令和元年5月1日に、この国のさらなる発展を願って、この国の懸念材料、衰退要因として、もっとも気になる問題について、敢えて考えてみたいと思います。

●それは『親が子どもや孫にお金をあげすぎる』ということです。
大正から昭和にかけて、自身が貧しい時代に、お金でたくさん苦労した人たちは、「楽にさせたい」「苦労させたくない」という思いから、親孝行や我が子への愛情を、いつの頃からか、お金にすり替えてしまいました。「子どもにおなかいっぱい食べさせたい」「苦労してきた親に早く楽させたい」というのは当然の気持ちです。けれども、どこかで、ボタンのかけ違いが起こってきたのです。
特に、1970年代の集団就職の時代を境に、親や子に「愛情を与えること」が、「お金を与えること」と同意になってしまったのです。15、16歳の子どもが、親元を離れて、一人ぼっちで都会で働いて、給料を田舎の親へ送ったのです。健気で親孝行だと褒められました。けれども、この子どもたちは、幸せではありませんでした。彼らは、その後の高度成長期を、学歴のない僻みを抱えて生きることになりました。そして、「子どもにだけは、自分のように、お金で苦労させたくない」と、歯を食いしばって働いたのです。「世の中は金だ」と思いながら。
そして、バブル期を経て、その後の平成の時代になると、親子共々、「お金をあげることが、親として、当たり前の愛情表現だ」と、すっかり勘違いして思い込んでしまうようになり、その価値観のまま、現代に至っています。
しかし、そのようにして、お金で育てられた子どもは、汗水流してお金を稼ぐことを知らない大人になります。
それで、本来なら、日本中から大学生や専門学校生が集まるおかげで、元気な若者たちで溢れていて、若い働き手に日本一恵まれているはずの大都会東京ですら、コンビニで働いている大学生が、ほとんど誰もいないのです。よく見たら、ラーメン屋も、蕎麦屋も、旅館も、ホテルも、一生懸命働いているのは外国人ばかりです。
日本の大学生の多くは、親がお金をあげるので、アルバイトをする必要がないのでしょう。高校時代から、親のキャッシュカードを持ち歩く子もいます。親元を離れた大学生には、常時、十分なお金が入っている預金通帳とカードを持たされている場合も多いです。仕送りが少なくて苦労している大学生など滅多にいません。だから、切実にお金が必要な大学生など、ほとんどいないのです。
その上、家の家事などの仕事も、家庭で何も躾けられてきていないため、任された仕事がきちんとできる知恵や要領やカンも、家庭生活の中で身に付いていません。だから、たとえ、その気になったとしても、実際には職場(実践)で何の役にも立たない〝木偶の坊(でくのぼう)〟の若者が多いのです。
最近、70代の人たちが、さまざまな職場で、一生懸命、溌剌と働いています(*)が、彼らの技術や丁寧さややる気や礼儀作法や心構えは、木偶の坊の若い子たちとは比較になりません。昔気質で細かいところまで神経がゆき届くベテラン勢の働きぶりに対して、若い子たちは「ただやればいい」という態度です。

親は、子どもが勉強さえしていれば、家事の仕事もさせないし、必要なお金もあげるし、車も買ってあげます。趣味のためのお金も、気晴らしのためのお金もあげます。その見返りに、子どもは、「自分の成績のことだけ考えていればいい」ことになっています。
それで、大学生になっても、アルバイトで必死に働く若者が、ほとんどいないのです。「アルバイトなんかしなくていいから、大学の勉強だけしなさい」と、親や祖父母が言うからです。
それが、現代日本社会の親と子どもの〝契約〟です。一種の親子間の取引なのです。親は、子どもが勉強さえしてくれて、よい成績がとれていたら満足なのです。そのためなら、お金はいくらでも出します。
親が無理でも、次は祖父母がいます。おじいちゃん、おばあちゃんは、銀行だけじゃなく、タンス預金も溜め込んでいます。そうでなくても、孫にお金をあげるために、年金を取っておいたり、そのためだけに働いているお年寄りもいます。
「お小遣いもあげられないおばあちゃんは、孫に嫌われるから」と、そう言って、孫の顔を見るたびに、お金をあげるおばあちゃんもいます。
成績の良い孫だけ可愛がる祖父母も、少なくありません。学校の席次が5番以内の孫には10万円、10番以内は5万円、20番以内は1万円、それ以下の席次しかとれなかった孫には、おこずかいゼロとして、孫同士を競わせるおばあさんもいます。
この大人たちは、学校の成績だけで、子どもがまともな大人になると思っているのです。ところが、実際には、まともな精神に育つのは、おばあちゃんにおこずかいをもらえなかった席次20番以下の子だけでした。彼だけが、人の痛みのわかる優しい人に育ちました。友達の多い頼り甲斐のある男になりました。
それでもこの一族は、彼のことを、一番バカにし続けています。しかし、私の見た所、この一族の中で、彼だけがまともな人間に見えます。

