖縄(1.5%)でも目立って少ないので、アイヌに入ってきた北方系のC2と、本州・四国・九州に入ってきた弥生系C2は、同じC2ではあっても、別の時期に日本に渡ってきた別種の系統の民族ではないか、とも考えられます。
しかも、C2系統は、3万5千年前に中央アジアで発生した比較的新しい系統なのです。したがって、当時、ユーラシア大陸と地続きだった日本列島にやってきた順番は、最古層のC1aが4万〜3万8千年前、次いでD1bが3万8千〜3万5千年前に、日本に初めて到達したと考えられます。彼らが最初の日本人です。
C2の場合は、まず少数派の北方系C2が、2万5千〜2万年前頃からぼちぼちと、大陸と地続きだった北海道東岸に住み着き始め、日本の後期旧石器時代文化に彩を添えました。しかし、当時、津軽海峡が存在したため、東北には広がらなかったと考えられます。
そして、多数派の弥生系C2は、2500〜1400年前にかけて、断続的に北九州・山陰などへ、O2と共に戦国の中国から船で侵入してきた、といったところでしょうか。

さて、ユーラシア大陸最古のハプログループと言えるのは、ユーラシアン・アダムであるCTが、7万年前に分岐したCFとDEです。この二つの系統が、さらに分岐し、そのうち、アフリカへ戻ったE系統を除く、C・F・Dの3系統が、6万〜3万5千年前にネアンデルタール人と交雑したと考えられています。
これら3系統の大陸進出の順番は、最初がC系統、次がD系統、最後がF系統です。そして、C・D、二つの系統における最古の血筋は、最終的に日本にまで到達したC1a系統とD1系統なのです。
ちなみに、C1a系統は、5〜4万年前に、西アジアでC1a1とC1a2に分岐し、C1a1は東アジアへ向けて東進し、C1a2はヨーロッパへ向けて西進しました。
そのうち、C1a1は、現在は日本人にしか存在しません。一方で、C1a2は、4〜3万年前にヨーロッパの中期〜後期旧石器文化(ムスティエ文化・オーリニャック文化)を担った欧州最古層のクロマニヨン人です。
欧州では、ベルギーで、3万5千年前の旧石器時代人の人骨でC1aに属するものが発見されており、チェコの3万年前の人骨の一つは、はっきりとC1a2であることが判明しています。また、スペインとハンガリーで発見された7000年前の人骨からもC1a2が見つかっています。
つまり、C1a系統は、ユーラシア大陸の西端(スペイン)と、東端(日本)に存在が確認されているという意味で、短期間に膨大な距離を移動した「旅する遺伝子」「冒険遺伝子」と言えるでしょう。
しかし、現在、C1a系統は、欧州では、ごく低頻度で分布するのみという超希少種です。ですから、今現在、超希少古代人種であるC1a系統の現存人口の99%以上は日本人に属しているのです。
しかし、彼らの日本への経路は謎です。日本以外に、彼らの遺伝子の痕跡が残っていないためです。加えて、4万〜3万年前に、C1aやD1bが日本にたどり着くには、海を渡らなばなりませんでした。可能性があるのは、朝鮮半島から対馬経由で九州へというルートか、台湾から沖縄経由で九州へというルートではないか、と言われています。
また、D1系統は、古モンゴロイドの主流であったと思われますが、4万年前に、おそらくは中央アジア地域で、D1aとD1bに分岐しました。
そのうち、D1aは、現在、チベット人の49%、その他、雲南やウイグルなどに極少数分布しています。また、分類がされていないD系統が、インド南方のアンダマン諸島の外部から孤立した先住民のジャワラ族(250人)とオンゲ族(96人)に見られ、彼らは100%D系統で占められています。
一方、D1bは、現在、日本にしか存在しません。それでも、日本人全体の35%を占めるので、現存人口比で言えば、希少古代人種であるD系統全体の90%以上は日本人なのです。
したがって、C1・D1というユーラシア最古の遺伝子を保有する個体の90%以上が、ここ日本に分布しているということになるわけです。
さらに注目すべきことは、ユーラシア大陸最古にして日本固有の系統であるC1a1とD1bが、日本人全体の40%を占めているという事実です。つまり、「日本人の4割が、もはや、アジア系とも言えないようなユーラシア大陸最古の血筋の末裔である」ということなのです。
ちなみに、D1bは、沖縄(45%)と北海道(42%)にもっとも多く、九州(31%)と中国(30%)と四国(29%)では少ないです。C1aは、沖縄(7%)と東北(7%)にもっとも多く、中国・九州(3%)に少なく、アイヌにはありません。とは言え、D1bもC1a1も、地方差は確かにありますが、概ね日本全体に均一に広がっていて、地方差が比較的少ないのが、最大の特徴と言えるかもしれません。
また、縄文系D1b・C1a1が、中国・九州で共に少ないのは、その後、特に初期弥生系稲作民であるO1b2が九州で多くなり、後期弥生系武装民であるO2が中国地方で多くなることと、深い関連性を思わせます。

最後に、縄文社会についての私見ですが、フットワークが軽く、活動範囲が広いC1a1が、縄文の交易・情報流通のネットワーク構築を担う一方で、保守的で移動をあまり好まないD1bによって、採集狩猟民としては珍しい各地での定住化が進んだのではないでしょうか。うまく役割分担ができ、同時に、互いが、互いを必要としていたのではないか、ということです。
加えて、他の地域とは違って、日本では、孤立した環境で、変化に富んだ気象条件や頻発する災害などをくぐり抜けていく中で、古代種の突然変異と進化の過程が、世界で唯一、非常に濃密だったのではないか、ということもあります。
そのため、特に日本列島誕生後、1万数千年かけて、固有の高度な進化を遂げたC1a1系統とD1b系統の均一なブレンドによる洗練された文化を発達させた縄文人は、3000年前から始まる弥生人(O1b2系統・O2系統)の断続的な侵入に際して、その高度な適応力を生かして、主導権を奪われないように適切な対応を取り、対等な関係を築き上げることに成功したのです。



**弥生系の主なY染色体ハプログループは、C・Dに続いて出アフリカした第3のハプログループであるF系統に属します。F系統からは、G、H、I、J、K、L、T、MS、N、O、Q、Rと、それ以降のすべてのハプログループが分岐しました。
弥生人は、このFからの分岐の時期が比較的遅く、したがって新しい進化の進んだ人種であり、ついには現代人の主流となるに至ったO・Rという2つの系統のうち、東アジアで3万5千年前にNと分岐して発生したO系統に属しています。そして、そのO系統の中でも、O1b2(30%)とO2(20%)が弥生人の主流を構成しています。また、順番としては、O1b2の方が、先に日本に渡ってきた初期弥生人と考えられています。

約1万年前に発生し、長江文明の担い手であったO1b系統から8000年前に分岐したO1b2は、長江文明が衰えた紀元前1000年頃から北上(一部はO1b1を追って南下)し、縄文末期の日本に稲作文化を伝え(O1b2a1a1←日本固有)、その後、朝鮮半島、満州へと広がり(O1b2a1a2←朝鮮・満州固有)ました。つまり、稲作技術は、長江流域から日本へ、さらに、日本から朝鮮半島へと伝播したのであって、朝鮮半島から日本に伝わったわけではないということです。「稲作は、初期弥生人(O1b2系統)が、日本から朝鮮半島に伝えた」という事実は、あまりよく知られていないことではないでしょうか。
現在、O1b2系統は、日本人・朝鮮人の30%、満州族の35%を占めています。東南アジアでも、インドネシア人の20%、ベトナム人の15%を占めています。しかし、漢民族では5%程度しかいません。(←ただし、O1b1が10%、O1aが10%いるので、O1系統全体では、漢民族の25%を占めています。)
日本国内の初期弥生人(O1b2)の分布状況は、九州(34%)と関東甲信越(33%)に多く、沖縄(23%)と北海道(24%)に少ないですが、その差はそれほど大きくなく、概ね平均して分布しています。
一方、O2系統は、O系統の中で、もっとも最後に分岐した系統で、華北の黄河文明の担い手であり、春秋戦国時代の紀元前500年頃から紀元500年ぐらいまでの間に、戦乱を逃れて、おそらくは朝鮮半島経由で、日本に渡ってきたものと思われます。その経路は、初期弥生人(O1b2系統)とは逆なのです。
O2系統は、現在、ミャンマー人の85%、漢民族の55%、朝鮮民族の45%、満州族・チベット人・ベトナム人・フィリピン人の40%、タイ人の35%、日本人の20%を占めています。
日本でのO2の分布状況は、渡来系の出雲王国のあった中国地方(30%)にもっとも多く、東北地方(11%)にもっとも少なくなっています。日本列島への流入が最後であったこともあって、縄文人(D1b・C1a1)や初期弥生人(O1b2)よりは、地域による分布の偏りが大きいのが特徴です。

