日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、 国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


日本国憲法の前文の全文を上記した。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい(そんな国際社会がどこにある?)」

「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない(どこも自国の国益を最重視だろ!)」

「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる(信じるのは勝手だが…。)」

等々、確かに「崇高な理念」が記されている。

ここで記されている「われら」とは誰か、「名誉ある地位を占めたい」とは誰が占めたいのか、「信ずる」とは誰が信じるのか。

当然、その主体は、憲法をつくった人々であり、その人々とは、この国の主権者である国民自身、あるいは、その代表者ということになっている。

この点については、上記の前文に以下のように記してあることからも明らかである。

「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」

「これ(国民主権)は人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである」

「われらは、これ(国民主権の原理)に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」


しかし、上記の前文の内容は、本当に、日本国民の総意であると言えるのか。実は、一度たりとも確かめられたことがないのである。

そう考えると、上記の前文は、壮大なフィクションであり、誤解を恐れずに言うならば、重大なごまかしの上に成り立つ砂上の楼閣である

特に問題をはらむのは、以下の部分である。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

理念は素晴らしい。

『あらゆる国家、あらゆる民族が平和を愛しており、それらの国々の公正と信義は信頼に足る』

『だから、この国に攻めてくる脅威は存在しないと信頼し、われらは武装せずとも安全であり、われらの生存は恒久的に保持できるという考えに基づいて国家を形成・運営しようと決意した』

こうした前文の精神に基づいて、「戦力を持たない」「交戦権を保持しない」という、前代未聞・空前絶後の憲法9条が生まれた。

クェーカーやアーミッシュなどといった信仰共同体であれば、そのような宗教的決意もあり得るだろう。しかし、雑多な主義・信条・信仰を有する日本国民が、総意として本当に上記の崇高な理想を深く自覚したのか、そして、その理念に殉じると「決意した」のか。さらには、それを誰がどうやって確認したのか。実は誰も知らないのである。

そこに問題がある。


一番重要な問題は『信頼には常にリスクが伴う』という事実である。

はたして、われわれは、今日、真実、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できるのか。

日本の周辺国であるロシア、中国、北朝鮮、韓国、アメリカについて、われわれは本当に信頼できるだろうか。

この点に関して、個人の理念として「信頼できる」と「決意する」のは、信条として立派である。

しかし、国の最高法規として、根拠もなく「信頼できる」と「(日本国民は)決意する」と記したのは、いささか軽率ではなかっただろうか。

その「信頼」が破られた時のリスクを負うのは国民である。であるなら、この前文の内容は、真に国民自身が「信頼できる」と決意したものでなければならない。

戦力を持たず、交戦権もなく、外国によって日本の国土と国民が蹂躙され、占領・支配・亡国の憂き目を見たとしても、それが自ら決意した結果であれば、自己責任で自らの信条に殉じたわけであって、同情の余地はない。

しかし、実際には、上記の前文の問題点について、国民的な議論がなされたことは一度もない

それはなぜか。

最大の問題は教育にある。


この国の教育には、伝統的に「書かれたものは信じる」という文化がある。特に権威ある文章については無批判に信じる傾向がある。

この国の憲法学者は、憲法を批判的に論じることなく、憲法という権威を高めることに努めることで、自らの権威を高めるのだ。

言い換えれば、この国の憲法学者は、本質的には国民主権を信じていない。国民が憲法を批判し、議論し、変えていくことを良しとせず、むしろ、国民の意思の上に憲法を置こうとするのだ。

その意味では、憲法学者にとって、日本国憲法は宗教的な『聖典』のようなものである。

この憲法の内容、特に「前文」などは、『人類の普遍的な理念を記したものであり、永遠不変の理念であるから、主権者である国民といえども変えることはできない』と主張する学者さえいるようだ。

そうなると、憲法の内容は、まったく議論の対象にならない。この国の学者・教育者・メディアは、そうした『決して憲法を批判しない』という態度を貫いてきた。

だから、最近になって、ようやく憲法9条を問題視する人は増えてきたが、「前文にこそ、根本的な問題がある」と批判する人は、いまだにほとんどいないのではないだろうか。

これこそが『憲法前文の呪い』である。


この呪いを解き、憲法前文及び第9条を改正しない限り、この国では『独自核武装の是非についての国民的な議論』が、現実的なものにはなり得ないし、そうである以上、この国の平和と安全を保持することは、現実的には不可能なのである。

