洞口朋子さん(1988年生)。

『革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)』幹部で、中核派の政治団体『都政を革新する会』メンバーである。法政大学経済学部に在籍していた元学生運動家で、現杉並区議会議員。

出身は宮城県仙台市だが、父親が中核派の機関誌「前進」を愛読しており、小6で母親が亡くなった後は、この父親の強い影響下で育ったものと思われる。本人も中学時代から「前進」を愛読していたらしい。

高校卒業後、中核派の学生運動に加わることを志して上京し、法政大学(通信制)に在学しつつ、江戸川区の前進社本部(中核派本拠地)の五階建ビル内で、活動家男女約100人との共同生活を営み、結果、極左運動への傾倒を理由に、大学は無期停学から除籍となった。

2017年からは中核派YouTube 「前進チャンネル」のキャスターを務める。

2019年4月の統一地方選挙の時、10年間生活していた前進社本部から杉並区へ転居し、杉並区議会議員選挙に立候補して3275票を獲得して当選。さらに2023年4月にも2632票を獲得して再選され、現在2期目を務めている。


中核派は、1963年に革マル派と分離した新左翼の中心的な過激派グループであり、1960年代の安保闘争、大学闘争、街頭武装闘争を通して、新左翼最大の規模と勢力を持つに至った。

1970年代には、中核派は、革マル派と、激しい武装勢力闘争(内ゲバ)を続けた。1975年には中核派リーダーが革マル派によって殺されたこともあって、内ゲバはますますヒートアップし、各地の戦闘で100名近くの死者を出した。そのなかには、1974年に琉球大学構内で中核派が無関係の学生を革マル派と誤認して襲撃し殺害する「誤爆」事件もあった。

1980年代には成田空港建設反対の三里塚闘争が起こり、中核派は、運輸省の幹部宅、自民党本部、警察署などへの爆破・放火・襲撃事件などのゲリラ闘争を繰り広げた。

1991年に中核派は「当分の間、ゲリラ闘争を控えて影響力の拡大を図る」と宣言した。

洞口さんが区議会議員に当選した杉並区は、沖縄県と並んで、中核派の影響力が全国で最も強い地域である。

ちなみに、中核派のメンバーは、現在、総数で4700名と言われる。


毎月20万円を中核派に寄付し続けている洞口朋子さんは、現在も中核派の忠実な活動家のようだ。だから、彼女の主張は、中核派の主張そのものである。

彼女の主張は、2022年9月11日のAbemaTVでのひろゆき氏との対談などでも垣間見ることができる。その主張は中核派機関誌「前進」に書かれている内容に一致する。

主要な主張は以下の二つである。

日本政府は、アメリカと悪巧みをして中国侵略を企み、その準備を着々と進めているので、世界の平和のためには、可能ならば暴力をもちいてでも日本政府を倒さねばならない。(暴力による共産主義革命の肯定)

※「日本が挑発するから、中国は軍拡を続け、尖閣に迫り、日本の領域にミサイルを撃ってくる」(中国は脅威ではない、日本が脅威である)と主張。

②日本政府とアメリカの横暴に苦しめられている沖縄の米軍基地反対闘争と連帯して、戦争好きの日本政府を打ち倒すために力を尽くさねばならない。(沖縄の基地反対闘争との共闘

※「辺野古米軍基地の建設目的は中国への侵略である」(日米による中国侵略を阻止すべし)と主張している。

根本には、『中国よりも北朝鮮よりも、日本政府とアメリカの方が圧倒的に悪い(怖い)』という強固な不信感(妄想)があるようだ。その妄想は、洞口さんの場合は、最愛の父親から受け継いだものであるだけに、より根深いと思われる。


彼ら中核派の最大の問題は、「世界は自分たちの手で変えられる」という根拠のない自信・自惚れ・思い上がりにある。

その強烈な思い上がりがあるから、「世界を変えるためには、暴力によって多少の犠牲が出るのはやむを得ない(殺人の肯定)」という言い訳・自己欺瞞が覆ることがない。

これは、日本赤軍の重信房子さんや、その他の過激派テロリストにも共通する感覚だろう。

ドストエフスキーは、このような自己欺瞞の強い思考をする精神を、その作品の中で繰り返し描いた。

代表的なものでは、『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフを通して描いている。

ラスコーリニコフの心情をわかりやすく言うと「自分には世界を変える能力がある」⇨「自分が倒れたら世界は救えない」⇨「自分を救うことは世界を救うことに通じる」⇨「世界を変えるためには多少の犠牲者を出しても仕方がない」⇨「自分の自己都合で人を殺してもよい」ということだ。