O1b系統の長江文明(稲作文明)は、好戦的なO2系統の黄河文明に滅ぼされたので、O1b系統は、中国ではわずかしかのこっていませんし、朝鮮でも明らかにO2系統の方が人口比率は優勢です。
しかし、日本では、O1b系統の方がむしろ優勢なのです。これは、先行して日本に渡った初期弥生人のO1b2が、縄文系部族(C1a1・D1b)と手を組んで、好戦的で強力な後期弥生人のO2系統(←C2含む)による日本征服を阻止したことを意味します。
この事実が、日本の古代史の注目すべき特異性を示す重要な論点なのです。縄文系の指導者が中心で、大和国家が成立したお陰で、種の淘汰が起こることなく、すべての種の共存が、現代に至るまで、平和的に成し遂げられているのです。
そのため、Y染色体ハプログループで見た場合、出アフリカしたCDF3種すべての系統が存在する日本人の遺伝子の多様性は、世界的に見て群を抜いています。
例えば、漢民族の場合、O2(55%)、O1系統(25%)、N1(10%)、C2(6%)という構成であり、O2だけで過半数に達し、F系統で考えると90%を占めています。つまり、中国人のハプログループは、ほぼF系統だけ、ということです。
朝鮮の場合だと、O2(45%←中国戦国系)、O1b2(30%←弥生系)、O1a(2%←中国系)、N1(5%←中国系)、C2(15%←モンゴル系)、D1b(2%←縄文系)という構成であり、O系統が77%、F系統では82%を占めています。この比率は、日本人よりも中国人にかなり近い構成です。
対して、日本の場合は、C1a1・D1bという古代種と、O1b2・O2というF系統の最新種との個体数の比が、4:5と、ほぼ対等に近い絶妙のバランスで存在しているところが、実に希少で興味深いのです。そのハプログループ比率は、中国人とも朝鮮人ともかなり違います。しかも、この比率は、地方差がきわめて少なく、どのハプログループも、日本全国に、ほぼ均等に存在しています。(ただし、アイヌと沖縄だけは、縄文系の比率が非常に高いのが特色です。つまり、アイヌと沖縄こそが、〝原日本人〟であり、世界に類のない日本人のルーツに近いということです。)これも、世界的に見て珍しいことです。
なぜ、この国では、新種が旧種を駆逐・淘汰することなく、ここまで共存してこれたのか。世界の趨勢に反する共生状態が生まれたのか。
やはり、日本列島の変化の激しい気候条件や頻発する天災という悪条件の中で生き抜くために、遺伝子の多様性が必要だったのかもしれません。けれども、それが、理由のすべてでしょうか。
ともかく、この謎が、どうにも頭から離れないのです。




次期天皇として、皇太子として、私は悠仁さまより愛子さまの方が、この日本国の未来のために、正しい選択ではないか、と思うのです。
そのためには、明治以来の皇室典範を改正し、早急に愛子さま立太子の準備に入るべきではないか、と考えます。
女系天皇は日本の伝統に反するという意見もありますが、かつて、聖武天皇が、娘である孝謙天皇(称徳天皇)を皇太子とした時にも増して、現代の皇室は有史以来の存亡の危機にあるように思います。今の状況は、ある意味、皇室がなくなるか、日本がなくなるか、という瀬戸際なのです。女系はダメとか悠長なことを言っている場合ではありません。

では、以下にその理由を述べたいと思います。

私が、もっとも憂慮しているのは、悠仁さまがお育ちになっている環境の問題です。
秋篠宮家長女である眞子さまと婚約関係にある小室圭氏にまつわる問題の発覚以降、眞子さま、次女の佳子さまの発言(*)や様子などから、果たして、秋篠宮家の子どもたちには皇族としての自覚が育っているのか、という点に関して、国民に大きな不安を抱かせる事態となっています。
「子を見れば親が分かる」とも申します。すべてを親の責任に帰することはできないというのは当然ですが、しかしながら、現時点で眞子さまを諭すことのできない両親に対する不信感が、国民の間に生じるのは当然のことです。言わば、秋篠宮家の皇室としての教育力への危惧が高まっているのです。
秋篠宮殿下と紀子さまは、眞子さまを、学習院高等科から、学習院大学ではなく、ICUに進学することを許され、佳子さまも学習院大学を中退して、ICUに編入をされました。そこで、眞子さまは小室圭氏と出会ったわけです。佳子さまも、「恋愛、結婚は個人の自由」と眞子さまを応援なさっています。
悠仁さまについては、小学校から学習院ではなく、御茶ノ水大学付属小中学校に通われていらっしゃいます。しかも、特別進学待遇で。しかし、果たしてその選択は正しかったのか、という大きな疑問を感じるのです。
学習院で愛子さまがいじめられたり、一時、不登校になったからといっても、それで学習院そのものに不信感を抱かれて、安易に他の学校を選択したことが、果たして正しかったでしょうか。「AがダメならBがいい」では、あまりに軽すぎはしませんか。
なぜなら、痩せても枯れても、学習院は学習院。皇室のなんたるかを、最もよく理解している教育機関は、学習院を置いて他にないからです。特に、残念ながら、今日の日本においては、学習院以外の教育機関に通うことで、皇族の自覚が育つとはとても思えないのです。
一方で、愛子さまは、学習院初等科から高等科まで進まれ、東大進学も可能な偏差値と言われながら、大学もそのまま学習院に残るという予定のようです。
私は、この愛子さまの選択は優れて賢明であると思うのです。そもそも、皇族が、庶民と学歴を競うのは、絶対に間違っています。カタチ(身分)は皇族でも、心は教養の足りない庶民並みに学歴信奉主義に支配されているようでは困るのです。そのことを、きちんと自覚されているのは、本当にご立派です。
この選択の差は、雅子さまと紀子さまの教育観の違いかもしれません。紀子さまは、自ら望んで皇室に入られた方です。一方で、雅子さまは、外務省での順風満帆のキャリアと自由な一般人としての人生を断腸の思いで捨て、皇室の一員として、将来の皇后として、この国を支える存在になることを、長く苦しい逡巡と葛藤の末に選ばれた方です。その後も、お世継ぎの問題などで、精神を病むほどの重圧に耐えてこられた方です。
こう申しては何ですが、このお二人の人間性の深みや人生経験から生まれる知恵を比べることは、とてもできないと思います。そして、子どもの精神の育成に、もっとも大きな影響を与えるのは、いつの時代も、どこの国・地域においても、やはり母親なのです。
さらに、その雅子さまを、精神的にも公務の面でも、不平一つ言わず支えてこられた明仁天皇陛下の深い愛情があり、このお二人に育てられた愛子さまが、人間的にも、品格の上でも、人々の信頼に応えうる深い人格と賢明な知恵を備えて、立派にお育ちになっておられることは明らかです。