なぜなら、わたしたち(日本国民)は、自国ファーストが当たり前の今日の情勢において、もはや周辺国(米露中韓北)の公正と信義を信頼していないからだ。

周辺国のほとんど(米露中北)は核武装しているし、韓国でさえ、独自核武装の是非についての国民的議論がある。

そして、我が国の経済力は、かつてのように東アジアにおいて圧倒的な巨人ではない。

それどころか、中国経済は既に我が国の3倍の規模を有しており、中国・韓国・台湾には先端技術産業で後塵を拝し、資源大国ロシアのような経済の自立性も持ち得ない。

今日の日本は、経済的にも軍事的にもあまりにも脆弱な国家である。

そして、経済も軍事も、丸ごとアメリカに依存している。

しかも、この依存は、日本国民が、アメリカの公正と信義に信頼して、われらの平和と安全を保持しようと決意した結果というわけではない。

何の理念も信条も独立心も対等の意識も意地もなく、ただアメリカの策略に対して無抵抗・無防備に全面依存しているだけである。

このような他律的で脆弱な国家は、周辺状況の変化によって、簡単に滅びてしまう。例えば、この国は遠からず中国に飲み込まれてしまうかもしれない。

そうしたどうしようもない依存性と他律性が、今日の日本国の情けない姿に目立つ特徴であり、その国家の姿は、主権を有する日本国民自身の貧弱な姿の反映でもある。

上記のような現状の日本の危機を招いている元凶の一つが〈前文の呪い〉なのである。


最後に、この呪いを打ち破る言葉を記そう。

「書かれたものを疑え!」

「権威を疑い、自分で考えてみよう。」

「一身独立(自立)して一国独立す(福沢諭吉)」


われわれ(日本国民)は、亡国を回避し、独立した国家として平和と安全を保持するために、前文と9条を捨てて、最小限の独自の核抑止力を持たなければならない

その第一歩として、われわれ個人個人が、依存心を克服して精神的に自立しなければならないだろう。

親に依存しないように生活し、権威に依存しないように思考しなければならない











昭和の魅力とは何か?

令和の昨今、昭和は〈エモい〉とか言われて、昭和を知らない世代の若者たちにもてはやされています。

昭和と言っても、その期間は非常に長いわけですが、例えば昭和30年代(1955〜1964)から昭和40年代(1965〜74)にかけての活気に満ちた高度経済成長期などは、昭和を生きた我々から見れば、エネルギッシュで希望に満ちている明るいポジティブなイメージがあります。が、やはり、その当時の風俗や文化は、現代の若者たちから見れば、古すぎるというか、ついていけないというか、ある種の文化的な断絶(距離)があるようです。

それよりも、その後の昭和50年代(1975〜1984)から昭和60年代(1985〜1989)にかけて、経済大国となった日本の工業力が世界を制していた繁栄の頂点とも言える昭和末期の時代の風俗・文化が、現代の若者にとっては〈昭和レトロ〉として非常に新鮮に魅力的に映っているようです。


つまり、現代の若者たちにとって魅力的な昭和というのは、せいぜい昭和50・60年代(1975〜1989)の昭和の最後の時期であって、音楽・芸能で言うなら、山下達郎・大瀧詠一・稲垣潤一・南佳孝・寺尾聰・オフコース・来生たかお・伊勢正三・五十嵐浩晃・杉山清貴・山本龍彦・ブレッド&バター・佐野元春・大沢誉志幸・鈴木雅之・林哲司、八神純子・竹内まりや・松原みき・杏里・泰葉・ユーミン・大貫妙子・吉田美奈子・尾崎亜美・大橋純子・庄野真代・EPO・中原めいこ・矢野顕子・菊池桃子・丸山圭子など、いわゆるシティポップ・アーティストの活躍の黄金時代であり、同時に、松田聖子・中森明菜・小泉今日子・中山美穂・斉藤由貴・薬師丸ひろ子・岡田有希子・本田美奈子、田原俊彦・近藤真彦・チェッカーズ・イモ欽トリオ・吉川晃司・シブがき隊・少年隊・光GENJIなど80年代アイドルの全盛期なのではないかと思うのです。


そこから遡ったとしても、彼らZ世代が心惹かれるのは、せいぜい70年代後半のアイドルである山口百恵・岩崎宏美・太田裕美・キャンディーズ・ピンクレディー・桜田淳子、西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎・沢田研二・太川陽介・清水健太郎らの時代までというか、ミュージシャン(アーティスト)で言うならば、70年代後半から末にかけてブレイクしたゴダイゴ・クリスタルキング・YMO・サザンオールスターズ・矢沢永吉・松山千春・長渕剛・さだまさし・アリス・甲斐バンド・チューリップ・世良まさのり・因幡晃・柳ジョージ、久保田早紀・渡辺真知子・下成佐登子・高橋真梨子・中島みゆき・イルカ・沢田聖子・谷山浩子・五輪真弓・サーカス・ハイファイセット・山崎ハコ・大友裕子・森田童子あたりまでという感じです。


それ以前の時代の音楽、石原裕次郎・小林旭・舟木一夫・西郷輝彦・橋幸夫・森進一・北島三郎・千昌夫・五木ひろし・三波春夫・村田英雄・春日八郎・三橋美智也・フランク永井・菅原洋一・藤島桓夫・田端義夫・鶴田浩二・神戸一郎・アイ・ジョージ・坂本九・前川清、美空ひばり・島倉千代子・江利チエミ・八代亜紀・都はるみ・青江三奈・ちあきなおみ・いしだあゆみ・奥村チヨ・五月みどり・畠山みどり・コロンビアローズ・大津美子・宮城まり子・二葉百合子・加藤登紀子・西田佐知子・倍賞千恵子・ザ・ピーナッツ・こまどり姉妹・藤圭子・由紀さおりといった、昭和30・40年代(1955〜1974)の演歌・ムード歌謡・懐メロの時代の音楽は、平成・令和育ちの現代の若者にとっては、かなり心理的距離があり、さほど心惹かれる魅力的なものではないようです。


しかし、この記事では、平成生まれ、令和育ちのZ世代の若者にとっての昭和の魅力ではなく、なるべく客観的に(戦後の)昭和と平成以降の社会・生活・文化を対比して、世情や価値観の違いを明らかにし、昭和に育った人と平成以降に育った人の相違点を論じ、その上で、昭和の光と影を浮き彫りにしてゆき、平成以降と比べて昭和の何がよかったのかを考察してみたいと思います。