中核派の暴力革命の主張によく似ている。

しかし、そういう洞口さんには、次の言葉を贈りたい。

あなたは世界を自分の思うように変えることなどできない。」

あなたの生き方は世界の形成に影響を与えるが、その与える影響の中身は、あなたの意図するものとはまったく異なる。」

人々の心は、あなたの心の頑なさに倣って、より頑なになるだろう。」

そして、世界に多くの不幸が生まれるだろう。」

ちょうど今、イスラエル・パレスチナで起こっている悲劇のように…。


最後に言っておきたいのは、国を奪われたパレスチナ人が、パレスチナ国家樹立を目指して、イスラエルに向けて行うテロ行為や戦争行為と、中核派が、この世界で最も平和で安全で豊かで自由な国の一つである日本で、暴力革命を起こそうとするのでは、その意味もまったく異なるということだ。

パレスチナ人の残虐暴力行為は心情的に理解できないわけではないが、中核派の言い分は、まったくリアリティに欠けている。

『日本が中国を侵略しようとしている』とか、勝手な妄想の中に生きる住人たちの戯言としか思えない。一方で、「彼らサヨク中毒患者たちの懲りない面々が、奇妙な妄想を世間に撒き散らし、この国を危うくするのはとうてい看過できない」という危機感も感じるのだ。

今の日本には、彼らを飼っておく余裕はあまりない。世界の情勢がそれを許さないのだ。

イスラエル国内のパレスチナ人自治区のひとつであるガザ地区を実効支配し、パレスチナ人によるパレスチナの地の解放と建国(※もともとパレスチナ人の土地であったパレスチナの地〈=イスラエル〉からユダヤ人を追い出し、パレスチナ人の手に取り戻すこと)を目標とするイスラム武装勢力ハマスは、10月7日、午前6時半頃から前例のない大規模攻撃をイスラエルに向けて行い、1000人を超す死傷者を出し、200人以上のイスラエル人や外国人を拉致してガザ地区に連れ去った。

その後、イスラエル側によるガザ地区への激しい報復攻撃が続いている。

イスラエルの現ネタニヤフ政権は極右政党と連立した史上最も右寄りのタカ派政権であり、イスラエルをユダヤ人の民族国家と規定し、ユダヤ人のみに民族自決権を認めると定め、ヘブライ語を唯一の公用語として、アラビア語を公用語から排除した政権である。

したがって、今回のハマスの襲撃に対して、政権のメンツにかけて100倍返しの報復を行うものと考えられている。

この紛争が短期間で集結する見込みはほとんどない。


この紛争は、イスラエルの同盟国アメリカと、ハマスを支援するイランの代理戦争でもある。

エジプト・サウジアラビアがイスラエルへの態度を軟化させている現状、イランは唯一の積極的なハマス支援国家となっている。

一方で、イスラエルの同盟国であるアメリカのバイデン民主党政権は、イスラエルのガザ地区への地上軍の侵攻を支持している。

ガザ地区では凄惨な民間人の犠牲が生じるのは必至だが、リベラルを信条とするはずのバイデン民主党政権に地上戦を止めようという意思はない。普段きれいごとばかり言うくせに、肝心の時には何も行動しない。民主党政権のお馴染みの態度である。


この戦争の直接的な原因として、第一次世界大戦中から第二次世界大戦中にかけて、イギリスに味方して戦うことを条件に、ユダヤ人にはイスラエル建国を、パレスチナ人には独立をと、結果として同じ土地に二つの異なる約束をしたことがある。

このイギリスの無節操さが、パレスチナ問題の実質的原因となっているのだ。

何だかんだと言って、1番悪いのはイギリスである。しかし、今回も、イギリスは、イスラエルへの支援を早々に表明し、パレスチナは無視である。ズル賢いイギリスは、相変わらず、自らの歴史的責任を放置して、強者であるイスラエル側にべったりである。

米英は、神の約束の地であるパレスチナに王国を再建しようとするユダヤ人のシオニズム運動に理解を示しているが、土地を奪われた被害当事者のパレスチナ人にとってみれば、「2000年前にユダヤ人が住んでいたのだから、ここはユダヤの土地だ」と言われても、まったく理不尽な物言いにしか聞こえないだろう。到底、納得できる話ではない。