象徴天皇制というのは、戦前の天皇制とは違うのです。
ある意味、戦前の天皇制であれば、多少人格的にどうかと思う人物が天皇陛下であっても、能力的に難があっても、自覚がまるでなかったとしても、それほど問題とはなりませんでした。天皇陛下が頼りなければ、その分、臣民である国民や周囲の方々が、命がけでお守りし、お支えすればよかったのです。また、能力的に公務の執行に無理があれば、摂政を立てればなんとかなりました。たとえ、どんなにダメな天皇陛下であったとしても、その存在そのものに、疑いを抱く人がほとんどいませんから、特段問題にはならなかったのです。
しかし、象徴天皇制は違います。日本国憲法下での「象徴としての天皇および皇族の存在意義」とは、一体何でしょう。
天皇・皇族の存在理由をどう考えるか。それは、天皇その人、皇后その人、および皇族の方々の人格と生きる姿勢から滲み出るものを、国民がどう感じるかにかかっているのです。極言すれば、品格なき皇室は、その存在意義を失い、滅びるよりほかないということです。
昭和天皇がいみじくもおっしゃったように「国民が要らないというのなら、存在しても意味がない」のです。国民の「もう皇室など要らない」という拒絶の前には、皇紀2700年の血統も何も、あったものではありません。
一方で、日本国の象徴である皇室が、その品位(徳)を失い、国民の敬意と信頼を失うとしたら、それは、この日本国そのものから品性(徳)が失われ、日本人一人一人が、人への信頼と敬意を失ってしまった結果であるとも言えるでしょう。そして、それは、この国そのものの存在意義の喪失にも繋がります。
2500年前の中国の思想家である孔子は、弟子の子貢に政治について問われ、「兵よりも、食よりも、大切なものがある」と論じています。食がなければ、人は死んでしまいます。それでも、「命より大切なものがある」と言うのです。
孔子は「古(いにしへ)より皆死あり、民、信なくんば立たず」と述べています。つまり、国民の内に、国への信頼がなければ、国は成り立たないということです。しかも、この〝信〟は、国民一人一人の命よりも重いというのです。命より重いものが失われたら、滅びるよりほかないでしょう。
それほどに、象徴天皇は、この国にとって重い存在なのです。
国が生き延びるか、滅びるか、その鍵のひとつを皇室が握っているのです。そして、その鍵とは、皇族の方々の〝人間としての品性〟にかかっています。
ですから、野心や傲慢さをかけらでも感じさせる者が皇族であるなどもってのほかです。ましてや、天皇になるなど、絶対にあってはなりません。それでは、この日本国が滅びます。
この問題に比べたら、男系天皇制維持だとか、女性宮家や女性天皇の是非の問題など、どうでもいいと言っていいほど瑣末で軽い懸案に過ぎません。
平成天皇が「私は、その特殊な育ちから、人間として、人を思いやる気持ちが薄く、皇后の助けをかりて、国民に寄り添うために多くを学ぶ必要があった」「自分の人生は『象徴天皇とは何か』、それを探る旅であった」「その旅路は果てしなく遠い」「この旅の続きは、次の世代へ任せたい」とおっしゃっていた言葉の重さを、誠実に心で受け止められる方でなければ、次代の天皇の責務を担うことはできません。
私は、この言葉をしっかりと受け止め、深く理解し、自らの生きる指針とし、公務を全うすることができる次代の皇族は、愛子さま以外にはいらっしゃらないのではないか、と強く感じるのです。

以上が、私が、悠仁さまではなく、愛子さまを立太子するべき、と考える理由です。

今や、「心って何?」「寄り添うって何?」「誠実さがどうした?」「他人の痛みがなんだって?」という時代です。他人の心など、それがたとえ我が子の心であっても無視するのが当たり前という時代です。もちろん、これは日本だけの問題ではなく、世界が直面している問題です。
でも、だからこそ、日本の皇室はそうであってはならないのです。特に、美智子さまの子や孫であれば、なおさら「国民の心に寄り添うとは何か」ということが、知らないとか、わからないでは、済まされないのではないでしょうか。伝統とは、心で受け継がれていかなければならないものなのだと思うのです。
ですから、天皇制というカタチだけが続いても、なんの意味もありません。カタチに中身が伴わなければ、いずれにしても遠からず亡びることになるでしょう。
この問題は、皇室のみならず、国家存亡に関わる大事です。しかも、極めて切迫した事態となっています。日本に残されている時間は少ない。躊躇している暇は、それほどないのではないかと、私は考えています。

私は女系天皇で良いと思います。そして、愛子さまであれば、必ず、良い縁があると思うのです。愛子皇太子を心から支える無私の方が、現れることを願うだけです。愛子さまならば、賢明な判断ができるはずです。
かつて、孝謙天皇も、道鏡という素晴らしいパートナーに巡り合ったことで、皇位の奪還に成功し、称徳天皇となりました。称徳天皇は、賢明で、強い義務感を持って、立派に政治を行いました。道鏡も、教養深く清廉潔白で無私な方で、称徳天皇を心から敬愛していました。しかし、当時は、女系天皇を認める空気がありませんでした。それどころか、家臣たちの陰謀によって称徳天皇は毒殺され、道鏡は左遷され、やはり亡くなりました。
今度こそ、私たち国民は、女系天皇を守らなければなりません。
女性宮家創設など、小室圭さんの目の前に新たな人参をぶら下げることになるだけで、眞子さまへの執着がますます激しくなり、小室家による皇室乗っ取り計画に拍車がかかるだけです。
ですから、女性宮家などいりません。

目指すは、愛子さま立太子、これのみです。



*2019年3月、ICU卒業にあたっての佳子さまの発言の中で、メディアの質問に答えるかたちで、次のような文書回答がありました。
「姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが,私は,結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので,姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。
また,姉の件に限らず,以前から私が感じていたことですが,メディア等の情報を受け止める際に,情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して,情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています。」
さて、一読して、皇族の発言としては、いろいろ問題を感じる文書です。一人の現代の若者としての自然な感情から、あくまでも強気に、世間に対して反発しているような文章ですが、注目すべき点は、次の四箇所です。
「(眞子さまと小室圭氏の)結婚においては当人の気持ちが重要(←つまり、秋篠宮さまが仰っていた国民の納得と祝福については二次的な問題、とも受け取れる内容です。)」
「(圭くんとの結婚について)姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい(←つまり、誰が何と言おうと、自分は二人の結婚を応援している→これについては、現在、二人が頻繁に連絡を取り合っており、二人の結婚の意思が変わっていないことは、圭くんの代理人弁護士が、5月11日に公表しています。)」
「メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切(←つまり、メディアが騒いでいる小室さん関連情報については、一切信じていない、あるいは事実であっても問題視していない、とも受け取れます。)」
「情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています(←つまり、周りが何をどう騒ごうと、火のないところに煙を立てているのはメディアの側であって、小室圭さんと眞子さまとの結婚については何も問題はない→そう考えているからこそ、二人を応援しているのです、とも受け取れる内容です。)」
当然のことながら、これらの佳子さまの意見に対して、激しい批判と非難が起こりました。
周囲の知恵のある方たちに相談もせず、いかにも若者らしい、とは言え、どこか謙虚さに欠けたような文書を発表するのは、小室圭さんとは次元が違うかもしれませんが、やはり、世間を知らない恐れ知らずと、周囲の助言を素直に受け入れられない気の強さが伺われます。これを現代風の潔さととるか、皇族としての自覚のなさととるか、難しいところです。
また、これがICUの校風によるのだとしたら、この学校を選んだ秋篠宮さま、紀子さまの責任は大きいと言えるでしょう。そうでなければ、これが秋篠宮家の家風ということになります。
それにしても、誰もお諌めできる方がいらっしゃらないのでしょうか。宮内庁は何をしているのでしょう。
小室家の父親、祖父母、3人の一連の自殺の事情と、当時、佳代さんが元暴力団関係者に依頼したとされる遺産相続交渉の真偽について、宮内庁は早急に徹底した独自調査を行い、その調査結果を秋篠宮家全員に詳しく報告するべきでしょう。まさか、この期に及んで、まだ、してはいないのでしょうか。『情報があふれる社会でしっかりと考える』ためには、正確な事実を知ることが、先ずは何よりも重要な筈です。
今回の佳子さまの文書回答、残念ですが、本当に、こんなことは言いたくもないのですが、美智子さまのお孫さんとも思えない、皇室の一員としての自覚のなさで、国民の失望を招いています。
ただ、その一方で、国民の側にも、皇室に対して、下劣な攻撃をするなど、おぞましい行為が横行しているのは、我慢できません。今の日本国民には、一国民として、自分が国と皇室を支えなければならないという深い責任感が欠如しているのではないでしょうか。寄り添わなければならないのは、国民の方も同じでしょうに。いずれも嘆かわしい限りです。


🌠秋篠宮家が現在直面している問題は、沖縄的に言うと、秋篠宮さまと紀子さまから、3人のお子さまたちへのチヂウイ(血筋降り)の問題ではないか、という気も致します。
こうしたチヂウイのもたらす問題については、以前、「沖縄のウガン(拝み)」の記事で、詳しく解説しましたが、秋篠宮家に限らず、まさに日本中で今、起こっている社会的な問題という気がします。
仏教的に言えば、〝縁〟〝因縁〟の問題です。
秋篠宮家の苦境を、今の日本を映す一つの鏡として、誰もが内省し、自戒せねばならないでしょう。

