孔子を知らずに孔子をありがたがる人々のことを、『論語読みの論語知らず』と言う。

確かに孔子の実像を知らずに、孔子の教えを批判する人は多い。

特に、孔子の教えは、堅苦しい偉そうな先生によるつまらない言葉だと思っている人が多いようだ。『朝に道を知れば夕に死すとも可なり』とか『己の欲せざるところを他人に施すこと勿れ』とか、建前ばかりの綺麗事で、非現実的な道徳くさい言葉ばかりだと言うのだ。

しかしながら、そうしたイメージを持つ人は、おそらく論語を本当には読んでいないのではないだろうか。

つまり、論語読みですらないのではないか。『論語読まずの論語知らず』ということだ。


私は、論語を読んでいて、誰を連想するかというと、ギリシャのソクラテスだ。

孔子とソクラテスには、共通点が多い。

一つは、ほぼ同時期(紀元前5世紀頃)に活躍した2人は、ともに貧しい生まれであること。孔子は、母1人子1人で、母親の苦労を見ながら育った。ソクラテスも、ある意味、着の身着のままで、何の資産も持たず暮らしていた。しかし、その一方で、2人とも、良き家庭人で、子どもたちには母親を敬うようにと教えた。

孔子は、「私は、よく人にあなたは何でもできるとよく言われるが、それは貧しくて何でもやらないと生きていけなかったからだよ」と弟子に言っている。

ソクラテスも、「まず生活できなければ、綺麗事を言っても始まらない、ともかく稼がないと」と人にアドバイスしている。

もう一つの共通点は、孔子もソクラテスも、実際の戦場を知っている生粋の戦士であるということだ。当然、殺し殺される体験を潜り抜けてきている。孔子は、小国だった魯国の宰相として、自国が生き延びるために隣国を叩くこと、隣国の王を和睦の席で暗殺することさえ画策した。諸国を巡っていた時も、時には生き延びるために、弟子たちを率いて戦った。ソクラテスはアテネ軍が退却する時は〝しんがり〟を務めたこともある。2人とも、大男で、恐れを知らない勇猛な戦う男だった。

孔子は、国が維持されるために、もっとも必要なものは、武器でも食糧でもなく志だと言った。食糧がなければ人は死ぬ。けれども、もともと人はいつか死ぬ生き物だ。大切なのは互いに信じ合うことができ、命すらも犠牲にして惜しまぬ共通の目標なのだ。そうした国を想う志がなければ、たとえ武器があり、食糧があっても、民が立ち上がることはない。そういう国は、いずれ遠からず滅びるということだ。

ソクラテスは、自らの生きる意味を神(ダイモーン)に委ね、自分は十分に生きたと信じられた時には、不当な裁判による死刑判決さえも受け入れて、少しも心を乱すことなく毒杯をあおることができた。

三つ目の共通点は、孔子もソクラテスも、真に優れた一部の若者たちに深く敬愛され、生涯を共にする弟子たちに恵まれたが、その一方で、決して時の権力に迎合することなく、どれほど排斥されようと、命の危険が及ぼうと、まったく怯むことなく、一切保身による権力者への忖度をせずに、生涯、己の信じるところを曲げず、貫き通したことだ。

当時、支配階層の人々は、アテネでも、春秋戦国の中国でも、彼らの存在を疎んじていた。そして、2人は、たびたび排斥された。孔子は、弟子たちとともに諸国放浪中に、孔子を亡き者にしようとする追手との激しい戦闘を、何度も潜り抜けなばならなかった。ソクラテスは、「青少年を得体の知れない宗教で惑わした」として、アテネ市民の排斥派によって裁判にかけられ、死刑宣告を受けた。

しかし、2人とも生涯自らの境遇を嘆くこともなく、自らの運命を進んで引き受けた。

私には、孔子とソクラテスは、同時期に、中国とギリシャに別れ別れに生きた、二つの同種の魂のように感じられる。


さて、孔子と同時代の人物とされる中国の思想家で「老子」がいる。しかし、孔子と違って老子は実在しなかった架空の人物ではないか、とも言われている。あるいは孔子より後の戦国末期の人物ではないかとも言われる。