また、中東問題の背景には、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三者の宗教対立がある。

しかし、この3つの宗教は、元を正せば、実は3つとも同じ一神教の神を信仰する兄弟のような宗教である。

共通要素の一つとしては、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、3者に共通する同一の預言者(神の声を聴く者)の存在がある。

例えば、有名なアブラハムとノアとモーセは、この三つの宗教において、共通して預言者として認められている。つまり、アブラハムとノアとモーセは、ユダヤ教徒の祖先であると同時に、キリスト教徒、イスラム教徒の祖先でもあるということだ。

そして、ユダヤの神は、キリスト教の神と同一の神であるのと同様に、イスラム教の神とも同じ神である。対立する三つの宗教は、実は同じ神を信仰している。

ユダヤ教とキリスト教の共通の聖典は、これらの預言者が活躍する『旧約聖書』の物語だが、実はイスラム教の経典『コーラン』にも、旧約聖書と共通する記述は多く含まれている。

三つの宗教の教えには共通点が非常に多い。


だから、モーセが神から与えられた『十戒』は、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒やイスラム教徒にとっても神の戒めである。

その十戒の中に『汝殺すなかれ』という戒めがある。唯一の神は殺すことを禁じている。

それなのに、ユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒は、共通する聖地であるエルサレムの領有権・支配権をめぐって、千数百年の間、争い続け、互いに殺し合ってきた。神の言葉を完全に無視する罪深い行いである。

異教徒との『聖戦』などというものは、神が殺すことを命じたのではない。人間が勝手に異教徒を殺すことを正義と思い込んでいるだけである。

三つの宗教が認める預言者モーセは、「殺すな」という神の言葉を伝えているのだ。殺すことは神の戒めに反する大罪である。


イエスについては、この三者で見解が異なる。キリスト教においてイエスは、それまで預言者たちが「神がユダヤの民を救うためにつかわすだろう」と繰り返し言ってきたメシア(救い主・救世主・神の子)である。そして『イエスがメシアである』と信じた者たちがキリスト教徒となった。

一方、イスラム教では、イエスはアブラハム、ノア、モーセの次の時代に現れた第四の預言者である。だから、イエスの存在についての捉え方は異なるが、キリスト教徒にとってと同様に、イスラム教徒にとってもイエスの言葉は神の言葉(イエスが神から与えられた言葉)である。だから、コーランにもイエスは偉大な預言者として描かれている。

そのイエスの有名な言葉に「己の敵を愛しなさい」「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」という言葉がある。簡単に言えば、「敵を憎むな」「敵と争うな」ということだ。

しかし、このイエスの教えは、キリスト教徒・イスラム教徒の双方によって、長年、無視されてきた。「剣か、コーランか」「十字軍よ集え」と、双方が、互いを異教徒として憎み、殺し合ってきた。それによって、彼らは、イエスの教えに反逆してきた。


一方で、ユダヤ教においてはイエスは預言者でもメシア(神の子)でもない。ユダヤ教徒にとってのイエスは、メシアを偽称した詐欺師である。ユダヤ教徒は「メシアはまだ地上に使わされていない」「メシアはこれから地上に現れる」と信じており、イエスの時代以降も、2000年の長きにわたって、辛抱強くメシアの到来を待ち続けているのである。

多くのユダヤ人は、20世紀のイスラエル建国の実現はメシア到来の予兆と考えている。

しかし、イエスに対する否定的な見方が、この2000年間、ユダヤ教徒がキリスト教徒によって迫害されてきた根本的な理由の一つである。

また、イスラム教徒は、ムハンマドを最後の預言者であるとして、これ以後、神の声を聴く者は現れないとしている。ムハンマド以降に現れた教祖は、すべて偽物の詐欺師ということだ。

一方で、ユダヤ教やキリスト教では、ムハンマドを預言者とは認めていない。彼らユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては、ムハンマドは預言者を自称する詐欺師なのだ。


こうしたことから、共通の神を信仰し、共通する預言者の言葉を信じながら、この三つの宗教は、肝心な点でまったく相容れない教えとなっている。互いに憎み合うのも無理はない状況ではあるが、しかし、だからと言って「邪教を信じる人々を殺せ」というのは神の教えではない。

