以前、別の記事で、日本で少子化が進んでいるのは、結婚率が低下し、晩婚化しているからで、その原因は、家庭も子どもも恋人も欲しがらない若者たちが増えているためだということを記した。

しかも、それは経済的な理由からではなく、彼らは、そもそも結婚に興味がなく、異性とつきあうこと自体〝面倒くさい〟と感じているからだと指摘した。

今回は、その続きを論じてみたい。

 

「現代の若者は、なぜ家庭をつくることや異性とつきあうことに興味を持てず、面倒に感じるのか?」

人間は誰しも幸せになりたいと思っている。なのに結婚したくないのは、結婚に夢を持てないからだ。異性とつきあう気になれないのは、恋愛で幸せになれると思えないからだ。彼らにとっては、他者と深く関係を結ぶことが喜びではないのだ。

ある意味、人間不信の極みである。自分自身についても、人と愛情を育むことができる人間だとは信じていないということでもある。

 

しかし、自分が家族から愛されなかったなら、かえってなおさら強く愛を求めるようになるのではないだろうか?

せめて自分は愛情に満ちた家庭を築こうと思うのではないだろうか?

なぜ、そうならず、陰々滅々の方向へ振り切れてしまうのだろうか?

 

それは、おそらく彼らが生まれた時から、嘘しか言わない家庭で育ったからではないかと私は思う。その家庭に愛があるかどうかはわからない。ただ、もし彼らが家庭で互いに本心本音を言い合ったら、ほとんどの家庭が崩壊していただろう。

そして、日本の離婚率はフランスを飛び越えて振り切れることだろう。

しかし、現状、そうはならず、この国の家庭の多くは、嘘と沈黙、策略と不干渉によって、かろうじて維持されている。

互いに本音を口にすることなく、なんとなく〝かたち〟だけは維持されている、そのような家庭で育った子どもたちは、親の言葉に何一つ〝本当のことがない〟ことを、本能的に見抜いている。そして、家族の言葉が信じられず、家族の愛情も実感としてわからないまま成長し、自分自身、嘘しか言えない大人になる。

泉谷しげるの「春夏秋冬(※)」ではないが…。

「夢のない家を出て愛のない人に会う。」というわけだ。

 

彼らは人と心で繋がるすべを知らない。そして、誰かを愛することもない。

彼らが関心を持つのは、自分のことだけである。

だから、異性とつきあうのも、家庭をつくるのも、彼らには何がそんなに良いのかわからない。

彼ら自身にはそういう欲求がまったくないからだ。

そのように彼らを不自然な生き物に育てたのは、見栄っ張りで嘘つきの親たちだ。

とは言え、もうすでに大人なのだから、それは彼らの自己責任でもある。

本当に幸せになりたいなら、「人は独りでは幸せになれない」ということに、彼らは青年期に気づくべきだった。

そして、親の生き方や価値観と決別し、自らの生きる道を自分で選んで歩み始めるべきだったのだ。

 

アーシュラ・K・ル・グィンが短編小説で描いた「オメラスから歩み去る人々(※※)」が生まれ育った都を後にするように。

 

そして、あなた達は、親の価値観を捨て去ろうと引き継ごうと、いずれにせよ、遅かれ早かれ、上記のような事実を、つまり、「嘘がどれほど人間精神を蝕んでいくか」を、年を経るごとに身に沁みて感じるようになるだろう。

古代ギリシャのサモス島の賢人にして〝自然哲学の父〟ターレスが次のように言うのはまったく真実である。

「一番賢いものは時である。というのも最も秘められた物事を暴くからである。」 

また、同時期のアテネの立法者にして放浪の賢人ソロンの言葉にも同様のものがある。

「生涯の終わりに達していない人の幸せについて、人は判断を下すことができない。人が幸福であると言い切るためには、結末を見ることが何より大切である。神様に幸福を垣間見させてもらった末、一転して奈落に突き落とされた人はいくらでもいる。」

これもまた、まったく真実である。

嘘しかない人生の最後は、必ず惨めなものとなるだろう。

 

 

 

※春夏秋冬⇨本人の作詞作曲による泉谷しげるの代表曲で1972年に発表された。歌詞に「季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち、夢のない家を出て、愛のない人に会う」とある。

 