しかし、中国では、「荘子」に載っている〝孔子が老子の教えを受けた〟という記述を信じる人が多い。つまり、老子は孔子の先生であるという主張である。

しかし、この説には無理があると思う。

むしろ、孔子の教えに対する批判として後世に生まれた諸説が、伝説上の人物の言葉として創作され、それが語り継がれたものではないか。そう考える方が自然である。

一方で、中国では、老子の思想は「反権力」を象徴するものとしてイメージされる。その反対に孔子の思想は権力者にとって都合の良い「人を支配するための思想」と考えられることが多いようだ。

確かに孔子より後の時代、儒家の思想の一部が身分や地位に分相応であることを主張したことは確かだ。しかし、孔子の思想そのものは、同時代の権力におもねるものではなかったし、権力者に都合の良い思想でもなかった。

上記したように、論語によると、孔子は、国を治める上で大切なものを武と食と信と述べた。このうち大切なのは食と信であり、最も大切なものは信であると言った。食がなければ人は死ぬが、いずれにしても人は死ぬ。そして、国への信頼がなければ、国民が立ち上がることはない。信頼がなれば、国は立ち行かないと言うのだ。

孔子は戦国時代のリアルな国際政治の現場を知る大政治家だった。小国の宰相を務めたこともあった。だから、孔子の言葉は、徹底したリアリズムに貫かれている。

それに対して、老子の言葉は夢幻的で非現実的で桃源郷的でさえある。

無為自然、小国寡民、上善如水、それら老子のものとされる言葉は哲学的な魅力に満ちているが、実生活を生きる指標には適さない。

『大道廃れて仁義あり。』(無為自然の大いなる道が廃れたので、人為的な道徳を説くために仁義という概念が生まれたのだ。)

孔子の教えへの激しい批判の言葉であるが、孔子の死後、その教えが世間に広まっていた状況での批判と考えるのが妥当だろう。

教育は悪である。文明は悪である。発展は悪である。国は小さい方がいい。一生涯、自分の生まれた村の外と付き合う必要はない。道も橋も要らない。文字(文化)もお金(経済)も必要ない。商業も流通も要らない。進歩も努力も要らない。上を目指すな、下を目指せ。

それが人為を否定する老子の教えだ。

今、多くの教育熱心な中国人が、教育を重んじて学ぶことに価値をおいた孔子より、老子の方が好きだと言う。

しかし、本気とは思えない。本気だとしたら、相当に老子の教えを誤解(曲解?)しているのではないだろうか。

「老子の教えは自由の教えだ」と中国人は言う。「無為自然というのは自由にしてよいということだ」と。

「いや、違うだろう」と反論しても、「日本人は変わった捉え方をしているんだね」で済まされてしまう。

どうにも話が通じない…。





ジャニー氏は、70年前、戦後、進駐軍と共にロサンゼルスから日本にやってきた20代の頃から性加害を繰り返していたことを、78歳の服部良一氏の次男が、小学生の時(小学2〜4年までの2年半)の被害体験の告白によって明らかにしている。

このような病的幼児性虐待常習者の名を冠したジャニーズ事務所(Johnny & associates/ジャニーと仲間たち)の社名を残すのは論外だ。この点について上沼恵美子さんが「絶対ダメ、吐きそうになるわ」と述べていらっしゃることは正論。

ジャニーズという名に親しんできたファンの意向とか、そういう問題ではない。昨今の浅はかな若者たちへの教育的配慮から考えても、この薄汚れたジャニー喜多川という名に由来する社名は、絶対に残してはならない。

そもそも、これだけの事件を創業者が長年続けてきたことが明るみに出ているというのに、創業者の姪であるジュリー氏が100%株式を保有している一族会社でありながら、それでも会社が潰れないとしたら、この国全体の倫理意識がヤバいのでは?