格差社会と言いながら、貧困層が生まれていると言いながら、飲食店や介護などの骨の折れる仕事は、日本中で人手不足の状況が深刻になっています。日本人が、本当に、お金に困っているなら、どんな大変な仕事でも、一生懸命頑張れるはずではないでしょうか。
ところが、そういう人手不足の職場で頑張っているのは、本気でお金が欲しい外国人の若者ばかりです。日本の若者にとっては、祖父母はATM、親は自動チャージなので、「必要なお金はもらうのが当たり前」と思って育っているのです。
そのため、学生自身に、「アルバイトでお金を稼ごう」という意識が乏しく、苦学生などほとんどいません。家が貧しくても、自分で稼がず、奨学金にばかり頼るから、返済で後が苦しくなります。そもそも、いざとなった時、苦しい下積みに耐えて、逞しくサバイバルする生活力など、まるで育っていないのです。
まず、人に叱られたり、注意されたりしても、めげることなく、真摯に受け止めて、研鑽を続けることができる資質が、若者の心にまったく育っていません。つまり、その道の達人の厳しい指導に耐えられる若者がいないのです。
仕事で、上司や先輩に怒鳴られるのは、ごく当たり前だった時代は、昭和の遠い昔に終わっています。今では、堪り兼ねて怒鳴ったら、若い子は、すぐに辞めてしまいます。それどころか、パワハラで会社が訴えられ、お金を請求されます。
今日の最大の問題は、『仕事の上で肝に命じてほしい、単なる理屈や知識では済まない大切なことを、伝えるすべがないこと』です。なぜなら、彼らは、心で育てられていないからです。
すでに、親の世代がそのように育っているので、その下の世代は、その傾向がさらに強まっています。こうした教育不可能な若者たちには、伝統を受け継ぐ能力も、その伝統を発展させていく能力もありません。こうして、日本の技術や文化が滅びていきます。

だから、日本社会に外国人労働者が必要になります。日本の若者が、まったく働かないし、まったく使えないからです。親が、お金だけで子どもを育ててきた結果です。「子どもにお金をかけるのが、親の義務だ、当たり前だ」と、親も子も、祖父母も、狂った常識と世間体と強迫観念に支配されているためです。
だから、祖父母が「おれおれ詐欺」や「振り込め詐欺」に引っかかります。なんで、そんなにたくさん家に現金を置いてあるのか、そこも不思議ですが、なんでもお金で解決しようとするのが、そもそも正しいことなのでしょうか、お金をあげることが、本当に愛情なのでしょうか。
冗談ではありません。お金をたくさんあげて育てた子どもが、親思いで人の痛みのわかる子に育ったためしがありません。むしろ、手のつけられないほどわがままで怠惰で薄情に育つだけです。
お金がなくなって、もう子どもにあげられなくなった年金の少ない親は、子どもにとってはもう用無しの存在です。親が元気なうちは、自宅に放置した末に、いずれは老人ホームにお払い箱です。後は、死んで厄介払いするのを待っているのです。
逆に、親の年金だけを当てにして生きている50代のパラサイト・シングルは、親が死んだのを隠して年金をもらい続けようとします。
庇護する余裕のある親族がいないので、生活保護をあてにして生きている若者は、自分の〝病気〟が治りそうになると、怖くなって治療を打ち切ってしまいます。本当に治ってしまったら困るからです。
一方で、裕福な老人たちも、「保育園は子どもの声がうるさいから迷惑施設だ」「孫の世話も疲れるから御免こうむる」などと言います。だから、少子化が進んで、子どもの数が減っているのに、いくら増設しても、保育園が足りなくて、待機児童が減らないのです。
親も子も孫も、互いに迷惑な存在になってしまい、世の中、自分だけがかわいい人間ばかりです。
そのせいで、国が衰退していくのです。