令和元年5月1日に、この国のさらなる発展を願って、この国の懸念材料、衰退要因として、もっとも気になる問題について、敢えて考えてみたいと思います。

●それは『親が子どもや孫にお金をあげすぎる』ということです。
大正から昭和にかけて、自身が貧しい時代に、お金でたくさん苦労した人たちは、「楽にさせたい」「苦労させたくない」という思いから、親孝行や我が子への愛情を、いつの頃からか、お金にすり替えてしまいました。「子どもにおなかいっぱい食べさせたい」「苦労してきた親に早く楽させたい」というのは当然の気持ちです。けれども、どこかで、ボタンのかけ違いが起こってきたのです。
特に、1970年代の集団就職の時代を境に、親や子に「愛情を与えること」が、「お金を与えること」と同意になってしまったのです。15、16歳の子どもが、親元を離れて、一人ぼっちで都会で働いて、給料を田舎の親へ送ったのです。健気で親孝行だと褒められました。けれども、この子どもたちは、幸せではありませんでした。彼らは、その後の高度成長期を、学歴のない僻みを抱えて生きることになりました。そして、「子どもにだけは、自分のように、お金で苦労させたくない」と、歯を食いしばって働いたのです。「世の中は金だ」と思いながら。
そして、バブル期を経て、その後の平成の時代になると、親子共々、「お金をあげることが、親として、当たり前の愛情表現だ」と、すっかり勘違いして思い込んでしまうようになり、その価値観のまま、現代に至っています。
しかし、そのようにして、お金で育てられた子どもは、汗水流してお金を稼ぐことを知らない大人になります。
それで、本来なら、日本中から大学生や専門学校生が集まるおかげで、元気な若者たちで溢れていて、若い働き手に日本一恵まれているはずの大都会東京ですら、コンビニで働いている大学生が、ほとんど誰もいないのです。よく見たら、ラーメン屋も、蕎麦屋も、旅館も、ホテルも、一生懸命働いているのは外国人ばかりです。
日本の大学生の多くは、親がお金をあげるので、アルバイトをする必要がないのでしょう。高校時代から、親のキャッシュカードを持ち歩く子もいます。親元を離れた大学生には、常時、十分なお金が入っている預金通帳とカードを持たされている場合も多いです。仕送りが少なくて苦労している大学生など滅多にいません。だから、切実にお金が必要な大学生など、ほとんどいないのです。
その上、家の家事などの仕事も、家庭で何も躾けられてきていないため、任された仕事がきちんとできる知恵や要領やカンも、家庭生活の中で身に付いていません。だから、たとえ、その気になったとしても、実際には職場(実践)で何の役にも立たない〝木偶の坊(でくのぼう)〟の若者が多いのです。
最近、70代の人たちが、さまざまな職場で、一生懸命、溌剌と働いています(*)が、彼らの技術や丁寧さややる気や礼儀作法や心構えは、木偶の坊の若い子たちとは比較になりません。昔気質で細かいところまで神経がゆき届くベテラン勢の働きぶりに対して、若い子たちは「ただやればいい」という態度です。

親は、子どもが勉強さえしていれば、家事の仕事もさせないし、必要なお金もあげるし、車も買ってあげます。趣味のためのお金も、気晴らしのためのお金もあげます。その見返りに、子どもは、「自分の成績のことだけ考えていればいい」ことになっています。
それで、大学生になっても、アルバイトで必死に働く若者が、ほとんどいないのです。「アルバイトなんかしなくていいから、大学の勉強だけしなさい」と、親や祖父母が言うからです。
それが、現代日本社会の親と子どもの〝契約〟です。一種の親子間の取引なのです。親は、子どもが勉強さえしてくれて、よい成績がとれていたら満足なのです。そのためなら、お金はいくらでも出します。
親が無理でも、次は祖父母がいます。おじいちゃん、おばあちゃんは、銀行だけじゃなく、タンス預金も溜め込んでいます。そうでなくても、孫にお金をあげるために、年金を取っておいたり、そのためだけに働いているお年寄りもいます。
「お小遣いもあげられないおばあちゃんは、孫に嫌われるから」と、そう言って、孫の顔を見るたびに、お金をあげるおばあちゃんもいます。
成績の良い孫だけ可愛がる祖父母も、少なくありません。学校の席次が5番以内の孫には10万円、10番以内は5万円、20番以内は1万円、それ以下の席次しかとれなかった孫には、おこずかいゼロとして、孫同士を競わせるおばあさんもいます。
この大人たちは、学校の成績だけで、子どもがまともな大人になると思っているのです。ところが、実際には、まともな精神に育つのは、おばあちゃんにおこずかいをもらえなかった席次20番以下の子だけでした。彼だけが、人の痛みのわかる優しい人に育ちました。友達の多い頼り甲斐のある男になりました。
それでもこの一族は、彼のことを、一番バカにし続けています。しかし、私の見た所、この一族の中で、彼だけがまともな人間に見えます。

格差社会と言いながら、貧困層が生まれていると言いながら、飲食店や介護などの骨の折れる仕事は、日本中で人手不足の状況が深刻になっています。日本人が、本当に、お金に困っているなら、どんな大変な仕事でも、一生懸命頑張れるはずではないでしょうか。
ところが、そういう人手不足の職場で頑張っているのは、本気でお金が欲しい外国人の若者ばかりです。日本の若者にとっては、祖父母はATM、親は自動チャージなので、「必要なお金はもらうのが当たり前」と思って育っているのです。
そのため、学生自身に、「アルバイトでお金を稼ごう」という意識が乏しく、苦学生などほとんどいません。家が貧しくても、自分で稼がず、奨学金にばかり頼るから、返済で後が苦しくなります。そもそも、いざとなった時、苦しい下積みに耐えて、逞しくサバイバルする生活力など、まるで育っていないのです。
まず、人に叱られたり、注意されたりしても、めげることなく、真摯に受け止めて、研鑽を続けることができる資質が、若者の心にまったく育っていません。つまり、その道の達人の厳しい指導に耐えられる若者がいないのです。
仕事で、上司や先輩に怒鳴られるのは、ごく当たり前だった時代は、昭和の遠い昔に終わっています。今では、堪り兼ねて怒鳴ったら、若い子は、すぐに辞めてしまいます。それどころか、パワハラで会社が訴えられ、お金を請求されます。
今日の最大の問題は、『仕事の上で肝に命じてほしい、単なる理屈や知識では済まない大切なことを、伝えるすべがないこと』です。なぜなら、彼らは、心で育てられていないからです。
すでに、親の世代がそのように育っているので、その下の世代は、その傾向がさらに強まっています。こうした教育不可能な若者たちには、伝統を受け継ぐ能力も、その伝統を発展させていく能力もありません。こうして、日本の技術や文化が滅びていきます。

だから、日本社会に外国人労働者が必要になります。日本の若者が、まったく働かないし、まったく使えないからです。親が、お金だけで子どもを育ててきた結果です。「子どもにお金をかけるのが、親の義務だ、当たり前だ」と、親も子も、祖父母も、狂った常識と世間体と強迫観念に支配されているためです。
だから、祖父母が「おれおれ詐欺」や「振り込め詐欺」に引っかかります。なんで、そんなにたくさん家に現金を置いてあるのか、そこも不思議ですが、なんでもお金で解決しようとするのが、そもそも正しいことなのでしょうか、お金をあげることが、本当に愛情なのでしょうか。
冗談ではありません。お金をたくさんあげて育てた子どもが、親思いで人の痛みのわかる子に育ったためしがありません。むしろ、手のつけられないほどわがままで怠惰で薄情に育つだけです。
お金がなくなって、もう子どもにあげられなくなった年金の少ない親は、子どもにとってはもう用無しの存在です。親が元気なうちは、自宅に放置した末に、いずれは老人ホームにお払い箱です。後は、死んで厄介払いするのを待っているのです。
逆に、親の年金だけを当てにして生きている50代のパラサイト・シングルは、親が死んだのを隠して年金をもらい続けようとします。
庇護する余裕のある親族がいないので、生活保護をあてにして生きている若者は、自分の〝病気〟が治りそうになると、怖くなって治療を打ち切ってしまいます。本当に治ってしまったら困るからです。
一方で、裕福な老人たちも、「保育園は子どもの声がうるさいから迷惑施設だ」「孫の世話も疲れるから御免こうむる」などと言います。だから、少子化が進んで、子どもの数が減っているのに、いくら増設しても、保育園が足りなくて、待機児童が減らないのです。
親も子も孫も、互いに迷惑な存在になってしまい、世の中、自分だけがかわいい人間ばかりです。
そのせいで、国が衰退していくのです。