ジュリー氏の幼馴染でジャニー氏のイエスマンであり、お気に入りのタレントとして、自身にも後輩たちへの性加害の疑惑があり、長年ジャニー氏の権力の恩恵を誰よりも篤く享受してきたと言われる東山紀之氏が新社長になり、ジュリー氏が唯一の株主として代表取締役に留まり、会社の所有権を持ち続けることで、実質的な同族経営が維持される。そして、会見には、これまでスキャンダル揉み消しや握りつぶしや脅しに辣腕を振るってきた副社長白波瀬傑氏や顧問弁護士は出てこなかった。臭いものには蓋というわけだ。この体制に反省などない。

100%株主の藤島ジュリー氏が、代表取締役に留まる限り、ガバナンスはまったく効かないでしょうね」「あんた、社長辞めて逃げてるだけでなく、めんどくさい敗戦処理から逃げてるだけですよね」という堀江貴文氏の批判は的を得ている。「解体的出直しする気ありませんとすごくはっきり説明した会見」という成田悠輔氏の批評も当然の感想だ。「藤島ジュリー景子代表取締役は、知っていたでしょ、ウソはダメ」と証言したのは元ジャニーズの近藤真彦さん。

常習的小児性加害の犠牲の上に築かれた遺産を、ジュリー氏が受け継ぐのは、ジャニー氏の〝業〟を進んで受け継ぐのに等しい。人として母親や叔父の罪と穢れから離れようとするなら、ジュリー氏は、そのような汚れた遺産は受け継ぐべきではない。違和感なく受け継げるのは、自らも同じ穴のムジナであったからにほかならない。

明らかに叔父や母親の罪を知り尽くしていたはずのジュリー氏が代表取締役として、巨大な集金マシーンである「ジャニーと仲間たち」を、これまで同様に己が私物とし、そこから恩恵を享受し続けるのであれば、当然、因果がめぐるだろう。いずれ、それなりの報いを受けることになるはずだ。


人気商売でファンが支えているというのなら、そして、ファンがこの茶番を支持するというのなら、ファンの民度が問われる。さらにメディアが、このキーマン(白波瀬傑氏)隠しの三文芝居の記者会見で一緒にお茶を濁して済ますというなら、メディアは相変わらず小児性加害の共犯者であることをやめる気がないということだ。

この点については、「大阪の隅っこにいるわたしでも昭和40年から知ってました、ジャニーさんのことは、知らなかったとかいまさらごまかしてどうするの」「BBCが問題にしたので、マスコミも事務所もタレントも、急に慌てて、建前でやってる」「名前変えないとか言語道断、そこで悩んでること自体が終わってる、悪魔の名前ひけらかして」という上沼恵美子さんの言や「世界的に見たら、ペドフィリア(小児性愛)の性加害者が作った会社で、ジャニーズって名前を残すわけですよ。やばくないですか?」という堀江貴文氏の感想に同意できる。

また、「小児性愛の犯罪者の名前が付いた事務所(ジャニーズ)で、被害者がいるのに放置していた代表取締役(ジュリー氏)が、被害者のタレントを使って(株主として)金儲けをし続けるのはおかしい」というひろゆき氏の主張が全面的に正しいと思う。

それに対して、〝金の成る木〟としてジャニーズ事務所を維持し続けたいというのはゲスの論理。ところが、メディアにも芸能界にも、ともかくろくでもないゲスがあまりに多い。


ジャニーズ所属タレントについて「常に辞めて独立したり新たにゼロから始めるって選択が残されてるのに、自分の意思で(70年以上も青少年を餌食にしてきた)ジャニーズ事務所に居続けているわけなので、それで(所属アイドルたちが)結果として仕事を失ったりしてもある意味しょうがない」という成田悠輔氏の意見にも一理ある。

ジャニーズ事務所所属の芸能人は全員事務所を変えるべき。そして、ジャニーズ事務所そのものが跡形もなく消滅してこそ、欧米の常識から考えれば、真っ当な結果と言える。

また、同様の闇を抱えた組織は、芸能事務所も、メディアも、すべて同じ道を辿るべきだ。そもそも、メディアは青少年を毒牙にかけるジャニーに協力してきた共犯者だし、それを思えば、あらゆるマス・メディアは、これを機に解体されるべきではないだろうか?