※※オメラスから歩み去る人々⇨アメリカの作家アーシュラ・K・ル・グィンが1975年に発表した短編小説で、処女短編集「風の十二方位」に収録されている。架空の幸せの都オメラスでは、不幸せな見捨てられた状態で監禁されている子どもがいる。そのたった一人の子どもの犠牲を代償にオメラスの幸せは成り立っている。その子どもに手を差し伸べ解放したならば、オメラスの繁栄は終わりを迎えて、この都は滅んでしまうのだ。だから、この街のすべての人は、自分たちの幸福が、この子供の不幸の上に成り立っていることを知っている。子供たちは、適当な年齢になると、親など大人に連れられて、この牢獄の中の子どもを見せられる。幸せに育っている子どもたちは、この不幸な子どもを見て、驚き、嘆き悲しみ、後ろめたい気持ちに苦しむ。しかし、やがて、そのショックを克服し、何の犠牲もない幸福などないのだと自らに言い聞かせ、その分、かえってこの都の幸福を大切に思うようになる。

ところが、この幸せの都から、去っていく者たちもいるのだ。彼らは、大抵、誰にも相談することも、別れを告げることもなく、ある日、1人きりでこの都を後にする。少年や少女もいれば、大人の場合もある。不思議なことに、彼らは皆、自分の行先を知っているようなのだ。彼らはためらうことも、惑うこともなく、しっかりとした足取りでオメラスから歩み去る。

 

 

 

スティーブ・ジョブズは自身がリード大学を6カ月で中退しているせいもあってか、大学の卒業式に招かれてスピーチを行ったのは、生涯に一度だけである。それが2005年のスタンフォード大学における卒業式でのスピーチだ。

この有名なスピーチはYouTubeでも英文及び日本語訳付きで全編が公開されている。したがって、聴きたい人は誰でも聴くことができる。

ただし、このスピーチで彼が伝えたかったことの中身は、非常に簡潔でユーモアとウィットに富んだ言葉で語られているにも関わらず、実はかなり難解で意味が深い。

この記事では、スティーブ・ジョブズが卒業生たちに伝えたかったこと、その内容について少し掘り下げてみたい。

全部で13分ほどの短いスピーチの中で、彼は3つのことを話している。

 

第一のテーマで彼が伝えたかったことを一言で表すと次のようになる。

「これが自分の役に立つのか?」何のために、これをやるんだ?」「これは自分にとって何の意味があるんだ?と問うなかれ、ということだ。

「何の役に立つのか?」なんて、そんなことは考えても意味がない。なぜなら、人間には、自分の未来において何が役に立つのか、前もって判断することは不可能なのだから。

人間に、そんな予知能力はない。だから、逆に言えば、「あなたの未来のために、これが必要だからやりなさい」と誰かに押し付けられた作業(苦役)で、貴重なあなたの今の時間を費やしてはならない。

具体的に言うなら、「あなたの将来のために、この勉強をしなさいこの学校に行きなさい)」という大人のもっともらしい言葉に騙されてはならない、ということだ。なぜなら、大人たちは、あなたの未来のために何が必要か、本当は何もわかっていないのだから。

しかし、「こんな勉強が何の役に立つ?(いや、何の役にも立たない!)」と一方的に拒絶するのも浅はかで間違っているかもしれない、とも言える。

物事は常に多面的である。

 

第二のテーマで彼が伝えたかったことは次のようなことだ。

未来に必要なことなど誰にもわからない。だから、今、あなたが本当にやりたいことをやりなさい。夢中になれることをしなさい。そして、心に幸せを感じられる時間を過ごしなさい。

もし、あなたが、やりたくもない、でも、自分の将来のために必要だからやらねばならない(と信じ込まされている)こと(例えば受験勉強など)で、自分の時間を埋め尽くして、味気ない生活をしているなら、やがては自分の人生そのものを愛せなくなってしまう。自分の人生を愛せない人は不幸な人だ。

そうならないように、人生を愛せる人になるために、やりたくないことなどやるのはやめて、充実した時間をおくりなさい。

立ち止まることなく、好きなものや人、夢中にさせてくれるものや人を探し続けなさい。

そして、諦めずに幸せを掴みなさい。

「喜びのない日常の連続は不幸をもたらす」ということだ。

 

そして、第三のテーマでジョブズが伝えたかったことは、ちょっと難しいが、次のようなことだ。

自分の寿命が今日1日しかないとしても、あなたは今日予定していたことを、それでもやるだろうか?