本当なら、日本人が、きちんと働けば、この日本社会で外国人が働く必要など、実際はありません。日本人が役に立たないから、外国人が必要になるのです。役に立たない日本人を育てているのは、我が子をお金で育てる親たちです。
お金の苦労も知らず、人の情けも知らず、世間の怖さも知らずに育つので、人の痛みがわからない、怖いもの知らずの若者が増えています。そういう他者と生きられない人間は、いざ窮地に立たされると、自分のことばかりしか、考えられません。
「人は人、自分は自分」がモットーです。だから、いざとなったら、人のことなどどうでもよくなって、簡単に捨てられるのです。
「自分のことだけで精一杯」と言えば聞こえはいいですが、要は「自分は無理だから、自分じゃない、他の誰かが、その人を支えてあげればいい」「自分は無理だから、誰か他の人が、この国を支え、この国を立派な国にしてくれればいい」と考えているのです。
家族のために自分が稼がねばならない、一族のために自分が支えねばならない、みんなのために、国のために、誰かのために役に立つ人間になりたい、とは思いません。
彼らの多くが、生活の基盤である家や収入を、平気で家族や他人に頼りつづける、経済的・精神的に永久に自立できない大人になる可能性があるます。一部は、本当に、いわゆる寄生虫の〝クズ〟になります。中には、親子孫三代に渡って働いたことのない沖縄の基地地主のような大金持ちの〝クズ〟もいるし、二代目、三代目の社長という肩書きを持つ〝クズ〟もいます。
彼らは「自分は楽したいから、苦労はあんたがしてよ」という吸血鬼のような態度です。この煮ても焼いても食えない、良心を持たない〝クズ〟の増加が、パラサイト・シングルとかニートとか引きこもりの増加の背景にあります。

「人に寄り添うのは、天皇陛下の仕事であって、自分の問題ではない」と思っているのです。そんな身勝手な国民ばかりでは、陛下もたまったものではありません。
それでは、令和の日本を誰が支えるというのでしょう?

これが、日本衰退の最悪の元凶と私は考えます。

平成の親は、子どもたちにお金をあげすぎました。子どもにとっては「与えられるのが当たり前で普通」なので、どんなに恵まれた環境にあっても、それを有り難いとは感じません。
さらに、親たちは、子どもたちに、「役に立つ」とは「自分にとって役に立つこと」だと、教えてきました。そして、大切なことは、「自分がどんな利益を得られるか」だと、ひたすら、それだけを教えてきました。だから、子どもたちは、当然ながら「自分が何を得られるか」にしか、興味はありません。
ところが、彼ら子どもたち自身はというと、何かの役に立ちたい、惜しみなく与えたいという心が、まったく育っていないのです。
こうして育った、自分自身は、まったく誰の役にも立たない〝役立たず〟の若者たちが、「この世の中は自分にとってなんの役に立つのだろう」と、自分中心に考えているのが、いかにも滑稽です。
これでは、国は立ちゆきません。
令和の、これからの親は、もう、我が子や孫を、お金で育てるのはやめましょう。1歳から塾に通わせたりするのもやめましょう。子どもに「自分のことだけ考えなさい」「自分が得すること(勉強)だけ頑張りなさい」と教えるのをやめましょう。
例えば、博士号さえ取れば、研究さえしていれば、人生が開けると思っている愚かな若者たちを、減らさねければなりません。博士号なんて、どんなに貧しくとも、他人に評価されなくても、結婚できなくても、一生研究さえできれば幸せだと思っている人だけが、取れば良いのです。一人一人の好奇心こそが、国家の財産なのです。
これからは、我が子だけにお金をあげて「勉強しなさい」と言う代わりに、我が子ばかりでなく、すべてのこの国の〝子どもたち〟に、一生懸命、手をかけましょう、心をくだきましょう。
この国を滅ぼさないために。

令和の令の字は、令嬢、令息の令ですが、自分の娘や息子を令嬢、令息と呼ぶ人はいません。自分の子ではなく、他人の子どもを指して「ご立派な息子さんですね」という意味で、御令息などと言います。ある意味、令は、他人行儀で、よそよそしい言葉です。
それで、確かに、令和は、『立派な日本と、その素晴らしい調和』という意味には成っているとは思うのですが、しかし、その立派な国の美しい調和を構成する国民の中に、あなた自身は入っているでしょうか。
「立派な日本(令和)」が、日本人にとって、「自分じゃない誰か他人が立派にしてくれる日本」であっては困るのです。「自分じゃない誰かが生みだす調和」でも困るのです。自分(日本人)じゃない誰か(外国人?)が支えてくれる日本など、そう長くはもたないでしょう。末永く繁栄することはありません。
トランプや習近平やプーチンが、日本を支えてくれるでしょうか。アメリカ軍が、永久に日本を守ってくれるでしょうか。戦後、アジア各地で、多くの日本兵がそうしたように、危機が訪れた時、日本のために、アメリカ兵が喜んで命がけで戦い、血を流すでしょうか。
また、多くの日本人が戦後、人生を賭けて、身を削って他国の復興に力を尽くしてきたように、中国や韓国もまた、日本が窮状に陥った時、かつての恩を感じて、身を呈して真心から助けてくれるでしょうか。
あるいは、日本が、これからも、律儀に分担金を拠出し続け、国連のATMになり続けて、それで、世界が日本に敬意を払うでしょうか。国連が、いざという時、無条件で日本を救ってくれるでしょうか。
さらには、日本が、これまで金銭的にも技術的にも援助し続けてきたアジア・アフリカの国々が、日本が倒れる時、命がけで支えようと手を差し伸べるでしょうか。
私は、そうは思いません。金をあげても、都合よく利用されるだけです。心の底では馬鹿にしているのです。世界は、私たちが考える以上に病んでいます。
だから、本当に頼れる者は、この国を救えるのは、私たち日本人自身だけだと思うのです。

それでも、日本兵が、現地の人々と分け隔てなく、同じものを食べ、同じ場所に寝て、現地の人々と苦楽を共にしたパプアニューギニアでは、現地の人々が、今でも深く日本人を敬愛し、信頼しています。ペリリュー島(パラオ)も含めて、そいいう日本人への絶対の信頼を抱き続けている地域は、太平洋域に数多くあります。

結局、この国を立派にするのも、この国の社会に調和を生み出すのも、この国を支えるのも、私たち日本人自身なのです。

やがて、親の庇護が失われ、親の残したお金が尽きた時、お金で育てられてきた平成の子供たちは、これから押し寄せる令和の厳しい時代を、果たして生き延びることができるでしょうか。
依って立つものが何もない場所で倒れたところで這い上がる気力もなく、たった一人で不確実で見通せない未来に向き合う勇気もなく、裸の心で互いに支え合うことも教えられていない、世界に対する好奇心もなければ、この世界に実現したい夢を描くことも知らない、祈ることも信じることもわからない平成の子供たちが、何を支えに生きていけるというのでしょう。

●子どもの未来、この国の未来を想うなら、子どもをお金で育てないこと、そして、子どもにお金を残さないことです。
そのために、あなた自身のこれまでの生き方を、今こそ問い直すべきです。お金のもたらす〝安心〟は、本当にあなたの人生を豊かにしてくれましたか。悔いのない人生を送ってくることができましたか。
今のあなたの子どもの無気力で頼りない姿が、その答えなのです。

以上が、私が、令和元年に、もっとも切実に感じている危機感です。
世界は、私たちが想像する以上に、混乱と不毛と虚無の極みにあり、海の向こうには、ここよりさらに殺伐とした薄っぺらい世界が広がりつつあります。
けれども、日本もまた、有史以前から続く1万年の奇跡の守りを、失いつつあるのではないでしょうか。この日本の社会も、内なる見えないところから、今にも崩壊しようとしているのではないか、とひしひしと感じずにはいられません。
なんとか、持ちこたえたいものです。