むしろ、彼らは、共通する預言者モーセによって与えられた神の戒め(『汝殺すなかれ』)に逆らう不信心者となっている。

キリスト教徒とイスラム教徒については、一方にとって神の子であり、一方にとって預言者であるイエスの根本的な教え『己の敵を愛せ』にも真っ向から逆らっている。彼らは、互いに、「己の敵を憎み、右の頬を打たれたら、相手の頭をかち割る」という態度を身につけている。

つまりは、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、イスラム教徒も、実は、誰も本質的には神を信じていない。誰もが神を恐れぬ不心得者の背教者である。


旧約聖書には、歴史上、このような背教者しかいない時代が繰り返し訪れたと記されている。

アブラハムの時代(ソドムとゴモラの都市)、ノアの時代、モーセの時代にもあった。その度に、神の怒りが神の教えに反する人々を滅ぼした。

我々のこの時代においてもまた、神を恐れぬ行為の代償を払わねばならない裁きの時が近づいているのかもしれない。

イスラエルはガザ地区に戦車部隊を侵攻させる準備が完了し、地上戦開始は秒読み段階となっている。

また、イスラエル北部ではイランの支援を受けてレバノンを支配する民兵組織ヒズボラとの戦端が開かれつつある。

戦争の拡大は避けられそうもない。




2023年10月6日、埼玉県議会は、自民・公明による賛成多数で悪名高い『虐待禁止条例』を委員会で可決した。

13日には本会議で自民・公明党議員による賛成多数で可決され、条例が成立する予定だ。

以下に、その頭のおかしい条例の内容を記す。


小学校3年生以下の子どもが、大人を伴わず、たとえ高校生の兄姉と一緒であっても、自宅で留守番をするのは放置による虐待で条例違反。(市民の通報義務あり)

※親がゴミ捨てで家を離れるのも条例違反。

◯小学校3年生以下の子どもが、大人を伴わず、高校生の兄姉と登下校するのも条例違反。(通報義務あり)

◯小学校3年生以下の子どもが、高校生の兄姉と公園で遊ぶのも条例違反。(通報義務あり)

◯小学校3年生以下の子どもが、高校生の兄姉とおつかいに行くのも条例違反。(通報義務あり)

◯小学校3年生以下の子どもが、高校生の兄姉と外へ遊びに行くのも条例違反。(通報義務あり)

小学校4年生以上6年生以下の子どもが、大人を伴わず、留守番、登下校、おつかい、公園へ行く、外へ遊びに行くのもダメ!(努力義務)


田舎の子どもたちが、夏休みに自転車で川に遊びに行くというような風物詩も、完全に条例違反だ。

子どもの誘拐が頻発する欧米の事情で生まれた海の向こうの法令を、普遍的・絶対的に正しいものと考える欧米価値観至上主義に毒されて、哀れにも脳みそが膿んで腐ってしまった人々によって支配された自民党埼玉県連が、この国の実情を完全に無視した、ブラックジョークそのものの、とんでもない狂気の条例を通そうとしている。

彼らは、『欧米のやり方は、なんでも正しい』と思い込んでいるのだろう。

毎年46万人もの子どもたちが行方不明になり、父親が、公園で、でっかい銃を持って子どもの見守りをしなければならない物騒な国と同じ法令を実施することになんの違和感も抱かないとは…。

これでは『クレヨンしんちゃん』『ちびまる子ちゃん』や『柚木さんちの四兄弟』『の、ような』に描かれている、ほのぼのした日常のシーンが、ことごとく条例違反であり、児童虐待の置き去り行為ということになる。

そんな理不尽な法令があるか?

そもそも『クレヨンしんちゃん』の舞台は埼玉県春日部市ということだが、5歳のしんちゃんが春日部市で活躍する愉快な物語は、条例が可決すれば、丸ごと幼児虐待ストーリーということになって、放送禁止案件になってしまう。