本当なら、日本人が、きちんと働けば、この日本社会で外国人が働く必要など、実際はありません。日本人が役に立たないから、外国人が必要になるのです。役に立たない日本人を育てているのは、我が子をお金で育てる親たちです。
お金の苦労も知らず、人の情けも知らず、世間の怖さも知らずに育つので、人の痛みがわからない、怖いもの知らずの若者が増えています。そういう他者と生きられない人間は、いざ窮地に立たされると、自分のことばかりしか、考えられません。
「人は人、自分は自分」がモットーです。だから、いざとなったら、人のことなどどうでもよくなって、簡単に捨てられるのです。
「自分のことだけで精一杯」と言えば聞こえはいいですが、要は「自分は無理だから、自分じゃない、他の誰かが、その人を支えてあげればいい」「自分は無理だから、誰か他の人が、この国を支え、この国を立派な国にしてくれればいい」と考えているのです。
家族のために自分が稼がねばならない、一族のために自分が支えねばならない、みんなのために、国のために、誰かのために役に立つ人間になりたい、とは思いません。
彼らの多くが、生活の基盤である家や収入を、平気で家族や他人に頼りつづける、経済的・精神的に永久に自立できない大人になる可能性があるます。一部は、本当に、いわゆる寄生虫の〝クズ〟になります。中には、親子孫三代に渡って働いたことのない沖縄の基地地主のような大金持ちの〝クズ〟もいるし、二代目、三代目の社長という肩書きを持つ〝クズ〟もいます。
彼らは「自分は楽したいから、苦労はあんたがしてよ」という吸血鬼のような態度です。この煮ても焼いても食えない、良心を持たない〝クズ〟の増加が、パラサイト・シングルとかニートとか引きこもりの増加の背景にあります。

「人に寄り添うのは、天皇陛下の仕事であって、自分の問題ではない」と思っているのです。そんな身勝手な国民ばかりでは、陛下もたまったものではありません。
それでは、令和の日本を誰が支えるというのでしょう?

これが、日本衰退の最悪の元凶と私は考えます。

平成の親は、子どもたちにお金をあげすぎました。子どもにとっては「与えられるのが当たり前で普通」なので、どんなに恵まれた環境にあっても、それを有り難いとは感じません。
さらに、親たちは、子どもたちに、「役に立つ」とは「自分にとって役に立つこと」だと、教えてきました。そして、大切なことは、「自分がどんな利益を得られるか」だと、ひたすら、それだけを教えてきました。だから、子どもたちは、当然ながら「自分が何を得られるか」にしか、興味はありません。
ところが、彼ら子どもたち自身はというと、何かの役に立ちたい、惜しみなく与えたいという心が、まったく育っていないのです。
こうして育った、自分自身は、まったく誰の役にも立たない〝役立たず〟の若者たちが、「この世の中は自分にとってなんの役に立つのだろう」と、自分中心に考えているのが、いかにも滑稽です。
これでは、国は立ちゆきません。
令和の、これからの親は、もう、我が子や孫を、お金で育てるのはやめましょう。1歳から塾に通わせたりするのもやめましょう。子どもに「自分のことだけ考えなさい」「自分が得すること(勉強)だけ頑張りなさい」と教えるのをやめましょう。
例えば、博士号さえ取れば、研究さえしていれば、人生が開けると思っている愚かな若者たちを、減らさねければなりません。博士号なんて、どんなに貧しくとも、他人に評価されなくても、結婚できなくても、一生研究さえできれば幸せだと思っている人だけが、取れば良いのです。一人一人の好奇心こそが、国家の財産なのです。
これからは、我が子だけにお金をあげて「勉強しなさい」と言う代わりに、我が子ばかりでなく、すべてのこの国の〝子どもたち〟に、一生懸命、手をかけましょう、心をくだきましょう。
この国を滅ぼさないために。

令和の令の字は、令嬢、令息の令ですが、自分の娘や息子を令嬢、令息と呼ぶ人はいません。自分の子ではなく、他人の子どもを指して「ご立派な息子さんですね」という意味で、御令息などと言います。ある意味、令は、他人行儀で、よそよそしい言葉です。
それで、確かに、令和は、『立派な日本と、その素晴らしい調和』という意味には成っているとは思うのですが、しかし、その立派な国の美しい調和を構成する国民の中に、あなた自身は入っているでしょうか。
「立派な日本(令和)」が、日本人にとって、「自分じゃない誰か他人が立派にしてくれる日本」であっては困るのです。「自分じゃない誰かが生みだす調和」でも困るのです。自分(日本人)じゃない誰か(外国人?)が支えてくれる日本など、そう長くはもたないでしょう。末永く繁栄することはありません。
トランプや習近平やプーチンが、日本を支えてくれるでしょうか。アメリカ軍が、永久に日本を守ってくれるでしょうか。戦後、アジア各地で、多くの日本兵がそうしたように、危機が訪れた時、日本のために、アメリカ兵が喜んで命がけで戦い、血を流すでしょうか。
また、多くの日本人が戦後、人生を賭けて、身を削って他国の復興に力を尽くしてきたように、中国や韓国もまた、日本が窮状に陥った時、かつての恩を感じて、身を呈して真心から助けてくれるでしょうか。
あるいは、日本が、これからも、律儀に分担金を拠出し続け、国連のATMになり続けて、それで、世界が日本に敬意を払うでしょうか。国連が、いざという時、無条件で日本を救ってくれるでしょうか。
さらには、日本が、これまで金銭的にも技術的にも援助し続けてきたアジア・アフリカの国々が、日本が倒れる時、命がけで支えようと手を差し伸べるでしょうか。
私は、そうは思いません。金をあげても、都合よく利用されるだけです。心の底では馬鹿にしているのです。世界は、私たちが考える以上に病んでいます。
だから、本当に頼れる者は、この国を救えるのは、私たち日本人自身だけだと思うのです。