それをせずに、ああだこうだ言うのは、成田悠輔氏や上沼恵美子氏が言うように、ただのポーズ、茶番劇、笑えないギャグでしかない。



この事件、深いところに、戦中のアメリカ国内では、白人による日系人(黄色人種の敵性国民/10代のジャニー氏)への人種的優越意識に基づく差別的な性的虐待が行われ、そして、戦後は、戦勝国民(日系人/ジャニー氏)による敗戦国民(日本人/少年たち)へのマウント・ポジションからの性的虐待が繰り返されるという救いようのない負の連鎖の側面も感じられる。



あと、サントリーの新浪剛史社長は、今回の発言や対処で株をあげたと思う。ジャニーズ事務所に真摯な反省が見られないことから、企業として小児虐待を認めるわけにはいかないとして、ジャニーズタレントのCM契約更新をしないと明言し、ジャニーズ所属タレントの出演するテレビ番組のスポンサーをおりる可能性を示唆するなど、いずれも企業人として当然の発言だ。

「フランス人は日本人と比べて働かないし、フランスは休みが多い」と言われます。

それは本当なのか、本当だとしても、どの程度の違いがあるのか、そして、それはなぜなのか、など、検証してみます。


例えば、日本では法定の年次有給休暇は10日ですが、フランスでは25日(5週間)です。また、日本の有給取得率は毎年60%未満ですが、フランスでは100%に近いと言われます。加えて、フランスでは、8月に、ほぼまるまる1ヶ月の間、全国民的にバカンスに入ります。バカンスには、レストランも、大手スーパーを除く食料品店も、大手デパートを除く雑貨店も、工場も、銀行も、病院も、歯医者さんも、美容院も、数週間に渡って閉鎖されることが多いです。

デパートがバカンスの期間も営業するべきかどうか、という問題が、フランスでは今でも国民的な議論となります。

さらに、日本では法定の労働時間は週労40時間ですが、フランスでは週労35時間です。35時間を超えると割増料金が発生する残業になるわけです。また、週労48時間以上の労働は禁止です。加えて、週労35時間を超えて残業した分については、その超過勤務分に応じて、年間15日(3週間)の有給休暇(代休)が与えられます。

つまり、多くのフランス人は、合計で年間40日(8週間/2ヶ月)もの有給休暇を謳歌しているのです。


学校の場合は、それ以上に休みが多いです。まず、フランスの学校は、夏休みがまるまる2ヶ月あります。さらに10月末には2週間の秋休みがあり、12月末には2週間のクリスマス休みがあります。2月には2週間の冬休みがあり、3〜4月には復活祭(イースター)の休みが2週間あります。年間5回の長期休暇があるということです。

もちろん、学校も職場も、普段から週休2日(土日休日)となっています。

もろもろ合わせると、フランス人の子供たちは、一年の半分も学校に行っていないのではないかと思われます。大人も年の半分近くは休日です。

それから、学校も職場も、休日に挟まれた通学日や出勤日は、自動的に休暇になり、三連休、四連休となるようです。これも、慣習的なもので、全国的なものなのだそうです。

どうして、フランス人は、こんなに休むのでしょうか?


かつて、12〜19世紀、フランスの農村地帯では、農閑期に、暖房と照明と食糧の節約のため、数家族が一軒に集まり、長く厳しい冬の期間のほとんどを、横になって眠って過ごしたのだそうです。暖炉の番をしている1人を除けば、トイレへ行く時、水を飲み、パンを齧る時を除けば、ほぼ全員が一日中を眠って過ごすのです。極限まで消費エネルギーを抑えることで、冬場の保存食が大いに節約でき、全員が厳しい冬を飢え死にせずに生き延びることができたのです。

生き残る秘訣は、わずかな水と食料で、農閑期の数ヶ月を、なるべく寝て過ごすことだったのですね。なんだか、野生動物の冬眠のようです。


日本では「食っちゃ寝してると太る」というイメージがありますが、フランスでは「眠れば眠るほど、食事量が減るので痩せる」というイメージです。眠って痩せるという夢の『睡眠ダイエット』ができそうですね。

イソップ童話の「アリとキリギリス」のアリのように、日本では『働かざる者食うべからず』という意識が伝統的に強いですが、フランスでは『食べる量を減らしても、休んで眠って消耗を防げば生き延びられる』という意識になるのでしょうか。

休暇の使い方も、さまざまな予定を入れて忙しく過ごす日本人に対して、フランス人のバカンスは、田舎の海辺などにテントを張ったり、コテージを借りて、1ヶ月、何もせずにボーッと過ごすのが普通です。食事もお金のかかるレストランへ行ったりはせず、自炊で簡単に済ませてしまいます。1ヶ月間の休暇であっても、あまり散財はしないのですね。