●この国の未来に好奇心と責任を感じる国民を育てること。それが、この国の未来をつくることです。



*日本では、若者が働かない代わりに、60代、70代の人たちがたくさん働いています。働くのが生きがいで、仕事や仕事場に愛着が深い人たち、自分が尽くしてきた会社への愛情がある人たちが多いからです。
逆に、中国では、60代以上の人たちが働くことは、ほとんどありません。だから、日本に来ている中国人は、60代以上の日本人が普通に働いていることに驚きます。
それから、中国人の若者がよく働くのは、早く結婚したいから、でもあります。中国では、結婚する前に、男は家を買い、女は車を買います。そうして〝巣〟を作るのです。
逆に言えば、家の買えない男は、結婚相手が見つかりません。そう言う点では、なんだか、中国の女性は、男と結婚したいのか、家と結婚したいのか、よくわからないところもあります。また、一人っ子政策が続いていたせいで、若い人の男女の人口比率が偏っていて、女性の数が少ないので、男女関係の需給バランスが圧倒的に女性に有利なのです。そのため、家を持たない男性と結婚するなんて考えられない、と思う女性の数は減りません。
その一方で、中国では、土地はすべて国家の所有に帰するもので、個人が所有することはできません。それに、北京や上海ではマンションの価格も、東京より上です。だから、中国人は、東京のマンションを購入し、沖縄や北海道の土地を買いまくっているのです。それで、沖縄の離島にも、土地バブルが起こっています。
これを放置すれば、遠からず、日本の土地は、日本人のものではなくなるでしょう。

あまたなる人ら集ひてちやうちんを 共にふりあふ沖縄の夜 
平成十八年 今上天皇陛下

彼岸花咲ける間の道をゆく 行き極まれば母に会ふらし
平成八年 美智子皇后陛下

天皇陛下、皇后陛下、31年の御治世、本当に有難うございました。
今年、2019年4月16日は、セウォル号事故(2014年4月16日)から、ちょうど5周年に当たります。ソウル市の光化門広場では、〝セウォル号5周忌〟を直前に控えた4月12日に、『ソウル市セウォル号記憶・安全展示スペース』という名の木造建築物がオープンしました。さらに、5周忌前日の4月15日には、セウォル号の遺族らのグループ「4・16連帯」が、「初動で救出を効果的に指揮しなかった」として、朴槿恵前大統領の刑事処罰を求めるアピールを行いました。
このグループは、この5年間、正確には2014年7月から2019年3月18日まで、光化門広場の同じ場所を占拠して、14張りのテントを設置し、犠牲者や行方不明者の写真300点を展示すると同時に、追悼場も設けて、セウォル号犠牲者を忘れさせないための活動拠点としてきました。加えて、このテントは、犠牲者を救えなかった朴槿恵政権(2013年2月25日〜2017年3月10日罷免/3月28日逮捕)を糾弾する「ロウソク・デモ」の拠点でもありました。
3月18日に、ソウル市は、「4・16連帯」グループとの協議の上、これらのテントを撤去し、代わりに市が、この同じ場所に、同様の役割を担う本格的なセウォル号追悼施設を建て、担当の職員を常駐させて、この遺族グループの活動を支えることにしたのです。
彼ら遺族らは、朴槿恵前大統領が、大統領の座から引きずり降ろされ、2年間も拘置所暮らしを強いられている今日に至るもなお、朴槿恵前大統領への〝恨〟の思いを募らせ続けています。
朴槿恵さんは、現時点で、崔順実事態に関係する国政壟断と贈収賄の罪で、懲役33年の高裁判決が出ています。これから最高裁でも同様の判決が出て、合算して刑が執行されたならば、刑期を終えた時には、現在67歳の朴槿恵さんは99歳になっています。しかし、セウォル号遺族にとっては、それでも罰が足りないということなのでしょうか、さらなる処罰を求めているわけですから、おそらく懲役40〜50年ぐらいにまで、朴槿恵元大統領の刑期を延長させたいのでしょう。
朴槿恵さんを刑務所でミイラ化させたい?

ところで、上記の出来事があった4月12日からさらに6日前の4月6日、英国人ジャーナリストで元ソウル外信記者クラブ会長のマイケル・ブリーン氏が、韓国最大の発行部数を誇る日刊紙「朝鮮日報」紙上に、「ソウル市が、セウォル号追悼施設(上記の木造建築物)を、光化門広場につくる」ことに反対するコラムを記載していました。
その反対理由として、ブリーン氏は「光化門広場は、韓国で最も有名な公共空間であり、韓国の歴史上最も尊敬を集めている二人の偉人世宗大王と李舜臣の銅像が建てられていること」「そこに、ソウル市が、セウォル号の追慕施設をつくるのは、〝韓国の伝統である『自分は永遠の犠牲者である』と、好んで自らを最悪の被害者と考えたがる不可思議な文化的意識傾向〟によって、強く影響されたものであること」「しかし、近年著しく助長されている、こうした韓国人の被害者意識が、昨今は、現実との大きな隔たりを見せていること」を挙げています。
そして、「韓国には、事あるごとに『自分こそが、邪悪な〝他人〟の悪行の犠牲者だ』と、執念深くアピールしたがる傾向があり、それによって『自分は相手より道徳的に優っている』と感じたがる独特の文化がある」「日本大使館前の少女像(*)がまさにそれであり、80年も昔のことで、こうした執拗な抗議を続けるというのは、外交史上、他国には前例がない」「少女像の横のテントで寝泊まりし、デモや抗議を続ける人々は、『自分たちは正義だ』と疑いもなく信じており、『自分たちは、〝犠牲者としての韓国〟を代弁しているのだ』と自負している」「一人ひとりの国民が、そう感じるだけならまだしも、公職者たちまでもが、こうした大衆の態度を支持し、大衆と同じように考えている(←国民情緒至上主義)」と指摘しています。
その上で、「文在寅大統領は、セウォル号の惨事から4周年を迎えた昨年、フェイスブックに『セウォル号の悲劇以降、われわれは生まれ変わった』と書き綴り、さらに『ロウソク・デモも、新しい大韓民国の決意も、すべてはセウォル号から始まったのだ』と綴った」と指摘し、「現政権が、自らの政権の正義と正当性を主張する上で、セウォル号の犠牲者たち(慰安婦、徴用工も当然含みます)を、保守政権との政争で優位に立つために最大限に利用してきた」と強く非難しています。

それに応えて、4月9日、朝鮮日報の顧問である金大中記者(元大統領ではない)は、ブリーン氏のコラムの内容に関して、「恥ずかしいのは、こうした指摘と問題提起を、韓国の記者ではなく、外国の記者が行ったという点だ」「自分を含めて、韓国人記者たちは、同様の意見を抱きながらも、それを公言することで、『セウォル号の冒涜者』の烙印を押されることが怖くて、口をつぐんできたのだ」と率直に告白しています。
そして、ブリーン氏が「今や韓国は世界で最も豊かで重要な国の一つであるにもかかわらず、いつまでも『自分たちこそ〝邪悪な他人の犠牲者〟なのだ』と仕立て上げようとするのは、『一方的で独善的であっても構わないから、ともかく道徳的優越感を感じたい』という快感を餌とする罠に深く陥っているためだ」と指摘したことについて、強く賛同し、加えて「文在寅政権は、その左派的で観念的で独善的な思考のせいで、自らの道徳的・倫理的優越性を微塵も疑わないことから、現実の事情を少しも見ようとしていないし、そのせいで、国に甚大な害を与えている自分の失態にも気づかない」という文脈の内容を述べました。
さらに、文在寅政権が、主に外交や内政や経済問題に関して、傍若無人にも、誤った観念主義的な道徳優位性の極致を態度に示している現状に対して、金大中氏は「惨憺たる気分である」と、その心情を吐露しています。

ところが、これに対して、4月21日夜、韓国の公共放送KBS(日本のNHKに当たる)は、取材の過程で、ブリーン氏から「件のコラムは、朝鮮日報と相談して書いたコラムではない」というはっきりした回答を得、さらにブリーン氏の書いた英文の原文も受け取って、「原文を朝鮮日報が故意に書き換えたわけではない」という確固たる証拠を得ていながら、「朝鮮日報が特定の内容のコラムを、韓国の事情をよく知らない外国人に書かせたか、あるいは、外国人が書いたコラムを意図的に捻じ曲げて翻訳した」と決めつけて、ブリーン氏の実直なコラムの内容を、集中的に批判するという偏向(捏造?)報道(フェイク・ニュース?)を放送しました。このニュース番組のコメンテイターたちは、ブリーン氏と金大中記者の2本のコラムの内容について、「徹底した偽善」「厚顔無恥」などといった激しい言葉で攻撃しました。
KBS放送ともあろうものが、同じ批判するにしても、勝手な思い込みや下衆の勘繰りではなく、事実に基づいて批判して欲しいものです。