その不合理さに気づきもしないとは、どうして、こんなに政治家の質が低くなってしまったのだ。

それとも、地域柄なのか。埼玉の自民党県会議員は伝統的にバカしかいないのか。

しかも、普通のバカではない。信じられないほどの馬鹿、途方もない極めつけの馬鹿だ。


私は自民党支持者だが、こんな非現実的で実行不可能な漫画にもならないトンデモ条例がまかりとおる埼玉県にだけは絶対に住みたくない。

動機は定かではないが、よっぽど子育て世代の家族を埼玉県から追い出したいのだろう。

まさか、子供のいない地域社会の構築を狙っているのだろうか。

『目指せ、高齢化地域!』とか…。

もし、万が一、こんなひどい法令が全国で施行されたら、この国では2人目の子どもを産む親はいなくなる。

まさに、異次元の少子化促進対策だ。

どうやら自民党埼玉県連は、この国を滅ぼしたいらしい。



※10月10日、全国的な批判にさらされた埼玉県自民党県議団は、虐待禁止条例案を取り下げると発表した。

この条例ができることで、社会全体に子どもを守る機運が高まることを期待していたそうだが、全国からの批判・非難の集中にさらされて、そうした趣旨が広く社会に受け入れられる状況にないことがわかったためだとの説明が県議団からあった。

いずれにしても、今回の件で、埼玉の自民党県議団は、大いに株を下げ、全国的な悪名を轟かせたことは間違いない。


①LION ライオン 25年目のただいま(2016)

インドで迷子になり、オーストラリアのリベラルな白人夫婦の養子となってオーストラリアに渡った5歳の男の子が、25年後に故郷を探し当て、母親に再会した実話を映画化したオーストラリア映画の名作。

アカデミー作品賞、助演男優賞、助演女優賞ノミネート。

しかし、この素晴らしい作品がアカデミー賞を一つもとれないのは不思議。



②ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011)

9.11をテーマにしたアメリカ映画の名作。

ニューヨークに住む11歳の男の子が主人公。主人公の男の子オスカーはアスペルガーだが、非常に頭がよく、神経が繊細で容姿の美しい子だ。

オスカーの最大の理解者であるお父さん役はトム・ハンクス。お母さん役はサンドラ・ブロック。

物語は、2001年9月11日の朝、国際貿易センタービルの50階にいたオスカーのお父さんの葬儀の場面から始まる。棺の中には遺体はない。空っぽの棺を埋葬する儀式に最中、オスカーは「詐欺だ」と叫び、そっぽをむく。オスカーは、理不尽な父の死を納得もできないし、我慢することもできない。ここから、オスカーの父を探す旅が始まる。

アカデミー作品賞、助演男優賞ノミネート。

この映画が批評家たちの評価が低かったせいで受賞できなかった理由がまったくわからない。



③約束の旅路(2005)

1984年、エチオピアに住むユダヤ人をイスラエルが引き取る(帰還させる?)という「モーセ作戦」により8000人のエチオピア系ユダヤ人が、内戦中のエチオピアから命懸けの移送作戦によってイスラエルに移住した。この時、母親の機転によって、ユダヤ人の集団に入れられて、ユダヤ人と偽ってイスラエルに渡った9歳の少年が、リベラルなフランス系ユダヤ人夫婦の養子となって成長し、医師となってエチオピアに赴き、難民キャンプで母親に再会するまでを描いたフランス映画の名作。しかし、この映画も意外に評価が低い。



④アイ・アム・サム(2001)

7歳児程度の知能という知的障害ゆえに、児童福祉局から父親としての養育能力なしと判断されて6歳の娘と引き離されたシングルファザーが、娘の養育権を取り戻すために戦う物語。

ロサンゼルスを舞台に、スターバックスで働く父親サム(ショーン・ペン)と娘ルーシー(ダコタ・ファニング)の親子の絆を描く。

アカデミー主演男優賞ノミネート。



⑤ライフ・イズ・ビューティフル(1997)

第二次世界大戦前夜、北イタリアに駐留したナチス・ドイツ軍によって強制収容所に送られたユダヤ系イタリア人の父親が幼い息子を守るために奮闘する物語。

ホロコーストの極限状況で息子の心を守り切る父親の姿を描いたイタリア映画の傑作。

第51回カンヌ映画祭審査員グランプリ受賞。第71回アカデミー主演男優賞・作曲賞・外国語映画賞。



⑥アメリカン・ハート(1992)

仮釈放で刑務所から出てきた元強盗犯の父親と貧民街で育った15歳の息子の交流と絆を描いたアメリカ映画の名作。売春やスリなどを生業として暮らすシアトルの少年少女たちの希望のない殺伐とした現実を舞台として描かれたリアリティのある物語。監督は1983年にシアトルのストリート・チルドレンを追ったドキュメンタリー映画「子供たちをよろしく」を制作したマーティン・ベル。残念ながら、あまりにも作品の評価が低過ぎる。