たとえ休暇であっても、何かといろいろ忙しく予定を作りたがる日本人と違って、フランス人にとっては、ともかく「何もしない」のが休む(休暇を楽しむ)ということのようです。


この「何はともあれ省エネで生きる」という姿勢は、日本の主食である米に比べて、フランスの主食小麦の収穫率が極端に低く、歴史的に常に飢餓の危険に直面していたことと関わっていると思われます。

例えば、日本の米の収穫率が現在100倍以上であるのに対し、小麦は20世紀に入っても15倍程度でした。中世においては、12世紀には2倍、13〜14世紀でも3〜4倍、近代に入って19世紀でも10倍以下であったとされます。

小麦のみならず大麦、ライ麦、燕麦など、麦類は、ともかく収穫量を増やすのが難しかったのです。

その一方で、フランスは、ドイツ・イギリスや北欧のようには冬がそれほど厳しくありません。ですから、うっかり暖炉の火が消えて、全員凍死ということも起こりにくいのです。眠っていれば冬が越せる。

そのため、乏しい食料でなんとか生き延びるため、あまり動かず、ひたすらじっとしてエネルギー消耗を防ぐ、つまり、ボーッと過ごすか眠ることで生き延びるという習慣がついたのかもしれません。


その結果なのか、つまり、歴史的に導かれて定着した習性のせいなのか、フランス人は、現代でも、あまり働きません。

失業保険が、6ヶ月〜1年間という日本と違って、2年間もらえることも影響しているかもしれません。日本でも最近の若者はあまり肉体労働をしたがりませんが、フランスの若者は、それに輪をかけて働かないのです。

フランスでは日本のような派遣労働がほぼ禁止されているので、有給休暇や失業保険などの社会保障の網からこぼれる人が少ないということもあるかもしれません。

また、若者が働かない代わりに、高齢者がコンビニやスーパーやレストランで働いている日本と違って、フランスでは定年を過ぎた60歳以上の高齢者が働くということもありません。たとえ経営者や自営業者であっても、60歳を過ぎたら惜しげもなく仕事を辞めます。

日本の老人たちのように「身体が動くうちは働いていたい」というような労働を生き甲斐とする感覚は皆無です。

ともかく老若男女「働かない」のが基本なのです。

ですから、逆に、日本のように、電通のような一流の大企業に入社した将来ある真面目で優秀な若者が『過労死』するなどという悲劇も、起こりようがないのです。

日本に住んでいるフランス人に言わせると「日本人とフランス人を足して2で割ったらちょうど良くなるのでは?」ということです。


それにしても、なぜフランス人はこれほどまでに働かないのか?

その原因を深掘りしていくと、19世紀までのフランスの悲惨な子育て事情という問題に突き当たります。

当時のフランス、特に食糧事情の厳しい農村では、暗黙の了解で赤子殺しが常習化していたようです。また、パリなどの都市部では捨子が横行していました。そして、例えば18世紀のパリの孤児院では、捨て子の70%が、収容後1ヶ月以内に亡くなっていました。

さらに、上流の貴族やブルジョワの裕福な家庭の場合は、我が子(都市部で生まれる子どもの5%)を住み込みの乳母に育てさせ、中流から下層の家庭で生まれる子ども(都市部で生まれる子どもの90%)は近郊や田舎に里子に出されました。母親が自分の手で子どもを育てるのは里子を出す先も見つからない貧民の子ども(都市部で生まれる子どもの5%)だけでした。しかも、里子に出された子どもの死亡率は非常に高く、ある統計では70%にもなりました。

控えめに言っても、当時、フランスでは、上流・下層の区別なく、親の子どもへの愛情は非常に薄いものだったと言えるでしょう。18〜19世紀、親の育児放棄や子捨てが常態化していたということです。


その背景には、上述したように、麦類の生産効率にまつわる飢餓の問題があります。貧民の場合には、親も生きていくのが大変で、自分が生き延びるために、子どもを見捨てるしかないということだったのでしょう。また、裕福な家庭の場合には、親は、自らの享楽を追い求めるのに忙しく、子どものことは二の次だったということもあります。夫婦の間に愛がなく、複数の愛人に子どもができてしまうことも多かったようです。