昭和(〜1989)と平成(〜2019)の際立った違いの一つは、民間テクノロジーの激変・発達です。

昭和には、パソコンもインターネットも庶民のものではなかったし、移動電話もビジネス用にトランシーバー並みにゴツくて巨大なものしかなく、仕事用として自動車で持ち運ぶぐらいがせいぜいで、とても私用で気軽に携帯できるものではありませんでした。

そもそも一般の素人がパソコンでネットを自由に観られるようになったのは、マイクロソフト社のWindows’95ソフト(1995)が発売されて以降のことです。しかも、昭和の時代のテレビやパソコンなんて、ブラウン管でしたからね。とってもゴツくて重くてかさばりました。液晶テレビなど薄型ディスプレイのテレビが普及するのは2000年代の後半からです。

携帯についても、今のガラケーに近いものが発売されたのが1999年、スマホが発売されたのが2008年です。

すべて平成になってから生まれたものであって、昭和の時代にはポケベルすらなかったのです。


とは言え、昭和でも、1979年を境に技術革命が起きました。それがウォークマンの発売です。これ以降、散歩をし、電車に乗り、街を歩きながら、個人的に好きな音楽を聴くことができるようになりました。

この時代、ラジカセでFMラジオをエアチェックして、好きな曲を集めたオリジナルのカセットテープをつくる人が多かったし、針によるレコードの劣化を防ぐために、購入したレコードは、すぐカセットテープに録音して聴きました。レコードは傷みやすいナマモノでしたから。

一方、CDがLPを国内生産枚数で逆転したのは1986年のことです。そして、この年、山下達郎は初のデジタルレコーディング・アルバム『POCKET MUSIC』をリリースしました。昭和末期は、アナログからデジタルへの過渡期だったと言えるでしょう。


この昭和末期(80年代)、同時期のシティポップとは一線を画する時代の代弁者や糾弾者や警告者として、あるいは炭鉱トンネルのカナリアのように人々に警鐘を鳴らすカリスマ的なミュージシャンとして、浜田省吾、尾崎豊、THE BLUE HEARTSなどが活躍していました。

浜田省吾のエポック・メイキング・アルバム『PROMISED LAND(1982)』、尾崎豊のデビュー・アルバム『十七歳の地図(1983)』、ブルーハーツのデビュー・アルバム『THE BLUE HEARTS(1987)』などの強烈なメッセージ性、そして、人の魂を揺さぶる共感力は、今聴いてもまったく色褪せないものです。


彼らの挑戦は、昭和末期の時代の多くの若者たちの挑戦でもあったのだと思います。その挑戦の中身は「(お金を儲けることよりも)より人間らしく生きる中で幸福を追求することはできるか」ということでした。しかし、その挑戦は、平成に入って行き詰まり、挫折へと追い込まれていきます。

尾崎豊の死(1992/26歳)は、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995)、X JAPANのhideの死(1998)などとともに、冷戦終結及びバブル崩壊後の平成の挫折を象徴する事件でした。


尾崎豊が亡くなったのは26歳の時ですが、海外ではロックのスーパースターが27歳で亡くなることが多くて、27クラブという有名な言葉があります。

ローリング・ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのボーカルだったジム・モリソン、ニルヴァーナのフロントマンだったカート・コバーン、エイミー・ワインハウス、皆、27歳で死んでいきました。

死因は、ほとんどが薬物の過剰摂取などによる事故死、あるいは自殺でした。


人が大人になろうとする時、最後の壁が現れるのが25歳ごろなのではないかと私は思っています。

その壁の内容は「私は、この世界で、どうやって生きていけばいいのか?」という命題です。その命題に向き合い、自分なりの答を掴み、壁を乗り越えることができなければ、人はその先を生きていくことができないのではないでしょうか。そして、この答を見つけようとする葛藤は、25歳より以前から数年に及ぶこともあるでしょう。

いずれにしても、答を見出せないまま、25歳を過ぎてしまうと、「もう自分は一歩も前へ踏み出すことができない」という苦しい状況に追い込まれていきます。


これには人間の生命力の成長のピークが25歳であることと深い関係があるのではないかと考えています。

「25歳で超えられない壁は、それ以降も決して超えられない」と人は自然と感じるのかもしれません。

豊かな鋭い感性を持つアーティストの中には、時代精神との無謀とも言える孤独な格闘の中で、自分なりに生きていく術を遂ついに見出すことなく命を散らせた若者たちがいるのだろうと思うのです。

その代表が、27クラブであり、尾崎豊だったのではないでしょうか。

70年代の閉塞感が27クラブという犠牲を生んだように、平成の閉塞感が尾崎豊を殺したのかもしれません。


1980年代の挑戦と挫折をよく現していると私が感じる3つのアルバムがあります。

それは1980年リリースの河島英五の『文明Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』と、1990年リリースの中島みゆきの『夜を往け』と、同じく1990年リリースの浜田省吾の『誰がために鐘は鳴る』です。

『文明Ⅱ』のラストの「エンジンを止めてくれ」を聴き、『夜を往け』のスタートの「夜を往け」とラストの「with」を聴き、『誰がために鐘は鳴る』のラストの「夏の終り」を聴くと、1980年代とはなんだったのか、一つのイメージがつかめるのではないかと思います。