英国人であるブリーン氏は、「現実を無視してでも、無理やり自分が被害者となって、千年でも万年でも、相手に対する道徳的優越感を維持しようとする韓国人特有の態度」が、もっとも強く発揮されているのは、韓国の日本に対する姿勢であることを、よく認識しています。
しかし、金大中記者は、典型的韓国人のひとりとして、そうした根本的な自覚を持つには至っていません。「セウォル号被害者の冒涜者」のレッテルを貼られることへの恐れは告白できても、「慰安婦の冒涜者」のレッテルを貼られることへの恐怖は、自らその恐怖を認めることすら拒絶しているように思えます。
KBSに至っては、「『強引にでも被害者の立場に身を置いて、相手を責めたり罵倒したりして、相手より自分は道徳的に優れているという優越感を得る』という韓国人のもっとも目立つ文化的特性そのものを、それが明白な事実であるにも関わらず、一切否定する」という頑なな姿勢を崩しません。その姿は、左翼の文在寅政権とその支持者たちの、「私は絶対正しい」と独善に固執した姿勢と重なります。
これが、韓国の現状です。


一方で、沖縄県では、4月21日、沖縄市、名護市、東村を含む沖縄3区において、玉城デニー氏が沖縄県知事に当選したことに伴う衆院補欠選挙が実施されました。その結果、辺野古基地に反対する「オール沖縄」の屋良朝博氏(7万7000票)が、基地容認派である自民党の島尻安伊子氏(5万9000票)を破って初当選しました。基地反対票が57%、基地容認票が43%という比率でした。拮抗しているとは言いにくい、かなり微妙な割合です。
基地容認派の島尻安伊子氏の得票が上回った地域は、町土の60%を占める巨大基地キャンプ・ハンセンを抱える代表的な基地の街の一つである金武町、本島最北端の国頭村、高江のヘリポート基地を抱える東村、離島の伊江村、さらに離島の伊是名村、伊平屋村の6地区であり、大票田の沖縄市、うるま市、名護市、それに本部町、今帰仁村、恩納村、宜野座村、大宜味村の8地区では、ことごとく敗北しました。ただ、辺野古基地を抱える名護市では、反対派55%、容認派45%と、結構接戦ではありました。
すくなくとも、反対派が「オール沖縄」と胸を張って称することができるほど、賛成・容認派を数で圧倒しているというわけではないね、ということは言えるとは思いますが。
そうは言っても、去年の知事選の結果といい、先日の県民投票の結果といい、毎度のことながら、「この沖縄県では、基地容認・賛成を掲げる側が、県民の過半数の支持を集めることは、容易なことではない」ということを、あらためて再認識させられました。
やはり、沖縄は基地反対の島です。

しかしながら、ブリーン氏が述べている「少女像の横のテントに寝泊まりして反日デモをする人たち」と、「辺野古・高江の基地の横でテントを張って反米・反政府デモをする人たち」は、実は、同じような〝被害者=絶対正義〟の文化構造から、独善に陥り、現実を認めようとせず、〝私たちは犠牲者〟という妄執に固執し続けているだけであるように、私には感じられます。
韓国の人々も、沖縄の人々も、視野の狭い見地から、自分たちを被害者と考え、自分は絶対正義で、相手は絶対悪であると、頑迷に都合よく思い込んでいるのではないでしょうか。
「人のふり見て我がふり直せ」とも言います。旧日本軍も日本政府もアメリカ軍基地も、決して絶対悪ではありません。あなたは一方的な被害者ではないし、政府は一方的な加害者ではありません。そういう不毛な物の感じ方、間違った物の見方は、そろそろやめませんか。
あなたは、今でもなお、確かに被害者なのでしょうか。あなたの抱く恨みは、本当に正当なものでしょうか。
沖縄県民は、唯一の地上戦を経験した県として、70年前、確かに大変な思いをしたのは事実ですが、その怨みを、未来永劫、抱き続けるのは良いことでしょうか。
過激な反対運動をする人たちは、県民のほんの一部であるとはいえ、今日もなお、県民の過半数の人々は、県民投票や選挙において、常に基地反対の立場を表明しています。
これは、この県の世論をを主導するマスコミや学識者の方々の影響も大きいのではないか、と思います。しかし、ややもすると、政治に関心を持ち、よく勉強している人ほど、韓国の人たちと同じ、独善の罠にはまってはいないでしょうか。
辺野古新基地は本当に必要ないのか、必要だとすればなぜ必要なのか、国防とは何か、日本を守るとはどういうことか。もう一度、曇りのない心で、真剣に考えてみませんか。

この問題が切実であり、放置しておくのが適切でない理由は、時間の経過ととも、問題は収拾不能なまでに悪化していくからです。
それは、韓国の例を見てもわかります。韓国では、1980年代まで、慰安婦問題など存在しませんでした。天皇を「日王」などと貶めて記述するようになったのも、1988年以降のことです。
それまでは、韓国には、大騒ぎする慰安婦のおばあさんもいなかったし、韓国の新聞も、天皇陛下のことは、きちんと敬意を持って「天皇」と記述していました。
また、2010年代に入るまで、旭日旗問題などまったくなかったし、韓国にも海自の船は、普通に旭日旗を掲げて入港していました。
もともと、騒ぎ始めたのは、どの問題においても、日本の左翼運動家や左翼学者や左翼メディアが最初なのです。一部の愚かな日本人たちが、彼ら韓国人を、被害者に仕立て上げたのです。
そして、日本政府が生真面目に謝罪するたびに、彼らは自分たちをますます被害者だと思い込みやすくなり、事態はどんどん悪化していったのです。
今日、韓国の状況は、もはや、取り返しがつかないほど悪化しています。そして、沖縄も、ある意味、似たようなものです。
何が悪なのか、と言えば、日本ではなく、韓国と沖縄こそが悪なのです。なぜなら、事態を悪化させ続ける原因は、日本側の態度にあるわけではないからです。客観的に見て、韓国と沖縄の「自らの被害者としての立場を強調し続け、それによって、未来永劫、自らを相手より道徳的優位に立たせ続けようとする態度」こそが諸悪の根源であることは明らかです。
そして、それによる最大の弊害は、対等な対話が成り立たないことです。対等な立場に立てない以上、ケンカもできません。ケンカをするにも、議論をするにしても、先ずは、互いに相手を対等の相手と認め合うところからしか、始まりようもないからです。日本と韓国の間、内地と沖縄の間に、道徳的優位性とか、そんなものは、本来、あり得ないのです。
韓国も沖縄も、対等であることを認めないから、何の話にもならない。韓国人も沖縄県民も、何事にも、必ず差をつけようとする悪しき差別意識に染まりきっているのです。そのことが、昨今、誰の目にも、ますますはっきりと見えてきたのではないでしょうか。




🌟奇しくも、2019年4月25日、日本ではカルロス・ゴーン容疑者の保釈申請が東京地裁によって再度認められ、再び釈放されましたが、同じ日に、韓国では、すでに公職選挙法違反で懲役2年の刑が確定している朴槿恵元大統領の刑執行停止申請を検察が却下し、拘留はすでに2年と1ヶ月に及んでいるにも関わらず、これ以後も続くこととなりました。
このまま、最高裁でも国政壟断と贈収賄で33年の刑が確定した場合、朴槿恵元大統領には、さらに33年の懲役が加算されることになります。
この状態においても、朴槿恵さんは、文在寅大統領への保釈申請は、するつもりがないとのことです。宿敵である文在寅にすがるのが嫌なのか、どうせ申請しても無駄と考えているのか、動機については定かではありません。
さらに、同4月25日、沖縄の辺野古米軍基地移設反対派のリーダーで沖縄平和運動センター議長である山城博治さんは、沖縄防衛局職員に対する暴行やゲート前でのコンクリートブロック積み上げによる工事妨害などの行為について、傷害や威力妨害などの罪に問われ、最高裁による被告の上告棄却によって、懲役2年、執行猶予3年の一審、二審の判決が確定しました。