自分にそう問いかけた時、「いや、こんなことはしない」と思うとしたら、それは、自分にとって、あまり大切なことではないということだ。そのように感じることは、初めからしない方がよい。

ただし、これは、『自分の寿命には限りがある』と本当に自覚しない限り、わからない命題である。

自分の時間がそれほど多くないと知っている人は「はたしてこれは、残り少ない自分の時間を費やして良いことだろうか、その価値はあるのか?」と自然に自問自答するものだ。

実際、迫り来る死と向き合った時、その不安や恐怖の前には、世の中のたいていの瑣末な雑事は何の意味もなくなる。これは味わった人しかわからないだろう。

だが、考えてみれば、人間の人生など、いつ終わるか、誰にもわからない。その意味では儚い命である。だからこそ、愛おしい。

限りある命だからこそ、人生を愛しむべきだ。

人は幸福にならねばならない。

死の直前まで、その渇きを満たすために求め続けなさい。

 

ジョブズは、上記のような助言を若者たちに遺した。

世界は、人と違う何かを持ったあなたを必要としている。もし、あなたが人と同じであるなら、あなたの代わりはいつでも用意できる。だが、誰とも異なるあなたに代われる人はいない。あなたの存在は、この世で唯一無二であるのだから。

27クラブの一人でもあるアメリカのロック・ミュージシャンのカート・コバーンは次のような言葉を遺している。

人と違う私を皆は笑うが、私は人と同じ皆を笑う。』

かけがえのないあなただけの人生を大切に生きて欲しい。

 

 

 

貧困、学力、就職、地域などの格差の問題、さらには虐待、いじめ、育児放棄、介護の問題、はたまた災害や自殺や民俗紛争やパンデミックの被害などを論じるとき、「これは自分の問題ではなく、自分とは関係のない誰かの問題だ」と思う人は多い。

すべては他人事である。

なぜなら、彼らは貧困を、虐待を、差別を、感染を、紛争を知らないから。そして、知ろうとすらしてこなかったから。

さらにその根本原因を言い表わすとすれば、「それらの問題が、彼らの『関心領域』になかったから」と言うことができる。

同じ理由から、アウシュヴィッツの壁の隣で、収容所長ヘスとその一家は、富裕で安全で楽しい、満ち足りた生活を送ることができたのだ。

 

この国でも、戦中戦後生まれのうち、高度成長期に経済的に安定した家庭を築き、教養と学識ある親となった者たちこそが、我が子に「人のことは気にしないでいいから、自分のことだけを考えなさい」と教え、育ててきたのではないか。

だから、そのような既得権益を持つ、家柄の良い富裕な親たちによる利己的な教えで育ち、自分のことだけにかまけて、一生懸命に勉強して、大人になった次世代の為政者や役人や学識者たちにとっても、貧困も格差もいじめも死も、ますます自分たちの問題ではないのだ。これは負のスパイラルである。

彼らは、弱者を自分とは別世界の哀れな遠い存在と見做しながら、ごく自然に無意識に賤しみ軽んじ侮蔑している。

だから、世の中は何も変わらない。綺麗事は言っても、本心では変えようという気がないからだ。

たとえ隣人が餓死しかけていても、「私の問題ではない」と彼らは無視できるのだ。

 

しかし、本当に、そうだろうか。

本当に無視していいことなのか?

 

アメリカの文豪マーク・トウェインは『王子と乞食』の最後で、若い頃、ひょんなことから、こじきの子トム・カンティと入れ替わって貧乏の辛酸を舐めたエドワード王が民に善政を行ったと記した。大臣らが「陛下、さすがにそれはやりすぎでは」と異議を申し立てると、悲しそうな目を向けて、「貧困について其方たちに何がわかる」「わかっているのは民と私だけだ」と述べたと。

このエドワード王の言葉は、若い頃に苦労したマーク・トウェイン自身の言葉だと思う。

わからない(知らない)ということは、例えようもない悲劇であり、罪でさえある。

「知らないから何も感じないし興味もない」で済ませられては困るのだ。

マーク・トウェインの言いたいことは、そういうことだ。

 

イギリスの詩人ジョン・ダンは、やはり、若い頃、カトリックに対する宗教的迫害を受けて、とても経済的に困窮し、裕福な友人たちの援助に頼っていた時期があった。後年、国教会に改宗し司祭となって、セント・ポール大聖堂の主席司祭に出世した。

しかし、若い頃の苦労があったからこそ、『誰がために鐘は鳴ると問うなかれ』の詩が書けたのだと思う。

波に砂がさらわれてゆく。それによって大陸が欠けていくように、その砂(失われた命)は見知らぬ誰か(の命)ではない。欠けていくのはあなた自身なのだ。

死を弔う鐘は、あなたの知らない誰かのために鳴っているのではない。鐘はあなたのために鳴っているのだ。

ジョン・ダンはそう書き遺した。

 