話変わって、高度経済成長期(1955〜1973)についても、1964年の東京オリンピックをクライマックスとする昭和30年代と翌1965年の40年不況から始まる昭和40年代には、ある種の変化・断絶があるように思います。

例えば、テレビ・アニメを考えてみても、

◯昭和30年代後半⇨鉄腕アトム(昭和38年)・鉄人28号(昭和38年)・エイトマン(昭和38年)、狼少年ケン(昭和38年)などの作品に見られる明るいポジティブな躍動感とは対照的に、

◯昭和40年代前半⇨巨人の星(昭和43年)・妖怪人間ベム(昭和43年)・忍風カムイ外伝(昭和44年)・タイガーマスク(昭和44年)・あしたのジョー(昭和45年)・みなしごハッチ(昭和45年)などの作品では、非常にネガティヴな陰鬱さが表現されています。


「鉄腕アトム」は、事故で息子を失った科学者が息子の生まれ変わりとして作り上げたロボットですが、この生みの親はアトム本人のアイデンティティは認めず、自分の願ったような息子にならなかったとアトムを捨てます。アトムを引き受けて大切に育てるのは縁もゆかりもないお茶の水博士です。アトムに人間を恨むようになってほしくないというのが博士の願いでした。

鉄人28号は、もともと旧日本軍が殺人機械として開発していたロボット兵でした。

アトムも鉄人も、「科学技術(兵器や原子力)は、それを利用する人間次第であり、私たちはその責任を負っているのだ」という力強い思想が感じられる作品です。


昭和30年代のアニメ作品には、「たとえ厳しい現実の中で葛藤があったとしても、最終的には、〈科学〉や〈人間性〉を人は信頼することができるのだ」という肯定的で希望に満ちたメッセージが感じられます。

一方で、昭和40年代前半のアニメ作品には、「人間の〈悲しみ〉や〈狂気〉や〈運命〉は、人間の努力ではどうにもできないこともある(悪意が善意を蹂躙することもある)」という懐疑的で暗いメッセージが強く感じられる作品が多くあり、しかも、そうした重すぎる内容の作品が、当時、幼稚園児にも観られていたというのは驚くべきことです。


例えば、星飛雄馬の父親の教育は、今の基準で考えれば、確実に児童虐待ですし、ハッチはもちろんですが、伊達直人も矢吹ジョーも、生まれた時から親のいないみなしごです。ジョーなど少年院にまで入ります。

カムイもまた、忍者の里を裏切って抜け忍となり、追っ手に追われながら、たった1人で逃れ続ける逃亡者です。その状況は、虎の穴を裏切って、処刑人の魔の手から逃れ続ける伊達直人にも似ています。

ベムたちの場合は、人間ですらなく、いつか本当の人間になりたいと渇望しながら、闇に隠れて生きる人造人間の怪物なのです。しかも、この世に生まれ出たのは、偶然、打ち捨てられた研究設備で生じてしまった異物のような扱いです。彼らは、人間を助けるために邪悪なるものと戦うのですが、その一方で、助けた人間によって追い詰められ、抹殺されてしまうのです。

「巨人の星」を除く、上述の5作品では、誰に望まれて生まれたわけでもなく、理不尽で冷酷な世間の嫌われ者として、邪魔者として、あるいは抹殺の対象とされながら、それでも生きていく主人公たち(伊達直人・矢吹ジョー・カムイ・ハッチ・ベム、ベラ、ベロ)の悲哀と苦悩と苦闘が描かれています。

物語のトーンとしては、どれも、かなり、絶望的です。


ただ、両者の共通点は、昭和30年代アニメも、昭和40年代アニメも、人間性や社会の本質に深く迫るような筆力を持って、とても真面目に作られていたことです。

今、それらのアニメ作品を再び観てみると、当時の大人たちは、何らかの意味あることを、未来を託す子どもたちに伝えようとして、とても一生懸命だったのだろうと感じます。

そのような強い使命感は、現在のモノづくりの現場では、あまり見られないかもしれません。

また1970年代アニメ(昭和45〜54)には、現在まで人気が続く有名アニメ・シリーズも、数多く始まっています。例えば『天才バカボン(1971)』『ゲゲゲの鬼太郎 第二シリーズ(1971)』『ルパン三世(1971)』『海のトリトン(1972)』『マジンガーZ(1972)』『バビル2世(1973)』『ドラえもん(1973)』『エースをねらえ!(1973)』『キューティーハニー(1973)』『アルプスの少女ハイジ(1974)』『宇宙戦艦ヤマト(1974)』『フランダースの犬(1975)』『ガンバの冒険(1975)』『まんが日本昔ばなし(1975)』『あらいぐまラスカル(1977)』『ヤッターマン(1977)』『未来少年コナン(1978)』『機動戦士ガンダム(1979)』『ベルサイユのバラ(1979)』などです。

劇場用映画では、海外でも評価された『銀河鉄道999(1979)』や宮崎駿初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城(1979)』がつくられました。