🌟🌟2019年4月28日、韓国の仁川の中学校教師が、授業中に「日韓併合期には、日本によって近代科学が導入され、電気も引いてもらいながら、韓国は恩知らずだ」「独島(竹島)は、そもそもが日本の土地だった」「韓国社会の抗日情緒は、独島問題の葛藤を生み出し、韓国の将来を脅かしている」などと親日発言を繰り返したと、授業を受けた中学2年生の生徒たちが学校に抗議し、学校側は教師に「不適切な発言があった」ことについて注意処分としました。
現在、この教師は、病気休暇を提出していて、学校には出勤していません。
彼の述べたことは、なんら間違ってはいないと思うのですが、歴史的真実や妥当な意見を述べたら、不適切発言になるのが韓国という国です。それも、中学2年生の段階で、すでに、すっかり間違った歴史教育による反日思想に浸かっているようです。
こうした事態には、文在寅の進める従北反日に凝り固まった「日帝残滓の清算(韓国版『文化大革命?』)」政策の影響も大いに関係しているように感じられます。
私が思うに、この記事に出てくるような彼ら、韓国の〝密告〟中学生たち(クレイマー・モンスター・スチューデント)は、言わば完全洗脳された「反日紅衛兵」のようなものです。

🌟🌟🌟2019.4.30、韓国の人気アイドルグループTWICEの日本人メンバーの1人であるサナという方が、TWICE公式インスタグラムの韓国語版に、日本語で『平成生まれとして、平成が終わるのはどことなくさびしいけど、平成おつかれさまでした!令和という新しいスタートに向けて、平成最後の今日はスッキリした1日にしましょう!(←サナの書いた原文のまま)』と書き込んだところ、韓国人ファンから激しい批判が起こりました。
この件に関しては、翌日5月1日、2日の朝鮮日報、中央日報など、日本で言えば、読売・朝日レベルの韓国の主要な日刊紙が、ネット上の炎上騒動を大きく取り上げる記事を掲載しました。
SNSでの代表的な批判コメントをいくつか挙げると、「敢えて、韓国の公式アカウントに、韓国人の共感を期待できない内容を、わざわざ日本語で書いた理由は何か?(嫌がらせか?)」「軍国主義の象徴であり、日本の右翼勢力の根幹でもある『元号』について書いたサナさんの日本語コメントは、戦犯国の国民としての一抹の罪悪感すらも全く見られない恥ずかしい文章である」「日本人は、まともな歴史教育を受けてきていないから、何気なく考えなしの文章を書くが、そんなことをすると、韓国では大変なことになると知っておきなさい」などというものです。
さらに「そんなに日王(天皇)がいいなら、日本で稼ぎなさい」「日本に帰れ!」「韓国で稼いでいるなら、韓国人に気を遣え!」という手厳しいものもありました。
平成、令和という元号を、韓国語翻訳ソフトのおかしな翻訳せいで、天皇陛下と同一視して、発言の意味を勝手に勘違いしている人も多いようです。〝元号=天皇=軍国主義の象徴〟という〝極左〟的で偏った見方そのものが、そもそも日本の一般人には意味不明です。言いがかりも甚だしい。
とは言え、あくまでネット上のことではありますが、これらのサナさんへの非難コメントのほとんどは、非共感より共感のほうが、はるかに多く付いていたというのも事実です。サナさんを責めるコメントへの共感は、だいたい非共感の10倍ぐらいです。
こうした上記の非難コメントの内容を集約すると「韓国で稼いでいる以上、韓国人(私)の気に触ることを言わないように、韓国人(私)の顔色をうかがって上手に気を遣え!」ということになります。
このように「社会的に優位にある側は、一方的に理不尽な要求をしたり、横暴に振舞ってもよい」という考え方を、韓国では「甲の横暴」と呼びますが、こうした悪習・悪癖は、韓国社会の隅々にまで、そして、韓国人の精神の根本にまで、根深くはびこっています。
少なくとも、韓国人の半数以上が、無自覚のまま、自然に、このように考える人たちだということは、韓国に行く前に知っておいた方がいいでしょう。
実際、「これは、ただ、サナ本人が、『自分の生まれた元号が終わるから寂しい』と本音を書いただけで、政治色のまったくない文章ですから、非難する理由は一つもありません、冷静になりましょう」と(韓国人なりの、ではありますが)的確な道理を説いて、穏当に擁護しようとする発言は、共感4、非共感5でした。また「サナは新年の挨拶をしただけで、それ以上でも以下でもない」というコメントへの共感は非共感の3分の1過ぎませんでした。
さらに、韓国人の感じ方や反応の異常さを指摘するコメントに至っては、残念ながら共感が1つもつきません。それほどまでに、彼らは無自覚なのです。
これで事務所側が、SNSの投稿を消したり、謝罪投稿などしようものなら、「やはりサナは過ちを認めた!」と、嵩にかかって叩かれるのは目に見えています。
そうした謝罪対応をせず、「令和」投稿をそのまま残して、謝罪投稿をあげたりもしていないのは、事務所側としては懸命な判断です。
もちろん、日本側からの反発への配慮というのも、当然あるとは思います。理不尽なことに対しては、黙らず反発をストレートに表明し、真摯に主張することが、韓国に対しては、もっとも大切な対策になります。

🌟🌟🌟🌟2019年5月2日、文在寅政権の外相は、80年前の自発的な朝鮮人労働者への賠償問題に関して、反日勢力による徴用工という偽りの建前化(いわゆる歴史捏造)を認めた韓国最高裁による日本企業への賠償命令判決以来、韓国内で進む日本企業の資産の没収および売却手続きへの政府の対処を問われ、「国民の権利であり、政府が介入することではない」と明言しました。
自分で火をつけ、その火をさらに焚きつけておきながら、火が順調に燃え広がって大火事になると、「自然に火事になったのだから自分の責任ではない」と言い放つのは、文在寅政権の常套手段です。
さらに、外相は、日韓基本条約を完全に無視して「この問題は、日本政府が責任を取って、元朝鮮人労働者の納得する措置を取るべき」と主張しました。
文在寅政権が、このように強気な態度に出るのも、彼らが正当と考える〝被害者意識〟に基づいて『韓国は日本に対して道徳的に優位に立っている』と勘違いしていることから、「社会的優位に立つ者は何をしても許される」という韓国人特有の「甲の横暴」の優越感覚が発動し、不条理で病的な感情に精神が冒されているものと見ることができます。
いずれにしても、これで、日本政府が、韓国への報復措置を発動できる条件が整ったのではないかと思います。手始めは、韓国製品への報復関税、それと同時に韓国製品の輸入禁輸措置が妥当で効果的でしょう。その後は、韓国側の対応次第で、その品目や関税額を徐々にあげていけばよいでしょう。
加えて、日本企業としては、韓国リスクを避けて、生産拠点の韓国から他国へシフトする方針を早急に固めるべきです。
日本側としては、韓国側の偽りの道徳的優位性を一切認めないという態度に出るのが最善の方策です。


*ソウルの日本大使館は、もともと、日本側が要求した場所ではなく、朴正煕時代の韓国側の拒絶によって、現在の場所に不本意ながら設置されました。
以前から建物の老朽化によって、日本側は新築を求めていましたが、ソウル市は長く許可を出さなかったのです。しかし、在日韓国大使館の建て替えに伴って、自分たちは東京都の許可を受けながら、日本側には建てさせないというのは如何なものか、という話になって、2015年に許可が出て、それ以降、日本大使館は、新築に向けて解体のために、隣接する高層オフィスビルに、賃貸で移転しています。
旧大使館跡地については、2016年に整地が終わった後も着工せずに、日本政府が4年間放置していたため、2019年3月4日に、ソウル市は大使館の建築許可を取り消しました。
この土地は、一応、現在も日本政府の所有地なわけですが、完全に放置されていて、土がむき出しの空き地のままです。
ところで、この旧大使館跡地に向かって正面の歩道には、2011年から、勝手に少女像が設置されていて、さらに市民団体が像の横にテントを設置し、像が撤去されないように、日夜、監視を続けています。また、地元の区は、市民団体が無許可で立てたこの像を、2017年に「公共造形物」に指定したとのことです。
毎週水曜日には、今でも欠かさず、この像を囲んで、市民団体の反日デモが行われています。この〝日本大使館前「水曜デモ」〟自体は、1992年から28年続けても、飽きる気配がありません。[2019年5月1日(水)にも、数百人が集まって、日本政府と天皇陛下に向かって、公式謝罪を要求しました。即位の日に、配慮も礼儀も何も、あったものではありません。]
一方で、日本側は、韓国政府によって少女像が撤去されるまで、この場所に新大使館を建設するつもりはないようです。当然です。日本人旅行者が、反日的な市民団体と遭遇しないと日本大使館に入れないというのでは困ります。