この世のあらゆる問題の原因は、自分とは関係ない誰か他の人たちにあるのではない。

問題の原因は、私自身にあり、あなた自身にある。

そこから目を逸らせてはならない。

この世に「あなたに関係のない問題などない」のだから。

マーク・トウェインやジョン・ダンの言いたいことは、そういうことだ。

 

 

 

 

21世紀初頭まで、鳥類の起源は、1億5000万年ほど前に恐竜から派生した始祖鳥(アーケオプテリクス/全長50cm)であると言われてきました。1860年に、ドイツのバイエルン州の後期ジュラ紀の地層から最初の化石が発見されて以来、150年の長きに渡って「始祖鳥は鳥類の祖先である」と考えられてきたのです。

しかし、現在では、「始祖鳥は鳥類の祖先に近い生物ではあっても、直接の祖先ではない」と考えられています。より正確に言うと、2010年頃までに、「鳥類」という用語について「鳥類⇨現生鳥類(新鳥類)の最も近い共通祖先とその子孫」という定義が定着したことで、「始祖鳥は『鳥群(=鳥翼類⇨原鳥類に属する羽ばたき飛行可能な翼と羽毛を持つすべての恐竜とその子孫である鳥類)』には含まれるが『鳥類』には含まれない」という見解が古生物学会の定説となったのです。

つまり、名前の意味するところに反して「始祖鳥は鳥類の始祖ではない」ということです。

 

ちょっと話がややっこしいので順に説明していきます。

まず、大きく恐竜の系統図から考えると、恐竜を骨盤の形から「鳥盤類」と「竜盤類」の二つに分けて分類した場合、長い間、鳥類は「鳥盤類」の系統とされていました。

しかし、現在では、鳥類は、アメリカのコロラド州の後期ジュラ紀の地層から発見されたステゴサウルス(全長7m/装盾類)、前期白亜紀のイグアノドン(全長8m/鳥脚類)、後期白亜紀のトリケラトプス(全長9m/角竜類)やアンキロサウルス(全長9m/装盾類)など、外見に目立つ特徴があることから、一般に人気のある種の多い四足歩行の草食恐竜の系統である「鳥盤類」ではなく、後期白亜紀のティラノサウルス(全長13m)など、典型的な大型肉食恐竜の系統を含む「竜盤類」から派生した種であることがわかっています。

 

また、「竜盤類」は、「竜脚形類」と「獣脚類」という二つのカテゴリーに分かれます。

このうち四足歩行の「竜脚形類」は、後期ジュラ期のアパトサウルス(全長26m)やブロントサウルス(全長21m)やブラキオサウルス(全長27m)、後期白亜紀のアルゼンチノサウルス(全長36m)やアラモサウルス(全長30m)など、地球史上最大の陸上生物とも言われる大型草食恐竜の系統です。

一方、二足歩行に特徴のある「獣脚類」には、上記したティラノサウルスの他にも、中期ジュラ紀のメガロサウルス(全長8.5m)や後期ジュラ紀のアロサウルス(全長8.5m)、後期白亜紀のスピノサウルス(全長14m)などの大型肉食恐竜の系統が含まれますが、それ以外にも、鳥の祖先(原鳥類)を含む小型肉食恐竜の系統が含まれます。

 

さらに獣脚類の中の「原鳥類」は、全身の羽毛と鉤爪と(主に原始的な)翼を共通の特徴としており、「鳥群(鳥翼類)」と「デイノニコサウルス類」の二つに分類されます。

このうち「デイノニコサウルス類」は、二足歩行で疾走する恒温性の羽毛恐竜の仲間で、束状に強化された尾に特徴のある後期白亜紀の「ドロマエオサウルス科(走るトカゲ)」の羽毛恐竜(全長2m)と、鳥類に最も近い脳を有し脳容量が中生代で最も大きかったとされる後期白亜紀の「トロオドン科」の羽毛恐竜(全長2m)の系統を含みます。

 

一方で、現生鳥類の系統を含む「鳥群(鳥翼類)」は、上記したように「原鳥類に属する羽ばたき飛行可能な翼と羽毛を持つすべての恐竜とその子孫である鳥類(2001)」と定義されています。