さて、ここからは結論に向かいたいと思います。

「昭和の何が良かったか」というと、不便な分、苦労する分、知恵が生まれ、感覚が発達し、感情が育ったという点ではないかと思います。

苦悩が人間を成長させたということです。

そして、歌が生まれ、共感が生まれた。

現実が厳しい分、殺人(※)も交通事故死(※)も多かったけど、今ほど人間がせこくはなかった。

強烈な自己中もいたが、今ほど自然に自己中なわけじゃなくて、ある種の後ろめたさもあった。

後ろめたいから、ウソをついたことにも苦しみ、追い詰められれば正直に告白することもあったのです。

それを良心の疼きと言ってもいいでしょう。


今ほど都会的なセンスが磨かれていないので、野暮ったくて田舎くさい感じの人ばかりだったけど、一方では、今ほど気を使えない要領のない知恵足らずの人間が多くありませんでした。

小学校の運動会では騎馬戦と棒倒しがあり、組体操でも大きな五段ピラミットや三段タワーもあって、けっこう命懸けでした。というか、日常でも子どもが今より危ないことをするのが許されていました。子どもながらに自ら危険を担う責任感もあったと思うのです。

今より早く大人になるのが自然だったということです。

戦中の若者なんて、特攻隊の遺書とか読むと、ありえないほど大人だったのだと思います。


逆に言えば、今という時代は、人間が大人になることができない時代だと思うのです。

大人になれないから、社会人にもなれず、ニートになり、パラサイトになり、引きこもってしまう。

たとえ仕事をしていたとしても、評価を得られず、万年派遣社員に甘んじている。正社員になっている人も、仕事だけで精一杯で、恋人が欲しいとか、結婚したいとか、思うこともない。だから、少子化が進む。

若者が、子どもを育てられるほど精神が成熟していないので、産んでも、虐待や放置で子どもが簡単に死んでしまう。


昭和のキーワードは、野蛮・不便・忍耐・成熟・自己責任・共感の六つです。

一方で、平成・令和のキーワードは、繊細・便利・未熟・自己都合・依存・演技の六つです。

今の時代、昭和と比べて、いろいろな面で便利で守られているのに、若者の内面には、昭和にはあまり見られないような根深い〈あきらめ〉があるように思います。

その〈あきらめ〉の元凶は、依存心と堪え性のなさなのかもしれません。内面の肝心の部分が鍛えられていない。あまりにへなちょこなのです。


昭和と平成・令和を隔てるキーワードの一つは父親像・母親像だと思います。

「波止場だよ、お父つあん(美空ひばり/1956)」「母恋吹雪(三橋美智也/1956)」「おやじの唄(吉田拓郎/1972)」「おやじの海(村木賢吉/1972)」「親父の一番長い日(さだまさし/1979)」

昭和の歌、特に70年代までの歌には父親について歌う曲が多いのです。

母親を歌う曲も多いです。

「東京だよ、おっ母さん(島倉千代子/1957)」「おふくろさん(森進一/1971)」「岩壁の母(二葉百合子/1972)「無縁坂(グレープ/1975)」「人間の証明(ジョー山中/1977)」などですね。

一方で、平成・令和に特徴的なのは、父親・母親の不在(存在感の希薄さ)です。

父親・母親という支えにもなるけれど、時に恐くて厄介で面倒な存在の欠如は、現代の若者たちの責任感や自立心や忍耐力や包容力や共感力の欠如につながっている気がします。


現代の若者たちの多くにとって、昭和世代の暑苦しくも濃厚な存在感を放つ父親観・母親観は理解不能でしょう。

だから、「親ガチャ」とか言って、すべてを運命のせいにしてしまえるのです。

そして、思うようにならない灰色の現実を拒絶し、「何もかもリセットしてしまいたい」というムリな願望を抱くようになります。

つまりは、家族も友人も経歴も能力も身体も、すべて捨てて、「異世界転生」するという逃避文化が流行ることになるのです。

こうした平成・令和の「虚弱さ」と比べれば、昭和は何とたくましいのでしょう。

現代から見れば、昭和は「諦めないたくましさ」のかたまりのようです。

そうした「生への執着」、もっと言えば「現実に何かを刻むことへのこだわり(執念)」こそが、私たちが昭和から学ぶべき第一の要素かもしれません。



※殺人件数▶︎1955(昭和30)年⇨2119人▶︎1965(昭和40)年⇨1406人▶︎1975(昭和50)年⇨1429人▶︎1985(昭和60)年⇨1017人▶︎1995(平成7)年⇨727人▶︎2005(平成17)年⇨600人▶︎2015(平成27)年⇨314人▶︎2024(令和6)年⇨221人


※交通事故死件数▶︎1970(昭和45)年⇨16,765人▶︎1975(昭和50)年⇨10,792人▶︎1985(昭和60)年⇨9,261人▶︎1995(平成7)年⇨10,686人▶︎2005(平成17)年⇨6,937人▶︎2015(平成27)年⇨4,117人▶︎2023(令和5)年⇨2,678人








①素朴な疑問なんだが、(カナダもオーストラリアもスイスさえ調印していないのに)日本政府が核兵器禁止条約に調印しないことを非難する人たちは、(周辺国は皆、アメリカも中国もロシアも北朝鮮も核兵器を保有しているのに)日本だけ核兵器を持たず、アメリカの核の傘も拒絶してしまえば、この国は核攻撃の脅威や威嚇や脅迫から免れる、などと本当に思っているのだろうか。核兵器禁止条約が、この国を核の脅威から守るわけではないとわからないのか?