それでも、日本兵が、現地の人々と分け隔てなく、同じものを食べ、同じ場所に寝て、現地の人々と苦楽を共にしたパプアニューギニアでは、現地の人々が、今でも深く日本人を敬愛し、信頼しています。ペリリュー島(パラオ)も含めて、そいいう日本人への絶対の信頼を抱き続けている地域は、太平洋域に数多くあります。

結局、この国を立派にするのも、この国の社会に調和を生み出すのも、この国を支えるのも、私たち日本人自身なのです。

やがて、親の庇護が失われ、親の残したお金が尽きた時、お金で育てられてきた平成の子供たちは、これから押し寄せる令和の厳しい時代を、果たして生き延びることができるでしょうか。
依って立つものが何もない場所で倒れたところで這い上がる気力もなく、たった一人で不確実で見通せない未来に向き合う勇気もなく、裸の心で互いに支え合うことも教えられていない、世界に対する好奇心もなければ、この世界に実現したい夢を描くことも知らない、祈ることも信じることもわからない平成の子供たちが、何を支えに生きていけるというのでしょう。

●子どもの未来、この国の未来を想うなら、子どもをお金で育てないこと、そして、子どもにお金を残さないことです。
そのために、あなた自身のこれまでの生き方を、今こそ問い直すべきです。お金のもたらす〝安心〟は、本当にあなたの人生を豊かにしてくれましたか。悔いのない人生を送ってくることができましたか。
今のあなたの子どもの無気力で頼りない姿が、その答えなのです。

以上が、私が、令和元年に、もっとも切実に感じている危機感です。
世界は、私たちが想像する以上に、混乱と不毛と虚無の極みにあり、海の向こうには、ここよりさらに殺伐とした薄っぺらい世界が広がりつつあります。
けれども、日本もまた、有史以前から続く1万年の奇跡の守りを、失いつつあるのではないでしょうか。この日本の社会も、内なる見えないところから、今にも崩壊しようとしているのではないか、とひしひしと感じずにはいられません。
なんとか、持ちこたえたいものです。

●この国の未来に好奇心と責任を感じる国民を育てること。それが、この国の未来をつくることです。



*日本では、若者が働かない代わりに、60代、70代の人たちがたくさん働いています。働くのが生きがいで、仕事や仕事場に愛着が深い人たち、自分が尽くしてきた会社への愛情がある人たちが多いからです。
逆に、中国では、60代以上の人たちが働くことは、ほとんどありません。だから、日本に来ている中国人は、60代以上の日本人が普通に働いていることに驚きます。
それから、中国人の若者がよく働くのは、早く結婚したいから、でもあります。中国では、結婚する前に、男は家を買い、女は車を買います。そうして〝巣〟を作るのです。
逆に言えば、家の買えない男は、結婚相手が見つかりません。そう言う点では、なんだか、中国の女性は、男と結婚したいのか、家と結婚したいのか、よくわからないところもあります。また、一人っ子政策が続いていたせいで、若い人の男女の人口比率が偏っていて、女性の数が少ないので、男女関係の需給バランスが圧倒的に女性に有利なのです。そのため、家を持たない男性と結婚するなんて考えられない、と思う女性の数は減りません。
その一方で、中国では、土地はすべて国家の所有に帰するもので、個人が所有することはできません。それに、北京や上海ではマンションの価格も、東京より上です。だから、中国人は、東京のマンションを購入し、沖縄や北海道の土地を買いまくっているのです。それで、沖縄の離島にも、土地バブルが起こっています。
これを放置すれば、遠からず、日本の土地は、日本人のものではなくなるでしょう。