⑦旅立ちの時(1988)

ベトナム戦争の時期に反戦活動家として反政府活動に参加して指名手配を受け、それ以後、流浪の逃亡生活を続けている両親と共に暮らしている17歳の少年の葛藤と成長を描くアメリカ映画。主人公は、当時、人気絶頂だった若手俳優のリヴァー・フェニックス。

シドニー・ルメット監督作品。

アカデミー助演男優賞、脚本賞ノミネート。

もっと評価されてよい作品だと思う。



⑧普通の人々(1980)

長男の水死事件以来、その死に責任を感じて傷ついている繊細で豊かな感受性を持つ次男を中心に、家族の心が離れてバラバラになってしまっているシカゴ郊外に住む弁護士一家の家庭を描く物語。

この作品に出てくる自己中心的で酷薄な母親の姿は、今では珍しくもないありふれたよくある母性欠如タイプの母親である。だが、その姿を『普通の人々(邦題:アメリカのありふれた朝)』と銘打って著した原作小説(著者ジュディス・ゲスト)は、当時、センセーションを巻き起こした。私も映画以前に新刊の翻訳本(1981)を読んで強く印象付けられた記憶がある。

映画の方も、アメリカのWASPの上流中産階級家庭の崩壊をテーマとする名作。

第53回アカデミー作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞受賞作品。



⑨クレイマー、クレイマー(1979)

ニューヨークを舞台に、夫(ダスティン・ホフマン)と5歳の息子を置いて、妻(メリル・ストリープ)が突然失踪し、父と子の手探りの生活が始まる。

父親の子育ての悪戦苦闘を描いた名作。母親の母性に対する父親の父性の勝利ということか?

いや、父親でも母親でも、より身近にいて自分の時間と精力を子どもに捧げ、共に喜び、悲しみを味わって生きてくれた方を子どもは選ぶという単純なことなのだろう。

第52回アカデミー作品賞受賞作品。




九つの物語に共通するテーマは『家族』『父と子』『母と子』の絆。西欧文明、特にアングロ・サクソンにおいては、母性の蔑視と父性の尊重の価値観が根深いようだ。9作品のうち、5作品(②④⑤⑥⑨)は、アングロ・サクソンの父親の愛がテーマとなっている。9作品のうち、母性愛の本能的で根源的な強さを描いた2作品(①③)は、アジア・アフリカ系の母親の母性を恋慕う息子の物語である。また、⑧はアングロ・サクソンの母親の母性の欠如を描いた作品。⑨では、アングロ・サクソンの母親の母性の動揺を描いている。唯一、⑦は、母親の愛と父親の愛をバランスよく描いている。

世界的に見ても、1970年代から、一般家庭の普通の人々において、親子の葛藤や断絶、家族愛の欠如や家庭の崩壊が顕在化してきた。

しかし、その一方で、親子の深い愛情や絆を描く名作が多く生まれるようになった。

実社会で、一般家庭における家族の絆の脆さや親子の情の薄さが顕著になる一方で、映画作品の中では、失われた親子の関係を取り戻そうとする強い動きが見られるようになったということだ。

『大道廃れて仁義あり、六親和せずして孝慈あり』ということだろうか。



ジャニーズ問題の構造について考えてみたい。


芸能界における小児性加害問題は、絶対に男子だけではない。現在告白によって表面化しているのは氷山の一角であり、むしろ、ジャニーズ以前から女子アイドルを餌食とする小児加害は芸能事務所の営業の一環として芸能界に広く蔓延していたものと考えるのが自然である。


②しかも、その強制的で騙し討ち的な枕営業の相手は、テレビ局の大物プロデューサーなどがメインであったろうと推測される。つまり、もともとテレビ局と芸能界は、小児加害の温床だったのであり、その闇は一度として暴かれたことはなかった。


③だから、ジャニー喜多川氏の常習的性加害も、芸能界にありがちな行為として、業界内部では、とりたてて騒ぐべきものでもなかった。業界内では、どこにでもある珍しくもない話だったのだ。

ジャニー喜多川氏の存在以前に、既に芸能界とテレビ局とのタッグは小児性加害の再生産装置として、戦後、長い間、十二分に働いてきたからだ。その需要は、政界や関係するスポンサー企業の一部にも深く食い込んでいることだろう。