②素朴な疑問なんだが、「米軍基地は日本(沖縄)から出ていけ!」と言い、「日米同盟はいらない!」と主張する人たちは、日米同盟を解消し、この国から米軍基地がなくなれば、日本は他国に侵略されるおそれが一切なくなると思っているのだろうか。それとも、盾と矛のうち、盾しか持たない(専守防衛の)自衛隊だけで、この国の防衛の備えは十分だと本気で思っているのだろうか?


③素朴な疑問なんだが、この国のメディアは、「唯一の核兵器被害国である日本政府が、核兵器禁止条約に調印しないのは許せない!」という立場で政府批判の報道をすることが多い。そのような「この国は、率先して核兵器禁止条約に調印すべきだ!」という国論の喚起を意図して、国民意識を誘導することの危険性や罪深さを、どうして自覚せずにいられるのだろうか。自分たちの偏向報道が国を滅ぼすかもしれないとは思わないのか?


④素朴な疑問なんだが、ロシアによるウクライナ侵攻を非難しながら、イスラエルやアメリカによるイラン攻撃を支持する人たちは、自分たちの主張がおかしいとは思わないのだろうか。ネタニエフは戦争を拡大し続けている。そして、ガザやイランの1の攻撃に200倍返しを続けている。米英独政府のように、ロシアの侵略に反対・対抗しつつ、イスラエルの過剰な攻撃を支持し続けるのは、ダブル・スタンダードだと思わないのだろうか?


⑤素朴な疑問なんだが、新興宗教に高額のお布施をする人たちは、本当に来世とやらがあって、そこで自分が幸せになるために、この出費が効力を持つと信じているのだろうか。あるいは、健康長寿や無病息災、家内安全や商売繁盛、学業成就や運気上昇などの現世利益をも、このお布施によってもたらされると本気で信じているのだろうか?


⑥素朴な疑問なんだが、受験勉強のために、あらゆる自分の時間と精力を注ぎ続ける人たちは、その努力の結果として得られる学歴が、自分を幸せにすると本気で信じているのだろうか。好きな本を読む時間も、好きな音楽を聴く時間も、漫画を読む時間も、映画を観る時間も、ひとりでぼんやりくつろぐ時間も、好きな料理をする時間も、友人や恋人とゆっくり話をしたり、キャンプをする時間も、旅行をする時間も、海や山を散策する時間も、全て犠牲にして、時間を費やす価値があると、本当に信じているのだろうか?


⑦素朴な疑問なんだが、(慶應など)幼稚園お受験のために、子どもを1歳から塾へ通わせることに、世のお受験ママたちは疑問を感じないのだろうか。私から見ると、それは育てるというよりも、調教とかソフト打ち込みによるロボットへのシステム化作業のようにしか思えないのだが。せっかく人間に生まれてきたのに、それはあまりに惨めで無惨ではないか?


⑧素朴な疑問なんだが、あなたは、もし自分が10年しか、あるいは5年しか生きられないと知っても、今、していることをそのまま続けるだろうか。もったいないからと、クーラー代をケチって、蒸し風呂のような室内で過ごし、食費をケチって、炎天下の中、家庭菜園に精を出して、脱水症状で搬送されて亡くなる人のニュースを見るたびに思うのだ。長い老後を予想して、生活費を節約して、そのあげく、無理が祟って早死にするってどうなの?


たとえ信心深い人であっても、宗教に疑いをいだく決定的な瞬間というものがある。

たとえば、ドストエフスキーの未完の遺作「カラマーゾフの兄弟」の中に、イエスを拒絶する、有名な「大審問官」の章がある。さらに、その前章「反逆」には、次男イヴァンによる「神の存在そのものの否定」が描かれている。その内容は、非常に説得力のあるもので、同様の内容はホロコーストの生存者エリ・ヴィーゼルの自伝「夜」にも見られる。

エリ・ヴィーゼルはアウシュヴィッツに収容された時、15歳の少年だった。彼が体験したエピソードの一つに、次のようなものがある。


その美しさから、ナチスの将校や憲兵隊に可愛がられ、アウシュヴィッツ収容所の中でも特別扱いされて、そのおかげで収容所内を自由に動き回れたユダヤ人の利発な少年が、収容所で衰弱していく人々に、密かにパンを配ってまわっていた。しかし、ある日、この少年が、見せしめのために殺されて、その死体は絞首台に吊され、ぶら下げられた。

その死体を見た一人の男が「いったい神はどこにおられるのだ?」と呟いた。そして、それを聞いたエリ・ヴィーゼルは、自分の心の中で、誰かの声がその男に答えているのを感じた。「どこだって?ここにおられるーここに、この絞首台に吊るされておられる…。」


名著「夜」の中でも、最も印象的なシーンである。

上記の出来事、つまり、虐げられている善良で罪のない者たちを助け、唯一の希望となっていた、勇敢で慈悲に溢れた存在を、無慈悲に処刑するーこれが、神の計画の一部だと言うのなら、そのような邪悪な存在を、私は神と呼ぶことはできない。そんなものがいるとしたら、それは、人の運命をもてあそぶ〝存在X〟に過ぎない。

人類の歴史を裏から支配する全能なる存在の計画があるなどとしたら、ホラーでしかない。

だから、私は神の存在を信じることができないのだ。

まさにニーチェが言うように「神は死んだ」ということなのだろう。


仏教でも、親より先に死んだ子どもの霊は、親不孝の大罪を為したので、成仏することができず、三途の川を渡ることができないので、賽の河原で石積みをしなければならないなどと理不尽なことを言う。