愛のない親の元に生まれ、愛のない里親に預けられ、愛を知らずに育つ、あるいは放置されて幼くして死んでいく。

京アニの犯人やその兄弟などもそうですが、親の愛情が薄く、放置されて育った子どもが、真面目に一生懸命に働いて、社会にうまく適応して生きていくのはとても難しいようです。まず、それだけの気力がありません。

そして、現在のフランス人の多くは、親に愛されず、放置されて育った子どもたちの子孫であると考えられます。その意味では、「たとえ懸命に働こうとしなくても、生きているだけで十分頑張っている」と言えるかもしれません。



ジャニーズ事務所の問題を観ていて思うのは、「芸能界に巣食う憎むべき怪物はジャニー喜多川氏だけなのか?」という素朴な疑問だ。

男子に異常な性的欲望を覚えて、常習的に性行為を男性アイドルに強要していた男が、死ぬまで罪に問われることなく、数百人の犠牲者を貪り喰らっていたのであれば、女子に異常な性的欲望を覚えて、常習的に性行為を女性アイドルに強要している連中が、何ら罪に問われることなく、数千人、数万人の犠牲者を出しているという状況が、芸能界にはないと想定する方がおかしい

アイドルを夢見て、芸能界に入った少女が、汚れた大人たちの餌食となり、腐った現実に打ちのめされるという悲劇が、はたして、これまでにどれほど繰り返されただろうか?

そうした悲劇や悲惨の全てを、この国のマスメディアは、見て見ぬふりをして、数知れぬ犠牲者たちを無視し、放置し、見捨てて、ここまできたのではないか。

今になって、思うのだが、1986年、当時18歳だった岡田有希子さんは、なぜ自殺したのだろうか?

部屋をガスで充満させて手首を切る。発見されて、助けられた直後にビルから飛び降りる。少女を駆り立てた衝動の向こうに、今も根深く蠢く芸能界の闇が横たわっているように思えてならない。

誰も、そこに在る闇を指摘しようとせず、ジャニー喜多川氏だけを異常者として特異な存在として糾弾して見せたところで、それはあくまでもポーズであって、本気とは思えない。

これを機に芸能界の膿をすべて搾り出すという意思は、まったく感じられない。

謝罪も反省も、すべてがウソくさい。

本当は、ジャニー喜多川氏の悪行など、氷山の一角に過ぎないのではないか?

芸能界には、もっと悪い奴らが、今も潜んでいるのではないか?

実は、みんな、同じ穴のムジナじゃないのか?

芸能界に枕営業が蔓延しているのは明らかでしょ。

けれども、テレビ局などのメディアは、そうした芸能界の現実をずっと看過し続けてきたし、番組プロデューサーとか自分たちも加担してきたに違いない。

この国のメディアは、もうズブズブでしょう。

そうして、これまで多くの未成年の性加害の犠牲者たちに沈黙を強いてきた歴史があるはず。

そうした各業界の状況は、今後も変わらないのか…。

ウクライナ戦争の勃発から一年半が経過しました。

しかし、この戦争は、いまだ終わる兆しが見られません。

まず、 西側諸国38カ国によるロシアへの経済制裁についてですが、短期的には、あまり効果があがっておらず、むしろ、西側諸国へのダメージが大きいというのが現状です。

経済制裁の中心である原油については、ウクライナ戦争の勃発と同時に、中東諸国が原油の値上げを行ったことから原油価格の高騰を招き、むしろ、西側諸国のガソリン価格があがりました。

しかも、中国は原油・天然ガス・ハイテク製品含めてロシアとの取引を増やしており、インドはロシア産原油を安く大量に仕入れ、精製したガソリンやナフサを西側諸国に売って利益を得ています。ブラジルや南アもロシアとの経済関係を強めています。