より正確に言うと、大型で第二指の鋭い鉤爪と全身を覆う羽毛を持ち、二足歩行で疾走する前期白亜紀の恒温性肉食恐竜デイノニクス(全長3.5m/原鳥類ドロマエオサウルス科)や同じく後期白亜紀の疾走する二足歩行の羽毛肉食恐竜であるステノニコサウルス(全長2.4m/原鳥類トロオドン科)などを含む『「デイノニコサウルス類」より現生鳥類に近いすべての獣脚類』が、「鳥群(鳥翼類)」には含まれています。

 

また、「鳥群(鳥翼類)」のカテゴリーは、さらに「古鳥類」と「真鳥類」に分かれます。

「古鳥類」には、後期ジュラ紀のアンキオルニス(全長40cm「ほとんど鳥」)や始祖鳥(アーケオプテリクス)、前期白亜紀の孔子鳥、そして、白亜紀(前期〜後期)に多様に発達・進化した「エナンティオルニス類」が含まれます。

ただし、最近の学説では「始祖鳥や孔子鳥は羽ばたいて飛行する能力はなかった」と考えられており、そうすると、始祖鳥と孔子鳥は「古鳥類」にも「鳥群」にすらも含まれず、原鳥類でもデイノニコサウルス類に近い種ということになり、「古鳥類」に含まれる種は、羽ばたき飛行可能な「エナンティオルニス類」のみということになりそうです。

「エナンティオルニス類」は、現生鳥類とは異なり、クチバシに歯を、前足(翼)には指と爪を残していましたが、大洋を渡る飛翔力を有しており、汎世界的に分布した最初の(歯のある)鳥(全長1m)となりました。事実、エナンティオルニス類の化石は、南極とアフリカを除くすべての大陸で発見されています。

しかし、最初に述べたように、エナンティオルニス類を含めてすべての古鳥類は、白亜紀末のK-Pg境界に絶滅しており、現生鳥類の直接の祖先ではないので、「古鳥類」は「鳥群」には含まれますが「鳥類」のカテゴリーには含まれません。

 

さらに「真鳥類」には、「現生鳥類(新鳥類)」と、現生鳥類に極めて近縁で現生鳥類との共通の祖先から分岐したと考えられる「ヘスペロルニス類」と「イクチオルニス類」が含まれます。

「ヘスペロルニス類」は、最古の潜水鳥類(全長1.8m)として知られており、恐竜類としては初めて海洋に進出した種です。ただ、ヘスペロルニスの翼はペンギンのように小さく退化してしまっていて、飛ぶことはできなかったようです。

「イクチオルニス類」は、ヘスペロルニスよりもはるかに小型で長いクチバシを持つ水鳥(全長20cm)です。イクチオルニスの翼は長く発達しており、羽ばたき飛行ができました。

この二つの種、「ヘスペロルニス類」と「イクチオルニス類」は、共に、北半球に広く生息していたクチバシにギザギザの歯を持つ水鳥ですが、白亜紀末に他の恐竜種と共に絶滅し、その子孫は残っていません。ですから、この両種も「真鳥類」ではあっても、現生鳥類(新鳥類)の直接の祖先(鳥類)ではありません。

つまり、鳥類という種は、6550万年前のK-Pg境界絶滅イベントを生き延びた恐竜の唯一の系統群なのです。

 

では、最古の鳥類と言える生き物(現生鳥類の最も近い共通の祖先)は何なのでしょうか。

2月5日のネイチャー誌に、「最も古い現生鳥類の頭部の化石が南極大陸で発見された」と発表されました。これは、直径10㎞を超える巨大隕石チクシュルーブのユカタン半島への直撃(6550万年前)で恐竜が絶滅する前、6800万年前(白亜紀末)に生息していたヴェガヴィスという名の絶滅種の水鳥(全長80cm)の化石です。今回発見された頭蓋骨によって、ヴェガヴィスが現生の水鳥に近い生き物であったことがわかってきました。

当時、南極大陸は冷帯の森林地帯で、水鳥の生息に適した環境だったそうです。この歯のない尖ったクチバシを持つヴェガヴィスは、南極大陸という僻地で、北半球(ユカタン半島沖)への巨大隕石落下後のカタストロフ(大量絶滅)を生き延び、現生鳥類(新鳥類)の一系統(カモなどの水鳥)の先祖の一つとなった可能性があると考えられています。

そこから、おそらく、このヴェガヴィスは、最古の鳥類に繋がる系統の一つであろうと思われます。そして、もしかしたら、南極こそが、すべての現生鳥類の故郷かもしれないのです。

というのも、南極以外の土地で白亜紀末に繁栄していた鳥類は、歯と長い尾などを持ち、現生鳥類とはかなり違った奇妙な生き物(エナンティオルニス類など)であり、そして、そのほとんどすべてが巨大隕石の衝突による環境激変によって滅びたと推測されているからです。