しかし、この子どもたちが、どんな罪を犯したと言うのだろうか。「親を悲しませた罪」とは言うが、それでは、親の虐待で亡くなった子どもの場合はどうなのだ。真夏のパチンコ屋の駐車場で、閉め切った車の中に放置されて、親がパチンコに夢中になっている間に脱水症状で命を落とした子どももいる。罪があるのは親であって、子どもに罪はないだろう。

飢えた人たちにパンを配って処刑されたアウシュヴィッツの少年は、どんな罪を犯したというのか。彼こそは生ける天使であった。邪悪なる者たちの手によって理不尽に命を奪われた天使に何の罪があったというのだ。


病気で亡くなる子どもたちも、「途上国でなければ、親が貧乏でなければ助かった」という場合が少なくないだろう。そうすると、そもそも、生まれた場所が間違っていたということになる。しかし、子どもは生まれ落ちる場所を選べない。それなのに、なぜ、間違った場所に生まれたことが子ども自身の罪になるのか。

生まれつき障害を持って生まれ、ほとんど世の中のことを何も知ることなく、ただ家族の愛情に包まれて、およそ、この世の穢れをほとんど知らず、罪を犯す事なく、早逝した霊もあるだろう。

汚れなき障害児たちに何の罪があると言うのだろうか。むしろ、生きている我々の方が、はるかに罪が深いのではないか。

罪なき者たちに罪を押しつける無法がまかり通る。

あの世ですら、そんなパワハラが起こるというのなら、もはや、私は、神の教えも仏の教えも信じられない。


世界は差別と不平等でできている。だから、人間のつくった宗教の教えにも、差別と不平等の刻印がある。

例えば、ヒンズー教では、カーストによる身分差別が認められている。最上級のカーストであるバラモンに生まれた者は、前世で功徳を積んだために魂が清浄であり、そのおかげで、今世でも最上級のカーストに生まれることができたのだという。一方で、最下級カーストの不可触民は、前世の悪行のせいで魂が穢れており、そのために今世でも最下級カーストに生まれることになったというのだ。彼ら不可触民の魂の穢れはひどいので、近寄ると、こちらの魂も穢れてしまう。それが嫌なら、不可触民には絶対に触れるなと言うのだ。


こうした身分制度を固定化する価値観は、インドに侵入したアーリア人がドラヴィダ人支配を恒常化するために生み出した支配階級に都合の良い考え方だ。

当時、インドを征服し、支配者となったアーリア人は、金髪碧眼、白い肌を有する自分たちは、霊性から高貴な生まれながらの貴人であり、土着の先住民である黒髪黒眼、浅黒い肌のドラヴィダ人は、霊性から卑しい穢れた民で、奴隷にふさわしいと考えたのだ。

しかし、このインドのヒンズー教の教えは、日本の仏教にも大きな影響を与えている。

日本のお坊さんも、現世で金持ちに生まれた人、優れた才能を持って生まれた人は、前世で功徳を積んだおかげだという。逆に、今世で不幸な人、貧困や病いや孤独や虐待に苦しむ人、障害者や才のない人は、前世の行いが悪かったからだと説くのだ。


しかし、ガンジーは、豊かな商人の家に生まれたが、自宅の便所掃除をしている不可触民の姿が見えた時に、優しい母親から「あの人たちを見てはいけません」と言われて、ショックを受けたという。そして、イギリスで弁護士資格を得て、インドに帰ってきたガンジーは、一族の反対をおしきって不可触民の娘を養女とした。ガンジーは「不可触民と呼ばれる人々は、最も困難な環境で魂の修行を続けているという点で、最も神の御心にかなった清浄な魂を持つ人々だ」と述べた。

しかし、そう教え諭していたガンジーも、頑迷な者たちの逆恨みによって暗殺されてしまった。その立派な優しい教えも、現在、インドでは見向きもされない。ガンジーの銅像も、倒されて打ち捨てられ、苔むして朽ちていくのみだ。


教えが正しいから広まるのではない。教えが人を幸せにするから広がるのでもない。より優れた教えが残るのでもない。

類が友を呼び、悪貨が良貨を駆逐し、さながら時間の経過とともにエントロピーが増大するように、混乱と狂気が蔓延していく。ただそれだけのことだ。

マルクスの言葉で、唯一正しかったのは「宗教はアヘンである」という言葉かもしれない。

人は精神的な危機に陥ると、容易に共同幻想という狂気に依存するようになる。そして、その依存は、アヘンのように禁断症状を伴うようにもなる。

宗教の薬害は、麻薬同様に深刻であり、その被害は甚大なものとなる。


いったい宗教に何の意味がある?