また、元々、EUで使用する天然ガスの75%を占めるロシア産の天然ガスについては、今回、経済制裁の対象にはなってはいません。しかし、EUは、ロシアへの圧倒的な依存度をなるべく下げるため、ロシア産より高価なアメリカ産の天然ガスの輸入を強いられることになりました。そして、全体的な市場価格上昇のため、結局、ロシア産天然ガス自体も2倍に価格が高騰しているのですが、それでも、他の産出国より安いロシア産天然ガスへの依存を止められないという現実が、EUにはあります。日本もまた、国内で使用する天然ガスの10%をロシア産天然ガスに依存しており、価格の高騰によって、ロシアへの支払いは倍増しているのが現実です。

ロシア国内のエネルギー価格がまったくあがっていないのに対して、日本や欧米では、ガソリン、重油、軽油、ナフサなど、いずれも高騰しており、庶民は経済的にダメージを受けています。

結果として、ロシアでは、今だにプーチンの支持率は80%を超えていると言われ、プーチンの、そして、ロシアの戦争継続能力は、それほど衰えていないようです。

強い指導者を求めるロシアの国民性ゆえに、また、ソ連崩壊後の壊滅的な国家状況を立て直したリーダーとして、プーチンの指導力への国民の信頼の深さゆえに、まだまだ、プーチン政権の強固さには、さほど翳りが見えません。


この戦争は、ロシアの勝利に終わることはないでしょうが、西側諸国がどれほど長くウクライナに援助を続けようと、ウクライナの勝利に終わるということも考えにくいです。

『ロシアもウクライナも、どちらも決定的な軍事的勝利を得ることは困難である』ということは、誰の目にも明らかです。そのため、この戦争は終わりが見えず、戦線の大幅な変動もないままに双方共に毎月一万人程度の戦死者を出すという成果なき消耗戦が際限なく続いています。

しかし、ロシアを弱体化させるための代理戦争をウクライナにさせているアメリカにとっては、戦争が長びくことはさして問題ではないのかもしれません。結果としてNATOの結束と拡大につながっているという点では、むしろ、戦争の(あまり激化しない)長期化は、バイデンにとって有利な政治状況とも言えるからです。

ゼレンスキーの背後にあるウクライナ民族主義勢力にとっても、国内の親ロシア勢力を一掃し、ナショナリズムを高揚させる手段として、戦争状態が続き、それに伴って海外からの援助が続く状況を利用することは効果的ではあると思います。

そうした諸々の事情から、この先の見えない戦争は、残念ながら、今後も、しばらくは続きそうです。

「どうやって終わらせるのか?」について、ロシア、ウクライナ含めて、誰も真剣に考えていないからです。


また、ウクライナ政府は、ロシアとの事業を継続している企業を「戦争支援企業」などと非難していますが、まったくのお門違いです。

ウクライナの論法によれば、ウクライナを経済的・軍事的に支援しているほとんどの西側諸国が、ロシアとの経済関係を継続している「戦争支援国家」になってしまいます。

もとより、資源大国ロシアとの経済関係を完全に断とうと考えている国などどこにもありません。

戦争はいつか終わります。そして、巨大な資源大国であるロシアは、隣国であり続けます。

日本にとっても、ロシアとの経済関係を完全に断つことは、決して賢明な選択とは思えません。

そういう意味では、たとえウクライナ政府に「戦争支援企業」と非難されようとも、JTや、JCBや、商社などが、ロシアとの取引を続けるのは、長い目で見て決して間違った判断ではないと、私は思います。

日本企業だけでなく、相当数の欧州の企業がロシアでの経済活動を続けています。


「ロシアとの取引を続けることは、ロシアの戦争継続能力を支える資金を結果として与えることになる、それは好ましくない」「それは正義ではない」と考える人はたくさんいるでしょう。しかし、ロシアにはロシアの正義があります。ロシアにとっての正義は、自国が生き残ることです。

着々と進んできたNATOの東方拡大、そして、反露親ウクライナのバイデンが大統領になった途端に、ゼレンスキーがあからさまに反露の態度を鮮明にし、クリミア武力奪還を国是としてぶち上げたこと。ドンバスの親露派支配地域へゼレンスキーが強硬な態度を見せ始めたこと。欧米がウクライナのNATO加盟に前向きな態度を見せたこと。それらロシアへの締め付けが、遂にはプーチンによるウクライナ侵攻を招きました。