④従って、美川憲一さんや古舘伊知郎さんや上沼恵美子さんがおっしゃるように、根本からズブズブに腐りきっている芸能界とテレビ局の自浄作用に期待するのは、そもそも不可能である。「これまでべったりの共犯関係だったものを、いまさら、どう反省しろというのだ?」という困惑すら広がっているのが業界やメディアの現状(本音)ではないか?。

そして、BBC報道のような外圧に対しても、『何とかお茶を濁してごまかしておいて、ほとぼりが冷めるまで逃げ切ろう』という時間稼ぎの意識が業界全体に強く働いている。

口ではまことしやかなきれいごとを並べているが、本心などどこにもない。関係者は、皆、嘘つきだ。


⑤新浪氏のように、もともと芸能界の闇の部分との裏の結びつきの弱いクリーン(?)な企業人たちは、この状況にフラストレーションを募らせている

「なぜ、まともな自浄作用が働かないのか?」(なぜジャニーズが存続しうるのか)と。

しかし、彼ら、清廉潔白な産業界の諸氏については、同業者(企業人)ですら、この小児性加害の闇にのまれている人々があまりにも多いという深刻な実情を、どれほど理解できているか、いささか心許ない。


私がイメージするのは、聖書にあるソドムとゴモラの都市、そして、ポンペイの悲劇だ。

欲望の資本主義に呑まれたソドムとゴモラの都市は、神の審判により塩の柱に変えられた。同じく欲情と背徳の歓楽都市であった古代ローマのポンペイも、突然のヴェスビオス火山の大噴火によって、降り注ぐ火山灰の下に埋もれて滅びた。

今、この国にも、当時と似たような破滅的な危機が迫っていることを強く感じる。

自らを浄化できない者は、遅かれ早かれ、歴史の審判に向き合うことになるのだ。

それは、そう遠いことではないだろう。



※10月4日、ジャニーズ事務所による10月2日の記者会見における「質問NG記者リスト」と「指名優先記者リスト」の存在とその使用をNHKが報道し、ジャニーズ事務所はそのリストの存在を認めた。

ただし、ジャニーズ事務所の釈明によれば、このリストを作成したのは記者会見の進行を委任していた外資系コンサルタント企業であって、ジャニーズ事務所の意向ではなく、むしろ、事前に質問拒否はしないように申し入れたのであって、会見を進行した6名のスタッフが「NGリスト」と「指名優先リスト」を会見中持ち歩いて、NG記者や優先記者の席をチェックしていたことなどは、ジャニーズ事務所のスタッフは誰1人知らなかったと釈明している。

けれども、決定的なのは、ジャニーズ側が事前に「NGリスト」の存在を知っていたということを告白していること。このリストを廃棄させなかったのは事務所の責任。また、外資系企業がわざわざ依頼もないのにそうしたリストを作成した動機も理解し難い。さらに、ジャニーズ事務所側が、リストを作成・使用した責任を記者会見進行委託会社になすりつけているのも見苦しい。コンサルタント会社側の担当者は、会見の方針はジャニーズ事務所側と共有していたと述べている。事務所側を陰で操る裏ボス白波瀬氏(元メディア対策担当副社長・現嘱託社員)あたりが関与していた可能性は誰しも想像するところだ。

このリスト(司会松本和也氏にも渡されていた)に基づく司会進行役による恣意的な質問指名によって会見は必然的に紛糾したわけだが、それを松本さんは「フェアです」「茶番ではないです」と言い、井ノ原さんが「皆さん、もっと落ち着いて、平和的に振る舞いましょう」と呼びかけたのも、今となっては茶番にしか見えない。井ノ原さんも、めんどくさい記者の質問は後半に持ってきて時間切れを狙うことには了承していたんですよね?

結果として「もともと公明正大な会見を行うつもりがなかったのではないか?」という決して拭えない疑念を一般社会に印象付けることになった。また、未来を背負う子どもたちに、またしても、過ちを犯した大人の汚い誤魔化し方を教授してしまったことは間違いのないところだ。



取材側「合宿所でジャニー喜多川の餌食になる未成年の性被害者の後輩に向かって、最年長の先輩として『今日はお前やられてこいよ』と言っていたというのは本当ですか?」


東山社長「昔のことで記憶が定かではありません。」