ただ人心を惑わし、人の心を頑なにし、より多くの混乱と対立と悲劇と犠牲者を生み出すだけではないのか。

ちょうど、パレスチナやイランとイスラエルの紛争が終わることがないように、宗教は終わりなき争いを生み出す元凶に過ぎないのではないか。


アメリカのSF界の大御所ロバート・A・ハインラインの長編小説に『ダブル・スター(1956)』という作品がある。同じハインライン作品の『人形つかい(1951)』『夏への扉(1957)』『大宇宙の少年(1958)』『宇宙の戦士(1959)』などと並んで、アメリカの〝黄金の50年代SF〟を代表する古典の一つである。


一方で、イギリスを代表する児童文学作家の一人であるローズマリー・サトクリフの長編小説に『王のしるし(1965)』という作品がある。同じサトクリフ作品の『第九軍団のワシ(1954)』『太陽の戦士(1957)』『ともしびをかかげて(1959)』『運命の騎士(1960)』などと並んで、イギリス伝統の歴史児童文学を代表する作品の一つである。


さて、このハインラインの『ダブル・スター』とサトクリフの『王のしるし』は、作者もジャンルもまったく違う作品であり、作品の舞台も、一方は近未来の火星植民地で、もう一方は古代ローマ帝国時代のブリテン島と、ある意味、正反対ではあるのだが、実は、驚くべき共通点を持っている。


「生きる意味を見失い、食い詰めた自暴自棄の主人公が、別世界への誘いを受けて、志半ばで倒れた過酷な運命を背負った指導者の代役(身代わり)を務めるうちに、命懸けの戦いを通じて、その新世界の人々と心を通わせるようになり、再び生きる意味を見いだす」というストーリー全体の骨格が同じであるばかりか、「主人公と別世界からの使者との出会い」「主人公と身代わりになる指導者に関わる重要な女性との関係の変化」といった、いくつかの主要なエピソードが、完全に重なる一卵性双生児のような作品なのだ。


例えば、剣闘士フェドルスが強者ゴールトと出会い、新しい得体の知れない仕事を受けるかどうか、迫られる『王のしるし』の印象的なシーンは、売れない俳優ロレンゾが宇宙飛行士と出会い、新しい得体の知れない仕事を受けるかどうか、迫られる『ダブル・スター』の冒頭のシーンとほとんど同じである。

ここまでそっくりだと、二つの物語が互いに関係がないということは絶対にありえない。


ハインラインの『ダブル・スター』が、アメリカのアウスタンディング誌に連載され、その年のヒューゴー賞ベスト長編に選ばれたのは1956年。『ダブル・スター』は、ヒューゴー賞長編部門で4度受賞した巨匠ハインラインの最初の同賞の受賞作である。一方で、サトクリフの『王のしるし』が、イギリスで出版されたのは1965年で、『ダブル・スター』が世に出てから9年後のことである。


作品発表の時系列から考えて、サトクリフが、ハインラインの『ダブル・スター』を読み、感銘を受けていたことは間違いない。そして、ハインラインの小説へのオマージュのような作品として『王のしるし』を書き上げたのだろう。だが、この作品は、『ダブル・スター』のパロディではなかった。むしろ、より文学的に深められ、オリジナルを超える珠玉の名作となった。


こうしたサトクリフとハインラインの関係性は、ロシアの文豪ドストエフスキーが、イギリスの文豪ディケンズから強く影響を受けながら、より優れた文学作品を次々と生み出していったことに似ているかもしれない。例えば、ディケンズの『骨董店(1841)』の影響が、ドストエフスキーの『虐げられた人々(1861)』にはっきりみて取れる、というように。

ただ、ディケンズとドストエフスキーの関係などに比べて、ハインラインとサトクリフの、この二つの作品がそっくりであることは、あまり世に知られていないのではないかと感じる。

それは、娯楽SFと歴史児童文学の読者層や批評家があまり重ならないせいかもしれない。


SFの分野でも、ル・グウィンやディックやクラークやレムのように文学的評価の高い作家はたくさんいる。しかし、ハインラインはその1人ではない。

ハインラインは控えめに言っても、人気はあるが文学的評価はさほど高くない大衆娯楽小説作家だし、一方、サトクリフは格調高い英国伝統の歴史小説作家であり、彼女の作品は文学として揺るぎない評価を得ている。

だから「ハインラインのファンで尚且つサトクリフのファンでもある」という読者は、それほどいないだろう。


しかし、2人には共通点もある。

ハインラインはアメリカ海軍士官だったが、サトクリフの父親もイギリス海軍士官で、彼女はその父親に厳しく育てられた。

その意味で、二人は海軍という共通するバックボーンを持っていると言える。

そして、もう一つの共通点は、対象とする読者についてだ。サトクリフの作品は児童文学であり、その対象は小学校高学年から高校生ぐらいがメインである。

一方で、初期のハインラインは、少年少女を対象としたジュブナイルSFを書いており、その分野の先駆者である。

主な読者対象を少年少女としているという点で、この二人の作家は似ていると言える。


因みに、私は二人の大ファンだ。

サトクリフの作品では、実は『王のしるし』が一番好きで、『ともしびをかかげて』『太陽の戦士』までがベスト3。次点で『運命の騎士』と『第九軍団のワシ』という感じだ。

一方、ハインライン作品では、好きな作品のベスト3が、1位『大宇宙の少年(スターファイター)』、2位『宇宙の孤児』、3位『月は無慈悲な夜の女王(1966)』で、次点が『宇宙の戦士』と『夏への扉』という感じで、『ダブル・スター』はその次ぐらい。

オリジナルとしての価値は『ダブル・スター』にあるが、文学作品としては、『王のしるし』の方が間違いなく素晴らしいと思う。だが、『ダブル・スター』が書かれなければ、『王のしるし』も書かれることはなかったのだ。