ロシアにとっては、この侵攻は正義なのです。

「『どんな理由があろうと侵攻した方が悪い』のだから、ロシアが引くべきだ。」そう主張する人は本当に多い。その主張は正しいのかもしれない。しかし、現実にはロシアは決して引くことはありません。

「ロシアは引かない、ロシアを打ち負かすことも不可能、では、どうすればいいのか?」

それについては、一向に議論が進みません。最大の障害は、上記の正義論、というか、勧善懲悪論です。つまり、戦争の問題を善悪を中心に考える議論は現実的ではないということです。

「日本は、ウクライナを軍事的に支援することで、この戦争の当事者になるべきではない」と、私は考えています。NATOという盾もなしに、わざわざロシアの恨みを買う必要はないのです。

ウクライナの正義も、ロシアの正義も、相対化して考えることができる広い視野が、主権者として求められています。


日本から観ると、ロシアにもウクライナにも、先の大戦において日本が直面した困難を想起させる類似の状況があるように思われます。

例えば、バイデンとゼレンスキーの策略に嵌められてウクライナに侵攻したロシアの状況は、イギリスを助けて対独参戦したいルーズベルトの策謀に嵌められて、太平洋戦争に突入してしまった日本によく似ています。

一方で、憲法に規定された国土防衛の義務を果たさせるため、18歳から59歳のすべての男性の出国を禁じ、徴兵担当官の脅迫が横行し、愛国心の名の下に嫌がる市民が無理やり前線に送られ、一般人の女性にも軍事訓練が施されているウクライナの状況は、「本土決戦」が叫ばれ、市民への竹槍訓練が実施された大戦末期の日本の状況によく似ています。

侵略した側である日本と侵略されたウクライナではまったく違うと言う人もいるでしょう。けれども、当時の日本人とて、鬼畜米英に対するアジア人の自立という自国の正義を信じていました。そして、国際的にも孤立した極限状況の中で、深い愛国心を抱いて、その命を散らしたのです。

自国が強大な敵と戦っている最中、一市民が向き合っている戦争の状況は、当時の日本人と現在のウクライナ人とで、何も変わりはないのです。

だからこそ、日本人だからこそ、言える真実があります。どれほど、耐え難きを耐えることになろうとも、平和は戦争に勝るということです。

ウクライナは、いかなる譲歩を強いられるとしても、即時休戦を目指すべきです。

同じことは、ロシアにも言えます。

これ以上、ロシアとウクライナの間に憎しみを醸成し、両国の亀裂を深めることは、ロシアの安全保障に何ら寄与しません。それどころか、今後、長きにわたる対立と不和を招く因となるだけでしょう。

可能な限り、即時に停戦することが、両国に最大の利益をもたらすことは誰の目にも明白です。


そうした観点から考えると、伊勢崎賢治氏、東郷和彦氏、鈴木宗男氏の言い分は、それぞれに一理あり、突き詰めれば、同じ立場からの意見であると言えます。

彼らの主張の根底にある政治的現実は、以下の通り。

①現在、ウクライナ戦争は消耗戦の様相を呈しており、この状況が続けば、双方とも苦境に陥ると思われるが、より深刻なのは国力から考えてもウクライナの方であるということ。

②双方が1ヶ月に一万人もの死者を出すという悲惨極まる消耗戦を、何ヶ月も、あるいは何年も続けさせることは、人道的に許されるべきではないということ。そして、この消耗戦が続いている原因の一つは、西側諸国によるウクライナへの軍事援助にあるということ。言わば「勝てないとわかっている代理戦争を、ウクライナに続けさせている」ということ。

③石炭・石油・天然ガスなどエネルギー資源の自給率が極端に低く、食料自給率も低く、NATOのような強力な集団安全保障体制に守られていない日本にとって、核大国であり資源大国・食糧生産大国でもある隣国ロシアと決定的に対立することは、将来にわたって大きく国益を損なう恐れがあるということ。


以上の観点から、『ウクライナに武器を供給していない中立の周辺諸国が、多少の領土の割譲はやむなしとして、停戦協議に入るように両国に対して呼びかけること、さらにウクライナ側に加担している西側諸国が、そうした中立周辺諸国の仲裁を支持すると表明すること』が肝要と思われます。