K-Pg境界絶滅イベントを生き延びた恐竜は、当時、南極大陸に生息していた鳥類だけだった(?)」ということは十分にありうることです。

ただ、残念ながら、現在、「最古の鳥類(現生鳥類の最も近い共通祖先)は何か?」という疑問に対する明確な答えは判明していません。

今のところ、ヴェガヴィスも、最古の鳥類の候補の一つに過ぎないのです。

 

さらに、もう一つの有力な説として、「最初期の鳥類ではないか?」と議論されているのは、1億6000万年前(ジュラ紀)の地層から発見された始祖鳥よりも原始的な鳥群(鳥翼類)の種であるアウロルニス・シュイです。2013年に中国遼寧省で発見された羽毛を持つ恐竜の化石を、地元のディーラーから研究者のパスカル・ゴドフロアが購入しました。しかし、はたして、この種から本当に現生鳥類が進化したのか、あるいは化石が偽造ではないのか、研究者の間でも判断が難しいようです。

実際、鳥群(鳥翼類)には、アウロルニスだけでなく、アンキオルニスや孔子鳥やクラトナビスのように、中国の地層でしか化石が発見されていない種も多いのです。これらが、偽造化石かホンモノか、判断するのは、研究者たちにとっても、なかなか困難なようです。

私としても、アウロリヌス含めて、中国の遼寧省などで、研究者によって発見されたのでなく、農夫など素人が発見したものとして、ディーラーによって商品として取り扱われていた化石は、人工物である可能性が高いと感じざるを得ません。

今月13日にネイチャー誌に掲載された福建省で発見されたとされるジュラ期の鳥類と思われる化石についても、これは研究チームによる発見だそうですが、それでも疑惑はあると思ってしまうのです。

始祖鳥の発見された年代より2000万年も前の中期ジュラ紀の化石が、現生鳥類の特徴を有しているというのが、簡単には納得がいかないわけです。

世紀の大発見か、手の込んだ捏造なのか、誰かの作った人工化石が歴史になってしまうのか…。

 

◎恐竜⇨竜盤類⇨獣脚類⇨原鳥類⇨鳥群(鳥翼類)⇨真鳥類⇨現生鳥類(新鳥類)⇨ヴェガヴィス

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⇨ヘスペロルニス類

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⇨イクチオルニス類

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⇨古鳥類⇨始祖鳥(アーケオプテリクス)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⇨エナンティオルニス類

・・・・・・・・・・・・・・・⇨デイノニコサウルス類⇨ドロマエオサウルス科⇨デイノニクス

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⇨トロオドン科⇨ステノニコサウルス

・・・・・・・・・・・⇨メガロサウルス・アロサウルス・スピノサウルス・ティラノサウルス

・・・・・・・⇨竜脚形類⇨アパトサウルス・ブロントサウルス・アルゼンチノサウルス・アラモサウルス

・・・⇨鳥盤類⇨ステゴサウルス・イグアノドン・トリケラトプス

 

◎K-Pg境界絶滅イベント⇨顕生代における5大カタストロフのうち、最後のもので、中生代白亜紀と新生代の境目で起きた大量絶滅事件で、恐竜、翼竜、首長竜、モササウルス類、アンモナイト、厚歯二枚貝が絶滅したほか、海洋のプランクトンや植物類含めて、生物全体で種の75%が絶滅し、個体数では99%以上が死滅した。

この大量絶滅の引き金になったのは、顕生代では最大規模の隕石落下(3大インパクトの最後)とされるユカタン半島沖への直径10Km以上の超巨大隕石の衝突であった。この時の痕跡は既存のクレーターとしては3番目に大きい直径177Kmのチクシュルーブ・クレーターである。しかし、衝突当時のクレーターの直径は300Kmにも及んだとされる。そして、衝突時のエネルギーは広島型原爆の58億倍と推定されている。

さらに、この隕石衝突によって、大規模な酸性雨が起こったことがわかっている。

 

今日、たまたま、沖縄市コザにある戦後日本初のショッピングモールとして1954年にできたプラザハウス・ショッピングセンター(ロージャース)で、ハラミちゃんが演奏していました。
最後に聴いたビートルズのヘイジュードは、これまで聴いたことのないアレンジで、熱のこもった素晴らしい演奏でした。
サプライズだったらしく、聴いていたのはほんの十数人。偶然のラッキーな出会いでした。